RESOLUTION (5)

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(5)

 移民局は、諸手を上げて島次郎を歓迎している。末は科学局長官か連邦大学学長かと言われている彼が、進んで入りたい、と言っているというのだから。


 そもそも地球連邦宇宙移民局という省庁は、2202年の太陽プロミネンスの異常増進事件の折りに連邦大統領命令で急遽設置されたものだった。地球人類を短絡に地球外へ逃がすという名目で急ごしらえされたものだったため、それはごくお粗末で、正式に稼働したのはその2202年と、翌年のディンギル戦役での2回きり。
 しかも正直なところ、その稼働内容は既存の貨物船を改造流用し、その航続可能な限界距離、地球から約1万5千光年以内に地球市民を移送することのみであった。
 移住可能な惑星の探索は防衛軍の特務艦<ヤマト>に一任され、護衛艦隊は地球防衛軍が専任。移民局の成したことと言えば、地球でパニックに陥る市民の治安維持と統率(それも専ら警察機構が肩代わりしていた)、そして移民船への搭乗の管理…程度のものだったのだ。

 それが、まだ学生の島次郎を迎えてからの事業内容は、一変した…といっても過言ではなかった。

 移民局を率いているのは、元地球連邦大学学長サイモン教授である。だが、かつて大学を解雇された老齢の教授にはスーパーバイザーとしての才覚はあれど、実質局を動かせるほどの人脈はすでに無かった。島次郎はサイモン教授の指示に基づき、手始めに揚羽造船に勤める幼なじみの一流造船デザイナーを招聘し、大型移民船のデザインを依頼した。サッカーのユニバーサル・リーグで築いた人脈を元に、宇宙商船大学の協力を瞬く間に取り付けた……来年度からの学生たちの訓練航海において、地球から3万光年までの距離を任意踏査するよう、学長を説き伏せたのである。



 島大介の弟、科学局長官真田志郎の愛弟子。
 その七光りを嫌というだけ利用していやがる。

 勢い、そんな心ない陰口も飛び交う。
 だが、次郎自身が、そんな陰口には耳を貸さなかった。
 悪口を言いたいヤツには、好きなだけ言わせておけばいいんじゃねーの?



 実質を見れば、それが単なる七光りに胡座をかいただけの物か、そうでないかは明らかだったからだ。彼の企画提案にはまるで無駄がなく、各団体が協賛することで互いに利潤が上がるよう見事に算段されている。揚羽造船は2202年以降に失墜した会社の飛躍的イメージアップを、宇宙商船大学は次年度受験生の大幅増加を見込まれる形となる…加えて次郎自身の類まれな才気と、気負わない朗らかな人柄。それが関係する者すべてを魅了していたと言って良い。
 形ばかりの存在だった移民局の外交官らは、異星人との移民交渉のノウハウを入念に学び直し、そのためのカリキュラムを一から作り直している真っ最中だ。そのために、ガルマン・ガミラス交易回廊を管理する防衛軍司令部へも直通のホットラインが引かれたほどである。
 数年前まで官公庁全体から見ると否応なく島流しの感が否めなかった地球連邦宇宙移民局は、今では最も活発に連邦国家予算を運用する省庁の一つに成り上がったと言えよう——
 
 名目は、表向きは…「地球人類の存続のため」。

 もちろん、地球には堅固な戦闘艦隊がある。最新鋭艦ブルーノアの率いる第1地球防衛艦隊を始め、第3艦隊旗艦にはヤマトが、そして多数の新鋭艦隊が盤石の守りを固めている。かつてガミラス、白色彗星、暗黒星団帝星、ディンギル星からの侵略を生き延びた教訓を元に、地球の護りはさらに強固なものとなった……これ以上、一体何が地球人類を脅かすと言うのだろう?
 ただし…だからといって、その安全と信頼の上に怠惰な胡座をかき続けるのは愚の骨頂、次郎だけでなくそれは藤堂防衛軍総司令長官、また真田志郎科学局長官の意志でもあった。そのため、その堅固な守りの他に、「手段として」移民事業が生きた形で存在する必要があるのだ。

 だが、次郎が移民事業に傾倒する本当の目的は、「地球人類の存続のため」…ばかりではなかった。

 テレサを、自由にしてやりたい。

 それが、彼の原動力となっていたのだ。地球と同じ環境をそのまま、テレサのためにどこか他所の星へ移す。異星人が居るのが当たり前の環境に設えられた、彼女にとって安全な、新たな<地球>…。そこでなら、彼女はきっと、のびのびと生きることが出来る——




「……石頭の兄貴は、何て言うか分からないけどね。兄貴と一緒に、テレサが自由になれる日が…もうすぐ来るよ」
 そう呟きながら、デスクの傍から駆け寄って彼女を抱きしめたいと思った。…思っただけで、その思いは右手の拳に握りつぶし。次郎は穏やかに笑った。
「あいつ、テレサが妊娠してるからだめだ、って言うかもしれないけど…それは俺だって考えてるさ。水産省のコロニーにも事業協力を要請しているから、まずはそこへ引っ越したらいい。あそこへは一度桜を見に兄貴と行ったことがあるだろ?お袋がうるさかったら、一緒に連れて行けばいいんだ」
 兄嫁が、両手の甲で少女のように涙を拭うのを横目で見た。

 ……ああ、可愛いなあ。

 次いで、彼女が洟を啜りながらこちらへ2歩、来ようとしたので次郎は端末を急いでシャットダウンする。

(テレサ、こっちへ来るな…)
「……半年だ。半年、待ってくれたら…」俯いて、そう早口で。
(こっちへ来るなったら。俺、あなたを)
 ……思わず抱きしめてしまいそうだ、と次郎は恐れた……。

「次郎さん…」
 胸がいっぱいよ…、と言いたげに。
 テレサが次郎の名を呼んだ。
 あの、溜め息のような奇麗な声で。


 かつて、初めて聞いたこの声に次郎はいっぺんで恋に落ちた、と言っても良かった。それは兄の持っていたヤマトのブラックボックスの記録に残された声。トップシークレットとして、門外不出のはずのデータだったが、真田がヤマトから極秘裏に持ち出して複製し、相原がクリーニングして保存していたという幻の記録、そこに残されていたテレサの、声…。



 島さん……



 兄に返しそびれたあのブラックボックスのデータを、夜…独りで何度か聴いた。あの「島さん」という声には、溢れんばかりの愛情が感じられた。
 俺だって、島さん、なんだぞ…。
 なのに……あの声が。…この人が呼んでいたのは、兄貴で。
 その同じ声色で、この人は。
 こんなに愛し気に「次郎さん」と言う……


(……島大介の弟。…俺は…今ほど、それを恨めしく思ったことは…)

 今ほどそれを残酷だと思ったことは、かつて…一度もなかったよ……


「ありがとう……でもお願いね?あまり無茶をしないで…」
 テレサはそう言って、硬直している次郎の手を取って、そっと握った。
「……あ」
 その手を次郎がぎゅ、と握り返したかと思った刹那。
 ぐいとその胸に抱きしめられる。
「…次郎さん」
 テレサは次郎を、とても愛しく思う。温かくて、広い胸。島さんとそっくりな、低くて…優しい声。大切な、私たちの…弟。
「ありがとう…」
 自分の腰に、そっと回される兄嫁の手。優しく包み込むように、テレサは次郎の抱擁に応えた。島さんがいなくても、次郎さんが私の涙を拭ってくれる……。



 次郎は、きゅっと瞑っていた目を、開いた。

 思わず募る恋心をぶつけたつもりだった。
 でも、…それは、…やはり伝わってはいないのだ。

 目の前に、金色の更紗のような流れる髪。このまま、押し倒してしまえば伝わるのか…?唇を奪ってしまえば…?
 俺が、あなたを…こんなに好きだってことが……!



 あろうことか、自分の背中へ回されたテレサの手が、優しく後頭部から背中を撫でた。息が苦しい……
「…待っているわ。次郎さんが、私たちを自由にしてくれる日を」


 
 私たち。
 
 腕の中の愛しい人が、はっきりと自分のものでないことを次郎は思い知る。そう、今さらながら。
(私たち…か。兄貴と、あなたと。そして…あなたたちの子ども)
 無理矢理、笑顔を作った。
 離したくなかったが、仕方ない。テレサをそっと腕から離すと、次郎は微かに笑った。
 任せておけよ。
 …そう、言うつもりだった。
 それが。

「テレサ…」
「次郎さ」

 ほんのちょっとだけ。逃げないで…お願いだから。
 しかし、唇が触れ合った途端、次郎は猛烈な後悔の念に苛まれた……
「いや…」
 物凄く驚いたのだろう、テレサはその大きな瞳をさらに大きく見開いた。その表情に僅かに軽蔑の念が含まれているように感じ、次郎は酷く恥じ入った……
「…ごめん」
 
 ——乱暴だと思うほど慌ててテレサを離し。
 次郎は書斎を飛び出したのだった。




   *       *      *




水色の封筒に入った手紙がぱったり来なくなったのは、その直後からだった。

(…次郎さん)
 テレサは書斎のデスクに頬杖をつく。
 幾度か、このことを夫の大介に言った方がいいのかとも考えた…だが、彼は笑ってやり過ごしてくれるだろうか。…そう考えると、分からなかった。
 
 自分の気持ちは至極はっきりしている。
 次郎さんは、島さんの弟。
 私にとっても、初めて出来た大切な家族のひとり。…だから、あるがままを伝えても私たちは何も変わらないはず…。

 しかし、次郎の態度は過去の記憶を彷彿とさせた……まだ自分が、他の星で蘇生治療を受けていたあの頃、思いを寄せてくれた異星人医師のこと。
 自分を想ってくれる人がいることは、ひどく嬉しい。でも、やはりかつてと同じように、私はその想いには応えられない。

 黙っているのは、心苦しいけれど…。
 でも、前と同じように。
 島さんには、何も言わないでいるのがいいのかもしれない。私からの手紙は、変わらず…出しましょう。だって。
(次郎さん、あなたは大切な…私の、私たちの家族なのですもの)



 だが、次郎の水色の封筒を前にして、返事をどう書いたものか、とテレサは途方に暮れるのだった。

 


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