手紙 (1)

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 目が覚めた時、私のそばにいたのは白衣を着た見知らぬふたりの女性だった。

 ふたりは大層喜んで、一人が慌てて部屋の外へ出て行き、もう一人は私の耳元でそっとこう囁いた——。


「地球を…救ってくれて、本当に…ありがとう」



 ……では、ここは………


  ……ここは、あなたの星なのですね……


 時を違わず、中年の背の低いころんとした男性医師が駆けつけてきて……、「すぐに島が来るから」と言って顔をほころばせた。
 私はまだ目を開けているのが精一杯だったけれど、
 ——手も足もまるで動かせず、呼吸をするのさえ億劫だったけれど。

 ドアの所に息を切らした彼が見えた時には、生きていて良かったと、——こんな私でも生きていて良かったのだと……心から、思ったのだった。

 

 私がいた病室は、大きな窓の外に青空以外何もない高層階で、毎日定時に来てくれるふたりの女性——中川先生と看護師の呉さん、そして佐渡先生以外、ほとんど誰かと話す機会はなかった。
 時折、窓辺に姿を見せる小さな鳥がいたが、ほんのちょっと翼を休めるとまたすぐにいなくなってしまう。そういえば、私はあの小鳥のように宙を移動する力を持っていた……けれど、そのことはもう、思い出したくもない。
 まどろんでは目覚めるたび、私は恐る恐る試してみるのだった——、あの能力(ちから)が甦ってはいないかと。しかし今、何をどう念じても私の身体には何も起こらなかった。

 私は、あの呪われた能力(ちから)から、本当に解放されたのだ。二度と、この手で誰かを傷つけることもなく、屠ることもない。それを恐れて愛する人から遠ざかる必要も、もう……ないのだ。


         *         *         *


「文字…、ですか?」
 その朝、部屋のカーテンを開けに来てくれた呉さんに、私は思い切って頼んでみた。……文字を、教えてください、と。
「…はい。私、日本の文字は…書けないんです」
「そんなに流暢に喋れるのに…」呉さんは不思議そうに笑った。
「でも…、思っている事を言葉にするのは…とても難しいです…」
「そうかもしれないわね。どこの出身なんですか?ヨーロッパ?」
「え…?……ええ」残念ながら、私は地球のヨーロッパ、という国は知らない。 
 しかし、私の容貌がおそらく、その地方の人間に近いのだろう。呉さんは、私が宇宙人だという事を知らされていない。ここでそれを知っているのは、佐渡先生と中川先生だけだった。
「日本語は、何種類も文字があるものねえ。…でも、なんでまた?」
「あの、……手紙を、書きたくて」
 耳に当てるだけの体温計を渡されて、私はそれを動くようになった右手で耳介にセットする。瞬時に計測される体温データを手元の端末に入力しながら、看護師はああなるほど、というように頷いた。
「ヤマトの航海長さん、にですね?」
「はい」
 彼を思うと勝手に頬が熱くなってしまう。
 呉さんは微笑んで、考えておくわ、と言ってくれた。


 私がここに入院している事は、どうやら秘密なのらしい。一度だけ、古代さんと雪さんが来てくれたがそれ以外に外から誰かが訪ねてくる事はなかった。 
 彼が見舞いに訪ねてくるのも、2日に1回程度。
 「……寂しい」と、口に出して彼に言ってしまうのは簡単だけれど、それをしてしまったら、優しい彼は困ってしまうだろう。

 ごめん、今は勤務地が遠いんだ、と彼は言った。都市部から遠い郊外にあるこの病院に、彼は毎回「車」で片道2時間以上かけて来てくれる。
 ヤマトは私が眠っていた間に大きな戦いをまた一つ、乗り越えてきて。彼はやむなくその航海に参加したけれど、その間眠ったままの私をここに残してきた事が気がかりでならず、今は直接乗り組まなくてもいい艦隊の遠隔操作プログラムに関わっているのだという。

「……できれば、もう君を残して宇宙に出たくないから」
 そんな彼の言葉に、私はどう答えていいのかわからなかった。


 ありがとう、と言えばいい? それとも、うれしい、かしら?…でも、申し訳ないとも思っていて。では、……ごめんなさい…を?


 戸惑っている私を、彼は抱きしめてくれて——。こう言った。
「君がここにいてくれて、僕は……幸せだ」

   ——……島さん。

 気持ちはこんなに溢れているのに、それをあなたに伝える言葉が見つからない。言葉ではなく、抱きすがる力の強さで……、こぼれる涙の粒の数で、どんなに私が幸せかあなたに伝えようとしたのだけれど。あなたは、わかってくれたかしら……?


 だから、私は「手紙」を書きたい、と思ったのだった。




  


 

 守さんとサーシャを、無事に地球へ連れ帰って後。


 俺はまっすぐにテレサのいる南部医科大学病院へ向かった。そこは裕福な連中が特殊な医療を求めてやって来る郊外の大型総合病院で、もちろんかの南部グループの経営だった……つまり。テレサを極秘に治療してもらうにはうってつけの病院、ということだ。

 白色彗星戦後、半死半生で帰還した俺が担ぎ込まれた地球防衛軍医療センターに、しばらくして古代と雪が「第11番惑星の前線基地から収容した技術者」と称して一人の女性を搬入した。
 古代と雪は、自分たち自身傷を負っていたにもかかわらず…、俺を救命艇の佐渡先生に託してそのまま、ヤマトで彗星帝国の母艦があった場所へ引き返し一帯を捜索したのだという。そして、四散する溶けた残骸のひとつからテレサを見つけてくれたのだ。
 
 俺が覚醒して最初に古代から聞かされたのは、

「喜べ、テレサは生きてるぞ」と、

「白色彗星はもう消滅したよ」という二言で……。

 古代のやつはあんなだから、分かり易く順を追って説明してくれればいいのに支離滅裂で、ことの顛末を呑み込むまでに俺は随分沢山の質問をしなくてはならなかった。
 古代が言うには、テレサは単身で白色彗星に挑んで行ったのだという。俺はひどく驚いた。だって、彼女は…どんなことがあってももう闘いたくない、と言っていたじゃないか。それがどうして、地球を救う気になってくれたんだろう?


「……俺達や地球を救うため、というより…ただお前を……守りたかったんじゃないかな、彼女は」
 古代はそう言ったが、俺には確信が持てなかった……

 彼女が生きているのなら、彼女に訊けばいい。——早く、会いたい、今、どこに?


 しかし、彼女が搬入された後間髪を入れず、佐渡先生が大慌てで彼女を南部グループの息がかかった郊外の病院に転送したのだという。雪が佐渡先生に「彼女が俺に輸血したらしい」と報告していたので、目覚めた時には俺も検査棟に隔離されていた。
 南部グループの精鋭SP部隊が守る、郊外の総合病院の特別室に彼女は極秘裏に収容され、手厚い看護を受けていた。軽傷だった南部が、動けない俺の見舞いに来て「島さんにサプライズがある」と言ったのはそのことだったのだ。佐渡先生は二つの病院を掛け持ちして奔走しているのだという。俺は当分、みんなに頭が上がらないだろう。


 
 昏睡状態から彼女が目覚めたと佐渡先生から知らされて、俺が南部医科大学病院の特別室に駆け込んだ時に彼女が見せた表情は、きっと一生忘れない。生き延びたのが不思議なほどの重症を負ってはいたが、彼女の顔は穏やかに笑っていた。

 今度こそ嘘偽りのない…笑顔。

 記憶を辿れば、「私も行きます」と言って俺についてきた彼女が最後に見せた微笑みは、どこか哀しげではなかったか。その数分後、テレザートの地表に彼女の姿を見た時、なぜか俺は「ああ、やっぱり…」と心の片隅で思ったのだ。彼女と俺は、お互いの心の内を打ち明けあう時間もなく別れてしまったから、俺の頭は彼女に訊きたい事でいっぱいだった。



 どうして、君はテレザートに戻ってしまったの? 
 俺のこと、本当はどう思っていたの…? 
 ——なぜ、俺をヤマトに送って、一人で行ってしまったの……?



 だが、病室に彼女を訪ねるといつも、何も訊けなくなってしまうのだった。なぜなら、いつだって彼女は全身で答えてくれていたからだ…、俺に会うのが嬉しい、と。———それは、「言葉」ではなかったけれど。

 答えを、彼女の口から聞きたいと、……毎回思う。
 君は、僕といて幸せ?
 本当に、僕といっしょにいたい?
 「あなたが必要」と君の目は言っているけれど、そう言いながらまた…どこかへ一人で行ってしまうんじゃないか?



 一つ一つの問いに、彼女から、はっきり言葉で答えを聞きたかった。こんなに近くにいるのに、俺は馬鹿馬鹿しいほど不安だったのだ。けれど、それじゃあまるで俺が彼女を疑っているみたいに見えるじゃないか…? 
 俺自身は必要な事は言葉に出す、そのほうが合理的だもの。……だから、「愛している」ならそう言うし、「君が必要」ならストレートにそう伝える。


 けれど、……彼女からもそういう言葉をもらいたいと望むのは、やっぱり独り善がりのわがままなのだろうか……?

 

 

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