RESOLUTION 第2章(3)

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 午前中いっぱい、プレジャーランドで遊び。本当はもっとゆっくりしたいのを我慢して、車で佐渡のフィールドパークへと向かった。遅い昼食を、待ち構えていた古代一家そして佐渡酒造と一緒に摂り、アナライザーの案内でみんなしてフィールドパークを散策——。
 それが、この日の午後の予定だった。

「島さん、…もう少し、ここに居るわけにはいきませんか?」
 だが、そろそろ今夜の宿泊施設に移動しなければ、という時間になって、テレサが急にそう言い出したので、大介は困り顔である……

 その日出会った瞬間から、古代家の長女美雪とテレサが意気投合してしまったからだった。


                      *



 時間はほんの少し、大介とテレサが佐渡フィールドパークへ到着した頃に溯る。

「どうしたの美雪…お姉ちゃんにご挨拶しなさい?」
「…あーだ…」
「やだじゃないでしょ。…ごめんなさいね、テレサ」


 佐渡フィールドパークへ到着した大介と(実は午前中から彼らを尾行…いや、護衛していた)古代進が、男同士の再会を喜び合う脇で、テレサと美雪がなんだか互いに照れているのを見て、最初は雪が間に割って入った。守のときは、テレサに抱かせようとした途端に大泣きされてしまったことがあるので、ちょっと用心しながら様子見である…

「そうか、美雪はテレサと初めて会うんだもんなぁ!」
 父親同士が笑いながらやってきて、美雪は父の腕にひょいと抱き上げられた。
「あーだー!!」
「ああ?なんだよ」
「あっち」
 美雪は進に抱き上げられた途端、そうじゃないの、あたしはあっちのお姉さんに抱っこして欲しいの!と意思表示したのだ。

「……わたし…?」
 美雪を抱いている進、と雪、そしてテレサ自身……呆気にとられるしかなかった。
「あっち!」
 進の腕の中から、差し出された小さな手。それを、おそるおそる抱き取る。ピンクのモヘアのセーターが、ふんわりテレサの腕の中に収まった。
「えへへー」
「………みゆき…ちゃん」
 テレサに抱かれて、美雪は満足そうに照れ笑いをした。



「なんなんでしょうね、この子ったら…」
 テレサにはぺこりと頭を下げても、抱かれには行かない守に較べて、対照的な妹だ。
「……お人形さんとか好きなんじゃないか、美雪ちゃんは」
「まあ、そうだけど」

 大介に言われ、雪はふうむと考え込んだ。そうね、この子って…奇麗なお人形とか、私のアクセサリーとか、フリフリのドレスなんか大好きだものね。
「……テレサのこと、奇麗なお人形さんかなんかだと思ってるのかしら…」

 言われて見れば、確かにそうだ。腰まであるさらさらの金色の髪、緑色の大きな瞳。白い肌に、たおやかで優し気な声。女の子なら一度は憧れるような、フリルのたくさん付いた奇麗な空色のワンピース…。
 自分たちは彼女のこういう外見を見慣れているが、初めて会う美雪にとってはもしかしたら、おとぎ話の中のお姫様が目の前に現れたようなものだったのかもしれない。

「しかも、二人はそろって動物が好きなんじゃな」
 傍に居た佐渡までが、そう言っておかしそうに笑う。



 一行は昼食もそこそこに、パーク内の動物たちを見物に出掛けたのだが、アナライザーが丹念に用意した見学用順路などそっちのけで、最初のライオンのケージの前で動かなくなったのがテレサと美雪だった。

「ママ、行こうよー」
 お気に入りのロボット、アナライザーによじ上り、守がそう急かす。雪は仕方なく、長男と一緒にアナライザーの後について、屋外へと出て行った。

「…守は相変わらず活発だな。雪、お守りが大変そうだ」
 大介の苦笑に、進も頭を掻いた。
「うーん、雪の方がどうも守と相性がいいらしいんだ。あいつがどっちへ走るのか、雪には分かるらしいんだよ…。俺は驚かされてばっかりさ」


 …実を言うとな、息子とキャッチボール…よりも、娘と折紙、の方が俺、向いてるのかもしれん。


「あっははは」
 ボソリとそう言った進に、大介は大笑いした。
「…島さん、いいですよ、…雪さんたちと先に行ってらして」
 ケージの前にしゃがんで、美雪と一緒にその小さなメスライオンを眺めていたテレサが振り向いた。
「いいよ、俺も一緒に居るよ」
 美雪もしゃがんだまま動こうとしないので、大介と進もそのケージの中のライオンについて、佐渡の解説を拝聴する事になった。



「こいつの名前はイライザ、っていうてな。ここの実験棟で、保存DNAから初めて人工的に誕生させたライオンなんじゃ」
「…それはすごい」
 次郎が高校・大学とスーパーバイオテクノロジーを専攻していたことから、生命の誕生を人工的にコントロールすることがいまだにどれだけ困難かを大介は知っている。じゃあこのライオンは、物凄く貴重な個体なんじゃありませんか…

「……どうして檻の中に閉じ込めているのですか…?」
 佐渡の話を背中で聞きながら、テレサが急にそう言った。
「どうして、って…」
 佐渡が口籠る。
「それはじゃなぁ、…ライオンは肉食動物じゃから…」
「……出してあげることはできないのですか…?」
「あぁ?……いや、もちろん、出来るとも」
 佐渡はなるほどそうか、と頷くと、テレサの肩を軽く叩いて彼女の視線を屋外に見える緑の向こうへ促した。「…暖かくなったら、あの森の中へ放してやる予定じゃよ。今は寒いからのぅ。この動物はもともと、もっとずっと暖かい気候の土地に住んでいるいきものなんじゃ」
 理由なく、閉じ込めるのはいかんよな。うむ。

 テレサのほっとしたような顔を見て、大介もほっとする。彼女が何を思ってケージの中のライオンに同情したのか、手に取るように分かったからだった。


「らいおん、かあいーねー」
 テレサの膝元にしゃがんでライオンの仔を覗き込んでいた美雪が、彼女の顔を見上げてにっこり笑う。
「ええ、かわいいわね…」
 微笑み返すテレサと美雪の様子は、なんだか母と娘のようでもあった。




                    *




 テレサと美雪は何を話すでもなかったのだが、こんな風にすっかり意気投合してしまい。そろそろ今夜の宿に移動しなくちゃ、という頃になっても美雪がテレサと離れたがらなかったのだった。



「ばいばい、ちないよぅー!」
「…美雪ちゃん」
 自分に抱きついて離れようとしない小さな友達に、情が移らないはずがない。それで、テレサはもう少しここに居られないのでしょうか、と大介に聞いたのだが、困り顔のままどうとも言えずにいる大介に代わって、雪が断固、反対した。

「美雪、ワガママ言ってると、テレサに嫌われちゃうわよ?」
 貴重な時間なんだから、テレサを足止めしちゃ駄目。
「お姉ちゃんには、また会えるから。今日は、バイバイしましょうね」
「ほんとぉ〜?」
 名残惜しそうに自分を見上げる美雪に、テレサは思わずほろりと来てしまう…
「……ええ、また。必ず、会いましょうね…」
「約束しようか」
 雪はしゃがむと、美雪の小指とテレサの小指とを指切りげんまん、の形に結ばせた。


「うーびーいげーんまん、うーつーいたーああいせんぼんのーますっ」
「?」
 何の歌だかわからずきょとんとしているテレサの指をぶんぶんと降りながら、美雪は真剣な表情でたどたどしく歌った。
 背後から、大介がテレサにそっと耳打ちする。
(…約束を破らないで、っていう歌なんだよ。…いいから、美雪ちゃんの言う通りにしてあげて)
「ゆーびきったっ」
「えっ」
 指、切るの?
 ぽん、と指を離して満足そうに笑う美雪に、その歌の意味を問う間もなく。しゃがんで美雪に向き合っていたテレサは、その小さな身体がぶつかってきて、自分の首をしっかり抱きしめているのに気がついた。
「……美雪ちゃん」
「…テレサ、ばいばい」


 
 だいすき。



 ふいに、頭の中で声がしたように思う。
 それは…どこかで聞いたような、懐かしい声だった。




          *        *        




 じゃあねー!と父親の腕に抱かれている美雪が手を振った。
 大介の運転する車の窓から、テレサも手を振り返す……



「ねえ、島さん…」
「ん?」
「……また、会えるわよね」
 美雪ちゃんと?
 ええ、とテレサは無言で頷いた。
「…会えるよ。…まあ、ちょっと先にはなるだろうけど」
「私のこと、忘れないでいてくれるかしら」
「……そうだな。…君の写真、送ってあげたらいいんじゃないか」

 佐渡フィールドパークの建物から漏れる明かりが、林の向こうに隠れて見えなくなる。
「写真」
 それはいいアイデアね、とテレサは微笑んだ。



「もっと早く…色んな人に、君を会わせてあげたかったよ」
 ——時間がなくて、ごめんな。
 運転する島の横顔が、ちょっとだけ俯く。
「…いいえ」
「古代たちとは、ずっと家族ぐるみで付き合って行くつもりだ。また少ししたら、戻って来て会おう。…その頃には、きっと…」
「…………」
 そうね、とテレサも俯いた。



 その頃にはきっと、私たちの赤ちゃんも、一緒よね……



「ほら、港が見えるよ」
 車が丘陵を下り、関東平野を見下ろす場所に差しかかる。なだらかに東京湾へと向かって下る見渡す限りの一帯に、街のイルミネーションが煌めいていた。

「……奇麗…」
「君の次のリクエスト。夜景が奇麗なホテルで食事、だったろ」
 俺の知ってる限りで、一番素敵なホテルを予約しておいたんだよ。
気に入ってくれるといいけど。
 そう言って微笑む大介に、テレサも至福の微笑みを返した。



 あの、荒漠とした星にたった一人で居た頃の事が、テレサの胸に不意に甦る。誰かを愛することはおろか、誰かと微笑み合うことすらこの自分には永久に不可能なこと、と諦めていた、あの時代。
 それに較べたら……今はなんて幸せなのだろう……
 運転している夫の横顔を改めて見つめる。

(……この人と、ここにこうしている…。これだけで、もう何も要らない。何も不安じゃない……何も、悲しいなんて思う必要はないじゃない……)

 思わず、言葉が口をつく——


「島さん、私……とっても幸せです……」




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