RESOLUTION 第4章(5)

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 2216年……夏。

 島大介とテレサ、そして母の小枝子の生活は相変わらずであった。
 古代進の訴訟の件と、それを隠蔽していた次郎に腹を立てていた大介だが、テレサに自分の知る限りの詳細を話した後、彼はその話をぱったりしなくなった。

 <エデン>では、夏の植物、夏の虫たち…が順調に再生されていた。実験エリアで「優良」と認められた植物の株、昆虫の卵や幼虫は、地球へと丁重に管理された状態で送られる。
 大介とテレサの住む家も、その生物たちの息づく実験エリアの中にあった。

 気温は25℃……さすがに、人工太陽の柔らかな光とは言え、日向に出ると暑い。だが、木造のこの家は窓さえ開けていれば心地良い風が家中を満たして通り抜ける。
 大きな窓を開け放した一階のリビングに小さな子ども用の布団を敷き、テレサはみゆきを寝かせていた。
 小さな団扇でふんわりと風を送る。
 安らかな寝息を立てる娘と一緒に、横になろうかしら…とふと思う。 自分でも驚くほど、疲れていた。……このところ、眠れぬ夜が続いていたからだ。


 島さんは、無理矢理古代さんの話をしないようにしている——


 その事実が逆に、テレサの不安を煽る……不安、というより、彼女はそれを惨めだとさえ感じた。
(…島さん…。本当は古代さんのために地球へ飛んで帰りたいのではありませんか……?)
 雪さん、そして守君やみゆきちゃんのことも。あなたはとても心配しているはずでしょう。それなのに……



 幾度か、私とみゆきはここでお母様と待っています、だから…地球へ行って、古代さんと雪さんのために…あなたの出来ることをして差し上げて。そうテレサは大介に言いかけた。
 だが、その都度それは、上手く言葉にならなかった。
(……行かないで)
 その気持ちの方が、強かったからだ。

(…私…身勝手よね……)

 離れてしまったら。二度と逢えなくなるかもしれない……どうしてそう思ってしまうのだろう?
 信頼はある。愛している。けれど、それだけでは太刀打ちできない何かが再び…自分たちを引き裂くのではないかと、テレサは常に恐れていたのだった。

 彼が帰宅すると、いつも以上に甘えたくなってしまう。眠る時も、邪魔だと分かっていても彼の身体にしがみついてしまう… 私はいつから、こんなに臆病になってしまったのだろう…?
 それを知ってか知らずか、大介は何も聞かずに応えてくれるのだった。
どうした、俺はここに居るよ。どこへも行かないよ……と。
 彼のその声、その抱擁に安堵すると同時に、テレサはいつも、惨めになる……。



 じき、今日も彼が帰って来る。
 雷電といっしょに、基地に来る地球からの定期便が届けてくれる品物を見に行くから、少し遅くなるよ。彼はそう言っていた。
 ……もうすぐ、12時だった。

「ねえ、大介戻って来ないから先にお昼にしちゃいましょうか…」
 いつの間に。
 背後に小枝子の足音と声を聞き、テレサは我に返った。
「…あ、…はい。そうですね…」

 小枝子はテレサの傍らに両膝をつき、みゆきの寝顔に見入る。よく寝るわね…ほんとに手のかからない良い子。
 小枝子の独り言を聞きながら、またしてもぼうっとしていたのに違いない。気付くと、彼女の顔が自分を心配そうに覗き込んでいた。

「…ねえ?私思ったんだけど」
 小枝子は躊躇いがちに、ちょっと微笑んで続けた…「地球へ戻るのは無理なのかしら?あなた、戻ったらまた家に閉じこもってなくちゃならないの?そうでないなら、一度みんなで戻りましょうよ」

 気になってるでしょ、古代さんたちのこと…?

「…お母様」
「お父さんも一人で不自由してるしねえ。……次郎にも聞いてみるわ。あの子、真田さんともこのところ親しいらしいから。大介が戻って来たら相談してみましょ、……ね?」

 ありがとうございます、と頷きながら、それでもテレサにはどうしていいのか分からなかった。

 地球へ……戻る。

 戻ったら、この幸せな生活とは別れを告げることになる……
 みゆきの寝顔に、視線を戻した。

 怖くて、大きくて、黒いものが来る。

 そして、みゆきが先日空を見て示したものは、一体何だったのか。「それ」は、本当に、……来るのだろうか。




             *        *       *




 居並ぶ閣僚たちの、難しい……顔・顔・顔。
 長らく使われることのなかった地球連邦本会議場……実に数年ぶりの連邦会議に、真田志郎と島次郎は出頭していた。真田の提出する数々の観測結果と資料映像に、驚きの声と
嘆息が漏れる…。

「……真田長官。宇宙科学局の観測データが正しければ、これは…かつての侵略戦争と同程度の、…緊急を要する事象ということになるが」
 議長がおもむろに口を開いた。まだ信じられない…という面持ちである。
「大略申し上げました通り、これは一刻を争う事態と私どもは判断しております」
 冷淡とも思えるほど、真田はあっさりとそう言い放った。

 ……何度説明すればわかる。これは危機なのだ。新たなる、地球の危機。それなのにあなた方はまたしても……。

 閣僚たちの表情に、迫り来る脅威よりも目先の選挙と私財の確保のために「さして心配することはなかろう」という憶断がちらついているのを察し。真田は反吐の出る思いだった。
「……早急に、地球防衛軍全艦隊の再編成とさらなる軍備拡張を願います。これは焦眉の急を告げる事態です。…お分かりになりませんか」

 しかし…とか、困ったな…とか言った声が、会場をざわつかせた。
 真田は議長からの返答を待つ間、おもむろに瞼を閉じた……この17年の間に世代交代した新たな閣僚たちは、侵略戦争に対峙する方法を忘れてしまったのだ。唯一、宇宙的規模の災害や侵略に対処する方法を向上させてきたのは、民間の保険会社だけだとでもいうのか。
「…………」
 次郎は真田が唸るように溜め息を吐き出すのを、彼の背中越しに聞いた。……次郎自身も、同じように苦々しい気持ちを隠すことが、もう出来なくなっていた。


                  *        


 2216年の夏も終わる頃……

 真田の宇宙科学局の観測センターで。数人のスタッフがほぼ同時に、その異変に気付いた。
 
 銀河系の中心部に存在した大ブラックホールに変化が見られます。…こちらへ向かって移動しているとしか思えません…!

 そんな馬鹿な。

 報告を受けた真田は、無人機動艦隊による至近距離からの観測を月面基地に依頼した。無人機動艦隊月面基地司令を務める徳川太助は、調査艦隊を編成し銀河系中心部への無人探査を施行した……その結果は、恐るべきものだった。
 自律航行する3隻の掃海艇は、周囲の重力場の観測と360度マルチ撮影を続けながらそのブラックホールの至近距離、約30万キロまで接近したが、あり得ない光景を有人艦のモニタに送り届けたのち……消息を絶った。

 動いているのだ。
 奈落の底が…まるで触手を伸ばし来るように。
 はたまた蛇が鎌首をもたげ獲物を狙うかのように……こちらへ向かって移動しつつあったのである。

 8万t級の無人機動艦3隻は、ブラックホールの重力場がその本来あるべき位置から毎秒2万キロという早さで、銀河系辺境部に向かってまっすぐに移動して来る様子をカメラに収めると同時に……その異常な重力場に捉えられ、大破し…姿を消した。


「……なんですか、これは…!?」
 真田から、これをどう思う?と見せられたその映像を前に、島次郎は絶句した。移民局の次郎のオフィスで、真田の持参した小さなモニタ画面に投影された、その映像の脅威。
 しかし、何にもまして。

 ——真田が自分にこの映像を見せたこと、その事実に対して、次郎は戦慄した。


「……移民局外交本部の協力を要請したい」
 真田はいつになく厳しい表情で、そう言った。
 万が一の際、人類には逃れる場所が必要だ。勿論、戦う準備はしている。あれが単なる自然現象なのか、それとも新たなる侵略宇宙国家の兵器なのか…まだその判別はつかないが……。

 かつて、これと似たようなことがあった。
 15年前と、…13年前だ。
 彗星を装い進撃する侵略国家、そして本物の水惑星軌道という宇宙現象を利用し、地球を乗っ取ろうとした侵略国家。

 そのどちらも、明らかに侵略を旨とする行動を最初から取っていた。だからこそ、戦おうという選択肢も存在した……しかし、今回は違う。あのブラックホールには、人為的な匂いがしない……
「宇宙全体にとっては……微々たる変化、なのだろうな。だが地球にとっては滅亡を意味する自然災害だ」

「避けられないんでしょうか」
  
 次郎の問いに、勿論その方法も模索している。そう真田は答えた。
 あのブラックホールの進路上に、波動砲の集中砲火で人工的に重力場を形成し、あれをその中へ誘い込む。そのために今、防衛軍へも軍備増強、艦隊再編成を依頼している。……スーパーアンドロメダクラスの主力戦艦が50隻は必要だろう。
 君の大学の元学長、サイモン教授にもご協力頂いて、テラ・フォーミングに関する研究者を全世界から招聘しグローバルカンファレンスを行う予定だ。さらに、地球軌道を人為的にずらす方法も検討する。

「……だが、その全てが無駄に終った場合」
 真田は苦渋に満ちた視線をモニタスクリーンから次郎へと移した……
「地球人類は、この母なる星を捨て、移住するという選択をしなくてはならないだろう……」

 行き先は、君の…アマールだ。


 
 なんですって。
 ——ちょっと待ってください。
 喉元まで出かかった言葉を、次郎は飲み込んだ……
(俺が移民をやっていたのは)
 地球外に理想的な地を求めていたのは…あの人のためだった。まさか、本当に……人類が地球を捨てて出て行かなくてはならない、だなんて。 


 …次郎ですら、思ってもいなかったのである——。




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