「RESOLUTION」(2)

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(2)



 メガロポリス・シティ・セントラル。
 島大介が地球防衛軍を健康上の理由で退役して、2ヶ月余り——

 彼が辞表を出したときの藤堂平九郎総司令長官の表情は、穏やかだった。引き止めるどころか、労いの表情。一瞬考えた、俺は…それほど必要な存在ではなかったのだろうか…?と。だが、半年そこそこしか保たない人工臓器に頼らざるを得ないという、お粗末な身体事情を抱えて居座れるほど、無人機動艦隊極東基地司令のポジションは甘くない。


 最後の日、極東基地の司令室で、大介の部下全員が一昼夜ぶっ続けの酒盛りをした……そのうちの半数が、自分に分からないようにノンアルコールドリンクをあおっていたことにも、もちろん彼は気付いていた。いつ何時でも、地球の護りを盤石なものにしておく必要があることを、彼らに叩き込んだのが誰あろう、この基地を後にする島大佐自身だったからだ……
 副官の徳川太助に嫌というほど申し送りをして、その後…全員を持ち場に戻らせた。そして大介は、3年間司令官として勤めた無人機動艦隊の海底基地を後にしたのだった。

 彼はこのふた月、数年来持つことのなかった民間人としての自由、を満喫しているところである——。


 セラミックファイバーコート製の司令官の制服は、2階の寝室にあるウォークイン・クロ—ゼットに仕舞った。初めて着た、ヤマト航海班の艦内服。艦隊司令を勤めたこともある。上部の棚にある、艦長の制帽が入れてある箱が目についた。だが、それをさらに棚の奥深くに押し込み、官給品の革のベルト、軍靴、識別票、そして…コスモガンとホルスターもその脇に丁寧に整え。


 …彼はクローゼットのドアを閉めた。


「よし」
 これでいい。
 
 背後に、両手を胸元できゅっと組んだままの妻の気配。
「……島さん」

 ——いいのですか……?本当に…?

 その顔に浮かんだ、戸惑い、そして幾許かの罪悪感。


「なんだ、そんな顔して」
 微笑みながら、くるりと向きを変え、大介は彼女の両肩をそっと抱いた。
「…これでいいんだよ、テレサ」
「島さん」
 翡翠の瞳が見る間に潤む。
「ああ、また!しょうがないなあ…」すぐ泣くんだから、キミは。俺がその瞳を見つめていたら、涙はきっと止まらないに違いない。大介は微笑って、彼女の体をそっと胸に抱きしめた。

 誰の命も犠牲にはしない。
 出会ったときから、いや…俺と出会う前から、キミはずうっとそう願って来たんじゃないか。だが、俺が地球防衛軍に所属する限り、有事の際の殺生は避ける事の出来ない宿命だ……
だから本当は、俺が軍籍にとどまっていることにすら君は心を痛めていただろう。地球に君と一緒に帰ることが出来ても、俺は君を…本当に幸せに出来たとは言えなかった。

 この3年間、…待たせてすまなかったね…


「…いいえ……いいんです…」
 涙声に、言葉は滲んでしまう。

 泣き虫な奥さん。
 彼女の後頭部から肩、背中にかけてその滑るような髪を撫でながら、大介は呟いた…
「俺も、もう2度と、……誰かの命を奪う仕事には就かない。いいかい?…例え、キミを守るためでも…だ」
 自分を見上げる瞳に、にっこり微笑ってみせる。
「……はい」

 異星人の来襲があったとしても、地球が未曾有の危機に再び見舞われるとしても。そのために、この生活が…いや、俺たちの命までもが脅かされるとしても——

 俺は、もう武器を持たないと決めた。それがこれからの、俺の…闘い方だ。

 考えようによっては…これは今までよりもずっと…ずっと、勇気の居る選択だね。生き方そのものが、…闘いなのだから……
「……俺の気持ちは君と一緒だ。身体だけじゃなくて心も。……これで、ずっと一緒だよ」

 テレサは大介の胸に顔を埋めながら、「はい」と返事をしたようだった——だが、またもやその声は涙に流されてしまい、上手く聴こえなかった。





 仕事はそりゃあ、しないわけにはいかないが。当初大介は、退役に伴う年金の支給を待って一年くらいぶらぶらしていようか、と考えていた。俺たちは新婚旅行もクソもなかったからな。動植物再生コロニーにでも逃避行、と行こうか。テレサとふたりで行方不明、も悪くない…その後で、しばらくしたら…仕事を探そう。誰か雇ってくれるかな…?

 もちろん、実際のところテレサ自身は相変わらずこの島家の敷地内から外へは出ることが出来ない。働くとすれば、彼女を日中一人で待たせることになる、それはこれまでと同じだ…それにしても。毎晩、必ずテレサの元へ帰れるのならどんな仕事だっていい、とさえ思う。
 古代進には「畜生、そんならヤマトの掃除でもしに来い」とからかわれ、真田志郎は真顔でこう言った。「メテオグレネードのテスト要員にならんか?」
 いやあ、勘弁してくださいよ…。メテオグレネードって、気象衛星…しかも赤外線と紫外線の照射調整装置じゃないですか。いやですよ、いきなりまたそんな責任重大な。

 退役した途端に宇宙連邦科学局にスカウトされるなんて、大した天下りじゃないですか?と冷やかしたのは相原…いや、藤堂義一だ。涼やかな笑みを浮かべ、「いつでも声かけてくださいね。島さんなら大歓迎ですよ」と言ったのは、実質あの大企業の、CEOの座についた南部の御曹司である。太田と北野は本部から太陽系内無人機動艦隊基地の規模拡張を命ぜられ、金星から冥王星までの6つの基地をまとめるスーパーバイザーとして島の担って来た仕事をそのまま任せられてしまった。彼らはコンビで、青息吐息、奔走中である。時折、外惑星基地から「島さんのバカヤロー」という息も絶え絶えの罵声が届くとか、届かないとか。


 ——これを「平和」というんだろうな。テレサ、君が…ずっと手に入れたいと願って来た、誰も傷つかない…死ぬことのない世界。
 そこに今、——俺も居るんだ。




             *       *       *




「次郎さんは、どうしているかしら…」
「あいつ、またスキップして学部を変えたらしい。…今年は天体物理学部に入ったんだってな」
「ええ、寄宿舎からまたお手紙が来たわ」
「ふうん…真田さんが科学局に引き抜きたがってるっていうのに、…
次郎のヤツ、それを断ったらしいんだ。あいつ一体、何考えてるんだ?」



 大介とテレサは、離れの小さな庭に出ていた。

 淡いグリーンの花模様が描かれた生成り色のエプロンを着け、右手に散水ホースを持ったテレサの後を、大介はゆっくりと歩く。父の母屋と、二人の新居との間には、広さにして10帖ほどの細長い園庭が出来上がっていた。
 テレサの憧れは、スーパーウエブで見たイングランド自治州の『イングリッシュ・ガーデン』。日本の気候に合わせて選んだ花々
の咲き誇る楕円形の花壇を中心に、二人がやっと並んで歩ける程度の小径がそれをぐるりと囲んでいる。園庭の外縁は、まだ背の低い灌木の生け垣。それが途切れる場所には、バラのつるが這い始めた小さなアーチも設えてあった…


「…しかし、この小さなスペースによくまあ作ったね」
「あら、イギリスの家庭用ガーデンはみんな小さいわ」
「ふうん、そんなもんなの?…まあ見よう見まねにしちゃ良く出来てる……その上、
素敵だ」
「…んもう、取ってつけたみたいに。あなた、それは褒めてるんですか、呆れてるんですか」
 隅にある洒落たベンチにどさりと腰かけた大介に、テレサは笑いながらそう言って頬を膨らませた。



 このベンチも他のガーデニング用品と同様、大介がテレサのためにせっせと買い与えたものの一つである。滅多に物をねだらないテレサが、ウエブのカタログを見て「欲しい」と言った最初の品の一つが、このガーデン用のベンチだった。 ライオンの脚を模した青銅色の脚部に、木目まで忠実に再現した、人工合板の羽目板で出来た背もたれ部分。それがくるりと後ろに反る19世紀仕様のデザインで、脚部と同じネコの手のようなデザインの肘掛けが付いている。
 以来、花壇に使うレンガやウッドチップ、シャベルなどのこまごましたものから腐葉土や肥料といったかさのあるものまで、テレサが欲しいという物は制限なくプレゼントした。大介としては、たまには指輪だとか、ネックレスだとか、もっと女の子らしいものを欲しがれよ、と思わなくはなかった。だが、この家の敷地の外へ出ることが出来ない彼女が、それでもこうやってここで楽しめているのだから…と買い与えているうちに、この小さな、しかし見事な庭がいつの間にか出来上がっていたのだ。
 植物を育てる才能を持つ人のことを、英語で「Green Fingers」…緑の指を持つ人、というらしいが、テレサにはまさにその才能があるようだった。

 そして彼女が今また夫にねだっているのは、ちょっと高価な品物である…



「…で?計画通りだとすると、例のものはどこに作るんだい?」
「うふふ」
 あそこよ。
 バラのアーチをくぐった数歩先を、テレサは指差した。そのあたりに、彼女が2・3日前一生懸命下生えの草むしりをした平らな地面が見えている。このベンチに腰かけてみると、そこだけが土が剥き出しになっていて景観が悪い……そうか。
「なるほど。ここに座って初めて、反対の端にあそこの噴水が見えるんだ。…さすが、計算づくだね」
「ねえ、ライトアップしてもいいかしら?夜も…奇麗に見えるように」
 ああ、いいね、と大介はまた笑った。ライトアップ?それはどちらかというと、正統派イングリッシュガーデンっぽくないぞ……俺にだってそれは分かる。何かとごちゃ混ぜになってるのか、それともこの間見た雑誌に出ていた、ライトアップされた和風庭園の影響かな(笑)?

 さて、でも……噴水とライトアップ工事一式か。一体幾ら、かかるんだい…?

「あら、いいのよ…工事は自分でゆっくりやるから。材料だけ買ってくだされば」
「ほんとかよ…」
 まあ、簡単な水道工事や照明器具の取り付けは、テレサには雑作もないことのようだ。なんたってIQ推定200以上だ、きっと波動エンジンだって君になら整備できてしまうよ。…ふふ、と苦笑した。そうか、ひとつ今度からは俺もいっしょに…君の庭作りを手伝おうか。



「ここにおいで」
 一緒に座ろう。ああ、ええと…それは下に置いて。
 テレサが持っている、水の滴る散水ホースを手放すように言って、大介は両手を広げた。
 彼女が一瞬、ぽ…と頬を赤らめる。
 その仕草が可愛くて、見慣れているはずなのに胸がきゅんとした。テレサの手を握って引っ張る。「おいでってば」
 突っ立っていたテレサは、散水ホースを地面に置くと恥ずかしそうに笑いながら、ベンチに座る大介の横に腰かけようとした。

「あん」
 華奢な腰を捕まえて、自分の膝の上に載せる。彼女はとても軽くて羽毛のようなのに、痩せ形の女の子特有の骨張った感じはしない。抱きしめると柔かで、そのままいつまでも抱いていたくなる…。
「…もう、危ないじゃない」
 倒れかかるようにして膝の上に乗ったので、テレサの腕が自分の首をしっかり抱きしめていた。柔らかな匂いのするその胸に顔を埋めるようにして、大介はお座なりに謝る。「……ごめん」

 ああ、温かくて…気持ちいい。
「…いいお天気ですものね…」
「君が」
 君が…気持ちいいんだ……温かくて…


 ——柔らかくて。



 降り注ぐ暖かな日射し。それをこうして受けていられるのは、気象衛星のコントロールによってオゾン層が修復されているからだ。それもみんな、今まで科学局のエキスパートたちが奔走して来たおかげだった。
 地球の自然は、いまだ完全に復活したと言う訳ではなかったが、ようやく大気の状態が安定し始め、日本には四季が戻って来た。大気に多大な影響を与える海には今だ人工的に手を加えなければならないが、ガミラス侵攻以前の海流を人工的に発生させる試みは順調で、南極には厚さ10メートル規模、北極にも数メートルの氷が張るようになった。季節風、ジェット気流も復活しつつあり、残るはこの20年間科学者たちが必死の思いで保存して来た、膨大な量のDNA標本から野生の動物たちを甦らせる仕事であった。


 テレサの小さな庭にあるバラやクロッカスやチューリップも、実は植物再生プラントから次郎が持ち帰り、直植えしたものだ。次郎は地球連邦大学でスーパーバイオテクノロジーを専攻しており、連邦政府の研究開発機構に専門家の卵として協力していたからである。一般の市場に流通している草木は、非常に高価な上に、まだこれほど丈夫ではない。俗に再生プラントと呼ばれる実験コロニー、通称『EDEN(エデン)』で培養される物が、今のところ最も丈夫な株と言われており、次郎が持ち帰るのもそれであった。

 種子や球根の保存に命をかけた人間たちがいたからこそ、この草花は今こうして再び、地球上で咲くことができる。
 武器弾薬を作ること以上に、生命の種の保存と管理に粉骨砕身した者たちの努力が、今ようやく地球を再び元の姿へと甦らせつつあるのだ。

 



「まあ…悔しいけど」
 次郎の選択は正解だったな。

 大介は膝に抱いたテレサの顔を見上げ、にっこり笑った。「俺たちは、…ヤマトで、武器を持ってこの星を守った……あいつは約束通り、花を咲かせて…地球を守っている」
「ええ…」


 5月の陽光。かつて完全にオゾン層が破壊されていた頃は、それはそのまま浴びれば肌に致命的なダメージを与える激烈な光線だった。しかし今、電離層、オゾン層の修復はほぼ100%完了し、降り注ぐ赤外線も紫外線もかつての数十分の一である。それも、武器によらず地球を守ってきた科学者たちの、かけがえのない尽力と闘いの功績、なのである。



「……ねえ、テレサ。芝生をここに植えないか」
「ええ、そのつもりよ」
 そのうちね。芝土は、まだ…持って帰るのが大変なんですって。…そう次郎さんが。
 早いとこ持ってこい、って言っておこう。ここの丸いスペースに芝生を敷き詰めて…寝そべったら気持ちいいだろうな……
「……ひなたぼっこのお爺ちゃんみたいね、あなた」
 そう言ってテレサが笑ったので、大介も笑い返す。「…違うよ」

 ここで、君を抱きたいんだ。
 陽を浴びながら。……芝生のベッドの上で。


「…いやよ、…ばか」
「いいじゃないか」

 そう言って笑い合えるだけの安心感が、この青空にようやく、戻って来たのである——。



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