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その頃、深貨物船<ゆき>では……
こんな辺境ではついぞ見かけないタイプの若者の来訪に、大村が面食らっていた。
(……宇宙商船大学在学中、地球連邦開拓省移民局運行部研修生、桜井洋一)
<ゆき>の船長室にかしこまって座っているその青年は、小奇麗に梳かしたツヤのある髪をさらっと七三に分けた、シティボーイ…という風体。この青年はしかも、なんとあの地球連邦宇宙科学局長・真田志郎、および移民船団本部長・島次郎という驚くべき面子の紹介状を持ってやって来たエリート学生、なのだ。彼は「古代進ヘの伝令」を携えて、ここまではるばるやって来たと言うのである……
(……地球に向かっているというブラックホールのニュースは、やはり…本当だったんだな)
だが、例の全地球的規模でのパニック放送も、ここでは酒場のうわさ話程度にしか流れなかった。
<ステーション・ルーア>はこの近海一帯の貨物の中継地点ではあるが、各々の貨物船は常に宇宙を移動しており、一カ所で滞在することなど滅多にない。この深宇宙はここだけで、ひとつの閉ざされたコニュニティを形成しているといってもいいくらいだった。地球から直接やってくるのは、3ヶ月に一度の郵便船だけである。地球からの供給が絶たれればそもそも存続することは出来ないが、定期的な補給さえあれば地球のニュースとは疎遠でも、十二分に稼働を続けることが出来るのだ。
(さて、しかし。……古代さんはここにはいないんだよな)
一番困ったのは、それだった。
桜井が派遣されて来た理由は分かる。
地球では、「古代進」の復帰を期待しているのだ。前代未聞のプロジェクトが発動することになっている——古代はそのリーダーとして、再び立つことを期待されているのだ。
ところが、肝心の古代進は、といえば。
(……大怪我した挙げ句、宇宙放射線病を発症してベッドから動けない、だなんて。桜井君に、いや……真田さんたちに言えたものだろうか……)
さて…どうするか。
——と、大村は腕組みをして考え込んだ。
*
翌朝。
その肝心の古代進は、ブラックホールのことなどまるで知らないまま、ベッドに起き上がって遅い朝食を摂っていた。
キッチンでは、さっきから無言のまま上月ユイが何か作っている。
トントントントン……ブイーーーンン…
何かを刻んで、ジューサーにぶち込んだ音。
彼女は、「おはようございます」と言ったきり、無愛想に黙ったままなのだ……
その朝、10時頃にやってきた彼女は、古代が何も食べていないのを見るや、やっぱり!!と憤慨して、台所へ駆け込んだ。
古代が三浦半島の出身で、洋風のメニューよりも和風のおかずの方が好きだ…という話を覚えていたのだろうか。そして出て来たのが、この朝ご飯である。野菜の漬物に野菜の味噌汁、何か魚の干物を焼いたもの、目玉焼き、そして、白いおむすび。すべて、彼女が持参した保冷バッグから出て来たものだ。さらに今、彼女が作っているのは……古代の苦手な野菜のフレッシュジュース、なのだろう。
焼き魚を箸で突つきながら、古代は苦笑した。
んもう、進さん!?
好き嫌いしないでなんでも食べないと!
子どもに笑われるわよ?
雪がそう言って、とにかく毎日法外な量の野菜を食べさせようとするので、閉口して外へ一人で食事に行ってしまった日のこと……。たらふく焼肉だのラーメンだのを食べ、鼻歌まじりに缶ビールを買って帰ったら、台所で雪が膨れ面をして座っていたっけ。守がまだ、1歳にもならない頃のことだったな。そんなに野菜が嫌なら、ジュースにしてみたから。そう言って、彼女が涙目で差し出すから、仕方なくごめんよ、と飲んだその野菜ジュースの味ときたら。
(……あれが一番不味かったよな……)
思い出して、苦笑した。
苦笑したと同時に……また目頭が熱くなる。
(……ちぇっ)
「食べ物の味が変なのは、まだ熱が高いせいですよ」
突然、ドアのところから声がしたので、古代は慌てた。朝食のトレイの上が一向に奇麗にならないのを見つけた上月が、腰に手を当てて呆れたようにこちらを見ている。
「……あたしはそんなに料理は下手じゃないんですからね。訪問看護で、他所で食事も作ってて、結構喜んでもらってるんだから」
不味いわけがないんだけど?
「さあ、これもどうぞ。鼻つまんで一気に飲んだらいいんです」
上月は、ベッドのサイドテーブルに野菜ジュースの入ったグラスと、錠剤の3錠載ったトレイを置いた。
「……特効薬がないんだから、野菜食べるしかないんですからね、宇宙放射線病対策には」
……医学的には、サプリメントでも同じ栄養素がまかなえるはずでしょう?…そう言おうとして、古代はそれを思いとどまった。前に、雪にも同じことを言ったところが、彼女に凄い剣幕で怒られたのを思い出したからだった。
——もう、私こんなに一生懸命やってるのに…!!——
……はいはい。ありがとう。ごめんよ……
思い出して、クスッと笑うと、上月が目を剥いた。「なんですか?!」
「えっ?…いや、思い出し笑いです。上月さんを笑ったんじゃないんだ」
「…紛らわしい」
「すいません…」
どうも謝ってばかりだな。
古代は、こほんと軽く咳払いをし、真面目に食事を続けることにした。チラッと野菜ジュースに目をやる。……オレンジ色なのは、ニンジンなのか…オレンジなのか。そこが問題だ。
幸い、ユイの作るものはさすがにそこそこ美味かった。
「……ご馳走さまでした」
箸を置いて、両手を合わせる。
確かに、身体を治すのが先決だ。こんな有様では、帰りたくても帰れやしない。
意を決して野菜ジュースに手を伸ばし、匂いを嗅がないようにしながら一気に飲み下した。「…?」
あれ?意外と美味しい。
「ニンジン一本とリンゴ一個に、ハチミツだけだから」
ドアの所で、無愛想にユイがそう言った。「私が来られるときは、毎回飲んでもらいますからね」
「……案外美味しかったです。これなら飲めます」
「それはどうも」
古代は感謝の印にとびきり愛想よくニッコリして見せたが、ユイは不機嫌そうに会釈しただけだった。
(困ったな…)
この上、朝食のトレイを自分で片付けなかったら、何を言われるか。
「よいしょ…」
だるい身体に鞭打って、古代はトレイを片手にベッドを降りた……うわっと…
くらっと目眩がして、思わずよろける。
「!!」
ドアの所にいたユイが、声にならない悲鳴を上げて駆け寄って来た。
「ああ、すいません、上月さ…」
「……無理しないで…!」
小さく叫んだユイの顔が、奇妙に歪んでいた。
(…古代くん、お願い、無理しないで…!!)
泣きそうな顔で、そう言った雪を思い出す……
「こ…上月さん」
自分の肘を支えたユイの顔が、思いがけず動揺していることに、古代は驚いた。突き放すような態度だったはずなのに、この人は……
(本当は優しい人なんだな)
そう思うと、心がほんわりと温まる。
「……ありがとう」
目の前に、いるはずのない愛しい人がいるような錯覚。
だが、心からお礼を言ったのにも関わらず、再びユイはキッと目つきを厳しくしてこう言ったのだ。
「片付けなんか、しないでいいです。古代さんは身体を治すことだけ考えてて下さい、ほら、お薬飲んで!!」
そうして古代は、またしてもベッドに押し戻されてしまったのだった。
*
(……大村さん。…どうしてあの人を、あたしに任せて行ったの……?)
ユイはとぼとぼと病院へ向かって帰る所だった。
大村は、今年43歳…妻と娘を亡くしてこの辺境に来てから、ユイと知り合って5年。大村と上月ユイは、やはり最初患者と看護師、という間柄だった。
ただ、この数年間……大村は明らかにユイに対して特別な感情を持っていると分かるのに、それをいまだにぶつけてはこないままだった。ユイは28歳、自分は43歳……しかも、亡くなっているとは言え妻子のいた身だ。自分は未婚の若い娘に相応しくない、とでも勝手に思っているのか、大村はずっと煮え切らない態度だった。
だが、ユイは大村を憎からず思っていたから、もしもプロポーズされたなら喜んで受けようか、と本気で思っていたのだ。
なのに……。
(古代進。無防備で、純粋で、…優しくて。でも、あんなに悲し気で…。惹かれずにはいられない……)
大村の気持ちは分かり切っている。なのに、まるで私の気持ちを試すかのように、あんな人を…押し付けて行くなんて。
(……大村さんは、…あたしが、古代さんとどうかなってもいいの?!)
昨晩、熱に浮かされて自分を抱きしめた古代を思い出す。
ランニングしか着ていない逞しい胸、力強い腕。微笑んだその瞳はどうしようもなく優し気で魅力的で、目を逸らさずに見つめていたらきっとどうかしてしまうに違いない、と思うのだった。今さらながらに思い出せば、胸が苦しくなる。頬が上気して、耳まで赤くなったのが自分でも分かった……
(やだ、もう!!)
もさもさの髭面だが、古代はあの髭を剃ったらきっと、とても奇麗な顔立ちをしているに違いない。朴訥でお世辞にも美形とは言えない大村は、ユイが古代に懸想したなら、簡単に身を引いてしまうだろう。
(……古代、進……不思議な人)
伝説の、あの<ヤマト>の艦長と同じ名前の、流れ者。
大村さん……。
私、どうしたらいいの…?
無機質な鋼鈑で出来たステーションの天井を見上げ、ユイは溜め息を吐いた……
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