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地球より約1万7千光年の外宇宙。
サイラム恒星系の惑星アマールへ向かう宇宙商船大学の訓練船<フラナガン>のブリッヂで、島次郎は地球からの通信を受けた。それはきわめて私的な通信(実家の母親が、息子たちの特異な人脈をたよりに寄越したハイパー通信)…だったため、次郎は通信士の勧めに従ってブリッヂから通信室へと急ぐはめになる。
「…中継ブースターを経ていますので、実際には今から2日前の音声映像になりますが」
通信士を務めるのも、商船大の訓練学生だ。
通信機の受信状態を確認し、軽く頭を下げてから部屋を出る学生に礼を言うと、次郎はモニタの前に座った。
(母さんからこの船に通信だなんて…。一体どうしたんだろう)
というか、ここまで遠距離に届く通信を民間人の母が送って来る……という事実に胸さわぎがする。
<次郎?あの、…聞こえてるのかしら。え?…伝言みたいなものなんですね?>
モニタの中の通信メッセージは、地球を出てから2日経っている。母からすれば、留守番電話の録音のようなものだろう。母は背後の誰かにそう念を押していた。
一体、どこから通信していたんだ?
次郎はこめかみに嫌な汗をかいた。通信のアカウントを見る。
……げ。真田長官のオフィスの通信機じゃないか……!!
母さん…なんてことを。
果たせるかな、モニタの中の母の背後に、微笑む真田の顔が見えた。通信に付帯するタイムコードを見れば、画面上では母は地球時間の午前7時35分に、真田のオフィスからこの通信を発信したということである。
……ああ。
<次郎!!テレサがね、赤ちゃん産まれるのよ!!>
次いで母が発したのは、妙な日本語。母の後ろで、モニタの中の真田が苦笑を堪えきれずにいるのが見て取れた。
<だから、仕事が終ったらまっすぐに<エデン>へ行きなさい!実はね、あなたも大介も駄目だって言ったら、真田長官が母さんのために船を出してくださることになったの。だから母さんは一足先にエデンへ行っていますからね!>
「えぇっ」
ちょっと待ってよ母さん!!
会話など成り立たないことは百も承知だったが、次郎はモニタに向かって思わず声を上げた。
テレサのお腹の子が、ついに!?という事実もさることながら。同時に冷や汗をかく…そ、そんな滅相もないことを、母さんったら朝っぱらから電話して長官に頼み込んだんだろうか?!
笑いながら、モニタに真田が割り込んだ。
<次郎くん、…というわけだ。この通信を受け取ってさぞびっくりしていることだろうが、遠慮はしないでくれたまえ。本当は私もお見舞に行きたいところだが、なかなかそうも行かなくてな。まず君は、アマールの女王との接見、その大役を果たして来てくれ。その後、すぐにエデンへ行けるように、移民局本部に休暇の申請を私が出しておくよ>
「そっ、そんなとんでもない!」
次郎は青くなった……いくら兄貴の、「島大介の兄貴分」として頼れる真田長官だとしたって。いくらなんでもそんなことはさせられない。
ところが、次の真田の言葉に息が止まる。
<それからな、肝心のテレサの件だ。エデンのお兄さんから1時間前に連絡があった。地球時間の3月2日、本日午前中には産まれるそうだ>
「…本日、午前中」
——ということは。
2日前の、午前中に!?
赤ちゃん、産まれたのか…?!
商船大学の訓練船<フラナガン>は、アマールまでの道程のようやく半分を進んだ所だった。これから二度目のロングワープを経て、やっとサイラム恒星系に入る。島次郎の役目は、人類の移住先として好条件を備えた星『アマール』の現地調査、加えて通信で築いた友好関係を確立するため、その星の統治者・女王イリヤという人物に接見することであった。
宇宙開拓省移民局外交本部、本部長…それが現在の次郎の肩書きだ。学生時代に次郎の率いる観測チームが発見した、このサイラム恒星系の惑星アマールへの表敬訪問は、彼が開拓省へ入省したと同時に(ごく自然に)彼の仕事になったのだった。
地球への帰還予定はまだずっと先だ…ああテレサ、まさかこんな時に。
ここから返信を送っても、地球へ届くのはまた2日後。だとしても、真田長官に礼を言わないわけにはいかない。次郎は返信モニタに向かって返信メッセージを手早く作成した。胸の動悸を押さえつつ、丁重に礼を述べる。
<真田長官。母が大変ご迷惑をお掛けしています、申し訳ありません……それから、連絡をありがとうございました。…ご好意は有り難いのですが、休暇願いは帰還してから僕自身で出します……どうかそれについては放念頂きますよう、お願いいたします>
そこまで言って、深く息を吸う。それから、躊躇いがちに続けた…
<…あの、姉は…テレサは、無事…、出産したんでしょうか?…これから、僕らの船は第二回目のロングワープに入ります。また地球からの距離が遠くなってしまいますので通信は困難ですが…。可能でしたら、兄に……いえ、姉に伝えていただけますか?……おめでとう、…って>
我知らず、次郎は涙ぐんでいた。
テレサの嬉しそうな顔が目に浮かぶ。
目頭を熱くしていたからか、洟を啜っていたからか。
通信室の外で待機してくれていた通信士が、心配そうに「大丈夫ですか」と尋ねてきた。いや、大丈夫…ありがとう、とお座なりに礼を言って、次郎はブリッヂに向かう。
もう何年も前……
雪と古代の第一子、守を見て、自分が子どもを持てないことが悲しくて仕方がなかったテレサを思い出す。実家の敷地から外に出られなかった彼女はいつも笑みを絶やさなかったが、自分にだけは寂しい、辛い…と打ち明けてくれた。妊娠してからも、地球人との常識の差に自分たち周囲の者も戸惑うばかりで、彼女は結局…気持ちの上では一人でずっと闘わなくてはならなかったのだ。
この先もきっと、彼女は子どものことで悩んだり苦しんだり、するんだろう。だけど……ともかく。一つ、終ったんだ。
アマールは驚くほど豊かな自然を持つ惑星だ。例えて言うなら、西暦2000年代の地球の自然が再現されているかのような星だった。未開発とも言える都市の様相、だが保有する宇宙軍は決して地球に劣るというわけではなく。あの星は、高度な科学を間違った方向へ導くことなく発展した、温和な人々が統べる星なのだ。
(…テレサ。実験コロニーの中なんかじゃなく、本物の陽の下で、あなたにのびのびと生きて欲しい……)
自分がここに、惑星外交官としてここに居るのはすべて、そのためなのだから……。
我知らず微笑みながら、次郎はブリッヂのオートドアをくぐった。
* * *
「島さん、ワープの予定が出ました!」
次郎がブリッヂへ戻って来たと見るや、ナビ席から立ち上がった少年がデータボードを捧げて足早に歩み寄って来た。整った顔立ちに、七三で分けた柔らかな黒髪が知的な印象の17歳。宇宙商船大学高等部の秀才、桜井洋一である。
「次のワープでサイラム恒星系まで進めることが確定しました。この先、小規模なブラックホールが航路の近接宙域にありますが、それを過ぎた辺りから飛べる見通しです」
「そうか」
次郎は生返事をして桜井の差し出したデータボードに目を落した。艦橋中央の艦長席に座る教官の石田が、にっこり微笑んで補足説明を始める。
「ブラックホールとはいっても、そのBH−199は小規模です。単純に、付近には気流の乱れが観測されますから通過の際はちょっと揺れますが、心配ありません」
石田は50がらみの退役軍人だった。航海部に居た彼は、島次郎の兄とその仲間達の偉業について嫌というほど良く知っている。次郎の頬に浮かんだ笑みを見て、石田も柔和な微笑みを浮かべた。
「……地球から、何か良い知らせでしたか」
「えっ」
我知らず、にやにやしてしまっていたらしい。次郎は頭を掻いた。
「……俺、叔父さんになっちゃったみたいです」
桜井の目が丸くなる。
石田が、ほう、それは。とさらに目尻を下げた。つまり、お兄さん…あの島大介氏にお子さんが産まれたということですな?
「おめでとうございます、島本部長!!」
「おめでとう!!」
<フラナガン>へ、兄の大介とテレサがちゃんとした通信を送ってくるまでには、きっと自分たちはアマールへ到着しているだろう。距離のせいでもどかしい思いをするのは仕方がないが、次の通信ではきっと、テレサと子どもの姿を見られるだろうと思うと、次郎はいつまでも頬が緩むのを止めることが出来なかった。
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