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(1)
「友納先生。運転手は、要りませんか…?」
自分の元担当患者からそう訊かれ、友納章太郎は面食らった。
いや、それは…まあ、君が来てくれるのなら、それ以上心強いことはないが。
でも……君は。
その運転手…パイロットは、親指を自分の胸ぐらに突き立ててそう言ったのだが、友納は即答できずにいた。
なんとなれば。
運転手は運転手でも、彼は…『地球防衛軍屈指の、伝説の戦艦パイロット』だったからである——。
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地球防衛軍中央病院、勤続35年。この病院の名称が防衛庁西東京ホスピタル、だった頃からの古株。友納章太郎は人工臓器や人工多能性幹細胞義肢研究開発の権威としては長らく異色の現場主義者であったが、2203年に地球の半球を襲った大豪雨による研究施設の壊滅以降は、もっぱら退役軍人の人工四肢のメンテナンスに専念していた。
いつも散髪を忘れてしまうので、銀色まじりの頭髪はぼうぼうで枯れ果てたライオンの鬣のようである。看護師たちには事あるごとに「いい加減床屋に行かないと、猛獣狩りに遭いますよ」と諌められていた。だが、ここピカ一の美人女医・古代雪に「あら、まるで沖田艦長みたいですわね」などと言われたものだからイイ気になって、またもや数ヶ月…頬髭も口ひげも伸ばしっ放しなのだった。
さて、その彼には後半の人生を捧げる価値有りと心に決めている医療のジャンルがあった——それがインタープラネタリー・ドクター事業である。
「要は、昔からあるフライト・ドクターさ」
ただし、惑星間のな。
移民事業が本格化してるんだ。実験コロニーや外惑星基地にも民間人が随分移住している。宇宙のど真ん中で、腸捻転でも起こしてみろ…薬局もない、オペ室もないんだぞ?しかも、ワープしなけりゃ行けないような遠い星にいる奴らは、一体どうしたらいいんだ?そのままノタレ死にか?
だが、彼がそう言い始めた頃はまだ、友納のようなベテラン従軍医師自体の数が地球にも少なく、その希望を実現化する段階ではなかった。そのため、若手の養成を待つ間に友納自身もオールラウンダーな医師として、専門分野以外の知識の蓄積に邁進することになった……彼自身、人工臓器のスペシャリストでありながら且つ、心臓外科、脳外科、産科、そして麻酔技術も網羅しなければならない。緊急に駆けつけて応急処置を施すための知識は膨大で、想像を絶するほど多岐にわたる。しかし、その全てを彼は根気よく会得して行った。
もちろん、かってもこれと似た事業は存在した。ドクターヘリ、といって緊急医療用ヘリコプターに医者を乗せ、患者のもとへ急行するというシステムである。大昔のドイツで発祥した医療ジャンルだ。もちろんこの時代にもそれと同様のシステムは存在し、”地球上の遠隔地”を支援するフェローシップ事業も盛んではあった。だが、一方で”宇宙の遠隔地”へと医師たちを飛ばす事業は実際滞っていた……理由は簡単である。
——パイロット不足だ。
友納の呼び掛けに応え、若手医師の幾人かがいわゆるフェロードクターとして協力を申し出てくれた。フェローナースとして働いてもいい、という看護師にも、数人当てがあった。しかし、今なお惑星間を飛ぶための緊急医療宇宙船と、それに専任する熟練したパイロットの当てはなかった。
実際のところ、軍部にも運輸企業にもましてや医療関係企業にも、そんな人材を彼に斡旋する余裕は、無いに等しい。そもそも宇宙開発に伴い、連邦政府は実験コロニーやステーションには、必ず医療アンドロイドを無料貸与している。コインダーと呼ばれるそれら医療用アンドロイドは、難易度の低い術式であれば経験の浅い外科医よりはよほど上手に、しかも手早くこなすだけの能力を持っていた。しかも予後の観察についても完璧なスケジュール管理を徹底するため、過労による人的医療ミスなどもほぼ100%防止できる。もちろん、公費による定期的な医薬品の補充もある。宇宙開発に伴うスタッフらの健康管理は、地球連邦政府の責任でもあるからだ。
さて…その連邦政府の言い分は一見筋が通っているのだが…。宇宙遠隔地で万一重篤な症状に見舞われた場合、患者は自力で規模の大きい病院施設のある惑星へ辿り着く以外に助かる方法はない。それが……実態だった。
——俺がフライト・ドクターになっても、一緒に飛んでくれるパイロットがいなきゃあ、話にならん。
そんな友納の苛立ちを医局の連中は皆知ってはいたが、そればかりは誰にも、どうすることもできないのだった。
そして2213年……
彼の人工臓器を使用している元担当患者、島大介からその申し出があったのはある春の夜のことだった。
「友納先生、運転手、欲しがってたでしょう」
あ?と友納は帰り支度をする手を止め、島を振り返った。
もうちょっと待っててくれたら、今日の診察が全部終るからな。
そう言って実はかなり彼を待たせてしまった。もうちょっと、と言った割にはかれこれ2時間は待たせていた計算になる。だが、島は心得ていてどこか近くで時間を潰して来たのだろう。片手にコーヒーのマグボトル、片手に電子ニューズ・ウィークの端末を持ち、彼は友納のラボまで丁度良い塩梅に戻って来た——時刻は午後20時を少し回っている。
「…なんだって?」
「運転手ですよ。先生がドクターシップの操縦士を探しているって聞いたんですけど」
「……島くん」
友納は、しげしげと島の顔を見つめた。いや…君が防衛軍を退役したことは知ってるよ。
だけど、——君は。
「……地球一の宇宙戦艦パイロットに、救急車の運転手をさせるわけにはいかんだろ…馬鹿言っちゃいかん」
「今は違いますったら」
そう苦笑して、その稀代の戦艦操縦士は頭を掻いた。
2203年のディンギル戦役直後、負傷で失った肝臓の大半を補うためハイブリッド人工臓器をあつらえてやって欲しいと、佐渡酒造が紹介して来たのがこの男、島大介だった。
当時、重そうな軍服姿で診察室を訪れた彼を、友納は興味深く眺めた。なんとなれば、島大介はカルテ上では一度ほぼ完全に死んだはずの肉体を持っていたのだ。彼の生命を俗世につなぎ止めたのは、地球の医学ではフォローしようの無い異星文明の痕跡である。佐渡からは「ワシにも分からん」としか申し送りは無かったが、友納は以後島の主治医として欠かせない存在になっていった。
2209年7月から翌10年にかけ、島大介が艦隊司令として特殊輸送艦隊を率いて80万光年以遠のガミラス帝星へ長征した折りには、彼は完全に回復していたように見えたのだが、それは友納の勘違いだったようだ……通常なら軍人やスポーツ選手のような過酷な条件下の使用でも3年は保つはずのハイブリッドレバーが、島の体内では約半年で劣化するようになっていた。半年ごとに生体パーツを交換すれば日常生活に支障はないが、島大介がかつてのような長期の航海に携わることは理論上不可能になっていたのだ。そのことと、かつて彼の身体をこの世につなぎ止めた異星人のDNA、そしてその文明のオーバーテクノロジーとがどう関連するのか。…友納にはそれも分からず仕舞いである。
だが、ラフなカジュアルスーツ姿で笑っている島も、最近ではすっかり見慣れた。民間人が板についている……
しかし、だからといって。
肩書きが変わろうが君の「腕」は変わらんだろうに。
懐疑的な友納に、島はまた苦笑し…次いで真顔で付け足した。
「僕は、『誰かの命を奪うために』宇宙へ出て行くことはやめたんです。ただし、宇宙は飛びたい。あの大海原(そら)を旅するのをやめたかったわけじゃぁ、ありませんからね」
「それにしたって、もっといい勤め先はいくらでもあるだろう」
「ないです。僕は無駄なことは極力しない性質(タチ)です。差し引き、一番有利な勤め口だと踏んだからこそ、…先生にお願いしたいんですよ」
素っ気ない、即答。涼しい顔でさらりとそう言った島の顔には、だが笑顔の他に僅かな懇願が読み取れた…
「先生は、僕の…連れ合いのこと、ご存じでしょう」
「……ああ、…いや。ちゃんとは、知らんぞ」
会ったことは、無い。
大層な別嬪だそうな…佐渡の弁によれば、であるが。
島大介の連れ合いは、科学局の研究施設で監視対象となっている「現在地球で唯一生命反応を示す異星人」だった。彼女がメガロポリスの彼の実家に居住していることは、友納も承知している。島の身体の謎の鍵、その大半を握っているのがその別嬪さんのDNAであろうことも。ぶっちゃけて言えば、島大介はこの地球上で唯一、異星人からの輸血を受け…さらにその異星人を妻に娶った、初めての男だった。
「…ですから、彼女も一緒に。それが条件です。安月給でかまいません、…駄目ですか」
「一緒に…!?」
思わず、声がひっくり返った。いよいよもって、答えに窮する友納である。
考えてみる。即答できん。
答えの出ない難問を一気に背負わされ、ごま塩のライオン頭が途方に暮れた……
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