RESOLUTION 第3章(2)

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 水産省の実験コロニーNO.5、通称<エデン>。

 2月の終わり…と言えば、まだ地球ではようやく春の花が少しずつ咲き始める肌寒い季節だ。
 だが、このスペース・コロニーの植物再生プラントのある区画では、梅・桃・桜の3つが同時に開花する。その春の花のスペースは、かつて日本自治州の東北地方に実在した地名にちなみ<MIHARU>と呼ばれているのだった。<MIHARU>……三春、三つの春。そこは梅と桃と桜の三つが同時に開花する珍しい里山であったと伝えられている。だが、残念ながらその美しい地域も、かつての侵略戦争で跡形もなくなってしまった。
 木々や花々は、このプラントで品種改良によって汚染に強い株が多数栽培され、定期的に地球へと送られる。日本の春を支える花、まず梅の樹が、今週にも定期便にて出荷され地球に運ばれる予定だった。

 緊急医療艇基地内の病院棟の一画——。
 プラントの研究員からもらった梅の枝に咲き始めた、白と赤の小さくて肉厚の花弁から漂う仄かな香りに和みながら、武藤薫はゆったりと部屋のソファに身を沈めていた。手にはデータボード。…カルテである。
 医局内に自室を構える女医の武藤は、非常に珍しい妊娠の過程を目の当たりにし、ひどく興味を引かれていた。



 まあ、無理もない。
 ……彼女は異星人なのだから。




 テレサの懐妊が確認されてから、実に40ヶ月近くが経つ——。

 テレサ自身の記憶によれば、その故郷の星では地球時間にして約30ヶ月が妊娠期間だったのだと言うが、どういうわけかその満了のときはまだ来ない。

 地球人の女性なら、とてもではないがやっていられない長丁場だ。ところが、当のテレサ本人にとって、妊娠そのものは格段生活に支障をきたすものではないのだった。それも、産科の医師としては非常に興味をそそられる事実である。妊娠トラブルも、不必要な体重の増加もボディラインの崩れもない、美しく完全とも言える妊娠。
 細身の彼女の肌は、長期の妊娠にも耐えるような柔軟な皮膚構造を持っていた。胎児は小さく、しかしMRIやCT、エコーで見る限りでは完全な成長を遂げている。そして、母親のテレサと胎児とはすでに会話のようなコミュニケーションまで取っている、というのだから驚きである。
 武藤の元夫、この緊急医療基地の代表医師、友納章太郎の作ったテレサのカルテから、それを引き継いだ自分の手になる彼女のカルテをずっと溯って再度その過程を改め、武藤は三たび感嘆の溜め息を吐いた。

(不思議なものね……。地球人の場合は、母親が妊娠に気付く前に胚がもう作られてしまっていて、しかもお腹の子と充分コミュニケーションを取れる期間、なんていうのは無いに等しい。安定期は短くて、母親は十月十日、まるで束縛されるような鬱陶しさしか感じない…。しかも、体調は色々なトラブルに見舞われて、決して快適な妊娠期間とは言い難いのが普通…)

 出産だけでなく妊娠自体も、平均的な地球人の女性にとっては困難な、命懸けの大事業である。しかし、テレサはこの5年近くの間ずっと子宮にわが子を抱いたまま、美しい身体はそのままに、実に無難に生活を送っていたのだった。



(宇宙人だから、と片付けるには…惜しいけど…)

 実質、彼女の体質をいくら研究しても。決定的に何がどう地球人と違うのか、それはいまだに謎のままだ。ただ、一つはっきりと言えるのは、彼女の故郷テレザートはやはり、地球に較べて格段に進化した人類が住む惑星だったのだろう、と言うことである。

 ふふ、と武藤は我知らず微笑んでしまう。

 彼女のような完璧な妊娠であれば、ちょっとくらい期間が長いことは問題ではない……しかも、そのおかげであの夫婦は信じられないほど完璧な子育てをするだろう、とも思われた。
 テレサの夫、あのヤマトの副長も務めた元軍人の島大介が、あれほど甲斐甲斐しい男だったとは意外だった…いや、妻があんな風に美しく健やかに妊娠し、父親自身もお腹の子どもと充分にコミュニケーションを取れる時間を持てるのであれば。どんな男だって否応なく、出産までにいい父親として成長してしまうのではないか、…そう思われた。

 そして、そろそろ。彼らが我が子と対面してもいい時期が訪れたようだ。
(…テレサの場合、出産はやっぱり、苦しいものなのかしら?)

 昨晩から何度か、定期的にお腹が張る、とテレサからは報告があった。近海に患者の搬送のため出動していた島大介は、慌てて<ホワイトガード>を<エデン>へ帰還させ、そのまま彼女に付き添っている……次の出動要請には、雷電五郎がパイロットとしてスタンバっているのだそうだ。



 さて、と腕時計を見た。
(いい時間ね)

 朝食のコーヒーは止めておきましょう。夕べ連絡をもらって以来、島君からは何も言って来ないけど……そろそろ準備しておいた方がいいかもしれないから。


 武藤は、すでに「みゆき」と名前をつけて呼んでいる、彼らの愛娘の顔を早く見たいと思い、いそいそと白衣を羽織り自室を出た。




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「ああっもう!!」
 俺は迎えに行けない、何度言ったら分かるんだ母さん!

 大介はモニタに向かってそう怒鳴ってから、思い直してごめん、と母に謝った。大体こんな時に次郎のやつは…どこへ行ったって?!



 昨晩から、テレサが「お腹が痛い」と言い出した。医師たちにしても地球人の常識しか参考にするものがないので、武藤と友納からは「陣痛の間隔を正確に計っておけ」としか言われていない。
緊急に<ホワイトガード>を帰港させ、次の出動要請があったらお前頼む、と雷電に伝言すると、大介はプラントの一画に設えられた居宅に飛んで帰ったのだった。

 そこへ、母親の小枝子からハイパーコムサット通信……地球からである。小枝子はしばらくのあいだ、大介とテレサと共にこの<エデン>で暮らしていたが、父の康祐が「不便だ」とこぼすようになった昨年の秋頃から一度地球の自宅へ戻っていたのだった。康祐は次郎と二人で暮らしながら、テレサの残して行った庭の面倒も見ていたのだが、次郎が移民局内で外交を担う部署に異動したのをきっかけに家を出てしまったものだから、さすがに不自由していたのである。

 さてそして、大介がうっかり昨晩、小枝子に「産まれそうだ」と通信した途端、小枝子が「すぐに私もそっちへ向かうわよ!!」と返信を寄越したのは無理もないことだった。
 だが、大介自身はテレサのそばを離れて母親を迎えになんか行けないのだ。
 残る手は、次郎に母を連れてきてもらうことだったのだが、なんと弟ときたら、移民局の仕事で、2万7千光年かなたの異星人が統治する惑星へ航海に出ている、というではないか。

「…なんだっけ?サイラム恒星系のアマール、っていったっけ?…ったく、一体どうしてあいつが直接そんな星へ行かなきゃならないんだ!」

 




「……島さん?」
 大介があたふたとあちこちへ通信を送っているリビングへ、テレサが注意深く歩いてきた。サーモンピンクのネグリジェに、コットンのスリッパで、二階の寝室から抜け出してきたのである…

「…おはよう。…どうしたの」
「えっ、大丈夫なのかテレサ!」
 ベッドにいろよ、転んだらどうするんだ!と慌てふためく大介の狼狽えようが、テレサは可笑しくてしかたがない。
「大丈夫なのよ。痛いのは20分に1回、それも30秒くらいなの。夕べから、間隔はずっと20分前後だし…」
 それに、そろそろ武藤先生が来てくださるわ、だって、もう朝の6時だもの…。
「そ、そうか」

 友納からは、陣痛の間隔が10分を切ったら連絡しろと言われていた。夕べ、武藤からも「朝になったらそっちへ行きますから」と連絡をもらっている。
「島さん?あなた、夕べから全然眠ってないでしょう」
「え?…ああ、まあ…」
 こんな時に悠長に寝ていられるか、とぶつくさ言う夫に背を向け、テレサはくすくす笑いながらキッチンへ向かった。
 落ち着いてくださいな。何か食べましょう?私、お腹空いちゃった……
「あ、ああ」

 ええと、…コーヒーをいれて。トーストでいい?
 …果物、何かあったかしら…

 まるで何事もなかったかのように朝食の用意をし始めたテレサの後を、大介はおろおろとついて歩くことしか出来ないでいた。
「なあ、大丈夫なのか?…いいよ、飯なんてオレが用意するから」
「平気よ…」
 そう言った途端、んっ、と下腹を押さえてテレサが眉をしかめる。
「いたた…」
 慌ててテレサの肩を抱き、大介は自分の腕時計を見せた。「何分?!」
「……あら…8分、しか経ってないわ……」
「えええっ」

 10分を切った!!

 大介は慌てふためいてキッチンを飛び出した。モバイルはどこだ!!
「……島さん、ねえ」
 地球を救った英雄の船を、ずっと駆り続けたあの沈着冷静なはずの彼が、こんな風に取り乱してしまうなんて。
 嬉しいやら、戸惑うやらで、テレサは笑いが止まらなかった。



 
パパ、…しんぱい?



 頭の中に、小さな声が話しかけて来る。
「そうよ。…パパはね、ママをとっても心配してくれているの。あなたのこともよ」

 ねえ、みゆき。
 ほんとうに、やっと…会えるのね?

 そう念じると、ころころ、とみゆきの声が笑うような気がした。



 
ママ。だいすき。だいすけ…だいすき。



 うふ、とテレサは微笑んだ。
 自分だけが感じる、この微弱なテレパスで会話する愛娘は、なんと夫の名前を真っ先に覚えたのだ。だいすけ。だいすき。
 産まれた途端にこの子から自分の名前を呼ばれたら、島さん、どう思うかしら?

「…!あ…いたっ」
 ところが、ふいに痛みの間隔が短くなったことにテレサは気付いた。そればかりではなく、急激に痛みが強くなる。
「えっ、やだ…」
 3分。
 さっきの陣痛から、3分と経っていない。
 リビングで、大介がモバイルに向かってまくしたてている。相手は友納だろうか。——そうです、間隔は8分、え?まだ?…でも!急いでくださいよ、は?武藤先生が。本当ですか…ハイ、わかりました…


 
「島さん……どうしよう…」
 いたたた。
 そのままテレサはキッチンの床にゆっくりと座り込んだ。「島さん、…ねえ、島さん…来て」

 キッチンから助けを求める妻のか細い声が聴こえてきて、大介はさらに青くなる。



「……ねえ本当に…もう、産まれそう……」


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