RESOLUTION 第5章(3)

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 <エデン>にいる母からの通信を繰り返し再生しながら、次郎は思案顔でデスクに頬杖を付いた。

 地球連邦宇宙科学局。

 メインスタッフの詰めるオフィスに、次郎のデスクもあった。個人用のデスクパネルに投影される、届いたばかりのハイパーコムサット通信。



 <…細かい事情はお母さん分からないけど…、もしも前みたいにテレサが家の中に閉じこもらなくても済むのなら、みんなで一度地球へ戻ろうと思うの>
 モニタの中の母は、随分乗り気のようだ。

 この通信は昨日の午後16時頃のものである。母は、一人で医療基地の通信室まで出掛け、この通信を次郎の元へ送ったのだろう。どう返事をしたものか…次郎は考えあぐねていたのだった。
 母の背後には、軽く腕組みをしながら曖昧な表情で微笑んでいる武藤薫医師が見えた。……ということは、これは母の独断ではなく…ある程度兄貴やテレサの了解も得ている、ということなのだろうか。

<……どうかしら。あなたから、真田さんに聞いてもらえない?>

 通信モニタの中の母は、随分熱心だった。
 もちろん、一人でメガロポリスの自宅に住んでいる父を気遣っているのだろうし、母自身もコロニー暮らしに疲れて来たのかもしれない。だが、『地球へ戻りたい』最大の理由は別にあるらしい。

 古代さんと雪さん。そして子どもたちを、テレサが…心配しているから…。

 次郎は小さく溜め息を吐いた。
(だけど、それならなぜ、テレサ本人から直に連絡が来ないんだ…?やはり、母さんの独り善がりなんじゃ?)
 

 例のカスケード・ブラックホールは依然、進路を変える気配がない。間違いなく、まもなく地球本土は再び混乱状態に陥るだろう。このまま行けば、<エデン>のような環境保全を目的とする実験コロニーの運用は削減の一途を辿る。地球自体が滅亡する運命なのだから、自然環境を復活させる事業など、もはや無意味なのだ。それに注がれる労力も資金もすべて、移民計画のためにシフトして行かねばならない。

 ……遅かれ早かれ、テレサにも一度地球へ還ってきてもらわなくてはならない運命だった。

 確かに、以前、テレサを島家の敷地内に縛り付けていた異星人監視用の生体認識コードはすでに無効になっているに違いない…用心するに越したことはないが、それに付いてはいくらでも対策は立てられる。

 だが、次郎にしてみれば。混乱状態が予想される地球に大切なあの人を来させるのは、本来なら極力避けたい事態だった。

 真田に何度誘われても、宇宙科学局へ移ろうとは思わなかった自分が、これほどあっさりと彼の片腕として働くことを承諾したのは、連邦開拓省外交本部長としてオブザーバーでいるよりもいっそ、渦中へ飛び込んでしまった方が全体を確実に把握できる…と考えたからだ。
 地球連邦移民船団本部長。サイラム恒星系アマールへの、人類移民計画の立案者として、宇宙科学局の真田に並び、島次郎は今や連邦議会に名を連ねるまでになっていた。

 しかしまさか、本当に……こんな危機が訪れるとは。

 

 兄の大介に、テレサを一人にするなと詰め寄った、あの夏の日のことが思い出される。

 ——俺が、兄貴とテレサを…護るから。
 そう言った自分に、兄はにっこり笑って頷いた。…任せたぜ、と。
 だが、思いもかけない事態に焦りは募る。

(護れるのか…?)

 分からなかった。真田のヤマト復活計画についてもようやく始動したばかりであり、ヤマトそのものをどうやってアクエリアスまで搬送するのかすら、まだ決まっていない。そんな状態の地球へ…テレサと兄貴が、帰って来るなんて…。

「……くそ」
 ついていた頬杖を、次郎は腹立たし気にデスクに叩き付けた。




         *       *       *




 冬の針葉樹の呼吸が、しんと薫る夕刻…。

 医療艇の基地から、<ホワイトガード>が遠距離出動したと聞かされて、テレサはちょっとだけ肩を落とした。ワープを3回程度繰り返さなければ行けない遠隔地の上、エンジン不調の貨物船を曳航して近くの惑星基地へ送り届ける途中だという。どんなに早くても、明日の夕方までは戻って来られないだろう、という話だった。

(……しょうがないわ。お仕事だもの)

 こういう時は、自分もいっそ、彼と同じようにあの機械のひしめく基地へ行って、雪さんみたいにオペレーターの仕事をさせて欲しかったな…などと考える。
 初めのうち、大介も「君になら出来るよ」と電算を手伝わせたがったものだが、小枝子がそれを許さなかった。テレサはお腹に赤ちゃんがいるのよ、それを何ですかあんたは!そんな仕事を手伝わせるなんてお母さん許しませんよ!と怒鳴られ、大介は苦笑して前言を撤回したのだった。


 みゆきは眠っている。小枝子は夕餉の支度をしていた。

 テレサは庭に干した洗濯物を取り込みながら、庭の隅に揺れるピンク色の薔薇を眺めた。この薔薇だけが、なぜか真冬につぼみを付ける。それも、たった一本だけ。もう少しすると、寒椿が生け垣に咲き始めるが、それまではこの薔薇がこの庭のヒロインだった。

 <エデン>の冬は、地球のそれよりも穏やかだった。日本の四季を支える、動植物再生プラントを運営するのがこのコロニーの役割であるから、真冬でもそれほど冷え込みはきつくない。
 ただし、季節の行事とは縁遠いのが難点だった。

 ここにはお店もないし、季節の行事もない……そういえば、クリスマスもなかったわね…。

 先だっても、小枝子が「お雑煮」と「お節料理」を作ろうと躍起になっていたが、生活物資を届ける定期便にはろくな食材が積まれておらず(コロニーに通年で住み込んでいるプラントの職員も少ない上に、緊急医療基地のスタッフも交代で地球へ帰省するからである)結局次郎に地球から出来合いのモノを送らせた……という結果に終った。

「やっぱり、年末年始はウチに戻らないとだめかしらねえ…」
 門松も無しじゃ。そう小枝子がぼやいていたのをテレサも覚えていた。さすがに、コロニー暮らしが3年目にもなると不自由さが身に染みて来るのだろう…

 だが、テレサにとってはこの場所での何もかもが、幸せだった。

 草も木も死滅した故郷のテレザート。永く閉じこもってきた、地中の洞窟。今でも恋しく思う気持ちはあれど、そこで暮らした記憶は自由や幸せとは縁遠いものだった——
それが、ここでは何もかもが自由なのだ……草いきれのする原っぱに思い切り良く寝転がって空を見上げられる自由。ひらひらと飛んでいく蝶を追って、どこまでも歩いていける自由。そして、振り返れば愛する夫と、愛する娘がいる幸せ。
 すべてが人の手になる贋ものであれ…とりあえず小川の水は手ですくって飲めるし、道端の木の枝に成る果実は好きなだけもいで食べることも出来た。
 人工降雪機から生まれるものであれ、もうしばらくすれば雪も降る。
 テレサにとっては、今目の前に形を成すものすべてが、…幸せの塊、だったのだ。

(……帰りたくない……)

 いつまでも、ここにこうしていたい。

 自分勝手だとは分かっていた。
 お母様は地球に戻りたがっている。
 大介が、古代や雪、子どもたちの安否を気にかけていることも知っていた。けれど、それでも…この幸せを手放すのが辛かった。
 小枝子は非常に乗り気で、地球の家に帰ることを次郎に相談する、と言っていた。次郎さんは…なんて返事をするのだろう。

 腕の中に取り込んだ大介の青いネルのシャツに、ぽふっと顔を埋める。
 
 ——島さん……島さん。
 早く……帰って来て。

 本物の夕焼けと見紛うようなプリズム投射の空に、冬の陽が落ちて行った。




               *




 同日同刻……

 佐渡フィールド・パークの管理棟の庭で……。


「お兄ちゃん、風邪引くよ」
「うるさいなー」
 古代守……やっと7歳になったばかりの古代進の長男が、しきりに屋内へ入れと促す妹を追い払いながら、庭の隅に何かを埋めていた。
「こおりゃ守……なーにやっとるんじゃ」
「あ、おじいちゃん」

 美雪におじいちゃん、と呼ばれたのは佐渡酒造である。

 だーから、そのおじいちゃんってのはやめなさいってば……うう、ぶるぶる、さむさむ……。だが、やめなさいと言いながらも顔はほころんでいるあたりが佐渡である。

「泥んこ遊びは結構じゃが、もう夕ご飯だからな、二人とも家に入って手を洗いなさい…」
「泥んこ遊びじゃないんだって」
 美雪が兄の弁護に回った。
「……埋めてるの、宝物を」
「余計なこと言うな、美雪」
 鼻の頭を黒くしながら、守がキッと振り向いた。
 ああん?と佐渡が上から覗き込む……
「なんじゃ、何を埋めとるって?」
 守が埋めようとまとめていた箱を見て、佐渡は絶句した。「お前」


 守が土に埋めようとしていたのは、見覚えのあるステンレスの箱……家族の写真を集めて入れている、守が大事にしていた「宝箱」だった。


「……あー。そぅかそぅか。うん、それは埋めといたがええ、うん」
 てっきり怒られると思っていたのか、首を竦めていた守は半ばきょとんとしつつ佐渡を見上げた……
「思い出はのぅ、時が来れば勝手に出てくるもんじゃ。それまで、ここに埋めとったがええ」

 ……燃やしちまおう、なんて思わなかったのが、せめてもの救い。
 佐渡はそう思ったのだった。

 守の心境は痛いほど分かる。
 負けん気の強い、真っ直ぐな子じゃ……
 今ワシに出来ることは、「お前の選択はまちがっとりゃせんぞ」と言うてやることだけだ。……かつて、お前の父親、古代進にそう言ってやったようにな……。

 佐渡酒造は、腕組みをして守の作業を見守った。
 数分後、そこには小さな塚が出来上がり。

「…お墓みたい」
 美雪がぽつんと呟いた。
「…………」お墓でいいよ。守はそう言いたいのをぐっと堪える。
(お父さんなんか。……誰も守れないお父さんなんか……)

 

 さ、家に入ろう。
 じいちゃんが、うまーいシチューをこさえてやったからな……

「はあい」
 無邪気に返事をしたのは美雪だけだったが、佐渡はうんうん、と微笑んだ。


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