RESOLUTION 第6章(2)

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「…そうか、…ヤマトがアクエリアスへ」
 無事着いたようじゃの。
 わしゃあ…もう、なんも手伝えんが……
 ああ、こっちは至極安穏にやっちょるよ。…島には知らせてもいいんじゃな?んむ、分かった。

 管理棟の食堂から佐渡酒造のために、と午後のおやつとお茶を運んで来たテレサは、引き戸の向こうの会話に足を止めた。
(…島には、知らせてもいいんじゃな、…って)
 通信の相手は、次郎なのか真田なのか。——いずれにしろ。
 佐渡先生も、思っている。
 島さんは、ヤマトの動向を知りたいだろう、と。

 本当は、彼も…計画に加わりたいと思っているのかもしれない………
 

 正直、今となってはテレサにもなぜ…大介がああも頑なに「君のそばを離れない」と言ってくれるのか、分からなくなっていた。

 彼が自分のこと、そしてみゆきのことを大事に思ってくれているのは、痛いほど分かる。けれど、この私でさえ…古代さんや、雪さんのことが心配で堪らない。島さんだって…私のことさえなければ、すぐに飛んで行って手助けしたいだろうに…。
 そして、ついに…長いことメガロポリスの海底ドックで眠っていたヤマトが、どこかへ運び出されて行った…という。接近して来るカスケードブラックホール、着々と進められている回避計画…。

(…私は…平気よ。一人じゃないのだから、あなたは…どうぞ行ってください。私はみゆきとここで、待っています。先生と、守君と、美雪ちゃんと一緒に)

 小さな子どもたちまでが、父母や家を離れても必死で生きているのよ。
 私だけが…あなたに甘えていては……。


(どうか、古代さんと雪さん、真田さんたちの力になってあげて)


 自分は彼に、そう言うべきなのだ…とテレサは思った。

 盆に載せたお茶うけの皿が、伏せた湯呑みに当たってかたかたと音を立てる…。
 だが、自分が大介に何を言い、どうするべきかと考えると、それが至極まっとうなことであるにもかかわらず、…辛くて体が震えてしまうのだった。

 細やかな気遣いを常に忘れない真田からは、「テレサ、あなたはどうぞ気にせずに平安に暮らして下さい」と伝言があった。真田がしばらく前に打診してきた、みゆきのテレパス能力を計画のために役立てられないか…という要請については、大介が断固拒否したという。それで真田は、テレサにも謝罪の言葉を寄越していた。
 次郎からも、同様の連絡をもらっている。
 心配しないで。兄貴がいなくても、僕たちは大丈夫。やだな、テレサ。そんなに僕たちを見くびらないでくれよ?……と。

 ただそれでも……
 テレサの心は晴れなかったのだ。

 軽く深呼吸をして…佐渡の部屋の引き戸の手前で、そっと床に膝をついた。引き戸を軽くノックする。
「……佐渡先生、お茶をお持ちしました」
「ああ、ハイよ、ありがとうさん」
 お入りなさい、と声が返って来た。

 盆を床に置いて、引き戸の取っ手に指をかける……
 以前会った時にも幾度かそう思ったが、この佐渡酒造と言う人は…島さんや古代さんたちにとっては特別な人なのだ。辛い時、行き詰まった時。島さんも古代さんも、幾度もこの人に相談したことがあるのだろう。

 私は、一体どうしたらいいでしょう…?

 私がそう訊いても、……先生は応えてくれるだろうか——。
 テレサは、思い切って佐渡の部屋のドアを開けた。




               *




 大介は、みゆきを抱いて管理棟の庭を歩いていた。
「もうすぐおやつだから、守君たちを呼んできて」とテレサに言われたのだが、さて…どこにいるんだろう、あの子たちは?

 佐渡フィールドパークは、武蔵野丘陵のなだらかな斜面を利用した、広大な牧場のような場所だった。大型の野生動物を放し飼いにしている数ヘクタールの飼育エリアと小型の家畜を飼育するエリアとは、細長い実験施設に区切られていて、植えられている植物の種類もそこからがらりと変えられている。空から見ると、ひょうたんのような形のフィールドが丘陵の斜面に横たわっているのが一望出来る……ひょうたんの口に当たる部分がメインゲートと見学棟、そして手前に小動物の飼育エリア。真ん中のくびれた部分に実験棟。その下の大きな丸いエリアが大型の野生動物の飼育エリア。さらに一番下にあたるのが、管理棟であった。

 一般の見学者や取材などが入れるのは見学棟までだ。管理棟へ入るには、施設研究員だけが通行を許されている地下通路を通るしかない。佐渡と子どもたちの住む区画は、実質外部からは厳重に隔離された状態にあるのだった。
 さすがにどこもかしこも、取材の記者やパパラッチの目を避けるにはもってこいの作りではあるが、……ただ、子どもたちがかくれんぼをし始めると、なかなか見つからないのが玉にキズ、である……。

「…困ったな」
 さっきから、何度か大声で呼んでいるのだが、子どもたちからの答えはない。そんなに遠くへ行っちゃってるのかな、あの子たち。……結構奥行きあるもんな、ここの庭。

 ふう、と溜め息。

 後ろに管理棟の出入り口。その横には散水ホースや庭仕事用の耕作具、手押し車や長靴などが並べてある棚…反対に目をやると、小さなウッドデッキがあった。その手すりのところに、施設のものなのか、数枚の座布団が干してある。

「……ちょっとねんねするか?」
 日射しも気持ちいいし?風もないしな…
 座布団をはたいて2枚ほど拝借すると、ウッドデッキに設えてある広いテーブルにそれを並べた。スリングからみゆきを降ろして、その上に寝かせる。
「今日は暖かいなぁ」 
 独り言をいいながら、大介はうーん…と背筋を伸ばした。
 

 みゆきが生まれてから、独り言が多くなったなあ、と苦笑する。この子はまだ意味のある言葉を話すことはないが、笑顔や仕草でちゃんと返事をしてくれる…ただ、そのせいでつい、こちらとしてはくどくど話しかけてしまうのだ。

 日射しを浴びて、みゆきは大介と同じようにふわーん、と欠伸をした……あ、寝るかな??
 ウッドデッキの上方に申し訳程度についている藤棚(もちろん、今は何もなかったが)が、丁度みゆきの顔の辺りに小さな日陰を作ってくれている。

 テレサにそっくりな白い頬。

 そこに影を落とす、伏せられた長くて密な睫毛。

 大介は思わず微笑んだ…
(…彼女の小さい頃って、こんな感じだったんだろうな…)
 テーブルとセットになっている長いベンチに腰かけながら、みゆきのお腹の辺りをぽんぽん…としてやった。わが子ながら、その愛らしさにしばし見とれてしまう。テレサの幼い頃か…さぞ可愛かったに違いない。写真の一枚も残っていないのが、ものすごく残念だ。

 そうしながら、大介は周囲に目をやった。
 ここであの子たちを呼ぶと、みゆき、せっかく寝たのに起きちゃうな。

 …どうしよう。

 見回していると、ウッドデッキの隅にサッカーボールがあるのが目に入る。そっと立って、それを拾いに行った。
 まだ新しい。
(…守のかな?)
 雪は、子どもたちにあれこれと買っては送ってやっているようだから、このボールもそのうちの一つなのだろう。だが、ひっくり返して眺めてみても名前はなかった。

「よっと」
 昔取った杵柄。
 ユニバーシティリーグの名ストライカーにまでのし上がった弟の次郎に、最初サッカーを教えてやったのはこの自分だ。まあ俺だって、スポーツなら大概何でも…学校でやる程度のレベルなら、いつでもトップクラスだったんだ。

 平らな芝生の上で、リフティングを……20、…25……30。
「あ〜〜〜」
 数年ぶりだから、という言い訳をしながら、あらぬ方向へテンテンテンと落ちたボールを追いかける。そんならついでにドリブルだ…
 ルーレット、シザーズ。足さばきを思い出しながら…逆方向へフェイント。
 
「おじさん」
 えっ。

 急に背後から声をかけられて、大介は仰天した。…守だ。
「それ、…俺のなんだけど」
「あ……ああ、ごめん。借りてた…」

 ボールを足で止めて振り返ると、いつからそこにいたのか…ダッフルコートのポケットに両手を突っ込んだ守が、困ったような顔をして立っていた。



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