復活篇へのプロローグ 〜ヤマト発進〜(4)

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「大村さん……あいつは、どうしています?」
「上条…ですか」

 ふむう、と鼻から溜め息を吐き、大村耕作はブリッヂの奥のドアを見やった。お世辞にも奇麗とは言えない制帽を目深に被った船長の古代進も、大村と同様深い溜め息を吐く。制帽の鍔と髭の奥から覗く茶色がかった瞳に、いつになく憐れみの色が浮かんでいるのに気付き、大村はハッとする……
 身の毛のよだつような未知の艦隊との遭遇を経て、どうにか生き残った地球防衛軍の最新鋭艦ブルーノア。だが今、その史上最強の船は磁力ワイヤーで小さな貨物船<ゆき>に曳航されごくゆっくりと宇宙をたゆたうだけの廃船となっていた。
<エンジン、オーバーロードっす!!漏出物が多くて、慣性航行が難しいんです
。あいつを引いて貨物ステーションまで行くとなると、何日かかるか分かりませんぜ?荷が空だからいいようなものの、いい迷惑ですよ、船長!…>
 伝声管から響くそんな機関士の泣き言に、古代は「すまんな」とだけ答えた。
 操縦桿を握る若き航法士・桜井洋一も、居心地悪そうに身じろぎするだけだ。<ゆき>は地球防衛軍の連絡艇が立ち寄る深宇宙貨物ステーションまでブルーノアを曳航して行く途中だった。


 噂に聞いた、史上最強の最新鋭艦、地球防衛艦隊旗艦。古代が地球を離れた後に竣工したブルーノアは、話に聞いていたよりずっと…高性能だったようだ。
 爆撃を受けた外観は酷い有様で、これがまだ正常に動くとは古代にもにわかには信じられなかったほどだ。だが、なんと驚いたことに動力系統は無事で、スタビライザーも正常に作動した。敵襲を受けてとっさに握った操縦桿は驚くほど優れた操縦性能を示し、古代は躊躇いなくそれを戦闘機動に導くことが出来たのである——
(……だが、あれであの船は…命を失ったも同然だったな)
 急反転するために敵艦にぶつけた底部の破損部位から亀裂が広がり、結果的に敵艦隊を掃討出来たにも関わらず、ブルーノアのエンジンはその直後に停止した……波動炉心が完全に死んだのだ。

「上条、主砲…発射!」
 古代の号令で、傷ついた一等空佐が放ったショックカノンの一条が、この船の最後の咆哮となった。
(ブルーノア。…最後まで、果敢な船だった)

 ブリッジからも垣間見える、<ゆき>の艦尾に繋がれた残骸のような艦体に、古代は再度、敬礼したい気持ちになった。
 上条は、この<ゆき>に収容されて以来ずっと、塞ぎ込んでいる。
 無理もない……
 地球防衛軍最新鋭艦の戦闘隊長だ。いわば、護衛艦隊全体を指揮する立場の男がむざむざ生き延び、あろうことかオンボロ貨物船に救われ、単身地球へと戻らなくてはならないのだから。
(…しかし…。3億人の移住者。それが謎の敵艦隊に虐殺された……。地球では、いや、この宇宙で今、何が起きていると言うんだ)


 打ちひしがれているであろうに、上条は古代に痛切に訴えた。——戦場の臨検は後にしてください。一刻も早く、このことを地球に知らせなくては…!!
 <ゆき>の通信システムの持つ通常交信波では、地球へダイレクトに連絡なぞできない、と知った途端、上条は狂ったようにそう叫んだ…次の移民船団が、次期地球を出発するんだ。またやつらが襲撃して来るかもしれない。近海の貨物船航路にいる全部の船にも、すぐにこの宙域からの避難勧告を!

 上条を思い遣ることもそうであったが、古代には彼が話した地球の現況が気にかかっていた。移動性の巨大ブラックホールが地球に向かっている…聞いたこともない惑星への移住——。雪は、美雪はどうしているんだ。雪から送られてきた手紙と小包みは3ヶ月前に地球を出たはずだが、ではなぜ…彼女はこのことを手紙に書いて来なかったのだろう…?自分が地球を離れた当時混乱していた防衛軍は、連邦政府は……?
 しかし、すべては貨物ステーションの中継するハイパータキオン交信波が受信できる場所まで辿り付かなければ判らないことだった。


「……くそ」
 歯の間から、くぐもった音で呟く。
 大村がそんな船長を見やり、おもむろに副長席から立ち上がる。
「私がちょっと見て来ましょうか」
「いや、…そっとしておいてやりましょう」
 …そうですか、と言って大村は再び座席に深く座り直す。古代船長が何を思っているのか、大村にも想像がついたのだ。移民計画、未知の敵、そして3億人の民間人の全滅…今しがた起きた信じ難い事実に加え。地球に冠たる最新鋭艦がボロ屑のようになって曳航されている、あの光景。
 その上。唯一の生き残りは、あろうことか…艦隊を護衛すべき戦闘隊長なのだ……
「……勝って帰るより、負けて帰る方が勇気が要ること…ですからね」
 ぼそりとそう呟いた髭の口元が、震えたと思った。



 大村は知っている。
 この3年間、彼は片時も離れずこの若い船長と共に居た。彼は宇宙戦艦ヤマトに乗ったことはなかったが、あの船のことを知らないものはいない。地球防衛軍艦隊の士官として、常に付かず離れず彼もヤマトを見守って来た軍人の一人だった。だが、ずっと守り抜いて来た家族をディンギル戦役で一度に失った大村は、傷心を抱え、辺境に飛ぶ しがない資源輸送用貨物船<ゆき>に乗り組むようになったのだ。そこへ現れたのが、驚いたことに“あの船”の若き艦長代理、古代進だったのである。
 あの稀代の戦闘指揮官ともあろう男が、退役軍人を装ってこんな深宇宙に潜伏…。だが、彼を貨物船<ゆき>に紹介して来た人物のバックには「藤堂」の名と巨大コンツェルン・ナンブの影があった。

 事情が、あるんだな。
 そう察した大村は、黙って彼を迎え入れた……自分のポストを彼に譲り、<ゆき>の船長として。


 妻と、娘。


 大村の失ったものと同じかけがえのない存在を、この若き船長も後に残して来ていた。幾多の戦いの中で、軍神のように輝いていた“古代進”だが、最初に<ゆき>で出会ったときの彼の意気消沈した様は、大村にとっても酷く堪えたのだった。

 一年ばかり世話になりますよ、と言っていたのが2年、そして3年。自然、古代と大村は互いの心中を打ち明け合う仲になっていった。
 ヤマトでの旅。美しく、気丈な妻の話。その彼女を取り合ったライバル、かけがえのない親友の死。かつて地球を救った、異星の女神たちの話…。伝説の男たち、そして……愛しい娘。
 時に安いワインに悪酔いしながら、古代が語った昔話はしかしそれでもこの上なく熱く輝いており。大村はその度、密かに彼の歩んで来た輝ける航跡に嫉妬したのだった。だが、同時にこうも思う……この人を、必ず…地球に帰さなくては、と。

 古代さん。いつか必ず、あなたが必要とされる時が来ます。あなたほど地球を愛し、地球から愛された人は…いないでしょう。




***




<船長!エンジンに負荷がかかり過ぎてます!曳航は軍の船に任せられませんかね…これじゃ何時までたっても埒があきませんよ>
 再び、機関室からヤケクソ気味の泣き言が上がって来た。

「古代船長、どうしますか」困惑した桜井が操縦席から古代を振り返る。
 確かに、急がなくてはならないというのに速度は一向に上がらず、ずっと10宇宙ノット程度で航行するしかない状態だ。
「どうにかならんのか」
 大村が再三、伝声管へ怒鳴った。いくら傷ついてもう動かないとは言え、まさかこんな辺境の何もない場所へ<地球艦隊旗艦ブルーノア>を放置して行けるものか。
「……困ったな」
 髭の口元に左手を当て、古代がそう呟いた時である。
 背後のオートドアが開き、上条が入って来た。
「上条…!」



 ゆらりと一歩、ブリッジへ足と踏み入れた上条は、ぐるりと皆を見回した。目の下に隈がある。一目で憔悴していることは明らかだった。
「上条さん…」
 オートパイロットの操縦桿をぱっと離し、桜井が立ち上がる。上条は桜井を安心させるようにほんの少しだけ笑ってみせ、やにわに古代に向かって口を開いた。
「古代…船長。急ぎましょう…ブルーノアは、ここへ置いて行くしかありません」
 なんだって、と大村が言いかけたが、上条は躊躇せずもう一度言った。「俺に遠慮は要りません。曳航は止めて、すぐにワープして地球へ向かうんです」
「しかし」
 慌てる大村の隣で、古代は静かな表情で上条を見上げた。「いいのか」
 
「…お前の…お前たちのブルーノアだ。こんな辺境へ打ち捨てて行けば、2度とあいつは地球へ還れなくなるかもしれないんだぞ」
 静かな古代の言葉に、上条は微かに口元を噛み締める。この場所の宇宙座標を記録して行っても、ここへ多額の費用をかけてブルーノアの回収に軍が来てくれるとは思えなかった。あの船は…遠からず宇宙の塵芥、氷の墓標となる。艦長も、戦友たちも…、皆を…乗せたまま。



 だが…瞳に浮かんだ決意の色は褪せることはなかった。
 二人の戦士は、互いに確かめ合うかのように視線を交わす——

 しばらくのち…上条が口を切った。
「…地球を護る…、そのために永久に宇宙を彷徨うとしても、それが…あの船の、…ブルーノアの意志です」
「…よし…よく言った、上条」
「古代船長!」
「そんな、…置いて行っちゃうつもりですか?!」
 大村と桜井はなおも反論しようとしたが、古代の柔らかな視線に言葉を失った。

(かつて自らを沈め地球を護ったヤマトの戦闘班長として、この俺、古代進はブルーノアの戦闘隊長・上条了の決意に敬意を表する)
 ——そう言われたような気がしたからである……




「全艦…ワープ準備」
「ワープ準備」
 桜井が復唱し、<ゆき>の航法システムに詳細な航路データを送り込む。
「…総員、地球艦隊旗艦、ブルーノアに、
敬礼!」
 大村の声に、ブリッヂに居た乗組員全員がキャノピーの外に佇む黒い船体に最敬礼した。最後の牽引ビームが光の尾を残しつつ、ブルーノアから離れて行く——。

「波動エンジン、回転上昇」
「ワープ1分前」
 深海の底に横たわる巨鯨の骸……


 傾いだままのブルーノアを残し、<ゆき>はワープした。


 



 ワープアウトポイントから、数十分。
 そして<ゆき>は、地球から約7千光年、リレー衛星と中継ブースターを経ればダイレクトに通信の可能な範囲へと到達した。

「ふう」桜井は操縦桿を離し、両腕を上に伸びをする。と同時に、操縦席の隣に設置してある交信機に受信を示すランプが灯った。
 ハイパー通信。桜井の表情が変わった。
 …これは、地球連邦宇宙科学局からのダイレクト通信だ。
(…じゃ、島さんから…?!)

 識別信号は太陽系交通管理局のものと同じコードが使われる。だが、基本的に交通管理局は地球からの限界コンタクトライン以遠にダイレクトで通信をすることはない…「太陽系交通管理局」からだとしたら、それはすなわち、島次郎か真田志郎からの私信、ということに他ならない。
 だが、桜井が送られて来たその電文に見たのは、ただならぬ事実であった。
 古代進に、地球の現状を知らせ、至急戻るよう働きかけること。そして事実として、以下を報告すること——
(……古代雪さんが……)



 島さん、酷いよ……。僕にその役目をやれっていうの…?


 
 桜井は以前から、島次郎の一見柔和そうな顔の下にある厳しさに気付いてはいた。計画を遂行するためなら、万難を排除し冷徹に事を行う……島次郎の兄、桜井も敬愛するかのヤマト航海長・島大介が、航海計画を遂行するために年長の機関長にだけではなく艦長にすら苦言を呈したことも、有名な逸話だった。島次郎は軍人ではないが、それでも彼はその兄と同様厳しい人間なのだろう。その克己の精神が度々ヤマトを窮地から救い、ひいては地球を勝利に導いて来たのだと、確信こそすれ…。
 だが桜井は、この時ばかりは島次郎をなじりたくなった。確かに、僕は…古代さんのことを「よく知らない」って顔してここに潜り込んでいるさ。だけど……それだって、辛いんだ。
 それなのにその上……古代雪さんのことを伝えろって言うのか?

 桜井は、艦長の古代がその自室に妻と娘の写真を置いて、度々眺めているのを知っていた。そんな時の彼の顔はそこはかとなく優しく、見ていては失礼なのではないかと照れてしまうほどだった。「いい女だろう?」そう言われ、そのいい女が奥さんなのか、娘さんなのかと考えていると、バンと背中を叩かれた……「雪と美雪。どっちも、宇宙で最高の…俺の女さ」

(船長があんなに恋しがっている奥さんが……第一次船団の団長を務めていたなんて。しかもそれが消息不明だなんて…、それを僕に、伝えろって言うのかよ…)


 だが、やるしかなかった。

 




【報告。サイラム恒星系アマールに向かう第一次移民船団が、未知の異星人の艦隊攻撃を受けた。地球連邦宇宙科学局では護衛艦<比叡>からの連絡により300隻の移民船と護衛艦16隻の無事を確認。第一次船団団長古代雪は消息不明。深宇宙貨物船<ゆき>は至急地球に帰還されたし】


「護衛艦隊旗艦ブルーノアは、我々が確保し、戦闘隊長の上条さんを救助。そのことは、返信しました。……ブルーノアを、あの宙域に置き去りにしてきたことも」
 桜井はデータボードに転送したデジタルレポートに目を落しながら、そこで口籠る。
 5帖ほどの小さな艦長室。古代進は桜井に背を向け、壁いっぱいに設えられた書棚に手を伸ばしたまま、目当ての本を探し続けているようだった。
「…船長、あの……」
 戸惑うような桜井の声に、くるりと古代がこちらを振り向く。
「……ご苦労。もう下がっていいぞ」
 聞いていたんだろうか。古代の前髪に半分隠れた目は、いつもと変わらず泰然としているように見える。
「大至急、地球へ帰還のため次のワープの準備に入ろう。機関長に整備を急ぐよう言ってくれ」
「……はい」
 失礼します、と頭を下げ、桜井は船長室を出た。



 とぼとぼと向かったブリッジへの通路で、前からせかせかと歩いて来る大村と行き会った。
「桜井!」
「……副長」
「船長はなんて言ってた」
 桜井は、ふるふる、と首を振った。「…なにも」

 ——そうか。
「俺、ちゃんと伝えました。……奥様が、行方不明だって事も」
「分かってる」
 二人は同時に、通路の奥にある船長室のドアを見やった。ワープ準備。数分後には船長もブリッジへ来てもらわなくてはならない。
「……古代さんは…大丈夫だ」
 大村ははっきりした口調でそう言った。桜井はその横顔を訝し気に見上げる。

 ……大丈夫って…?
 それは、古代船長のこと?それとも…奥さんの雪さんのこと?

「大丈夫さ」
 どちらだとも答えず、大村はそれだけ言うとくるりと踵を返した。さあ、ブリッジへ戻るのだ。
「あ、あのっ」
 すたすたと行ってしまう大村の後に付いて行くべきか、と桜井は躊躇した。立ち止まり、我知らず…数歩戻る。 ——俺が、島さんの命令でここに居るんだって事、船長に伝えなきゃ。もう隠し事は…ごめんだ。


 通路をそっと戻り、船長室のドアに手を触れた。…その時。
「………!」
 機関室から全艦に響く古びたエンジンの低い音に混じって、微かに声を殺した嗚咽が聴こえる。


 桜井は思わず2歩、退がった……「古代船長」
 船長室のドアをノックすることは、——到底…出来なかった。

 



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