RESOLUTION 第7章(3)

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「……雪!?」

 信じられない来客に、驚いたのは大介の方だった。

 取材の記者連中がうるさいから、家の中では明かりを点けるなよ、と佐渡に釘を刺されていたから、小さな携帯用ライトだけを持ってやって来た。だが、その小さな光に照らされて今にも自分に抱きつかんばかりになっているのは、古代の妻…雪だったからだ。
「雪、どうしてここに?!」
「えっ」

 ……し……島くん……?!

 勢い余って抱きつきそうになった相手は、島大介だった。

 どうしてここに?とは、雪の台詞である。「し…島くんこそ、どうして…?」
「あ、ああ……その、実は…佐渡先生に頼まれて探しものを…」

 まさかここで、彼女に出くわすとは思っていなかったから、どこから説明したものかと大介は戸惑った。「話すと長くなる。さっきから、このライトの明かりも外に漏れてないかとちょっと心配だったんだ。…どこか明るくできる場所、ないか?」
 そ、それもそうね、と雪は合点し、キッチンの方へ向かった。そこにある入口から、地下室へと大介を誘導する。
「……ここなら、照明つけても大丈夫だから…」
「ごめん、…古代じゃなくて」
「……いいわよ…」
 地下室への階段を降りながら、雪は胸の動悸を収めようとちょっと努力した。
 ……てっきり、彼が戻って来てくれたのかと思った自分に、ひどく動揺していた。

 島は確かに、進と少し雰囲気が似ている。見た目の雰囲気ではない…背格好や、懐かしさ、そこにいて彼が発している全体の雰囲気に、共通したものがあるのだ……それは、かつてヤマトで共に旅をした男たち全員に共通するものでもあったのだが。それに加えて、島から受ける印象が、以前と少し違うことにも雪は気付いた。

「…島くん、なんか感じが変わったわね」
 地下室のドアを開けて、中の壁にあるバッテリーボックスと照明のスイッチを操作した。天井にある充電式のライトが、次第に室内を明るく照らし始める。
「そうかい?」
「……お父さん、って感じがする」
「だってお父さんだもの」
「………!!」

 そう、テレサ…赤ちゃん無事生まれたのね…!!
 
 雪にも、みゆきの誕生の報は届いていなかった…いや、敢えて知らせていなかった、と言った方がいい。
 明るい照明の下で、改めて再会した島大介は、雪が覚えているよりずっと優しい顔をしていた。

「…おめでとう、よかった…」
 そう言えば、知らせていなかったよなあ。
 大介は手短かに、名前の話もする。みゆき。
 雪と古代の娘の名をもらった、大介の愛娘。
「そう…テレサも元気なのね?私も嬉しいわ……!!何かお祝い、しなくちゃね」
「はは、それはそのうち…ね」

 ——だが、大介から見た古代雪は、思わず会話が途切れそうになるほどやつれていた。

 娘の名前の由来を話しながら、大介はいたたまれぬ思いに苛まれる。 
 こんな顔をした彼女に、古代が大怪我をしたことを話すのは、どうにも躊躇われた。
 
「雪……、君は大丈夫なのか…?随分疲れているみたいだぜ」
「そう?…イヤだわ、歳は取りたくないわね」
「そういうんじゃないよ。……苦労、…してるのか」
 
 雪はそう言われて、困ったように笑った。
 地下室は、定期的なクリーニングのおかげで黴臭くもなく埃っぽくもなかった……移動式の書架や、衣装のコンテナなどがある奥のスペースの手前に、壁に沿って小さなワインセラーがある。棚の中には、数本のワインがまだ寝かされたままになっていた。
 その横には赤い二人掛けのソファと小さなテーブルが置いてある。古代がいた頃、ここは彼のくつろぎの場所だったのだろう。
 ブーー…ン、と自家発電の音がどこからともなく聞こえていた。

 大介の心配そうな顔に、どうとも返事が出来ないまま、雪は壁に作り付けられたフリーザーのドアを開けた……
「まあ、座ってよ。……ジュースか何か、あると思うから」
 ああ、何も要らないよ?構わないで……そう言いかけた大介は、雪がちょっとの間だけでも、顔を背けていたいのだ……と察した。

 彼女が疲れているのは当然だった。もう何年も、世間の好奇の目に晒され、中央病院からは退職を余儀なくされ。子どもたちとも離れて護衛艦勤務に就いているのだ。防衛軍内部なら雪を快く迎え入れてくれる場所は多いのかもしれないが、そもそも弱音を吐けない職場だけに、その心身の緊張は察するに余りある……

 自分に背を向けて、フリーザーの中身を調べる雪の、壊れそうな後ろ姿に、大介もかける言葉を見失う。

「…雪」
 開け放したままのフリーザーから流れ出る冷気が、ソファにかけている大介の足元にまで漂って来ている。
 雪の、華奢な肩が震えているのを大介は見てしまった。冷気が、微かにその肩に流れる金色の髪を揺らす


 あーあ、涙が凍っちゃうぜ……。
 仕方なくそう笑いながら、大介はソファから立ち上がった。フリーザーのドアを彼女の背後から閉めてやるつもりで、片腕を伸ばす。
「ほら、閉めなきゃ。飲み物なんかいらないって…」
 雪の肩が、大介の胸に触れた。
「……うう」
 不意に、背中を向けたままの雪が泣き崩れた——
「雪……!」

 

 古代が守れなければ……その時は。

(雪、俺が君を……守ってやる)
 かつて、そう固く決意していたことを、大介は今さらながらに思い出した。あの頃、こんな痛々しい君の姿を目にしたなら。君がどれだけ古代を愛していようと、俺は君を抱きしめていただろう。……あいつには任せられない、そう確信したなら、…例え、力づくでも。

 大介は、目を閉じた。

 目の前、数センチの所で嗚咽している雪の背中。今なら、君は俺の胸にすがってくれるんだろうな。…この俺でも、君の涙を…乾かしてやれるんだろう——
 躊躇いながら、雪の肩に手を置いた。彼女の背がびくっと震えて、気の毒なほど青ざめた顔が、こちらを振り向く。「……島くん」 
 

 何も、言えなかった。

 もう我慢できない、と言うように。雪が自ら、自分の胸に顔を押し付けて来たのを、まさか…避けるわけにも行かず。大介は覚悟して受け止めたのだった。

(おかしなもんだな)
 だが嗚咽を堪えていた雪が、自分の胸に突っ伏した途端に突然号泣し出したので、大介は思わず苦笑したのだ。かつて、あれだけ憧れていたヤマトの女神、森雪。それが今、自分の胸の中で子どものように泣いている……。大介は彼女の背中に両腕を回し、慰めるように抱いてやった。


 この気持ちは、なんだろう……?


 古代に悪いな、とか、雪に対しての照れだとか、ましてテレサに申し訳ないなどといった、そう言った気持ちの一切が、自分の中にはまるで…起きなかったのだ。

(泣きじゃくる子どもをこうやって宥めるのは……これで一体何度目だろう…?)

 ただそう思っての、苦笑だった。





 まあ、だとしても。

「……なあ雪。俺はかまわないが……いつまでこうしていればいいんだい?」
 まるまる1分間は、そうやって彼女の身体を抱いていたそのあとに。大介は雪の耳元でそう言ってやった。
 えっ、と彼女が顔を上げる。
 それに対して、大介はホールドアップして見せた……「君がこんなに大胆だったなんて、知らなかったよ」
 途端に、涙でくちゃくちゃになった雪の顔が、かあっと赤くなる………ははは、可愛い。
「しっ…島くん、あたし」
 ごめんなさい……!!

 まあまあいいから。古代には内緒にしておいてやるよ……。それより、ちょっとは気分が落ち着いたかい?言いたくないけど、…化粧が落ちて美人が台無しだぜ?
 そう言って、大介は改めて、声を立てて笑った。
「んもう……イヤな島くん」 
 
 ようやく彼女の顔に笑顔が戻ってきた——。



「…ねえ、島くんがここに来た理由を…まだ聞いていなかったわ」 
 まるまる5分間、地下室のトイレに籠って化粧直しをしてから。

 さっぱりした顔で出て来た雪は、何事もなかったかのような態度でそう言った。
 笑っている。
 大介も、ふふっと笑った。
「ああ、そうか…」

 実はね……

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