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(……あーあ…、言いそびれちゃったな…)
雪は、島家をいとまして再び防衛軍中央病院へと戻って来ていた。実は、雪はもうしばらくするとテレサの主治医として島家に行く事ができなくなるのだった。当然、主治医も別の人に代わる事になる。その事を、本当は伝えるつもりだったのだが…。
(でも、友納先生だなんて。納得してもらえるかしら…)
佐渡先生から直々に申し送りがあったわけだし、友納先生は元々島くんの主治医だ。彼ならテレサのことを知らないわけではないが…
友納の、むさいごま塩のライオン頭を思い浮べ、苦笑を溜め息と共に吐き出した。
(本当は私が、ずっと面倒見てあげられたら良いんだけど、そうもいかないわ……)
再び溜め息を吐きながら、ベルトウェイをとぼとぼと歩いた。
向かう先は、特別治療室である——その部屋の患者は、雪にとっては気の重い相手だった。
ICUと書かれたプレートが小さく配置された白いドアをくぐる。病室の手前にある小さな待合室に、今日も険しい顔つきの患者の親族たちが集まっていた。
「古代雪です。……お見舞い、お疲れさまです」
勤めて笑顔で会釈する。
しかし、相手は誰も、険しい表情を崩すことはなかった。しかも、その小さな部屋のソファにかけている者の誰も、雪の挨拶に返事をしようともしない。
「…失礼します」
敵意剥き出しの顔の中を、いたたまれぬ思いで通り抜け。雪はICUの扉をくぐった。
「ああ、古代さん…」
規則的な機械音が数種類輪唱するように響く室内。奥から白衣の男性医師が一人近づいてきて、ペコリと頭を下げる。「…入って来る時、嫌な思いされたでしょう。……今日は患者さんの実のご兄弟がいらしてたんですよ…」
「そう……」
実の…ご兄弟。
それは、無理もないわね……
この部屋には、2203年からずっと意識の戻らない元防衛軍戦士が眠っていた。
菅沼芳明、元地球防衛軍中尉。
乗務していたのは、防空駆逐艦<磯風>——
それは……
2203年のディンギル戦役の際、もっとも防衛軍の損失の大きかった冥王星会戦での出来事だった。ヤマトを援護するため、月面基地から最後の残存艦隊8隻が出撃した。
艦籍番号324番<磯風>、315番<涼風>、603番<朝霜>、117番<浜風>、501番<雪風>、そして<霞>、<初霜>…そして333番<冬月>。
<冬月>を除く7隻は、ディンギル軍のハイパー放射ミサイルからヤマトを守るため、自らそのミサイルの弾道上へ艦を進めて盾となり、轟沈した。
菅沼中尉を始め、数十名がその無惨な空間で辛くも生き延び、<冬月>に収容されのちに地球へと生還するに至ったが、そのほとんどが今もこうして生死の境をさまよいつつ、機械的に生かされているのだった。
残った<冬月>は艦内にトリチウムを満載し、当時最新開発の自律航法A.I.システム<アルゴノーツ>による遠隔操作でアクエリアスの水柱内にて自爆。地球へと降り注ぐ怒濤の水柱を断ち切り、今も月軌道上に輝くアクエリアス氷塊の中に眠っている。
それは、艦長古代進率いる宇宙戦艦ヤマトの、輝かしい勝利に終った闘い…であったはず、だった。だが、その陰に、犠牲となった僚艦に乗り組んでいた、無数の戦士たちがいる。
2203年の戦いは終わり、あれから10年。ヤマトのもたらした勝利と、地球の平和は確固たるものになったかに見えた。だが、犠牲になった戦士たちの遺族らにとっては、いまだ終わりの見えない闘いが続いていたのだ。
当初数十名であった生還者たちの死亡が次々と伝えられるにつれ、遺族感情は次第に抑え難いものに変わって行った。
「ヤマトがなぜ、生きて戻って来るのか」
「私の父は…息子たちは、なぜヤマトの犠牲にならなければならなかったのか!」
「犠牲者たちよ、目を覚ませ!弾劾されるべきはヤマトではないのか!?」
地球の存亡を賭け、一縷の望みとしてヤマトを活かす。そう判断して<磯風>ほか6隻の乗組員たちは、自ら決してハイパー放射ミサイルの盾となった。当初その武勇伝はもちろん防衛軍本部を通して伝えられ、誰もがその自己犠牲の精神に涙し、各々の艦長の英断と勇気に拍手喝采を送ったのだ。
だが、それに納得できない、と再調査を求める遺族が現れた。
「彼らは、艦長命令で無理矢理殺されたのだ!」
「ヤマトを守るために、なぜ有人艦が盾にならなくてはならなかったのか。その真相の究明を!」
非難の矛先は、ヤマト艦長としての古代進にも向けられた。
「防空駆逐艦は、ヤマトの盾だったのか。古代艦長は、彼らに何を命じたのか」
「盾となるよう命じたのでなければ、こんな悲劇は起こらなかった」
「古代艦長は道義的責任を取るべきではないのか」
もちろん、世論のほとんどはそれが悲しみ紛れの屁理屈だ…と評した。個々の艦の艦長自ら、決意表明を打電しての特攻だったということは明らかな事実であったし、防衛軍本部の通信記録にもそれは残されていた。艦長の決定は艦員全員の決定である。そのことに異論の余地はない。
だが、それにも疑問を差し挟む遺族が現れ始めた。時間にして数分の間に、80人以上の乗組員が全員、心を決める事は不可能だったのではないか。全員一致での決意表明などではなく、艦長と副長など一握りの上層部の独断による特攻だったのではないか。真相は一体、どのようなものだったのか……
「ヤマトはそれを拒否するべきだった!」
「我々の息子たち、父や兄たちはヤマトに殺されたのだ」
数年の間に、また幾人かの生存者が死亡し…。
ついに数日前、数百人に膨れ上がった遺族会と数十の後援団体から、連邦政府及び防衛軍幹部に対する政治的・道義的責任を追求する訴訟が起こされた。また、当時のヤマト艦長「古代進」に対しても、被告当事者として同様の訴えが起こされようとしているのである——
雪は、退役した島にはその件を知らせるつもりはなかった。ヤマト副長の座を退いてもう数年になる真田志郎にも、自分たちの口から知らせる必要はないだろう、と進と2人で決めた。……もちろん、自分たちが黙っていようが、遅かれ早かれ、電子ニューズ・ウィークにこの件は取り上げられ、旧知の仲間達に知れ渡る事にはなるのだろう。
現時点で、当時ヤマトの第一艦橋に勤務していた人間は艦長の古代一人である。相原は藤堂の家に婿入りして防衛軍本部にいるし、南部も実家の大企業を継ぎ今はアメリカ自治州に住んでいた。山崎は輸送勤務で遠い宇宙に、また太田と徳川も無人艦隊を率いて月面基地に飛んでいる……。
昔の仲間達に、万が一にも同じ頸木(くびき)を負わせることはできない…
責められるのは、俺一人でたくさんだ。
いずれにしろ、そのうちこの騒ぎも収まるさ。
進はそう言って笑ったが、雪は言い様のない不安に駆られた。
遺族会の存在はずいぶん前から知っていたし、それが存在することには何の異論もない。でも、古代くんは悪くない、盾になってくれと頼んだのは古代君じゃない……。
しかし、「彼らは勝手に盾になって死んで行っただけだ」と言葉にするのは許されない事だった。現場を見ていない親族・遺族らにとって、何が真実なのかは知る由もないからである。
「菅沼さんの容態は…どう?」
雪の問いに、今まで付き添っていた本間医師は暗い表情でかぶりを振った。
青白い顔の若い中尉は、パッと見、死んでいるように見えた。時折胸が上下するのは、人工呼吸器で肺に酸素が送られているためである。ヒゲや爪も伸びるし、排泄もある……だが、おそらく彼は、呼吸器を外せば数分と経たずに帰らぬ人となる身体であった。
(……テレサに連れられて還って来たときの島くんみたい…)
菅沼の白い頬を見ていると、ついそう思ってしまう。
島大介は、テレサの身体から輸血を受け、驚くべき回復力で甦った。
2203年のディンギル戦役の際も、彼は瀕死の重傷を負って仮死状態のまま帰還したが、その時にも彼の体内の異質のDNAがその生命を守ったのだった。
だが、島以外の負傷者にはそんな僥倖は期待できなかった……地球の医学はまだ、瀕死の患者に対しそこまでの回復を与えることはできない。
遺族会が支援しているディンギル戦役の生還者は、この菅沼を含めて残るところあと5人、に減少していた。
しかし、もしも菅沼を蘇生させる事が出来れば、事態は好転するに違いない。そう信じてずっと自ら治療チームに加わって来た雪であるが、彼の容態は決して芳しくはなかった。
「本間さん、休憩取って下さいな。…後は私が代わりますから…」
男性医師にそう言って、雪は菅沼の枕元のスツールにそっと腰かける。
本間と呼ばれた医師は、済まなさそうにちょこっと頭を下げ、ICUを後にした。
(お願い、どうか……回復して……)
呼吸器と、無数の管に繋がれた若い戦士。雪はその痩せ細った右手を取り、両手で握った。
菅沼芳明中尉のためではなく。
夫、古代進のために…。
そう願ってしまう自分に、幾許かの嫌悪感。だが、雪がそう思ってしまう事を、一体誰が責められようか……。
夫の進と、この菅沼中尉の治療に関わる自分とが、これ以上島の家族に接触するのは拙い。雪がテレサの主治医を辞し、しばらくはあの家に足を運ぶ事を止めよう、と決めたのはそんな理由からだった。
島大介も当時、僚艦を盾に生き延びたヤマトの副長だったからだ。ようやくテレサとの幸せな生活を始めた彼には、余計な心配をかけたくない…
真田や他の仲間達に対するのと同様、いやそれ以上に、進は島に対して自分の置かれている危機的状況を知らせることを拒否した。
『この件は…俺が一人で引き受ける。ヤマトの艦長は俺だ。他の皆は、俺の決定に従ったまでだ』
ハイパー放射ミサイルの弾道に艦を進めたのは<磯風>ほか各艦の艦長の決断である。古代ヤマト艦長は、目の前で彼らが盾となり散って行くのをただ悲痛な思いで見守るしか術がなかった。
無論、「ヤマトから僚艦へ、盾となるよう指示があった」という事実はない…が、今問題となっているのは、ヤマト艦長古代進から僚艦各艦へ「盾となることを拒否する申し出がなかった」という点なのだ。自分以外の、例えば副長の真田、島と言った乗組員の証言を引き合いに出す事ももちろん出来る…だが、進はそれを良しとはしなかった。
被害感情に支配されている遺族は、いくらこちら側の証言者を引き合いに出そうと納得するとは思えない。菅沼のような生存者の口から、”すべてはヤマトのせいではなく自分たちの決断による自主的な行動だったのだ”と改めて証明されるのでなければ、遺族感情は収まらない……。
そう知って、古代は申し開きをする事を諦めた。
交信記録も何も、残ってはいないのだ。
当時、一言でも自分が相原に命じて「思いとどまってください」と各防空駆逐艦に打電していれば。あっけなく散って行く僚艦を皆で阿呆のように見送ったのでなければ。
後悔の念は抱けど、それは虚しく空回りするばかりである……
ただ少なくとも、この責任を負うのは自分一人でいい。
真田さん、島、相原や南部、太田、山崎さん…そして雪。自分以外の誰の責任でもないのだ。
進はそう言って、次の護衛任務に笑って出掛けて行った。
帰還すれば、初公判の法廷が彼を待っている。
(進さん。…あなたが一人で何もかも背負い込もうとしているのはわかる。でも、…私は……私たちは、夫婦なのよ?あなたが闘おうとしている戦いを、私も一緒に戦うわ。いつでも、どこまでも…私たちは一緒、そう誓ったじゃない……)
雪がそっと握っている菅沼の手の甲に、ぽたりと涙が落ちた。
進の顔だけでなく、保育所で雪の帰りを待っている、愛しい守と美雪の顔が目に浮かぶ。つい先刻、テレサに対してふと感じた事を思い出した… (あなたももうお母さんなんだから、しっかりしなくちゃ)そう言いかけて、自分はそれを、思いとどまった。
(私だって、2人の子どもの母親だわ。こんな風に悲嘆に暮れている場合じゃないのよ、強くならなければ)
……でも。
悲しい事、辛い事…母親だからって、それを乗り越えられるとは限らない。人間はそんなに強くない。…泣いたっていいのよ、って私、テレサに言ったはずじゃないの………
けれど、今の自分には肩を抱いて慰めてくれる人も、一緒に泣いてくれる人も居ない……。
——仕方なく、雪はまた菅沼の青白い手を握りしめる。
菅沼さん、ごめんなさい…
これはあなたのための涙じゃない……赦してください。
虫が良過ぎるお願いだけど、どうか…甦って。
私と、進さん、そして私たちの愛する息子、娘のために——
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