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オートドアが開き、中から崩れるように出てきたのは、顔面蒼白の船長だった。
「島……」
「古代!!」
慌ててその身体を抱きとめる。ああ、やっぱりお前か、幻聴じゃなかったんだ……そう呟く古代を、大介は急いでベッドに連れ戻した。
「まったく、無茶ばかりしやがって…この馬鹿!」
「……お前がいるって分かったら、寝てられなかったんだよ」
大介に再びベッドへ寝かしつけられ、古代は弱々しいながらも笑顔を見せた。「この馬鹿」と古代を罵る大介を、部屋のむこう側で大村が目を丸くして見ている。
「島、本当に…救急車の運転手…、やってるんだな」
「そうだ。…古代お前、ずいぶん俺に隠し事していただろう。まあ俺もおかげでこの通り、うまくやってる、だから…怒らないでおいてやる。だけどな」
雪と子どもたちのことは…許せないぞ。
「お前がこんな体たらくでなけりゃ、ぶん殴ってる所だ」
船長室は、お世辞にも広いとは言えなかった。古代の転がっている寝台は入ってすぐ左手の壁際にあり、壁との隙間にコンパクトなライティングデスクがあったが、それは随分前から使われていないようだった。部屋の向こうの、大村が腰かけている、壁に作り付けの幅の広い腰掛けには申し訳程度にクッションが置かれているが、それらはご丁寧に全部、よれよれにヘタレている。部屋の奥の洗面台と、右手の書架が古代の居場所なのだろうか…そこだけに生活臭が感じられた。
貨物船は男所帯だ…リネンの衛生なんぞ二の次とは言え。後で<ホワイトガード>から何枚かのシーツと新品の毛布を持ってきてやるか、と大介は溜息を漏らす。
次いで、懐かしい顔を見て急に気が抜けたような様子の古代に視線を戻した。
「……なあ古代。とりあえず傷は塞いだが、本当に病院へは行かないつもりか?」
「ああ」
「地球へは」
「……戻り…たい」
船長の思いがけない弱気な声音を聞いて、大村がハッと顔を上げた。そこで彼は、大介にそっと頭を下げると無言で船長室を出て行ったが、古代は大村が気を利かせて席を外したことにも気付かない様子だった。
「戻りたいんだ……本当は、地球へ」
「……泣くなよ、馬鹿」
「島……」
お前に馬鹿馬鹿、言われるのも随分久しぶりだよ…。
「今は艦長と副長、じゃないからな」存分に言ってやる。覚悟しておけ。
大介が笑いながらそう言うのに、古代も苦笑した。
「なんで戻れないんだ。守に何か言われたのか?」
「……大村さん、喋ったな」
だがそこで古代は、また言葉に詰まったようだった。
大介は黙ったまま、古代が話し始めるのを待つ……こいつはこいつで、葛藤しているんだ。問い詰めたって責めたって…仕方がない。
相変わらず、人の視線を避けるように伸ばした古代の前髪。バンテージで覆われた首筋に、あろうことかまたうっすらと血が滲んでいる。動いちゃ駄目だぞと言おうとして、顔の涙を拭った古代の左手の薬指に、光る指輪を見つけ…大介は目を瞬いた。
(……チャラチャラ指輪なんかできるか、って以前は言ってたはずだよな、お前…)
それが。
明らかに結婚指輪と思しき銀色のリングを古代の指に見て、大介は彼の、望郷の思いの深さに気付く……。
「守に、……嫌われたよ」
古代はぽつりぽつりと話し始めた。
本当は、夏に一度戻る予定だった。<冬月>のボイスデータが出てくれば、全部片付く、そう俺も思ってた。けど、…それもまだだ。
「…俺は、臆病だった…裁判に出るのが、怖かったんだ…」
なあ、島。
人の心って、ああも簡単に覆るものなんだろうか。
そりゃあ俺は、…彗星戦の時もな、弔問に行くと遺族に怒鳴られることがあったさ。
あんたの呼び掛けに応えて参戦したのに…なんであんたが生き延びて、うちの人が死ぬんだ。うちの人を返せ、息子を返せって。だけど…その同じ人たちだって、未来を救ってくれたことには感謝している、って…泣いたものだった。
それが、…ヤマトで一緒に戦ったやつらの親兄弟までが、…今度は俺を責める……
「……平和が当たり前のものになると、そのことには…人間、感謝しなくなるのさ」
大介はそう言って、古代の顔から目を逸らした。
彗星戦後とディンギル戦後、大介自身は意識が戻らない状態で帰還した。身体が回復した頃にはほとぼりも冷めていて、戦士たちの遺族への弔問などはあらかた古代と真田が済ませてしまっていた……副長だったとは言え、戦後古代たちが担ってきた一番辛い仕事を、自分は一度も経験したことがなかったのだ。
古代の気持ちが挫けたとて、それは無理もないような気がした。
艦長、という役職には想像を絶する責任が伴う。しかも、こいつは何度、地球の命運を背負って艦長をやってきたんだろう…。地球を救ったヤマト、その艦長古代進。それは賞賛されて然るべき人物であって、その陰に何百の戦死者があろうと、こんな風に卑下される立場に甘んじたままでいいはずがない…
(古代。……悔しいよ、俺も。俺は幸い、生き伸びた。…だから、俺の家族は苦しまずに済んだ。けどな、もし…俺が戦死していたとしても、俺の家族はお前を恨むべきじゃないんだ…それが俺の意志だよ)
しかし、それを他の戦士たちの遺族に強要することなど、大介とて当然出来ることではない。
「平和か…」
古代はそう呟いて、再び拳で目尻に浮かんだ涙をぐいと拭った。
「……お前のせいじゃないんだ、古代。そう思えよ」
大介の言葉に、古代は微かに笑みを見せたような気がした。「そうかもな。お前にそんな風に言ってもらえると、そうじゃないか、って気がして来るよ。…だけどな……俺は…」
雪一人に辛い思いを強いて……家族を捨ててしまったんだ…そればっかりは、自分が許せない…
「…今からでも遅くない」
古代、俺と一緒に……帰ろう。
そう言おうとした大介を、古代は切ない眼差しで見上げ、かぶりを振った。
7月の上訴審に戻らなかったのは、お前に言った通り、ただ…臆病風に吹かれたからだった。予想通り、遺族会からはまたひどく怒りを買ったらしい。
そのせいで、雪は中央病院を辞職して…防衛軍官舎に半ば隠れるようにして寝泊まりするようになったのだと聞いた…守と美雪は、ふたりだけで佐渡先生の所にいるというんだ。
……それで俺は、たまらず佐渡先生のフィールドパークへ連絡を取った。
そうしたらな……
「……お父さんなんかいらない、お母さんを苦しめるようなやつは、僕が許さない。…お母さんは僕が守るから、お前はもう帰って来るな。……そう、怒鳴られた」
大介は涙声になった古代の顔から思わず目を逸らす。
そりゃあ…辛かろうな。あの小さかった守が、そんなことを。
そして一方で、さすがはお前の子だよ、と言いそうになる……
「そのあいつの目がな、…兄さんにそっくりだったんだ…」
「守さんに……?」
ああ、と頷く古代は、まるで叱られた小さな子どものようだった。
「さすがに、堪えたよ…。どの面下げて地球へ戻れるっていうんだ?……冬月のボイスデータが出てきても、世間が俺を赦しても…俺は」
古代の目が、自分に何かを懇願しているのに大介は気付いた。
「……分かった。<エデン>へ戻ったら、一度…雪たちの様子を見に、地球へ行ってやるよ」
お前の代わりにな。
大介は、頬に笑みを浮かべて小さく頷いた。
「古代、俺なあ、昔…よく思ってたんだ。お前は艦長のくせにひょいひょい白兵戦や艦載機戦に出て行くだろう。お前を見送る雪の切ない顔を見ていられなくて、心に誓ったもんさ。お前に万一のことがあった時は、俺が代わりに雪を守ってやろう、ってな…」
それを聞いた古代の表情が、きょとんとする。「…島、…お前」
「だから、それは大昔の話だ!」
と、ポカンとした古代に思い切り苦笑してみせる。
「今は俺にだって女房子どもがいるんだからな、お前んちのことは、あくまでも二の次だ」
途端に、えっ、と目を丸くした古代に。大介は頷いた…
「…生まれたのか!」
「ああ、さすがにもういい加減な」
「島……」
そうか、そうかあ!おめでとう…!!名前は何て言うんだ?…男の子か?女の子か?
それすらも知ることの出来なかった自分自身に古代は苛つき、またそれを恥じている。……それが分かるから、大介はこれ以上古代に小言を言う気にはなれなかった。
「そうかぁ、良かったなあ!!……しかも「みゆき」か…そうか、うちの美雪と同じ名前か!」
「美人だぞ。<エデン>に隠しておくのは正直もったいないくらいだ」
「…そりゃあ、テレサの娘だもんな…お前に似てなくて良かったじゃないか」
「なんだと?減らず口叩く元気があるなら、ぶん殴ってやった方が良さそうだな」
うそうそ、冗談だって…
あはは…
その後、ひとしきり「みゆき」の名の由来を古代に話して聞かせながら、大介は頭の片隅で漠然と先行きのことを考えた……
(こいつのことを、雪に話すのは気が重いな。…またこんな怪我をしているだなんて、おいそれと言えやしない)
雪の心配顔は、大介も苦手だった。
そして…
否応なく、古代の頼みを聞き入れるとすれば。3年ぶりに、地球へ還ることになるのである。
地球へ。……テレサを連れて?
地球に対しまた新たなる脅威が首をもたげていることなど、この時の二人は知る由もなかった。
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