RESOLUTION (9)

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(9)


 夕飯のメインディッシュは、魚の煮付け、だった。

 切り身を煮る。まあ、それがまだテレサにとっての精一杯、だった、と言うわけだ。
「でも、美味しいよ」
 うん、ずいぶん上手になった。最初の頃と較べたらなあ…雲泥の差だ。
「まあ…!島さんたら、いつまで経っても褒め方がへたくそね」
「ええ?…あはは、参ったな」
 ハイハイ、うちの奥さんの手料理は世界一だよ。
 …んもう〜!もっと他に言い方はないんですか?



 最初にテレサが作ったのは、肉じゃが…だったと聞いている。母小枝子といっしょに調理実習よろしく台所に立ったはいいが、初っ端から包丁で指を切ったらしい。…らしい、というのは、自分はその様子を又聞きしただけだったからだ。 当時は月に一度、3・4日しか休みが取れず、大介はずっと基地に泊まりきりの生活をしていたのだった。
 懸命に地球での生活に慣れようと、彼女はずいぶん奮闘したに違いない……彼女が過去に住んでいたあの宮殿では、いわゆる家事全般がまるで必要なかったらしいのだ。

 テレザリアムでは食材の供給、調理から盛りつけ、後片付けまでがフル・オートメーションで行われていたらしい……軍艦の設備でさえ、そこまで面倒見は良くない。厨房には生活班が詰めていて、そこには自分たち中枢メンバーには伝わって来ない炊事兵たちの苦労があるものだ。
 それは掃除、洗濯についても同じで、彼女はあの宮殿に閉じこもりながらも案外、快適な生活を送っていたのだろうと推測された。あの場所で彼女がしていた事と言えば、そうした家事労働ではなく、完璧なコンピューターの指示のもと、膨大な情報を学習する事だった。それはあらゆる宇宙の文明、文化、言語や歴史を知り、彼女の持つ驚異的な力を宇宙倫理に照らして正しく使う事、そのための学習だったのだと想像された。

 だから、現在この星で計る事の出来る「知能指数」テストを彼女に施すと、驚くべき数値が出る。…しかし一方、当たり前の生活の技術、といったものが彼女には欠落していた。彼女は、当初「掃除をする」という事の意味すら理解できなかったのだ。
 テレサを地球人として一からしつけたのは、夫の自分ではなく母だった、まるであの古典映画「マイ・フェア・レディ」のように。

 その甲斐あって、今ではテレサは一般的な日本の、家庭の主婦…にまで成長した、といっていい…ただし、いつまで経ってもあまり上手にならないのが料理だったのだが…。



 くすくすと何事か思い出し笑いをしている夫に口を尖らせながら、テレサはキッチンの隅に郵便の到着を知らせるランプが灯ったのを見つけた。
 玄関のポストから、母屋とこちらの別宅に郵便が分別され転送されてくる。ほとんどが通信デバイスを介して行き来するこの時代の郵便だが、紙媒体ももちろん存在した。

「手紙かい?」
「ええ」
 招待状や見舞いなど、紙の書面で行うのが正式とされるものもある。大介もそう思ったのか、キッチンのテーブルから腰を上げた。

 2枚の封筒が、転送ポストに入っている。
 テレサはそのうちの一通を見て、とっさに隠してしまおうかと思ったが、その暇はなかった。
「へえ……友納先生からだ。そっちは」
「……次郎さんから」
「………」
 水色の封筒だ。宛名はいつもの通りテレサ・トリニティ・シマ様。
「久しぶりだな。このところあいつ、手紙を寄越さなかっただろ」
「……ええ」



 俺はこっちを読むから…
 そう笑って、大介は珈琲のカップともう一通の封書を手に、リビングのソファへ移動した。気にならないと言ったらウソになるが、かといって見せてみろ、だなんて言えないからだ。
 テレサは戸惑いつつ、次郎の手紙の封を切る。見慣れた几帳面な文字が、封筒と同じ水色の便箋に奇麗に並んでいた。




 前略 テレサ様 
 このところ毎日いいお天気ですね。体調はどうですか?
 今日は、良い知らせがあります。
 
 移民局では、少し前から事業に参加する医官を防衛軍から募っていました。当初は移民船に乗り組むドクターを募集していたのですが、現在ドクター自体の数がかなり少ないということで、結局「派遣」という条件で中央病院の民間の医師団に協力してもらう事になりました。
 移民先を探してもいないのに、ドクター、だなんて時期尚早かと思うでしょうが、ソフトウエアから準備して行くのが僕のやり方ですから。

 それで、ここからが本題です。

 移民局所有の連絡艇<ホワイトガード>を、緊急医療船として改造し、その惑星間派遣医師団のために提供してもらうことが出来ました。2連炉心型波動エンジンを持つ約3万tの船で、ワープももちろん可能です。移民先と想定される僻地を訪ねる事も、もちろんこの太陽系内も自由に行き来できる。緊急搬送の際には、防衛軍の極秘連絡艇と同じだけの権限がもらえるよう、それも交渉中です。<ホワイトガード>の基地としては、水産省所有のコロニー、エデンを予定しています。(前に、兄貴と桜を見に行ったでしょう?あのスペースコロニーです)
 
 それで、あと問題なのは、<ホワイトガード>のパイロットなんです。パイロットがまだ決まっていない。あなたから、兄貴を説得してくれませんか?

 <ホワイトガード>にはもちろん、長期滞在できる良い設備が載っている。だから、あなたは兄貴と一緒に船に乗っていてもいいし、エデンで暮らしてもいい。兄貴が、その船のパイロットとして乗ってくれる、と承知してくれさえすれば。

 ゆっくりでいいから、ふたりで話し合って返事を下さい。もしも、兄が<ホワイトガード>のパイロットとして乗り組む事を承諾してくれたら、すぐにでも、あなたの監視用生体認識コードを取り外すよう、僕から科学局長官に頼む事が出来ますから。

 それから…この間は、ごめんなさい。反省してます。もう二度としないから、僕を許してください。                                次郎



 その固い文面を、3回、読んだ。
 テレサは先日、次郎が言っていた事を思い出す……
「兄貴に任せていたら、あなたはずっとカゴの中の鳥だ。僕が…あなたを自由にしてあげる」
 
 ——次郎さん……
 
 どう反応していいのか、分からなかった。夫の大介に、何から話したら良いのかも。

 キッチンに突っ立って、半ば茫然としているテレサを大介は見やった。自分が掛けているソファからは、彼女の横顔と肩しか見えない…だが、彼女が次郎の手紙にひどく戸惑っている事は伺える。しかも、あろうことか…テレサは涙ぐんで指先で涙を拭っているではないか。
(あいつ、何を書いて寄越したんだ。テレサ、泣いてるじゃないか!)
 
 自分宛の友納の手紙には、とても喜ばしいことが書いてあったのだが。次郎のやつ……困った野郎だ。


 立ち上がり、キッチンへ足を踏み入れた。

「……テレサ、どうした」
 振り向いたテレサは、涙を改めて掌で拭った。「……次郎さんが」
 あの馬鹿、言葉にならないほどの何を…手紙に書いて来た?!
 見てもいいかい、と問う前に、テレサが次郎の手紙を自分に突き出したので大介は口をつぐむ。
 だが、その手紙を目で追って行くうちに大介の表情から怒りが消えた——
 
 大介宛の、友納の手紙の文面と、次郎の寄越した手紙の文面は、なんとほぼ同じものだったのだ。


「島くん、急な展開だが驚かんでくれ。
 昨日、移民局から惑星間派遣医師団の代表として、スカウトが来た。行く行くは移民船のドクターとして登用されるらしいが、ひとまず民間から私と他数名が派遣医師として指名された。ナースも何名かいる。でな、移民局所有の緊急医療船<ホワイトガード>が我々に無償で提供されると言うんだ、まったく驚きだよ。
 <ホワイトガード>って船は、波動エンジンを積んでいるからワープも可能、つまりは君の腕が必要不可欠、ってことらしい。でかい船だ。緊急時には軍の極秘連絡艇と同権、最優先で患者を診に飛んで行けるって話だ。
 あれだけの装備を持った船を、ヤクザな医者の集団に貸そうっていうんだから、役所も狂気の沙汰だぜ。まあ聞けば色々、上の方の息もかかってるらしいが、俺にはそんなことはどうでもいい。渡りに船、とはこの事だ。
 君の希望通り、<ホワイトガード>のメインパイロットとして来てもらえるよ。ついては、早急に正式な返事をくれ。


 船の医療最前線基地はまだ決まっていないらしいが、移民局の話だと地球ではなく火星と木星の間にある実験コロニーに本拠地を置けるよう水産省と交渉中、だという事だ。それも豪儀な話だよ、あのコロニーなら申し分ない、食料、衣料品、療養環境とも地球上より良いくらいだ。地球からの定期便もあるから医療品にも不便はしないし、その、例の君の連れ合いにも良かろう。防衛軍の方からは、産科専門の医官も付けてくれるという話だ。

 どこのどいつか知らないが、移民局にはずいぶん先見の明のある奴がいたもんだな。えらく便宜を図ってくれてるから、俺も一言礼を言いたいくらいだ。そいつが誰だか分かったら、俺にも教えてくれ。              
                            友納  」



「……次郎のやつ…」
 大介も、そう一言呟くので精一杯だった。
「次郎さんね、…少し前、昼間に一人で、ここへ来たの」

 二通の手紙をキッチンのテ—ブルに置き、掌で折り皺を伸ばしながら。テレサは小さな声でそう言った。
「…僕があなたを自由にして上げる。そう言って……移民局のウェブサイトを見せてくれたわ」
「そうか…」
 
 あの野郎。まだまだ子どもだと思っていたら、いつの間にこんなに成長していたんだろう……。

「…あいつが躍起になって移民事業をやっているわけは、君だったんだな」
「違うわ」
 テレサの瞳が、キッチンテーブルの上に灯るオレンジ色の照明を反射して、濡れたように光る。「…私と、あなたと」そして自分の下腹に手を当てた…「この子のためよ」
 しっかりした口調でそう言ったテレサを、大介はしげしげと見つめた。



 今まで、自分を追い越そうとしている弟の姿を見ても、少しの焦燥も抱いた事はなかった。弟がどれだけ周囲に期待されようが…天才と謳われようが連邦政府各省庁にスカウトされていようが、次郎は大介にとって「兄ちゃん兄ちゃん」とまとわりついてくる可愛い弟に過ぎなかった。
 ところが、気付けばあいつは…真田さんにも、自分にも出来なかった事をやってのけている。その上。あいつはもう、報われないと分かっていても誰かを愛する…それがどういう事か、理解しているのだ。



「いや…。次郎は、…君のためにやってくれているんだよ」
「島さん」
「いいよ、口惜しいけど、多分それが正解なんだ」
 思わず笑みが浮かぶ。
「……友納先生の手紙の件は、次郎には伏せておこう。返事を書いてやりなよ。俺が<ホワイトガード>のパイロットになることを承知した、って」
「……島さん」
 
 大介が緊急医療船のパイロットになり、テレサをエデンへと連れて行ってしまえば、次郎はもうおいそれとテレサには逢えなくなる。それを承知で尚、彼女の幸せだけを願い、次郎は粉骨砕身して来たのだろう。<ホワイトガード>の無償提供は、次郎が移民局にいなければ、実現しない事だったに違いない…

 俺は独断で、友納先生のドクターシップを手伝おうと申し出た…だが、肝心の緊急医療船の当てはなかった。テレサの生体認識用コードを解除してもらうよう真田さんに頼んだけれど、それだっていつになるのかはわからないまま、漠然と準備していただけに過ぎなかった。
 もっとずっと、何年も先の事だと思っていた、……それが。

「…次郎は、本気で君を…好きなんだな」

 ぽつりとそう言った大介を、テレサはじっと見つめた。「…島さん」
「妬いてない、といったら嘘になるけど…それ以上に俺は」

 ——あいつを誇りに思うよ……

「島さん…!」
 参ったなあ、一本取られたよ…と笑う夫の腕を、テレサはぎゅっと抱きしめる。嬉しくて、やっぱり涙があふれてしまう…
「泣き虫」
「だって…」
 涙を拭うテレサの手をどけて、キスをする。
「そういえば、手紙の最後に『二度としませんから許してください』って書いてあったな。あれはどういう意味なんだい?」
「えっ」
 しまった、と涙が引っ込んだ。
「?…なんだよ、俺に言えないような事か」
「えっ……あ…あの……」
「……こいつ。白状させてやる」
「待って、キッチンの片付けが」
「うるさい」
 …もう待たない。

 テレサを半ば抱きかかえると、大介は笑いながらキッチンの照明、リビングの照明を手早く消した。



 さあ、あとは寝室(うえ)でゆっくり聞こう——いいね?




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