RESOLUTION 第5章(5)

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 緊急医療基地の通信室に、その夜遅く戻って来た島大介が妻と娘を伴い、籠ってから数十分。

 当直の雷電が、グローブのような大きな手で非常に注意深く日本茶をいれるのを眺めながら、友納はぼそりと訊いた。

「……なあ雷電。島のやつ…。地球へ戻ると思うか?」
「さあ、どうですかねえ…」
 こんな夜更けに、嫁さんと娘まで連れて…何を始めるのかと思えば、わけの解らない観測と解析、連邦科学局へのダイレクト通信……。
 友納でなくとも、その事態の異常性に何かを思わない者はいないだろう。何が起きたのか、と問いただすのは今は時期尚早だ。おいおい事実が明らかになるだろう…その時、俺たちは、どうするべきなのか。

 急須に茶葉を振り入れ、ポットのお湯をそうっと注ぐ。触れたものは何でもぺしゃんこにしそうな大きな手をしているが、雷電は実はとても細やかな神経の持ち主であった。
 急須の蓋を閉めて、待つこと数十秒。
「……ここの緊急医療艇は、7隻。パイロットは…次の候補生たちが来れば、12名を越えますし」
「…島がいなくても、やって行けると?」
「いなかったら、きついですがねえ…」
 教官を失うようなものですから。
「でも、…いずれこういう時が来るとは自分、思ってました」

 ほう、どうして?
 目でそう問うた友納に、雷電は肩をすくめてみせ、夫婦茶碗の大きい方を医師に差し出した。
「…島さんは、“地球”に必要な人でしょう」
 もう、ここではなくて。

「…そうか」
 そうだな。
 言葉には出さなかったが、友納も口の中でそう呟いた……香りの良いお茶を啜りながら。


        *        *        *



「……地球では、もう雪が降っているかしら…」

 基地から戻るエア・カーの中で、テレサがそう呟いた。腕の中のみゆきは何事もなかったかのようにぐっすり眠っている。
 コロニーの人工太陽が上がる時間まで、あと数時間。思いのほか、時間が経ってしまった。夜明け前の外の気温はかなり低く、もしかしたら人工降雪機が作動する頃合いなのかもしれない、と思われた……
 
 大介は答えに躊躇する。
 訊きたいことを素直に訊けない時。テレサは無関係な質問をして、気がついて欲しいと遠回しに俺に訴える。地球ではもう雪が降っているか。…つまり、冬の間にもう地球へ還るのか、と訊きたいのだ。加えて、古代「雪」のことも彼女は心配しているに違いない……考えた末、答えた。

「君次第だ」

 本当に、心からそう思う。
 古代には、雪と子どもたちの様子を見に行ってやる、と約束した。だが、それすらも…テレサの意志が伴わなければ、自分も行くことは出来ない…そう思った。

 テレサは目を伏せる。

 みゆきにかつての自分と同様、もしくはまた異種の、地球人には考えられない能力があることを打ち明けた時。大介は驚きはしたが、なぜそれを今まで黙っていた、と怒ることはなかった。
「そうか。…いやにみゆきと気持ちが通じると思ったのは、…そのせいだったんだね」
 むしろ大介はそう言って笑った…残念なのは、みゆきのテレパスの言葉が俺には聞こえないことだ。当分、君が通訳してくれないとだめ、ってことだな。
 その笑顔に安堵すると共に、テレサは申し訳ない気持ちになる。すべてを包んで許してくれるこの人に、なぜ自分は…負担ばかりかけてしまうのだろう…?

「…地球へ、帰りましょう?」

 小さな声に、大介は驚いて助手席の妻を見やった。

 我が家の玄関の常夜灯が見える距離だ…林の向こうに。
 だが、それがちらちらと瞬いて見える真っ暗な農道に、大介はエア・カーを停めた。

「…テレサ…」
「古代さんの怪我、酷いんでしょう?…雪さんに知らせたら、きっと随分心配なさるでしょうから、伏せておいた方がいいかもしれないわね」
 テレサは、「どうしてここで車を止めるの」とは訊かなかった。
「…雪さんのご両親はどうしていらっしゃるの?守君と美雪ちゃんだけが、…佐渡先生の所にいるなんて…」
「雪の両親が、……古代と離婚しろ、ってうるさいからだそうだ」

 その答えに、テレサはひどくショックを受けたようだった。
 実際、古代からそう聞いたときに大介も少なからず衝撃を受けた。彼女のご両親だけは、そんな人たちではないと思っていたのに。娘を案じる親心は理解できるが、それでは何も解決しない…雪はそんな両親の元へ子どもたちを預けることはできない、と、内密に佐渡の所へふたりを行かせたのだという。

「……雪さん、ひとりぼっちで…どうしているのかしら」
「わからない」
 古代が言っていた、彼女が取材攻勢を避けて防衛軍官舎に一人で寝泊まりしている、というのは真田からの情報でもあった。藤堂義一が様々に便宜を図ってくれているとはいうが、愛する夫とも子どもたちとも離れなくてはならない雪の心中を思うと、胸が詰まる……

 ヒーターの利いた車内は、暖かだった。しんと冷え込む外の空気が、次第にエア・カーの窓を白く曇らせる——。

 優しい声が、言った……
「君はどうしたい…?君の気持ちが一番大事だ。君がここにいたいなら、俺も行かない。雪や子どもたちのことは…そりゃ心配だけど…。古代にも、そう言ってあるんだよ」
「…島さん、でも…」
「君に不安そうな顔をさせるのは嫌なんだ。…だから、俺一人で地球に行くこともしない。約束したろ。二度と離れない、って」

 ああ、島さん……

 ほーら、また泣く。

 大介は笑って、自分の肩に突っ伏したテレサの頭を抱いた。ほら、みゆきが起きちゃうぞ。
「急にまた、地球の危機だとか…そんな話になっちゃったからね。…だけど、心配しないでいい。このコロニーが機能している限り、俺たちはここにいよう。俺と、君と、…みゆきの3人で。母さんが帰りたいのは分かる。…でも、君は…ここが好きだろう?」
「…でも…」
「地球のことは、真田さんと次郎に任せればいい。相原もいる、南部も徳川もいる。ヤマトが必要なら、太田だって操縦できるし、そのうち…古代もきっと、帰って来る」


 いつか、遠い故郷の星で…テレサはこの声音を聴いたことを思い出した。

 もうヤマトへは、帰らない。
 君がここにいるというのなら。…僕も最後まで、一緒にいよう。
 もう君を、独りぼっちにはしないよ……
 
 彗星の、白色の渦に飲み込まれる運命の惑星に、一人残ると告げた私に…島さんはそう言ってくれた。その思いへの感謝のしるしに、私はあなたと一緒にヤマトへ行った……


「やっぱり、地球へ行きましょう」
「テレサ」

 洟を啜って、笑顔を見せたテレサに、大介は面食らう。
「だって、お父様はまだ、みゆきを直に見ていらっしゃらないのよ。…みゆきを、お父様に会わせて上げたいの、私。雪さんのことも心配だし。その後、またここへ戻ってくることはできるでしょう…?」
「…それは、そうだけど」
「…守君と美雪ちゃんにも会いたいわ」

 大介がほっと安堵したのが感じられる。
 「私が」地球へ行きたいのだと、彼に思ってもらわなくては。そうでなければ、彼は……地球へ行くと言わないに違いない。
 なぜだか同じことを繰り返しているような気がして、それが悲しい…とテレサは思った。だが、自分だけのために彼をここへつなぎ止めることは、やはり、できない。

 あなたがどんな選択をしても、私があなたについて行く——あなたに愛される幸せ、それ以上…何を望むの……?

 決意すれば、笑顔も浮かんだ。
 不安の芽は…いつものように、彼に摘み取ってもらえばいい。

「島さん…」
 みゆきを抱いているから、両腕は塞がっている。だからテレサはそのまま上向いて大介の頬に唇を寄せた。お願い。…キスを。私に、勇気を下さい——


 エア・カーのヘッドライトの光の輪の中に、白く光る粉雪が舞い落ち始めた……



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