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正直なことを言えば、次のリクエストが“島大介”にとっての、最も得意な課題の一つ、だと言えた。
口が裂けてもテレサには言えないが、『夜景の奇麗なレストランでディナー』というのは、彼にとってこれと思った相手を落とすための、常套手段中の常套手段だった。しかも12月というこの季節、自分がそれほど気を回さずとも街中が完璧なムード作りを代行してくれているのだから。
だから、はっきり言ってしまうとテレサに対してはこんな場所よりも、気取った女の子がおよそ行きたがらないような場所で自分の手腕(笑)を振るいたかった大介だ。
しかし、彼女のリクエストがこれなんだから、しょうがないのである。
テレサの好きな、正統派英国風の宿泊施設の中では、とびきりのグレードを選んだ。イギリス自治州の、由緒あるマナーハウス的な雰囲気をふんだんに盛り込んだ館内。彼女のような、高貴な女性に相応しいもてなしと佇まい。本当なら実際にイギリス自治州まで飛行機で連れて行ってやりたかったくらいだ。
自宅から送ってあった荷物をレセプションから受け取ると、それを運ぶベルボーイの後について、二人は部屋に向かう。
テレサはふかふかの赤い絨毯を敷き詰めたエグゼクティヴフロアの廊下に、目を瞬いた。
「ねえ、島さん」
「ん?」
前を歩くベルボーイに聞こえない程度の、小さな声で。
「…ここ、…デスラーのパレスに似ていますね」
「……い」
「ふかふかの赤いじゅうたんに、飾りのついた壁とか、…ほら、あのドアとか」
「……………」
……ちょっと待った。
大介は内心、もう一人の自分が「ぎゃふん」と言ったのを聞いたような気がした……デスラーの、ああ…。
……言われてみれば、確かに。
「あの、私…何かおかしなこと言いました?」
「いや」
……あのパレスよりは、成金趣味じゃないはずなんだが…。
赤いじゅうたん、が拙かったかな…?
確かに、ガルマン・ガミラスの総統府デスラーズ・パレスを連想させる深紅のじゅうたんが、エレベーターを出たところからずっと続いていた……かの総統に宇宙を漂流している所を救われたテレサは、かれこれ1年近くそこに住んでいた。そういえば自分よりも、あの豪奢な宮殿の隅々を知っているわけだ。
参ったな、と苦笑する。
「………まあ…素敵…」
しかし、彼女を連れて入った部屋は申し分なくて、幸いあのデスラーズ・パレスを連想させるような調度品もなく、大介はほっと胸をなで下ろした。部屋のじゅうたんは廊下とは違い、一点の曇りもない乳白色。カーテンはほんのり明るい浅葱色である。魔法を唱えれば部屋のあちこちから緑の蔓が伸びてきそうな、淡く美しい画のあしらわれた壁紙。室内に飾られた本物のオリエンタル・リリーの大きな花束から、心地良い香りが漂ってくる。
そして、部屋の奥を見れば。
イギリス風のドールハウスに似た什器の向こうに、壁面いっぱいの星空がひろがっていた。
……いや、星空、ではなく。
それは、まるで銀河と見紛うほどのイルミネーションをたたえた、メガロポリスの夜景、であった。
大介がベルボーイにルームサービスのディナーの確認をしている間に、テレサは我を忘れたように窓の方へふらふらと歩いて行った。
…ワインは例の白で。…デザートはどうしようか。
テレサを呼ぼうとして、大介は思いとどまる。
……ふふっと微笑んだ。
彼女の後ろ姿が、茫然としていたからだ。
*
「……島さん」
「…ん?」
「私……とっても、幸せ…」
「……俺もだ」
わざわざそう口に出さなくてはならない理由はなんだろう?
自分の胸に頭を乗せているテレサの肩を、大介はそっと抱き寄せる。
ベッドの中からも、カーテンを開け放した窓越しに煌めく夜景が見えた。宝石箱の中身のようだ、と思う。しかし、腕の中にある幸せが、それをさらに輝かせて見せるのだろう………
テレサが不意に身体を起こし。
ベッドから立ち上がった。
ガラス越しの星の海の中に浮かぶ、美しい裸の女神のシルエット……。大介は、ベッドから起き上がって窓際に立つ彼女のそばへ歩いて行った。
「…冷えるよ」
その肩から、暖かなコットンのガウンをふわりと着せかける。ゆっくりと振り向いた彼女の横顔は、この世のものとも思えぬほど美しかった。……その唇が、きゅっと口角を上げてさらに美しく微笑む。
「ありがとう、…島さん」
彼女がくるりと向きを変え、自分の胸に頭を押し付けた。どちらからともなく腕を伸ばし。そのまま、また抱き合う。
「……私、…幸せです」
「俺たちは、もっともっと…幸せになれるよ」
どうして同じ言葉を繰り返すんだい…?
そう問い掛けようと思ったが、テレサが唇を寄せてきたので言葉にはならなかった——
離した唇と唇の間から、銀河の瞬きが束の間、垣間見えた。イルミネーションに照らされた互いの横顔だけを見ながら、二人はもう一度唇を合わせる。
ふと気がつくと、彼女の頬に光る涙が零れていた。
「…どうした…?」
「島さん……私が泣くのは、嫌ですか?」
「…悲しくて泣くのはね。……悲しいの?」
「少しだけ」
わざわざ「幸せです」と、自分に言い聞かせているように感じたのは、間違いではなかった。彼女はそうしないではいられなかったのだ。
だが、言葉にしても、現実は何も変わらない。
大介はそう解っていたから、敢えて何も言わずにきた。テレサの「少しだけ悲しいこと」が何か、自分だって知っている……。
「……俺たちの、子どものこと?」
自分の胸に突っ伏しているテレサが、こくりと頷いた。
「それと、君と俺の、…寿命のこと」
もう一度、彼女が頷く。
不安なのは、自分も同じだった。泣こうが喚こうが、何かが変わるわけではない。だからといって「前向きに考えようよ」だとか、「泣いたって事態が好転するわけじゃない」などとも言うつもりにはなれなかった。
もちろん、彼女の涙を否定することだって出来た……
泣くなよ、と。
幸せになろうよ、と。
言おうと思えば、言うことも出来たのだ。——が…。
「…テレサは、俺が泣いていたら嫌かい?」
ふいに、彼女がえっ…と小さく声を出す。
……島さん…?
「…俺には、泣かないでしっかりしていて欲しいか?」
自分を見上げた彼女の顔は涙に光っていて、その頬にまで窓の外の銀河が流れ込んでいるみたいだった。けれど、おそらく自分の頬も同じように見えるに違いない……。
「……悲しかったら、泣けばいいんだ。俺の前で、強がる必要なんかない」
自分こそ、と涙声になりながらそう思う。
「俺も…ごめんな。君の前で、これ以上カッコつけられない」
「……島さん……!」
大介は苦笑して、手の甲で顔を拭った。窓に背を向け、ベッドのところへ戻るとフットレストに掛けてあったガウンを羽織る。
テレサの心配そうな表情を見てしまうと、泣いてなんかいられない…と思うのだった。
洟を啜って、ちょっとだけ笑う。
「…テレサ」
窓のところからついてきた彼女を、もう一度抱きしめた。
俺だって、どうしようもなくて…泣きたくなることがあるさ。
俺は確実に歳を取って行く。今はそれほど気にならないけど、あと40年もしたら、どうなるんだ…?
「俺が70になった時、君は一体幾つに見えるんだろう…?30か、40か…それとも…」
そう考えたら、たまらなくなるんだ。
君はそんなこと気にしない、って言うかもしれないけどね、…地球人の70歳というのは……もう、別の人間になったも同然の年齢なんだよ。
「…そうなってまで、君のそばで生きていたくはない、と思う。…そう言ったら、君は」
テレサがほんの少し息を飲んだ。
「そんなこと言わないで」と言われるとばかり思った。
…だが……
「……その時は、私もいっしょに」
そう言って、テレサは微笑んだ。
あなたは、私があなたの命を救った…と言うけれど。…私こそ、あなたに…魂を救われたの。
……あなたが別の世界に行くのなら…
私も、ついて行きます……
思わず、それは駄目だ、と理性が言うべき言葉を口から押し出そうとする。だが、意に反して涙だけが零れた。
「……テレサ」
仕方なく、二人はまたベッドに倒れ込む。
今はそうするしか、互いを慰める方法が見つからないからだった。
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