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畳の上に、小さく正座した姿。長い金色の髪が、うなだれた肩の向こうへ流れ、腰を覆って畳にまで届き…ふわりと円を描いている。相も変わらず、その姿は儚く美しい……
だが佐渡酒造は、目の前で涙を堪えている彼女、テレサに、さてなんと言ったものか……と再び溜め息を吐いた。
テレサと島大介の娘、みゆきには…テレパス能力があった。
真田の科学局で、ハイテク観測システムが遠隔探知した移動性ブラックホールを、赤ん坊のみゆきが同様に察知したという。……外宇宙の脅威を、その位置する宇宙座標が算出できるほど鮮明に捉えることの出来る——強い感応能力。
その事実と、彼女自身の、人としての寿命……。
一見、幸せに平和に過ごしているように見えるが、実際はこの儚い女性の胸中には、計り知れない不安と恐れが渦巻いているに違いなかった。
ところが、あろうことかテレサはこう言ったのである。
先生……私は、どうしたらいいのでしょう…?
私…島さんを、私がここに引き止めてしまっていることを、申し訳なく思っています。娘のみゆきの能力を、科学局に役立てて頂くこともできません。島さんは、それでいいとおっしゃいますけど、私はそれが…心苦しくて……
佐渡は、湯呑みに入ったお茶をずず…っと啜った。
「…わしゃあな、お前さんに、どうこうせい、とは言えん立場じゃ」
なぜならば、わしも。
この度のことには、なーんも、協力できんからじゃ。
「わしは、ヤマトにはもう乗らん。彗星が来ようが、ブラックホールが来ようが、怪我人が出ようが死人が出ようが、もうわしの出番はない、と思うちょる」
「先生……」
「医者としての腕にはまだまだ、自信はあるぞ?…それでも、じゃ」
今、わしがせにゃならんことは、別のところにあるから、なんじゃよ。ただ、それが本当に地球や人類のためになるかどうかは、甚だ疑問じゃがの。
テレサは顔を上げて、佐渡を見つめた。
老医師の柔和そうな小さな目が、こちらを見て微笑んでいる。
「みゆきちゃんのテレパスを計画のために使わせる、島をヤマトに行かせる。そうすると、お前さんたち一家の生活はめちゃくちゃになるじゃろ。お前さんがそれを厭うても、仕方のないことだよ」
佐渡は湯呑みをちゃぶ台にことんと置くと、にっこりした。
「静かに暮らしたいんじゃろ…、島に、そばにいて欲しいんじゃろ。いいじゃないか……島だってそれでいい、と言っておるんなら」
「でも、古代さんと雪さんが」
「…古代は古代、雪は雪じゃ。守や美雪たちだって、お前さんから島を取り上げてまで、力になって欲しいとは思わんさ。そんなことをしても、古代も雪も、喜ばんよ」
(不憫なことじゃのぅ…)
佐渡はそう思った……
たった一人で長い間、辛酸を舐めてきたはずのこの娘・テレサは、ここに至っても自分のことより他人の心配ばかりしよる。自己犠牲もほどほどにせなんだら、人は生きては行けんのに。
「…テレサ。あんたはもっと、自分を大切にしなさい」
島に甘えたいなら、それでいい。素直に甘えたらいいんじゃ。うーんと甘えて、満足したら…言えるようになるじゃろうて、「行ってらっしゃい」…とな。
「まだまだ今のお前さんは、島に十分甘えとらんのじゃ。甘え足りないんじゃよ」
「…甘え…足りない…?」
「ん。そうじゃ」
今まで黙っていたアナライザーが、頭部を点滅させて僅かに「笑った」。
「何じゃ?言うてみい、アナライザー?」
佐渡が促す。
「ワタシハ…」
ランプがクルクルと輪を描くように点滅した…「ワタシダッテ、雪サンガ心配デス。大好キデスカラ」
デモ。
雪サンハ、私ノ雪サンハ、強イ。
ダカラ、…古代サンガイナクテモ、私ガツイテイナクテモ、キット大丈夫。
「…ソウ…信ジテイルノデス」
「……信じる…」
ロボットの言葉とも思えなかった。
テレサは驚いてアナライザーを見つめる。
「今のお前さんは、島のことも古代のことも、雪のことも…自分のことさえ、信じておらんのじゃないのかの? これでいい、と思ってごらん。島にそばにいて欲しい、そう思ってもいいんじゃ。自分をもっと信じてごらん」
その優しい眼差しと言葉に、思わず堪えていた涙が零れ落ちる。
「アアー、ホントニ相変ワラズ泣キ虫デスネ〜、テレササンハ〜」
目鼻などないのに、アナライザーが苦笑しているのが分かる。その良く動く金属製の指が、ハンカチを手渡してくれた。仄かにオイルの香りがするそのハンカチでそっと頬を拭いながら、テレサは微笑んだ…
「…ありがとう…」
* * *
一方、ここはアクエリアス……氷塊ドック。03ドックに到着したヤマトを、待ち構えていた整備士たちが取り囲み、作業を開始していた。
「…どういうことですか、太田さん…!」
最近滅多に怒鳴る、などということのない自分だが、今回ばかりは腹の虫が収まらなかった。兄の大介と同期、つまり自分より11歳も年上の防衛軍大佐に向かって、これほど突っかかってしまうなんて…尋常じゃない。
——それは、分かっていたのだが。
島次郎は、いつになく苛立ちを抑えられずにいた。
太田健二郎がアクエリアスへ伴ってきた、17歳の少年訓練生・小林淳。訓練学校航法科の2年生で、まだ大型艦船のライセンスを取得したばかりだと言う。小林の兄が、大介の乗っていた緊急医療艇<ホワイトガード>の艇長・小林優人の弟である、…ということは聞いた。彼らは年の離れた、優秀なパイロット兄弟なのだ。
だが!
「…なんだってあいつが、次のヤマトのチーフパイロットなんですか!?」
理解できません。
真田さんが決めた……って?
「ああもう!一体何がどうなってそんなことになるんですかっ」
あり得ないでしょう、そんなの!!
「まあまあ…次郎くん」
太田は次郎の剣幕に押されながらも、苦笑いする一方だ。
「冗談じゃありませんよ、ヤマトですよっ!?そこらの護衛艦とはわけが違うんですっ」
額の血管が切れるかと思った。
次郎はハアァ…と全身で息を吐く。クールダウンしろ。これは何かの間違いだ。
「太田さん……どうしても人がいないなら、太田さんがチーフパイロットになってください。僕は反対です。小林みたいな子どもに、ヤマトの操縦を任せられるわけがない…!」
「……へえ…なーにを騒いでるのかと思えば」
——と…
不敵な声が、コントロール室の入口から聞こえてきた。
「あんた、…島さんだろ?」
「ああ?」
振り向いた次郎の目に飛び込んで来たのは、噂の張本人、……小林淳。
訓練学校航法科の制服がどうにも似合わない、小柄な体躯。押えても押えてもツンツンに立ってしまうのだろうと思われる頭髪に、意志の強そうな額。人を食ったようなやや下がり気味の目尻が、次郎を睨んでいた。その口元は不敵に歪んでいる…
「へへ、あんた、島大介…の弟、島次郎、だよな。…俺が、なんだって?」
俺がヤマトのチーフ・パイロットに予定されてるのが、そんなに気に食わねえかい…?
太田が、「あちゃー…」というように額を押さえた。
「小林、やめろ」
とりあえず、そう言ってみる。「…島くんも、落ち着いて話を聞いてくれ」
「ええ、聞きますよ」
まともな話ならね!
次郎は小林に聞かれていたからといって、前言を撤回する気はさらさらないようだ。
(島さーん、…どうしましょう。次郎くんって、こんなに喧嘩っ早かったっけ……)
太田は睨み合う年下の2人を宥めながら、さてどうしたものかと頭を抱えた。
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