RESOLUTION 第4章(3)

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「…なあに、どうしたの?」
「それが……」

 玄関から慌てて飛び出して行く物音に、一階の自室にいた小枝子が顔を出した。「…大介、どうかした?」
「古代さんが…」
 テレサは言葉に詰まった。

 あの後、リビングにあるスーパーウエッブ端末から詳しいニュースを取り出そうと、大介は色々苦心した……だが、おかしなことにテレビよりも詳細な情報の流れているはずのウエッブニュースには、古代進に関する情報が一切入って来ていなかったのだ。
 大介が意図的な操作をそこに感じ取るのにいくらもかからなかった。
「……次郎か、…まさか…真田さんが」



 俺に何かを知らせまいとして、ここの端末を誰かが意図的に外から操作していたとしたら、…それは。



 おろおろしているテレサをちらりと振り返る。だが、もはやこのまま騙されているつもりはなかった。
「…大丈夫、すぐ戻る。…地球と直に通信できるのは基地だけだから、…ちょっと行って来る」
「あなた」
 大介は彼女を安心させるために微笑んだ。その腕に抱かれているみゆきの頭をよしよし、と撫で。「…晩飯までには必ず戻る。心配しないで」

 だが、踵を返した夫の横顔がいつになく厳しい表情なのを、テレサは見逃さなかった。




「大介…基地へ行ったの?また、なんで」
「…地球と緊急に連絡を取らなくてはならなくなったみたいなんです」
「なんか事故?」
「いいえ…夕ご飯までには戻ります、って…」
 あ、そう。
 小枝子はさして気にかけてはいないようだったが、テレサは一抹の不安を拭うことが出来なかった。




          *        *        *




「……次郎、どういうことだ」
<どういう…って>
「エデンの俺の家と、基地のほとんどの端末をいじってあるだろう。あれはお前がしたことか」
<兄貴>

 後ろで友納がおろおろしている。
 休日を取っているはずの大介が、怖い顔で飛び込んで来たと思ったら、基地中の遠距離回線を片っ端から調べ始めたからだ。
 基地のハイパーコムサット回線も、2つを除いてすべて、大介の家の回線と同様のフィルタがかけられていた。特定のキーワードをシャットアウトするためのフィルタである。


「……どうして古代のことを、俺に隠してた」
<兄貴、落ち着けよ>
 医務室の緊急2回線、患者の搬送連絡に使うものだけにそのフィルタがかけられていないのは、当然と言えば当然だった。
 友納は、今しがた大介に訊問されて「聞かれても答えないように」という次郎との密約の件を吐露してしまっていた。大介の肩越しに見える移民局本部の次郎に、すまなさそうに手を合わせてみせる……すまん。締め上げられてゲロしちまった。
 次郎は大きな溜め息を吐いて、仕方ないな、と呟いた。

<……兄貴に教えたら、兄貴、地球へ帰ってきちゃうだろ>
「古代がそんな嫌疑をかけられてて、どうして俺がここでノホホンとしてられると思う!」
 ほらね、と次郎は肩を竦める。
<だからだよ。…正直に言おう。古代さんの件は、もう3年も前から表面化してたんだ。兄貴がヤマトで副長をやってた時、月面防空艦隊がヤマトの盾になって沈んだのを、覚えているだろ>
「3年……」

 次郎がかいつまんで話した、月面艦隊遺族会の起こした責任追及訴訟問題。その件が発端で、藤堂総司令長官も引責辞任・退役し隠居生活を余儀なくされている。反戦意識が世間に蔓延し、古代を艦長に頂く<ヤマト>は海底ドックに係留されたまま、護衛任務にすら出動できなくなっている、というのだった。

「…雪は」
 大介は苦虫を噛み潰したような顔で問いただした。雪は、どうしているんだ。守と、美雪…、子どもたちは…?!
<……兄貴。兄貴の気持ちは分かる。だけど…兄貴には古代さんや雪さんより、優先して守らなくちゃならない人がいるだろう>
「だけど」
<いい加減にしてくれ>
「な……」
 画面の中の次郎は、大介に劣らず厳しい表情になった。
<……兄貴の出る幕はないんだ。俺や、真田さんが…姑息な手を使ってでも兄貴に知らせまいとした理由が、どうして解らない…!>



 2213年のクリスマス、そうだ…ちょうど兄貴が<エデン>へ出発した日だった。英雄の丘にある、沖田艦長の立像が損壊された。そこからだ、古代さんがどんどん追いつめられて行ったのは。

<だけど、古代さんも雪さんも、みんな……兄貴には何も知らせなかっただろう。それは、…テレサのためなんだよ!>



 次郎と大介は、睨み合ったまましばし、沈黙した。後ろで友納が、俺も共犯かな、でも間違ったことはしていないよな、……とブツブツ言った。
 先に視線を落したのは、大介だった。
「……状況は…どうなんだ。古代は…どこへ行ったんだ?雪と子どもたちは今、どこにいるんだ。それだけでも…教えてくれないか」
<それを知っても、余計な干渉をしないと約束するかい?……テレサを放り出して地球へ来たりしないと誓えば…教えないこともない>
「……約束するよ」


 古代進は、7月には必ず戻ると真田に言い残して姿を消した。だが、その足取りを真田が掴めないということなど、もちろんなかったのである。

<古代さんは、コスモナイト鉱山が点在する610エッジワース・カイパーベルト周辺にいる。貨物船に乗っているらしい。…真田さんのところへ、大村耕作、って人から連絡があった>
 だから、今…古代さんの所へ秘密裏に行かせても怪しまれないような若いヤツを選んで、派遣する準備をしているんだ。……俺の所の、桜井ってやつが使えるから、行かせようと思ってる。

 次郎は慎重に言葉を選んで、兄の顔色が落ち着くのを確認しながら話を続けた……

<雪さんと子どもたちは、佐渡先生の所だ。……結局、雪さんが面倒見ていた<磯風>の生き残りは、残念ながら…亡くなった。ヤマトの盾になって沈んだ月面艦隊の生き残りは、あと一人だけなんだ>
「……最悪だな」
<大丈夫。次のカードがあるんだ。こっちが切札だ>
 
 後ろで黙って二人のやり取りを聞いていた友納が、いつの間にか大介の隣にやってきて、耳をそばだてていた。
「あ…あー?俺が聞いちゃ、拙いことかな…?」
 モニタの中の次郎と目が合い、友納は気まずそうにそう言い訳する。
<いえ…。でも、まだ他言無用に願いますよ、先生>

 アクエリアスの氷塊の中に眠る<冬月>を、サルベージする。<冬月>のブラックボックスには、月面艦隊の総員が交わした、決死の覚悟が録音されているボイスデータも含まれているはずだという。

「なんだって…」
 それがあれば、一挙に古代の汚名は雪がれるじゃないか!
「そいつはすごい!真田君がやるのかね?!」
 次郎は同時に声を上げた兄と友納に頷いてみせた。「…ただし、もちろん極秘です。今、地球連邦政府と防衛軍は実質、太陽系交通管理、外宇宙貿易、その他探索事業から宇宙開発事業まですべてを真田さんの科学局に丸投げしている状態だ……そのために長官権限でかなりの無理が利く、と真田さんは言っていましたが、それでもとても無理しておられるだろうと思いますから」

 元<冬月>艦長水谷さんや、元乗組員の有志たちの協力もあるんです。
 次郎はそこまで言うと、兄に向き直った。
 一言一句を噛み締めるように…続ける。

<……分かったろ、兄貴の出番は、ないんだ>

 ——テレサの幸せを、守ってやってくれ。
 それは…兄貴にしかできないことなんだ。



 友納が聞いているから、というより。それを口に出して言うのは…ひどく癪だったから。次郎は心の中で、大介にそう懇願した。




        *        *       *




 <エデン>の人工太陽がゆっくりと沈むのは、地球時間と同様午後6時50分頃である——

 夕食までには戻るよ、と言っていた夫がいつ帰って来るか……と思いながら、テレサはみゆきを抱いて玄関先の生け垣を抜け、車道に続く砂利敷きの小径をゆっくりと散歩していた。



 このコロニーの空は、火星基地や木星基地と同様、巨大なドームの内側にプリズム投射された映像である。
 地球から送られて来る、ナガノの空の映像、だと聞いた。
 薄紫が蒼に変わり、月から群青色の光が一瞬…広がる。その直後、太陽は沈む。
 気温が、やにわに下がり出す…虫の声が、静かに響き出した。


 テレサは、足元に何かが光るのを見つけ、立ち止まった。
「……蛍」
 すごい…奇麗。
 小径の脇に流れる用水路の水面にも、同様の小さな光が飛び始めた。

「……島さん、帰って来ないわね……」
 蛍を見つけ、あー、と手を伸ばしたみゆきに聞かせるでもなく…テレサは呟いた。



 ……くるよ

「え?」
 脳裏にみゆきの<声>が聞こえた。
「…パパ、もうすぐ帰ってくる?…わかるの、みゆき?」

 ううん
 …くるよ
 ………こわいの


「?」
 何が来るの……?


 くろい…こわいの……おっきい…
 こっちにくるの……


 なにかしら?
 みゆきは蛍を見ていなかった。薄闇の空を仰ぎ、じっと見つめるような顔をしている……
「何かが空から来る…?」

 微弱なテレパスが、はたと消えた。「あ……」
 と同時に、テレサは灌木の林の向こうに、ちらちらと光るエア・カーのヘッドライトを見つけた。「…島さん。帰って来た…」
 こんな暗い所に突っ立っていたら危ないわ。
 テレサはホッと安堵して、小径を家の方へ小走りに戻る。



 砂利敷きの小径にエア・カーが止まり、大介が降りてきた。みゆきを抱いて生け垣の所で手を振っているテレサに気付き、その顔が綻ぶ。
「ただいま、テレサ」
「島さん……」
「なんだ、外でずっと待ってたの?……お、蛍が飛んでるな。今年は少し早いんじゃないか?」
「うふふ。…ここは…暖かいからかしらね…」



 ああ…良かった、帰って来てくれた。…そんな風に思うなんて。
 ほんの少し、何かが起きただけでこの幸せが壊れそうで…胸がどきどきする……。
 テレサは自分がひどく弱気なのに気がつき、苦笑した。



 でも。

 黒くて、大きくて、怖いものが来る。

 みゆき。
 何が来る、というの…?
 あなたには、何が…見えているの……?





 時に、西暦2216年5月。

 ——地球連邦宇宙科学局の観測チームによって、銀河系中心部に異常な重力点の発生が観測された。そして、信じ難いことに…その重力点、巨大なブラックホールが次第に地球へ向かって移動している事実が判明するのは、それから間もなくのことであった——。




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