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目に悪い、という理由で、最初のうち呉さんはあまり長時間「書く事」を許してくれなかった。
「上半身を起こしているのも文字を書くのも、まだ負担が大きすぎる、って中川先生には言われているのよ」
地球の医療がある程度私のからだに通用するだろうことは、私自身が取った無謀な行動(彼への輸血)のせいでいくらか承知していたが、新陳代謝や自然治癒力などのスピードは異なるらしく、私の快復力は中川先生や呉さんを驚かせているようだった。
驚かなかったのは佐渡先生だけだが、それは彼がもう一人の異星人(正しくは、異星人と地球人との間に生まれた子ども)を同時に診ていたからだと後で知った。
呉さんが持ってきてくれたのは、地球の子どもが文字を覚えるのに使うポータブルの端末機と、病室の壁の色と同じ淡い桃色の便箋。便箋にはこまかい罫線が引かれていて一番下には金箔で小さな花がいくつかあしらってある。文字が奇麗に書けるようになったら、それに書いて彼に渡すのはどう?と呉さんは言った。
最初は一文字ずつ。
次第に数文字、数行と、私の文字は増えて行く。
ポータブルの端末機の画面に出る文字を組み合せて選択すると、意味のある言葉が現れ、ついでそれを漢字に変換してくれる。それを見ながら今度はタッチペンで画面に書くと、音声で正しく書けているかどうか教えてくれるので、私は夢中で沢山の言葉を書いた。
彼の名前を、書いてみる。
彼の弟の名前。お父さん、お母さんの名前。
呉さん、中川先生、佐渡先生。彼の、大事な親友たちの名前。
そして、自分の名前……(なぜ、私の名前は片仮名なのかしら?)
声に出すのが恥ずかしくて、でも、一番彼に言ってみたかった言葉を……画面に入力する。
端末機が言う…「アイシテイマス」
また、書いた。「島さんが好き」
端末機が繰り返す。「シマサンガスキ」
「会いたい」…「アイタイ」
——もう一度、会いたい…あなたに…
そういえば、私は随分前にこの言葉を、彼に向かって何度も何度も、……思ったのだった。
端末機が電子音でその言葉を繰り返す…「シマサンニ、アイタイ」
知らぬ間に、画面に涙が落ちていた。
私は、説明しなくてはならない。
なぜ、嘘をついてまでテレザートに戻ったのか。
……それは、あなたを、失いたくなかったから。
私しか、それが出来る者がいなかったから。
なぜ、あなたを古代さんに託して、一人でズオーダーのもとへ赴いたのか。
……それは、あなたを、失いたくなかったから。
あなたが、ヤマトを…、地球を、失いたくない、と思っているのが分かっていたから。
——そしてそれが出来るのは、私しか、……いなかったから。
あの時——、これで最後だと、覚悟した。私の周囲で大帝の築いた都市が次々と誘爆を起こし、彼に従うしか選択肢のなかった人々までも呑み込んで行ったのを、今でも憶えている……。それが正しいのかそうでないのか、それは……私にはわからない。
一方を救えば他方が滅びる。それは…人と人とが争う限り繰り返される宇宙の摂理。だが、私が裁きを下す権利などどこにもない。だから、私自身の命もここまででいいと……そう思っていたのに。
今……私は生きている。
呪われるべき所業の一方、感謝してくれる人もいるのだと、目覚めた時私は知った。「地球を救ってくれて、本当に…ありがとう」中川先生は、確かにそう言ってくれたのだ。
身勝手に……自分の望むものだけを守りたいと、ただそれだけのためにしたことなのに。彼女のその言葉は……私にとって救いとなったのだった。
「生きていたい」 ……「イキテイタイ」
「あなたのそばにいたい」……「アナタノソバニイタイ」
生きていてもいいですか、と問うても、その答えをくれるものは…どこにもいない。けれど、私は今、生きていたい。彼のそばで、生きていたい。
画面に繰り返し、私は書いた。
窓の外は、奇麗な茜色に染まっている。桃色の壁紙の室内が同じ茜色に変わり、ベッドの上の掛け布団も端末機も皆、同じ色に染まった。
涙が勝手に出てきて、視界を歪めるので私は幾度も瞬きした。
機械が文字を判別できるくらいに文字がちゃんと書けているのだから、そろそろペンをもってきてもらおうかな……涙がこぼれるのをそのままに、私は微笑んでそう考えた。
* * *
「これを、彼女が全部、書いたんですか?」
茜色の空が濃紺の闇に変わる頃。
無人艦隊管制センターから勤務明けにまっすぐ見舞いに訪れた島は、ロビーで呉に呼び止められた。呉から手渡されたのは子ども用の国語学習端末機。島は、その入力履歴を見て驚いた。
「ええ。放っておくと、何時間でも書いているからしばらくお預けにしたんです。悪いとは思ったんですけど、中を見てしまいました……申し訳ありません」呉はバツの悪そうな顔で謝った。
端末機に入力されていた書き文字のほとんどが、島に宛てたラブレター、の様なものだったからだ。
「全部見たわけではありませんから。最初の方だけ見て、ちょっとびっくりしたので……」
島は、照れ隠しにわざとらしく咳払いをしたが、顔が火照ってくるのは止めようがなかった。
テレサはこの端末に履歴を見る機能がついている事に気がついていないのか、毎日、同じ事を必ず書いていて、少しずつ内容が増えている。
「ええと…、テレサさんは、あなたに手紙を書きたいんだ、って言ってて。多分、その練習をしていたんですよ」
「それじゃあ、これは下書き、っていうことですか」
「……だと思います」呉も、困ったように笑った。「本番用のレターセットも渡してあるので、これについては……知らん顔してあげてくださいますか?」
「……そうですね、わかりました。ありがとうございます」
だよな。そんなもの、見ちゃあ悪いよな……、と思いつつも島は画面を日付ごとにスクロールせずにはいられなかった。
「それでは、私はこれで。今彼女、眠っていますから、あとで会ってあげてくださいね」呉は軽く会釈してナースセンターに戻って行った。
島はロビーを見回して、空いているソファを見つけ、腰を下ろした。
ポータブル端末機を改めて眺める。これでテレサが一生懸命勉強している姿が目に浮かび、思わず笑みがこぼれた。
「し」「ま」「た」「い」「す」「け」
彼女は最初に、「あいうえお」ではなく島の名前を一文字ずつ書いていた。濁点が抜けてるじゃないか……。島はくすっと笑った。
そして、島の家族や古代達の名前も。人名漢字は間違えていても、それは後から教えてやればそれでかまわない。
そして、自分の名前も彼女は書いていた。そうか……、当然「テレサ」だけじゃなかったんだよな。気品のあるフル・ネームが、一度だけ書かれていた。けれど、それは二重線で打ち消してあり。
(……もしかしたら、彼女はこのラストネームが嫌いなのかもしれない。それなら、俺も…見なかったことにしよう)
そして、その後には胸が詰まるような言葉がずっと、続いていたのだった。
端末に入力された、彼女の思いを全部下まで見てしまって。
——島は、目頭が熱くなるのを止められなかった。
聞きたかった事はすべて書かれていたし、それ以上に……言葉は拙いけれど、何度も似たような語彙の言葉が選び選びして書き連ねられているので、彼女が自分のことをどう思っているかも痛いほど、良く分かった。
訪れる見舞客もまばらになったロビーのソファに腰掛けたまま、島は端末の画面を何度も何度も、読み返した。
最後に、深い溜め息をついてソファの背にもたれかかり…天を仰ぐ。
……テレサ、君は……。
「愛しています」
「大好き」
「島さんに会いたい」
「生きていたい」
「あなたのそばにいたい」
端々に何度も繰り返されるこれらのフレーズが、彼女の心情のすべてなのだろう。
目尻を拭わなければ。
——こんなところで泣いていたら、みっともないぞ…。
夜間勤務の看護師が何人か、彼を見つけて通り過ぎざまに会釈して行くので、島はソファから立ち上がり、テレサのいる特別室に向った。
* * *
病室のドアを軽くノックして、ドアを開ける。
眠っている、と呉看護師が言っていたので返答は期待しないで中に入った。
カーテンを開けると、明るい照明の下でテレサはベッドを起こした姿勢のまま、手元に食事用のワゴンテーブルを引き寄せた格好で眠っていた。
「しょうがないなあ」
苦笑して、島はテーブルをベッドの上からどかそうとした。テーブルの上には、便箋が数枚乗っている。見れば、テレサの右手にはまだペンが握られていた。
——便箋には、最初の一行が書かれていた。
呉が端末を持って行ってしまった後に、起き出して便箋に直接書き出してはみたもののうまく行かず、そのまま疲れて眠ってしまったのだろう。
大好きな 島さんへ
たったそれだけだったが、島は便箋を取り上げて、愛おしそうに数秒の間その文字を見つめた。そして、テーブルの上にそっと戻す。彼女の右手に握られていたペンがベッドの上に転がり落ちたので、それも拾ってテーブルに載せた。
上着のポケットからポータブル学習機を出して、便箋とペンの横にそっと置く。
「テレサ…」
抱きしめたい……。
しかし、その代わりに彼女の背中に当ててある大きなクッションをどかしながら、ベッドを水平に戻した。
すう、と安らかな寝息を立てて、テレサは眠り続ける。
島は、ベッドサイドに持ってきたスツールに腰掛けてしばらくその寝顔を見つめていた。
……せっかく来たのに、いつまで寝てるんだい?
手紙を書くのに夢中で、くたびれて寝てしまうなんて。
そして、心の中で問いかけ、微笑んだ。
……あの続きは、なんて書くつもり?
ベッドサイドの灯りだけを残し、部屋の照明を落とす。
——目覚めないテレサの唇にそっと口付けて……島は、部屋を出た。
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