復活篇へのプロローグ 〜ヤマト発進〜(5)

*******************************************

 

 第三次移民船団出発の数日前——
 島次郎は実家の父母の元に帰省していた。



「この家とも…お別れだな」
 二階の自室の窓枠にそっと手を触れた。
 壁には古びた写真が貼り付けてある……写っているのは、6歳の自分と父母、そして緑矢印のヤマトのシンボルマークも初々しい、18歳の兄。

(……兄貴)
 あのヤマトの艦内服を着た兄の写真は、他に数枚あった。この時代、紙焼きの写真は身分証明のために使われる。ガミラス戦役の前までは、「写真」などというアナログな記録方法は前世紀の遺物だった。だが、焼け野原の地上で散り散りになった家族を捜すために、それは必要不可欠なものであったのだ。再生用デバイスも何もない野戦病院で唯一、家族の身元を証明し人探しに利用できたのが、古式ゆかしき紙焼きの写真だった。そのため、人々は自分と家族の顔のはっきり分かる写真をIDと共に肌身離さず携行するようになった。
 壁に貼付けてあるこの写真も、幼い次郎が当時持たされていたID代わりの写真である……そのため、写真の縁はボロボロに傷つき、幾度も破けたのを裏側からテープで補強してあった。

 次郎は、その写真を丁寧に壁から外し、ついた折り目の通りに小さく畳むと胸ポケットから出した手帳の間にそれを挟んだ。


 そして、…勉強机。
 これには自分も世話になったが、実は兄が最後の出撃寸前まで使っていたものだった。20年以上経つ古い代物だが、大事に使っていたから、天然木で出来た天板には傷一つない。しかしこれも置いて行かざるを得ないのだった。そっとその表面を撫でた……連れて行けなくてごめん、と口の中で呟く。
 この家は、2203年に兄大介の遺族手当てで父母が新築した家だった。移民計画も中盤を迎え、このメガロポリス・シティ・セントラルにも空き家が増えつつある。盗難の危険を排する目的で財産の処分が義務づけられているため、この家の中のものも、大型の家具や備え付けの什器以外はあらかた処分されていた。

「……136番艦のA-EXに居住スペースをもらったよ。いい部屋だ」
「見に行ったの?」
 一階の居間に降りて来てそう問うた次郎に、父はああ、と頷いた。
「……父さん、ごめんな」
「いや」

 
 移民船団本部長の自分は最後の船で地球を離れる。最終便は数が少なく、<ゴンドワナ>型の移民船10隻程度に最後の技術者たち・官僚たちが乗る予定だった。当初、次郎は父母にも自分と同じ移民船に乗ってもらうつもりだったのである。
 実のところ…第一次・第二次の移民船団が未知の艦隊の襲撃を受けて壊滅した、という事実は連邦市民には伏せられている。にも関わらず、どこからか情報が漏洩し、世間は移民計画そのものに恐れと疑念を抱き始めていた。そんな中、連邦宇宙科学局、移民船団本部長の家族が第三次船団に乗らないとしたら、一体どうなるだろう…?
 <どうせ宇宙へ逃げても、見知らぬ宇宙人に攻撃されて死ぬんだ。それなら地球に残った方がマシだ。その証拠に…移民船団本部長の家族は、移民船には乗らないじゃないか>
 そんな流言が飛び交えば、今まで必死で遂行して来た移民計画はどうなる。生き延びる事ができるのに滅びる人の数は、どんどん増えるばかりだ。
 次郎のその苦悩を知ってか知らずか…父康祐は自ら市の抽選会に出向き、第三次船団の乗船チケットを手に入れて来たのだった。

 ——『息子の計画は万全です。皆さんも安心して旅立って欲しい。私も妻もこの通り、次の便に乗りますよ』

 島次郎の父康祐がそう触れて回ったおかげで、シティ・セントラルの住民の一部はすんなりと乗船予定に従って乗り込みを開始したのだった。

 次郎はそのことを父に謝ったのだ。正直、安全性はかなり低い。敵の正体も、対策も、何もかもが不明瞭なままだ。ヤマトが護衛に付くとしても、未知の艦隊からの襲撃を100%避けられると言う保障はどこにもない…。


「ヤマトは、間に合うんでしょう?」
 ニッコリ笑ってそう問うた母に、次郎は頷いた。
「ああ、それは大丈夫だよ。…古代さんが、帰って来たからね」
「そう、それなら何も問題はないじゃない。ねえお父さん?」
「うむ」
 
「……それに」
 次郎は、新生ヤマトの操縦桿を握る、あのツンツン頭の快活な男を思い出し、ふっと口元に笑みを浮かべた。「今度のヤマトの操縦士は、大した奴なんだよ」
 康祐はいつになく嬉しそうな次郎の顔を、まじまじと見つめた。この息子が、兄以外の操縦士を「大した奴」などと言うとは。
「……お前がそう言うのなら、安心だ」
 ——次郎、頼もしくなったな。
 まるで大介がそこにいるようだ、と思った事は何度もあったが、今はもう…違う——。次郎は地球連邦の移民計画指揮官として、兄よりずっと大きな使命を果たしているのだ。


「……かならず守るから」
 父さん、母さん、…そして地球人類を。
 人類がこの宇宙に生きている限り、必ず<地球>は甦る。後に残して行かねばならないものは無数にあるが、俺たちは…人類は必ず、生き延びるんだ。
 康祐は、次郎の肩に手をかけた。その手に力が籠る…
「ああ。そして…必ず、我々を<ここ>へ、連れ戻してくれ」
 頼んだよ、移民船団本部長…?
 次郎は父の言葉に、笑みを浮かべ…深く頷いた。

 ——かならず。

 地球人類は、かならず地球へ還る。この惑星が物理的に消し飛んでしまっても、人類は再び、移住惑星を<地球>として甦らせる。


 それが俺の、「移民計画」のゴールなのだから……。



***



「さて……」
 次郎には、もう一つ…気がかりな事があった。

 古代美雪、である。



 真田長官の話では、古代さんは長官との面会の後、真っ先に自宅へ行ってお嬢さんに会ったらしい。けれどそれが丁度、第二次船団会敵、の報と重なってしまった……古代さんのモバイルに緊急の呼び出し電話を入れ、彼を本部へ呼び戻してしまったのは他ならぬ自分だったのだ。

(美雪ちゃん、怒ってるだろうな)

 お母さんの古代雪さんが第一次船団で行方不明になった。その事を佐渡先生から聞いた時、美雪ちゃんは丸二日、部屋から出て来なかったらしい……。そこへ持って来て、ようやく今頃になってお父さんが帰って来たんだ。あの子はきっと、お父さんに腹を立てているのに違いないが、俺たちは古代さんにまるで時間を上げられなかった。お父さんを本部へ呼びつけてしまったのは俺だ。緊急事態だったには違いないが、民間人の彼女にはそんなことは知る由もないのだから……
(謝らなくちゃ。……そして、分かってもらわなくちゃな…)

 美雪ちゃん。キミのお父さんが、地球と…人類を救う、最後のカードなんだってことを。



***



 『3時に、英雄の丘へ来てね。話があるんだ……』

 美雪のモバイルには、そう留守メッセージを入れてあった。
(来てくれるだろうか)
 4月の風が、空を渡る。この丘に吹く風は半分、海風だ。

「……!?」
 次郎はその風の匂いが、以前と少し違う事に気付いた。…潮の香りがするのだ。まさか。いや、そんなはずは…。


 地球の自浄能力はまだ低く、この海水はレプリカのはずだ。他の惑星から運んだ水と岩塩とで合成されたまがい物。水の中に居るプランクトンはまだ自力では繁殖せず、魚も養殖場でしか育たない…、はずだった。
それが…なんだろう…、この香りは?
 美雪との約束を忘れたわけではないが、思わず浜に降りる階段を探して駆け下りる。



 英雄の丘のある記念公園の崖の下には、猫の額のような小さな浜があった。干潮時にだけ表れる濡れた砂浜である。満潮時にはボートが付けられるようになっているのか、石段の一番下には船を舫うための杭があり、てっぺんに錆びた鉄製の大きな輪が取り付けてあった。

「うわったっ」
 慌てていたせいで、打ち寄せる小さな波にうっかりズボンの裾を濡らす。右足は靴の中だけでなく、膝まで浸かってしまった。砂は次郎が思っていたより柔らかく、重い革靴は容易にめり込んでしまう…
「……!!」
 打ち寄せる波が、何かを残して引いて行った。

 ——うそだろ。
 それは小さなカニだったのだ。
 甲羅の直径1センチほどの、透明に近い体のそのカニは、波に取り残された事に面食らったのか、一目散に横っ飛びで浜を走り去って行った。
(…自然に……生まれたもの……?!そんなバカな)



 慄然として浜を見回す。
 生命の痕跡が?!
 ずっと…人類がずっと待っていた、自然の生命の営みが、戻っている……!?



 地球連邦大学で躍起になって学んだスーパー・バイオ・テクノロジー。農工、水産、そしてDNA工学、生物の自然交配による繁殖の限界。結局、地球の自浄能力はそれに追いつく兆しを見せず…俺は地球工学の分野へ手を伸ばし、どうにかこの手で……人間の手で、人類の叡智を持って地球の生き物を甦らせ再び繁栄させようと必死になった。万が一の地球の危機に人類を戦わずして逃がし、生かす方法を模索できたのは、実は地球の自浄能力に限界を感じていたからでもあったのだ。
 幾度もの侵略攻撃に、地球自体が惑星として甦る事を諦めてしまったように見えた…努力してもしても、DNAレベルから人工的に復活させた命の源は海に根付かず、気象コントロールすら思ったようには行かなかった……

 だから俺は。
『万が一にはこの母なる惑星を離れ、新天地を見つける』という計画に人類の未来を託したんだ……、それが…今になって…!



 我知らず、慟哭していた。
「くそおおおおお…!」
 
 甦りかけているこの地球を…俺たちは。
 ——見捨てて……!

 海水。砂。風…そして、波の打ち付ける岸壁に柔らかに自生する、わずかな藻。干潮の海面を見渡す。この海の中に……生物が。動植物再生プラントからの輸入は、もう昨年から移民船団への資源供給に切り替えられ、農工水産を司る省庁はすでに海中における生物復活の観測を止めている…見捨てて行く地球の、海の生命を観測する労力はすべて、移民計画のために注がれてしまっているのだ。

(でも、あんなカニが生まれている、ということは…もっと大きな生き物も生まれているのかもしれない)
 そうだ、イルカのようなほ乳類だけじゃなく、もっと大きい生き物も。
魚は…?クラゲや貝、もしかしたら、海亀、いや、サメやシャチやクジラだって……!!



 知らず、頬に涙が零れていた。
 地球は甦ろうとしている。
 ちっぽけな…俺たち人間の世話になどならずとも、この星は自ら時を待って、…生き返ろうとするところなんだ。——それなのに…!!
「……許せ。……許してくれ…!!」
 俺が人類を、ここから引き剥がした。見捨てて行くつもりは…なかったんだ……!!


 
 波の音に、嗚咽は掻き消される。どうせ人も来ない小さな浜だ。水平線の向こうへ大声で詫びたい気持ちになったが、次郎は生憎もうそんな風に直情的に行動できる年齢ではなかった。だが、誰もいない海に向かって涙を隠す必要はない……
「畜生……畜生ぉぉ……っ…」


 号泣するその後ろ姿を、崖の上…狭い階段の少し上方から、古代美雪が茫然と見つめていた。

 


***

 



(ごめんね、…島さん)
 
 美雪は、島次郎に声をかけずに英雄の丘を後にした。次郎のモバイルに、あとからメッセージを入れておいた…<ごめんなさい。やっぱり美雪は、佐渡先生と残ります。お父さんの第三次船団には乗りません>

 島次郎が、自分の両親に美雪を一緒に連れて行ってくれるよう頼んでいた事は知っている…美雪も次郎の父母を良く知っていた。お父さんが若い頃よくお世話になった、親友・島大介さんのお父さんとお母さんなのだ。
「私たちと一緒に、お父さんが護ってくれる第三次船団に乗ろう。これほど心強い事はないよ」
 すみません、…でも。あたしは…残ります。
 次郎の父母は躊躇いつつもそれ以上美雪を強く促す事はなかった。



 美雪は実のところ、真田志郎にも島次郎にも腹を立てていた。地球を救ったヤマトの英雄たち、その係累。そうは言いながら、あなたたちだって地球を見捨てて行くんでしょ?必死に何の研究をしていたの?地球を……見捨てる計画のためのものじゃないの。
 次郎に呼びだされた美雪の内心は、父との再会を経て酷く ささくれ立っていた。お父さんは、お母さんを見捨てた。やっと帰って来たって、あの人はヤマトに夢中、あたしのことなんか見ていない。…島さんだって、地球を見捨てるつもりでしょ?!そうなじってやるつもりで、英雄の丘へ来たのだ。

 なのに…。
 あの島さんが、泣いていた。波に消されて良くは聴こえなかったけど。
「許してくれ」って泣いていた……砂浜に踞って。まるで、海に…ううん、地球に謝っているみたいだった——



(島さんも…地球を見捨てて行くつもりはなかったのかもしれない)
 だとしたら、真田さんだって…


 
 ふと、父の顔が脳裏に浮かんだ。「…お父さん」
 お父さんも、人知れず泣いていた?お母さんがあんな事になって、…お父さんも…一人で泣いたの?
 
 …だが、島次郎に対して感じたほど、父・進に寛容にはなれない美雪だった。父はすでに、あの艦、ヤマトの艦長として地球を発ってしまった。島さんのご両親にあたしが同行する事を断ったら、あるいはお父さんから何か言って来るかと思ったけれど…それもなかった。
(あたしは、地球の生き物を見捨てない、と言った佐渡先生が一番…正しいと思うわ。…例え、ブラックホールに飲み込まれてしまう運命でも)



 蒼穹を見上げる——空にうっすら見える真昼の月、その右側にあるはずの…アクエリアス氷塊。今そこに、お父さんがいる。

「古代…進」
 人類の希望、ヤマトの…艦長。
 お父さんが、地球の最後の希望なら。


 お願いだから。
 ——移民船の護衛なんかじゃなくて、……地球を。 

 地球を…守って……!!




* ******************************

)へ