<約束>=2=

=2= 



 10日ほどが過ぎ。野戦病院と化していた地上補給施設からは簡易ベッドが次々と消えていった。地上では基地の拡充工事が再開され、ポセイドンの修復作業も滞りなく進んでいる。コスモファルコン隊も上空で再び飛行訓練を開始した。一部重症患者を残し、地下の病室はほぼ、その本来の用途のために姿を変えていった。 
 
 司花倫は、分離したラムダのマニュアル航行を日に一度行っていた……ディーバ1903の衛星軌道をパトロールするという名目であった。

 この星の大気は地球よりやや薄く、大気圏離脱にかかる時間はかなり短縮される。ガルマン星で負傷し、そののちまた先の戦闘で負傷したにもかかわらず彼女がこの任務に就けるのは、そうした事情も手伝ってのことだった。
 汎用小型コスモクリーナーDの稼働により放射能除去の済んだ艦内では今、通常の輸送艦と同様、艦橋が機能している。



「……衛星ジリアンの軌道まで、あと3分」
「メインエンジン、出力80%微調整、1分後にフルバーナーで再噴射」
「航海長、そんなに出力上げんでも」
「…だめ?」
 ラムダの艦橋には、操舵の司、機関の渋谷、そして観測の赤石だけがいた。
「だめ?って…あんた」
 渋谷が呆れた、というように制御パネルから顔を上げた。「…そりゃあまあ。…あんたがそうしたいって言うんなら」
 いいでしょ?というように口を尖らせ、司がこちらを振り返っている。
「……エンジンの煤が全部奇麗に飛んでなくなるな」
 はは、と渋谷は笑った。


 あんたが航ばすと、戦闘機でも戦艦でも……どういう訳か皆機関の機嫌が良くなるんだな。波動エンジンの性能をこれほど良く心得ている操縦士は、そういない。…そう考え、にやりとする。
 しかも。
 次世代新型スーパーチャージャーとの相性がこれほどいいパイロットも珍しい…そう、理屈じゃないな。相性なんだろう……



「なあに?何で笑ってるの、機関長?」
 司がこちらを振り向いたまま、上昇中の操舵席からそう言った。
「いや…島艦長もどえらいパイロットだが、あんたはまた格別だ。…わしゃ、あんたと旅が出来て良かったよ、航海長」
「はあ?やだ〜、なに改まっちゃって?おだてても何も出ませんよ」
「はっはっは…」
 
 つられて赤石も笑った。
「あと2分よ」
 ディーバの、いわば月……ジリアンという名の小さな衛星が遠目に見えて来る。
「ジリアンの内側から、軌道に乗ってください、航海長?」
「了解!機関長、最大噴射ラスト30秒、よろしくね!」
「はいよ!」

 嬉々として、手動でこの巨大な艦を操るこの小柄な操縦士は、まことに残念ながら……失恋したばかりである。赤石は司の後頭部が見え隠れする操舵席の座席の背を、目を細めて眺めた。
(……どういうワケか、私は…片品先輩と落ち着いちゃったけど。…司さん。…あなたは……)
 いくらなんでも、相手が悪かったわよね……。
 

 沖田十三の元で旧地球防衛軍の戦士として出撃したこともある赤石にとって、あの白色彗星を押しとどめた不思議な力の件は記憶に鮮明だった。トップシークレット、として扱われてはいても、軍の中枢部にいる者にはあらかたその概要は伝わるものである…
 司さん。あなたの恋していた島艦長の恋人は——
 …あの、テレザートのテレサ、だったのだから……。

 



 ラムダはジリアン衛星軌道に乗った。
 しばしの、慣性飛行。自律航法システム<アルゴノーツ>に艦の制御を任せ、全方位自動観測を行う。その間、3人は思い思いにコーヒータイム、である。

 渋谷が機関室へ姿を消した後の艦橋で。女二人、羽を伸ばす。
「司さん、…毎日、大変じゃない…?」
「ん?」
 何が?
「…これ(パトロール)よ」
「え?……別に〜?」
 操縦席のコンソールパネルの上によじ上り、司は膝を抱えて宇宙(そら)を眺めていた。
 厚さ120センチの純度99%硬化テクタイトの向こうの宇宙(そら)は、ガラス質の岩石を多量に含む衛星ジリアンのおかげで仄明るい。
 眼下には、ディーバの輪郭が大きく望める……
「……だって、下にいたくないんだもん」
「……そっか」
 
 訳知り顔にそう呟いた赤石を、司はちらりと振り返った。
「出て来るとき、一緒にいたわね…艦長と、…あの人。…歩く練習、してたみたいよ」
 赤石はそう言うと俯いて、右手の爪を見つめた。
 マニキュアが剥がれて来てる。…塗り直さなくちゃ。
 司はまた宇宙に視線を戻す。
「……そう。良かった。なんか、今にも死んじゃいそうだったからなぁ、彼女」
 抱えた膝に額を付け。そう独り言のように呟いた。
 うん、元気になって良かった!
 艦長と一緒に、リハビリ。……うん、いい傾向。


 艦長を二度と離しちゃだめだよ!?

 あたしは、テレサにそう言った。…そう言ったんだもん。
 テレサ、今度艦長を離れたりしたら、ただじゃおかないんだからね。
 艦長も。テレサを…死んでも離さないで。
 ふたりとも、ずっとくっ付いてなかったら…あたしが承知しないんだから。

「……うん、よし!!」


 
 赤石は、そう言って司が今度は顔を勢いよく上げるのを、ただ黙って見ていた。

 ラムダは高度17万キロのジリアン軌道を滑るように航行していく。眼下にディーバの大気が醸す、薄い雲の層がたなびいていた。


               * * *



「そろそろ休もうか」
「いいえ…まだ大丈夫です、島さん」

 他に人のいない地上基地の展望ルーム——
 歩行練習をするには打ってつけの手すりが、その内側ぐるりを囲んでいる。完成した地上補給基地の最上階にあるその展望室は、行く行くはこの惑星に駐屯することになる観測員たちの憩いの場になるようにと設えられた、広いサロンでもあった。
 現時点では使用する者もいないこの場所で、テレサは弱り切ってしまった身体を動かす練習をしていたのである。

 艦長としての仕事は山ほどあるが、その大半をカーネルに押しつけ、島は半日以上も行方をくらます。行き先は、彼女とこの場所…である。
 たまに大越あたりがぶーたれながら「艦長はどこです?」と訊いて回っているらしいが、どの部署も自律して稼働している。今は地上にいるのだ。…俺が指揮をする必要もない。カーネルはその都度、俺の居場所を適当に誤摩化してくれているらしい……役に立つ副長だ。

 テレサはポセイドンの艦内服を着ていた。リハビリをするには、結局この服が一番動きやすい。ドレスも素敵だが、身体の線がはっきりと出るシームレスの内着もそれなりに美しく似合っている。


 展望室の透明なドームの縁に沿って設えられた手すりに両手ですがり、一歩ずつ歩を進める彼女の向こうに、ゆっくり移動する星が見える……
 ——いや、太陽光を浴びたラムダだ。
 それはごくゆっくりと動いているように見えるが,実際は時速数百マイルもの速度で翔ぶ、数万tの輸送艦である。このディーバの月の軌道を慣性航行し、外宇宙のパトロールをしているのに違いなかった。



「……司さん…ですね」
 島の心を知ってか知らずか。テレサもその星を見上げて、呟いた。

「いいパイロットだ。あいつの腕は一流だよ」
 手すりに掴まったまま、彼女がこちらを振り向いた。彼女を支えるように並んで歩いていた島の顔を、上目遣いに見上げる。
「……島さんは…司さんを好きだったのですね…?」 
 そう問われたら、きっと躊躇してしまうだろうと思っていたが、島は驚くほど冷静な自分に気がついた。
「………知っていたのか」
「…はい」
「じゃあ、今の俺の気持ちは…分かるかい?」

 そう言って、彼女の両肩をそっと抱き。
 こちらへ振り向かせた。触れ合うだけで理解する力を、君は持っていたから。……でも、今は。
「今は、…以前と同じようには……分かりません…。ESPは…もうないみたいですから」
「…そうか」
 言いながら、彼女を抱きしめる。今の俺の気持ちは、少し前とはもう違う。曇り一つない気持ちを,読み取って欲しい。そう思い、腕の中の彼女の瞳を覗き込んだ。


 ——むせ返ってしまいそうなほど、君だけを想ってる。言葉をいくら紡いでも、到底足りやしないほど。


 見つめ合った瞳に,互いの姿を映しながら…テレサも呟いた。
「…私も…同じです。デスラーの星で、ご恩を受けた方を、…私……愛していると思い込んでいました」
 抱いてくれている彼の腕が、微かに震えたような気がした。だから、もう一度、彼の背中に回した手に力を込める。
「でも、私が愛していたのはずっと、…島さん、あなただけだった…」

 自分でも信じ難いことに、腕の中でぽつり、ぽつりと話すテレサの言葉を聞きながら、島は驚くほど冷静だった。なんだ。…俺たちは…同じだったんじゃないか……。
「…俺も、司を…愛していると思い込んでいた。…いや、実際…あの子はとても良い子だ。仕事のパートナーとしても申し分ない。…でも」
 抱きしめた腕を少し緩め。
 テレサの顔を見下ろし、微笑んだ。
「俺も同じだ。愛していたのはずっと…君ひとりだった」
 その言葉に思わず微笑むテレサが、愛しくてたまらない——だからそのまま唇を寄せる。


 幾度も…幾度も。


 
 ラムダの引く光の航跡がディーバの空に弧を描き、…そして地平線に消えていった——。