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2がつ25にち。
みゆきはらいおんがだいすきです。
おとうさんのあたまは、らいおんみたいだから。
古代美雪は、母から送ってもらった可愛らしい日記帳に、習ったばかりの文字を書いていた…かなりたどたどしいが、5歳にしては筆圧の強い、角張った文字だ。
「コ、コダイサンノ頭ガ、ライオン」アナライザーが色とりどりのランプを点滅させて笑っている。
「ほほう、すごいの。もうすっかり字を覚えたんじゃな」
横からそれを覗き込んだ佐渡が、感心してそう言った。ついで、読み取れたその内容に彼もぷっと吹き出す……
佐渡フィールドパークの管理棟1階にある佐渡の自室で、今日も守と美雪は「お勉強の時間」を過ごしていた。先生は地球一のデータベース、ロボットのアナライザーである。
父の古代進は深宇宙に、そして母の雪は、予定される移民船団の護衛艦乗組員として訓練を積むため、現在地球を離れていた。守は学校へ行っていない…勿論それは、世間の好奇の目から幼い彼を守るためだった。
何もお前さんが戦艦乗りにならんでも。
佐渡は雪にそう言って止めたが、雪は首を振って笑った…「地球がまた、危機を迎えようとしているんです。そんな時に、古代進の妻としてじっとしてはいられませんわ。どうせ官舎にいても何をするでもありませんし」
そのかわり、子どもたちに、毎日お父さんかお母さんへ手紙を書くように、と言って下さい。先生、こんなことばかりお願いして、本当にすみません。でもどうか、……子どもたちには、お父さんは悪くない、と…必ず言って聞かせて下さい。よろしくお願いします。
守は、戻って来ない父親に腹を立てている。
父の代わりに、母が地球の危機に立ち向かおうとしているのを知って、守はますます父を憎むようになった。…だがそれは、「そばにいてくれないことへの怒り」——慕情の裏返し……。
ただ佐渡には、それが分かっていても守のささくれ立った心の鎧を解いてやることができなかった。佐渡自身、ともすれば父親の進の弁護にどうしても意識がいってしまい、聞き分けのない小さな守に対してつい怒ってしまう。そのせいで、守はアナライザーには懐いているが、佐渡にはいまだによそよそしい。
まあ大体のところ、古代のミニチュアだと思えばいい、それは確かに間違いではなかったが……。
守の感受性は思いのほか強く、何をどう宥めてもすかしても、このところは心を開いてくれなくなった。
そこへ行くと、美雪は素直だった。まだ小さいからか、いや…兄の態度を見ていて、あれでは佐渡が可哀想だとでも思うのか、懸命に兄と佐渡との橋渡しをしているようにも見えた。
「……お父さんの頭が、ライオン…ああ」
古代の髪の毛が、相変わらず長いからだ。
美雪は、DNA管理棟で生まれたライオンたちが大好きで、もっと幼い頃から飼育係になる、といってここへ来れば管理塔へ入り浸っていたものだ。大好きなライオンみたいな頭。美雪はお父さんを嫌いじゃないよ、と言いたいのだろう。
「詩人じゃのぉ美雪ちゃんは」
「しじん?なあに?しじんって?」
はははぁ、詩人ってのはなあ……
それを聞いているのかいないのか。守は佐渡と妹の方をちらっと見たが、何も言わなかった。
佐渡の自室は人工い草の畳敷きで、合板桐の箪笥に丸いちゃぶ台など、彼がご先祖様から受け継いだと言う昨今稀に見る珍しい什器が所狭しと置いてある。守と美雪はその、ごろりと寝転がれる畳の部屋が大好きで、もっぱらそこが二人の憩いの間になっていた。
「…アナライザー、誰か来る」
白く曇った窓に、きゅきゅっと指で丸い窓を作って覗き込んでいた守が、外を見てそう言った……「お客さんかな」
アナライザーがその体の側面にある小さなノズルから温風を吹き出し、窓の曇りをぼわっと溶かす…「アア、ホントウデスネ。先生、…イラッシャイマシタヨ」
佐渡はニッコリ笑って腰を上げた。
「そうか、もうそんな時間か」
美雪もノートを閉じると、守とアナライザーのそばに四つん這いで駆け寄った…すぐに曇り始める窓に、自分のためにも丸い覗き穴を、指でこすってこしらえる。
「………テレサだ!!」
うっそでえ、と否定する兄に首を振ると、美雪は慌てて三和土においてあるブーツに足を突っ込む。テレサだもん!!
「おじいちゃん、あれ…テレサでしょ!?」
ふっふっふ、と酒造は笑った……良く覚えとるな。
三和土からスライドフスマを開け、その外側のオートドアを開いて外へ飛び出す美雪を追って、佐渡、守、そしてアナライザーも外へ出る。
朝の霜柱がまだ溶けきらない凍った小径をこちらへやってくるのは、娘をスリングに入れて懐に抱いた島大介と、白いフードコートを着たテレサだった。
* * *
「テレサ!!」
管理棟から伸びた通路の先に、ぽつんと建っている佐渡の平屋建ての部屋から、小さな姿が転がるように出てくるのを見て大介は目を丸くした。
「…大きくなったなぁ」
へえ、と上げたその声が、ふわっと白くなる。
「美雪ちゃん…?」
「やっぱりテレサだ……!!」
凍った小径を跳ねるようにやってきて、美雪はそのままテレサの腰の当たりに思い切り抱きついた。「テレサ!!」
「…覚えていてくれたの…?」
顔を上げて「うん」と紅潮する小さな頬に、テレサはえも言われぬ愛しさを覚えた……地球人と同じなら、娘のみゆきももうこんなに大きくなっているはずなのだ。
「こんにちは、美雪ちゃん」
傍らでにこにこしている大介に気付いて、美雪はテレサに巻き付けていた両腕をサッと引っ込めた。
「こ…こんにちは、おじさん」
とたんに引っ込み思案な顔。はにかんで唇をすぼめる様が、古代の若い頃を彷彿とさせた。大介はテレサと顔を見合わせる。…あらら、俺のことは忘れちゃったかな。
「お父さんの友達の、島です。おじさんはね、テレサの…旦那さんなんだよ」
目を瞬いている美雪を見て、大介は苦笑した……現時点でも、テレサの見た目はおおよそハタチのお姉さん。方や自分は、美雪の父親の古代よりは落ち着いて見えるのだろうから…十分「オジサン」なわけだ。ヘンな組合せ。美雪がそう思ったとしても仕方ない。
だが、美雪は、笑いながらしゃがんだ大介の懐に抱えられている赤ん坊に気付いて、オジサンとオネーサン、の組合せのことはすっかり忘れてしまったようだった。
「………赤ちゃん?!」
「そうよ。みゆき、っていうの。あなたと同じ名前よ」
美雪は思わず、大介の懐を覗き込む…
スリングの中で、白い毛糸の帽子を被ったみゆきがニコニコしていた。
明るい茶色の瞳、栗色の巻き毛、白い頬。美雪の方へ、小さな手袋の手を伸ばす仕草が天使のようだ。…こんな奇麗な赤ちゃん、見たことない!!美雪はテレサと赤ん坊を交互に見比べて、納得したようだった。
「テレサの赤ちゃんね?」
そうよ。
この大介さんが、みゆきのパパ。…仲良くしてね?
いつの間にか、美雪のすぐ後ろに来ていた守が、大介とテレサを見上げていて、ペコッと頭を下げた。
「…こんにちは」
「おお、早かったのぅ、島!!」
久しぶりじゃな、テレサ!元気で何よりじゃ、うん!!
相変わらず、寒かろうが暑かろうが裸足に下駄履きの老医師と、赤い樽のような分析ロボット・アナライザーもこちらへやってきた。
もう齢75にもなる佐渡酒造である。この年になっていきなり孫が出来るとは思わなんだ、と言いながら、大層嬉しそうだ。
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「…そうですか、雪は…一人で護衛艦に」
「うむ。何もあの子がそこまでせんでも、とわしゃ思ったんじゃがのう…」
雪も大概、言い出したらきかん。
守と美雪ちゃんは、ここでとりあえずは安穏に暮らしとる。
この施設の中なら、取材は入って来られん。守も美雪も外で大いに遊ぶことが出来る。だがのう、雪のご両親のことを思うとわしゃ申し訳なくてなあ。そう言って、佐渡は溜め息を吐いた。
「…可愛いもんじゃよ。孫だと思って面倒見とる。…孫以上じゃ」そう思うとな、雪のご両親にとっては本当の孫たちだというのに。
「……雪の気持ちも分からなくはないですがね…」
古代と離婚しろ、そう言われているとすれば。
古代と雪の、共通の親代わりが、ヤマトで二人と生死を共にしたこの佐渡酒造だとしても無理はない。大介は、自分でもそう判断するだろう、とふと思った。もしも自分の両親がテレサを受け入れてくれなかったら。例えみゆきが生まれても、自分は実家に頼ることはしなかっただろう…と。
「守を見れば分かるじゃろ。…父親を慕っているのが痛いほど分かるのに、反対のことばかり言いよる。だから甘えられんのじゃ、ワシにも、雪にも。そんなあの子を、古代を毛嫌いしとる祖父母の所に預けてみなさい、もう目も当てられんよ……」
佐渡はそう言うと、天を仰いだ……時間がもっと遅かったなら、この悲劇を肴に日本酒でかけつけいっぱい、と行きそうだ。
ところが我知らず苦笑した大介の耳元で、佐渡は思わぬことを囁いた。
「…でな。島、お前さん…得意じゃろ?」
「は?」
「年の離れた弟さんがいるじゃろが、お前には。…慣れとるじゃろうが」
「…小さい子に?…まあ、多少は…」
お前、守の相談相手になってやってくれんか…?
…はぁ?!
畳敷きの佐渡の部屋で、テレサと一緒に、座布団の上に腹這いになってみゆきをあやしている美雪。座卓に頬杖を付きながら、それを遠巻きに見ている守。そのそばにどっかり盾のように座り込んでいるアナライザー……その様子を、微笑ましく見守っていた大介は、佐渡の言葉に思わず言葉を失った。
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