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すみません、真田さん……次郎のやつ。
もう何度目になるだろう。またしても溜め息と共にそう謝る島大介に、真田は苦笑した。
「まあ、仕方がないさ。彼は近年稀に見る人材だ…自分の進路くらい自分で決めさせてやろうじゃないか」
真田志郎率いる地球連邦宇宙科学局にスカウトされている、という事実がどれだけ名誉なことなのか。次郎もまさか知らないはずはなかろうに、涼しい顔でそれを一蹴、である…。
真田は、くるりと眼を回して1・2秒思案し、微笑んだ……
(消去法で考えると、だな。次郎くんが移民をやりたがっている理由は一つしかないんだが。…俺の思い過ごしかな…?)
「さて、それじゃあ」
そろそろここの目玉商品をお前に披露しようか。
真田は今までいじっていた異星人監視用システムコントローラーを離れると、島を手招きして廊下へと出た。
真田のラボは、防衛軍基地に設置されていた頃から常に、科学局の最深部に位置している。館内には無論幾つかのエレベーターがあるが、最深部から直通で機密部署にまで通じているのはここだけだ。宇宙連邦科学局の最上階に位置するのが宇宙セクション……地球連邦宇宙科学局の心臓部であった。
「やあ、こいつはすごいな…!」
島の胸元の通行証が、入口ゲートの赤外線スキャナに反応して一瞬だけ光った。それに気をとられた次の瞬間、内壁いっぱいに投影される座標図が島の目を射る。
全方位型パノラマスクリーンを使用した天球図——!
科学局の建物全体がフェーズドアレイ型の巨大レーダーアンテナとなっており、それが月面及び火星基地ほか主な地球防衛軍の内外惑星基地からの観測結果を捉え、このスクリーンに細密な銀河緯度・経度を表示するようになっているのだった。
「地球人類は常に前進している」
真田は島の呆気にとられたような表情を面白そうに横目で見ながら、そう言った…「ヤマトにこれだけの観測システムを載せることができたら、イスカンダルへの旅ももっとずっと楽に出来たろうに、と思ったんだろう?……だが、残念ながらこれは、ガルマン星からの技術提供があってこそ成り立ったシステムなのだよ」
俺たちがヤマトでの航海に駆使して来た技術も、飛ぶように過去のものとなりつつある…複雑な思いが、島の表情に浮かぶ。
(退役した途端に、進歩からは取り残された。……口惜しいか…?)
だが、島は改めて室内いっぱいに広がるマルチスクリーンを見回し、微笑んだ。
「……これは無人機動艦隊の基地にも設置される予定ですね?」
「その通りだ。お前が退役した翌月に、規模は小さいが同じものが月面基地及び火星基地、木星基地に配備されたはずだよ」
「そうですか…心強いです。これだけのシステムがあれば、無人機動艦隊の動きもさらによくなりますからね」
目を細め、最新鋭機能満載の観測及び通信システムの配備を喜ぶ島の顔は、いまだに司令官のそれだった…
無人機動艦隊が有人艦隊と同程度、否それ以上の機動をこなすこと、有人艦隊の盾となるばかりではなく、有人艦の卓越したパートナーとして機能すること。それが島大介の目標として来た「新たな地球の護り」であった。自分が退役しようと、無人艦隊を託した後進たちにとって必要なものは何でも有り難い。島の表情はそう言っていた。
機能としては旧地球防衛軍司令本部の上を行く、この連邦宇宙科学局だ。規模、設備、どれをとっても現時点での地球最高峰を誇るものばかりである。自分がそのただ中で活躍する事はもはや叶わないが、これらの技術と信頼に足る仲間達がこの先もきっと、地球を護るに違いない。
「…次郎くんにも、この設備を見てもらったんだがねえ」
真田の溜め息に、島は振り向いた。
「この本部を見ても尚、彼は首を縦に振らなかった。協力はしても、移民局からここへ移籍するつもりはない、と言われてしまったよ」
…ふふふ。彼は余程、移民に思い入れがあるんだな。
「すみません。一体どういうわけなんでしょう…俺にもさっぱり分からないんですよ」
「…そうかな。よく考えれば、俺には次郎くんの気持ちがわからなくもない…そりゃもちろん、取り越し苦労だったらそれにこした事はないが」
「は?」
「まあ、兄弟同士、たまには肚を割って話をするんだな、島」
「えっ…?」
呵々として自分に背を向けた真田に、島は呆気にとられるしかなかった。
* * *
(次郎と肚を割って話せ、ったってな……)
兄貴として、あいつのことは大体分かっているつもりだった。移民に関しては真田さんの方が次郎を理解しているようだったのが、どうも解せないが。もちろん、あいつの理解したくない部分、てのがないわけじゃない。ことに、テレサに関しては認めたくない部分は確かにあった……
自分が思いのほか嫉妬深い、ということに気付かされたのは、大介にとってこれが初めてではない……だが、寄りによって、弟に。なんだって11も年下の弟を牽制しなきゃならないんだ。
湾岸のチューブ・ロードを、夕刻のラッシュの中、シティ・セントラルへと戻っている最中だった。
——前方を走るエア・カーとの距離が、不自然に開く……カーナビがやんわりと警告を発する。
<…車間距離ガ開イテイマス。後続車トノ間隔ニ ゴ注意クダサイ>
「ああ、ハイハイ……わかってるよ」
カーナビの音声につい、そう声に出して答え。
大介は真田の言った事を思い出し…「はあ…?」とまた声に出した。
「あいつ… まさか」
だが同時に、(そんなはずがあるか)と不安を打ち消す考えも浮かぶ。仮にも兄弟だろ。なんで次郎がまだテレサに横恋慕してると決めつけるんだ……?どうかしてるぞ、俺…。
一車線しかないチューブ・ロードに苛つく。前方のジャンクションで赤信号だ。
…くそっ。
速度を落とす車列の向こうに、ぼんやりとテレサの姿が浮かんだ……
……そうか。
彼女の、容姿だ。テレサ、君は…ちっとも年をとらない。だからなんだ……
その思いつきは、また彼の気持ちを暗澹とさせた。我知らず強めにブレ—キを踏む。
——俺と、彼女の…寿命の違い。
次郎の馬鹿野郎。……確かに、テレサの見てくれは12年前から変わらないさ。お前が惚れても仕方がないだろうよ。でもな。……お前が50、60になっても、彼女は…おそらくあの姿のままだ。
誤解しやがって……。
* * *
ガレージに車が入って来たことを知らせる電子音がキッチンにも響いた。
(車、ということは……、島さんだわ)
手にしていた紅茶のカップをキッチンテーブルへ無造作に置き、立ち上がる。
日が傾きかけたばかりだった……仕事をしに行ったわけではないから、帰宅が何時でもおかしくはない。今日は真田さんのところへ行く、と彼は言っていたはずだった。
「…お帰りなさい…!」
毎日、彼が帰宅する度に玄関、もしくはその外まで慌てて迎えに出るのは可笑しいかしら、と思わなくもない。彼もその都度「なんだい、どうしたんだよ…」と笑う。でも、嬉しいんだから…仕方がないじゃない…?
「テレサ」
ところが、玄関を入って来た大介は、今日はどこか違っていた。テレサの顔を見てバツの悪そうな顔をし、次いで…小さく溜め息を吐くと、突然両腕を広げて彼女を抱きしめたのだ。
「…島さん?」
どうしたの?
靴を履いたまま三和土から上がるでもなく。自分をきつく抱きしめている夫に、テレサは笑った。「どうしたんですか、あなた…?」
「……いや」
自分の顔を見上げた夫の表情は複雑だ。
なおもバツが悪いといった顔で大介は腕を放し、靴を脱いだ。
「…あのさ…。次郎のやつ、今日はこっちに来たかい…?」
「次郎さん?…いいえ?」
テレサの頭には、少し前の出来事が浮かんだ。
次郎は大学の寮にいるから、今は滅多にこの家にはやって来ない…ただ、地球連邦大学も各省庁もこのメガロポリス地区内にあるのだから、彼がここに立ち寄るとしてもそれはちっとも不思議な事ではない。
でも…。
あの時次郎さんは何も言わなかったけど、思い詰めた表情で私を抱きしめた…その上、キスを…。
大介には何も言うまいと心に決めたテレサだったが、さすがに僅かばかり動揺する。
「…そうか」
大介はちょっと安心したようにそう言った。「テレサ…、あのね…」
リビングに入りながら、口籠る。
「……あれ?なんだい…これ」
何事か言おうと戸惑っていた夫が、急に足を止めた。ソファの隣に置いてある、小さなタンスを見つけたのだ。
「ああ、それ……」
今日、お母様と雪さんがいらしてね。ほら。
小さな衣類、布の玩具。
テレサが引き出してみせたこまごまとしたものを、大介もしゃがんで覗き込んだ。
「……買って来てくださったの。私のお洋服と一緒に」……妊婦さん用、なんですって。ほら…見て?
リビングの隅にかけてあるハンガーに、3着のマタニティウエア。
「母さんと、雪が…」
大介は、頭を掻いた。
…そうだよな。君と、俺は、夫婦だ。君のお腹には、俺の子どもがいる。次郎が君に惚れていたって、それは…無駄ってもんだ。…違うか?
「……島さん…?」
何か言おうとして、また口籠った大介にテレサは抱きしめられる。さっきとは違う、なんだか温かい…優しい抱きしめ方。
「ねえどうしたの、…あなた…?」
「…何か理由がないと、抱きしめちゃいけない?」
「うふふ」ううん、と首を振る。無性に嬉しくなった。テレサはだから、自ら夫の首に腕を回してぎゅっと力を入れる。
「……俺のこと、好きか?」
「ええ」
「…俺は…君よりずっと早く老けてしまうけど、それでも」
「島さん」
それは。お願い、言わない約束でしょう…?
「私はずっと…永遠に、あなただけのものよ…」
「…ごめん。分かってる…俺も、君を愛してる」
こんな風に言うのは、実はひどく恥ずかしい。けれど、言わなければ通じない。言わずに時が過ぎてしまえば、必ず後悔するのだ。ふたりで過ごせる時間が一分一秒でも惜しいのは、テレサも同じだった。
(あなたがおじいさんになっても、私を残していなくなってしまっても。私はあなたを…あなただけを、ずっと愛し続けます。約束したじゃありませんか…)
大介が、自分の言葉に震える溜め息を吐いたのが分かる…
キスをしたら。——あなたの不安は、和らぐのかしら……?
私の不安が、あなたのキスで和らぐように…。
まるで心が通じているかのように、腕を緩めたテレサの唇にキスが届く——「こんなことばっかりしているのは…嫌かい?」
ううん、と首を振る。
「…でも待って」
——ここはリビングだし、あなた、まだ手も洗ってないでしょう?
私、まだお夕飯の用意もしていないし……
リビングのセンターラグの上に座り込んだふたりは、思わず顔を見合わせて笑った。
「…わかった。じゃ、一緒に夕飯の支度をしよう。…今日は何を作るつもりだった?」
「お魚」
「魚〜?」
焼くの?煮るの?切り身…?第一、魚、料理できるようになったの?
んもう、ええとね……
悩みに押しつぶされてしまうのは簡単だ。
それに支配されて、笑えなくなるとしたら……それこそ時間が無駄じゃないか。
ふたりは並んでキッチンへ入る…ごく当たり前の幸せを当たり前に過ごそう。真田の言っていた、次郎が移民をやりたがる理由については。またしばらく保留…でいい。
だがその晩、大介は思いがけず、その理由をテレサの口からきくことになったのである——
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