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(……アリサ、真奈美、はるか……)
本当は、自分だって色々と考えてはいた。
……娘の、名前である。
(まあ、美しい雪…があいつんちの子の名前だけど、うちは美しい、に幸せ、っていう意味でみゆき。そう思っていいよな)
島みゆき、か…悪くない……。
大介は部屋の外へまたもや閉め出されていたが、それでもニヤニヤ笑いが止まらなかった。
立ち会い出産だったのにも関わらず、大介が今部屋の外に追い出されているのは、武藤がテレサに授乳の仕方を教えているからだった。なんで今さらそんなことを恥ずかしがるのか大介には見当がつかないが、とにかくテレサに「今は出て行ってください」と言われ、仕方なく階下に降りてきているのだ。
結局、いきなり始まったテレサの出産だった。
だが、それは話に聞いていたよりもずっと早く、しかもずっと軽くて済んだ。友納が持参した輸血用の自己保存血の世話にもならず、武藤医師が駆けつけたその後3時間ほどでみゆきは産まれた。
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急ごしらえの分娩室となった寝室。
友納と武藤があれこれと立ち回るそばで、大介はベッドサイドでテレサの手を握り続けた。
古代から、出産に立ち会うなら覚悟しておけよと言われていたから、それなりの心の準備はしていたのだが、医師たちの様子を見ていると、聞いていたのとはどうも違う…
武藤が首を傾げながら、
「…お母さんにお臍があるんだから、胎盤と臍帯も普通に出て来ると思うんだけど」と友納を振り返る。「おかしいわね、画像では逆流が始まってるわ……」
…おかしいわね、と言われ続けるのも、プレッシャーである。大介には何がおかしいのかなんぞ、分からないからだ。
んんっ、と時折テレサが苦しそうに呻くので、その都度ドキドキしながら大介は彼女を励まし続けた。
怪我や病気ではないから。一時的なものだから。
痛いのも苦しいのも、自分ではないのだが、だからこそ一段と心拍数が上がる……。
「なるほど…」
分かったわ!と武藤が頷くと、一度だけ、医療器具の音が聞こえた。胸元にしがみついているテレサの顔が、一瞬だけ苦痛に歪む…
「はい、おしまいよ」
ところが、みゆきは産声を上げなかった。
「……産まれたんですか…??」
「ええ!…天使みたいな奇麗な赤ちゃんよ!」
驚いたことにね…時期が来ると胎盤も臍帯も自然消滅するのね。だから、とっても奇麗なお産だったの。しかもほら。……見てご覧なさい?
武藤が用意した、ブルーのタオルに包まれた小さな娘は、なんと…気持ち良さそうにすやすやと眠っていたのだった。
「びっくりね……!!産まれる直前に、胎盤が羊水の量を調節して、赤ちゃんの方は肺呼吸が始まるの。…地球の常識ではあり得ないことだわ……理屈がわからないもの…」
そして、産まれた瞬間にはもう、空気に触れていい心持ちで眠っているなんて!
長い睫毛が、二人、そっくりだった。白い肌も、桜貝のような唇も。…こんな美しいものを、この世で二つも手に入れたなんて…俺は、なんて幸せ者なんだ…。
むせるような感動に、ついた溜め息が震えた。
「疲れたろ。…ありがとう、…テレサ」
「…島さん…」
まず、腕の中の愛しい妻を。そして、彼女の腕に寄越された、小さな娘を抱きしめる。
「……髪は、お父さん譲りかしらね?眠っているから分からないけど、瞳の色が楽しみだわ」
武藤がニコニコしながら、あらためてみゆきを覗き込んだ。みゆきの髪は、くるんとウェーブのかかった淡い鳶色だった。光るプラチナブロンドのテレサと漆黒の髪の大介の血を受け継いだ娘は、さてどんな姿に成長するのだろう。
「…これからみゆきちゃんをちょっと預かって、少し検査したいことがあるの。その間、テレサを休ませてあげましょう。いいですか…お父さん?」
「…あ、はい」
子宮が収縮してる間はまだちょっと痛むかもしれませんけど、自然なことだから。もうこれ以上私たちがすることはないから、しばらく休んでね……
武藤が言い残したふたつ・みっつを反復しつつ、ぐっすり眠ったままの娘を二人で見送った。
「……抱っこしていたかったかい?」
「え?」
みゆきを抱いた武藤と、保育器をストレッチャーに乗せて運び出す友納がドアから消えるのを見届け、大介はそう訊いた。
「みゆきを、もう少し抱っこしていたかった…?」
ええ、そうですね…と答えようとして、テレサは口籠る。「でも…私には、腕が二本しか…ありませんから」
この腕は、まだ今は…あなたのために。
「テレサ…」
たった今、二人の子どもが産まれた…だなんて、あんまり慌ただしくて実感が湧かない。でも、この4年間ずっとここに居たもう一人が居ないなんて。変な気分だよ。
腕を差し伸べたテレサをベッドの上で抱きしめながら、大介は深く安堵の溜め息を吐いた。
「…言葉では…何て言ったらいいのか…わからない。とにかく、嬉しいよ……」
「……私も」
色んなことを……思い出すわ。
初めて、あなたの声を聞いた時のこと。
初めて…あなたに会った時のこと。
あなたと、別れなくてはならなかった時のこと……
「私ね……島さん」
「ん?」
武藤の言いつけを思い出し、大介は彼女が置いて行ったアイスパックをテレサのお腹の上に乗せる。ベッドに仰向けに寝たテレサの瞳が、潤んでいた。
「私、……誰かの命を、奪うことばかりしてきたでしょう…」
「それは…今は言わないことにしようよ」
ううん、とテレサはかぶりを振る。……聞いて欲しいの。
こんな私でも…命を生み出すことが出来る……
…それが…嬉しいの。
これ以上を望んだら、罰が当たるわね……
「これから何倍も、何十倍でも…君を幸せにしてやる」
ひとつずつ、乗り越えて行けばいい。できるかどうか、じゃなくて、俺がそうしたいかどうか、だ……
上手く言葉にはできなかったが、大介はそう念じ、改めてテレサを抱きしめた。
* * *
その数日後、地球より遠離ること2万7千光年——
サイラム恒星系・惑星アマール宙域。
宇宙商船大訓練船<フラナガン>は、優美な宇宙艦隊の出迎えを受け、着陸態勢に入っていた。
「降下角35度。着陸ビーコンの設定を完了しました」
「大気の厚みは地球とほぼ変わりませんね。……大気圏突入、準備よし!」
「総員、シートベルトを確認してください」
操縦桿を握っているのは桜井洋一である。軍のパイロットにだって負けませんよ、と豪語するだけあって、彼の腕前は次郎も否応なく認めざるを得なかった。商船とはいえ、18やそこらで大型船のパイロットとして好成績を積み、その上頭脳派。そんな人間は兄以外には認めたくない次郎であったが、世の中は広い、ということか。ほんのちょっと、口惜しいと思ったことは心の中に仕舞い、手早くシートベルトを確認した。
着陸後、今度は次郎が大任を果たす番である……
<フラナガン>を先導し、大気圏に先行して突入して行ったアマール軍の戦艦の長「パスカル」と名乗る将軍の立ち居振る舞いからもわかるように、この星は……地球で言うなら古式ゆかしき王侯貴族の時代の常識がまかり通ると考えて良い。
(……俺で大丈夫だろうか)
改めて、ついぞ頭に上りもしなかった懸念が過る。
地球では、すべてが実力主義だった。年齢の若いことなど問題ではない。だが、この星ではもしかしたら…「見た目がただ若い」というだけで、軽んじられたりはしないだろうか。
制服の襟を、ぐいと正した。
地球連邦宇宙開拓省、移民局外交官代表とは言え、次郎はまだ24である……。
官僚の中にはもちろん、見てくれだけは貫禄のついた中高年がいるが、今回は彼らの参加はなかった。訓練船も、教官である艦長石田を除いてすべて学生ばかりの、初々しい外交団である……
(真田さんが一緒に来てくれたら、良かったのになあ…)
うっかりそう思い、次郎は苦笑した。
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