復活篇へのプロローグ 〜英雄の帰還〜(5)

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 足元のキャタピラを目まぐるしく走らせ、大急ぎで管理棟に向かう分析用ロボットに、飼育員の村正が呆気にとられて声をかけた。

「なんだ、アナライザー?どうした、そんなに慌てて」
 赤いロボットは急停止し、村正に怒鳴り返す。
「ムラマササン、タイヘンナンダ。ミユキサン、ミユキサンヲミマセンデシタカ?!」
「美雪ちゃん?ライヤのとこじゃないのか?もうすぐお産だから」
「ライヤ…? ア、オカーサンライオンノトコロデスネッ?」

 ああ、多分。今日明日にも生まれるだろうから、先生と付きっきりだろ?
 アリガトウゴザイマシタッ!
 言い捨てて、再び走り去るアナライザーを、村正は肩を竦めて見送った。
「…なんだ?あいつ、何をあんなに慌ててるんだ…」
「さあなぁ?」
 飼育員の沼田が、笑いながら干し草の束をもう一抱え持って来て、カピバラの餌桶に入れる。村正は首を傾げ、かぶりを振った。



 <佐渡フィールドパーク>は海を見下ろす丘陵の中ほどに設けられたネイチャーランドである。昔風に言えば、「動物園」。昔とちょっと違うのは、飼育されている動物たちは皆檻に入れられているのではないということである。広大な敷地を持つこのフィールドパークでは、地熱の温度管理により、地球上のあらゆる場所に棲息する動物たちが自然の姿のまま棲息することが可能になっていた。肉食獣・草食獣の縄張を区別するためのグリーンゾーンがある他は、ほぼ自然のままの飼育環境がこの施設の特徴だった。観光用に一部が公開されており、入場者は自然のままの動物たちの生活領域に地下通路から入り込み、同じ空間を共有できるよう工夫されている。
 3年前からついに具体化した地球外移民計画の最初の一団に、このフィールドパークからも選りすぐりの血統書付きの動物たちが加わる予定となっていた。2199年までに地表で滅びた貴重な動物の種を、20年かけてDNAレベルから丁寧に復活させたのだ。人類と同じように、彼らにも生き延びる権利がある。

 館長は佐渡酒造。ヤマトの元艦医だった男である——。




 パーク内の小高い位置にある管理棟。そこにはDNA解析を行う研究施設を始め、動物たちの生活を管理する飼育施設、医療区画が備えられていた。
 アマールへの第一次移民船団へ最初の動物たちと共に乗るという話を蹴って、佐渡酒造は今、出産を控えた雌ライオンの世話にかかり切りなのだ。
 実を言えば、日本の風土で自然出産をするサバンナの肉食獣は、この「ライヤ」と名付けられた雌ライオンが国内初であった。古代進と雪の娘・美雪も、佐渡と一緒に昨日の昼頃からライヤのお産につきっきりなのだ。

「ライヤ、…大丈夫だからね…」
 地球一の名医がついてるんだから。
 温かい藁を敷いた寝床の中に、苦しそうに横たわる雌ライオン。美雪は、その首筋をしっかりさすってやった。


 ライヤは美雪が初めてこの佐渡フィールドパークに来たのとほぼ同時に、研究棟から移動して来た「人の手で復活させられたライオン」である。佐渡の手を借りて生後2ヶ月の頃からミルクをやり、身体を洗い、食餌の世話をしてきた美雪にとって、ライヤは姉妹も同然だった。
 父の古代進が抗えない大きな圧力に屈し、深宇宙へと潜伏した。その後…約3年間、母子二人での生活にも馴染めずにいた美雪にとって、ライヤと過ごすここの生活が唯一の慰めであった。
 家にも帰らず、佐渡の医療室から学校へ通った。母の雪は、つい最近、美雪に「ごめんなさいね」と一言だけ残し、軍の官舎に移った……美雪は知ろうともしなかったが、地球がまた、何か危機に晒されているのだという。

 傍に居て、と言うことも気恥ずかしくて出来ず。かといって、“あたしより地球や任務の方が大事なの?!”と詰め寄ることもできないまま。美雪は虚勢を張り、母を黙って見送った。—そうする以外に、何ができたというのだろう…。



 先ほども、例のしつこい新聞記者が佐渡目当てにやってきて、どこだかの他所の星に動物たちをどれだけ連れて行けるのか、どれだけの数の動物を見捨てて行くのか…とうるさく質問をして行った。
 人間を移住させるのだけで精一杯なのだ。どうせあと半年で地球はブラックホールに飲み込まれる。そんな地球に残して行くしかない動物たちの世話をして、何になるのだ。無遠慮な記者たちの質問に、佐渡はこう答えていた……


『わしゃあ地球が滅びるとは思っとらん。だが、それが逃れられない定めなら、ここの動物たちと一緒に…運命を全うしようと思うちょる』



 地球なんか、滅びてしまえばいい。
 今まで美雪は幾度となく、そう思った。
 
 お父さん。地球を救ったという、人類の英雄。そしてお母さんも、寂しい気持ちを押し隠してお父さんのために…軍に戻って行った。
(……自分の奥さん一人幸せに出来ないくせに。娘一人、笑顔に出来ないくせに、どうしてお父さんなんかが)

 ——どうして古代進が、あんな人が。地球の希望なのよ?!




 踞るライヤの寝床の隣に設置された檻の向こうには、ライヤのパートナー、レオがいた。
 レオもライヤと同様、研究棟の試験管から生まれた新世代の雄ライオンである。子育てどころか繁殖すら、そのDNAは記憶していないのではなかろうか? しかし、そう懸念する職員たちの心配を他所に、レオはライヤをその引き合わされた日から慈しみ、そののち数ヶ月でライヤの胎内には新たな命が宿ったのだった。
 レオは野生動物らしからぬ優しい目で檻の向こうからライヤの様子を伺っているように見えた。時折心配そうに低くうなり声を上げる。ライヤが苦しい呼吸の下から、その声に目を開け低く応えた。

「……ライオンって、優しい動物だったんですね」
 傍らでライヤの腹に巻かれた分娩監視装置を調整する佐渡に、美雪はぽつりとそう言った。
「どんな生き物でも、夫婦愛と言うのは見事なもんじゃよ」
「…人間はだめだけど」
「そうかの?……レオを見てみい。美雪ちゃんはお母さんのお腹の中にいたから知らんじゃろうが、レオのやつは雪のお産のときの古代にそっくりじゃよ」

 いやだ、そんなわけないじゃないですか…、お父さんなんて。
 そう言いかけて、振り返った美雪は檻の向こうのレオの目に気付く。


 
 これが、百獣の王と言われる肉食獣の目だろうか。落ち着きなく檻の中を右往左往し、ライヤの呻き声にびくびくと首を上げる。
「…レオの方が、ずうっと奥さんを心配してるわよね〜?」
 佐渡は、美雪をちらりと伺って、すぐに作業に手を戻した。容態は芳しくない……自然出産にしたいところだが、これ以上待っていてはライヤの命に関わる。産道が開いていないのに出血が酷い。早期胎盤剥離を起こしているかもしれない……
「仕方ない。切開に切り替えよう」
「えっ…」
「武智くんを呼んできてくれんか。帝王切開の用意だ」
 佐渡が職員の手を借りてライヤを別室へ移そうとした時、レオが一声、哀しそうに吠える。
「……レオ」
 美雪は思わず檻の傍に膝をついた。「…大丈夫だよ。ライヤは大丈夫。イイ子で待っていようね…」
 だが、レオは褐色のたてがみを振り乱し、美雪の背後で閉じられるドアに向かって…ライヤが連れ去られたその方向に向かって再度、大きく吠えた——


 
美雪の祈りも虚しく。
 ライヤは数時間後、5匹の忘れ形見を残し、——この世を去った。



 * **
 



「ミユキサン、ミユキサン!!」
 暮れ泥む医療棟の屋上で、膝を抱えて夕陽を見ていた美雪を、やっとのことでアナライザーが探し当てた。
「…なによ、アナライザー」
 うるさいわね…。
 
 眼下に海が見えるフィールドパーク。水平線がキラキラと光り、太陽光と水平線が溶け合いそうである…沈もうとする太陽から海へ向かって、まるで金色の涙が零れているようだった。


「ミユキサン」
「……ライヤ、死んじゃった」
 アナライザーは大慌てで何かを伝えにきたのだが、美雪の呻くような泣き声に狼狽え、動作を停止する。「一生懸命だったのに。…赤ちゃんいるのに……!」
「ミユキサン…」


 うわあああん、と声を上げて、美雪はアナライザーに抱きついた。美雪にとって、ライヤの死は堪え難い衝撃だったが、それにも増して。

 息を引き取ったライヤの亡骸を、美雪たちはレオの檻にしばらくの間横たえた…5匹の子ライオンも共に。レオは非常に注意深い性格の雄だったから、産まれた子どもたちを踏み潰す危険はなかろうと、佐渡がそう言ったからだった。
 まだ温かいライヤの身体に擦りつくようにして寄り添う子ライオンたち。次第に冷たくなって行くであろうライヤの身体から、僅かばかりの乳を求め、我先にと乳首へ群がる小さな5つの毛玉…。それを愛しそうに舐めてやっているのは母親ではなく、父親のレオだったのだ。

(動物だって…ライオンのお父さんだって家族と一緒にいようとするのに…!)


 ——お父さん、帰って来てよ……!お母さんと一緒に居てあげてよ……!!


 一緒に、いたいよ……



「…ミユキサン」
 アナライザーの電子音声の波長が低く優しくなる。「ハンカチハナイデスガ…コレデ ナミダヲ カワカシテアゲマショウ」
「……!」
 無骨なロボットの側面にある
放熱板の穴から、温風が唐突に吹き出した。

「ア…アナライザーったら」
 しゃくり上げていた美雪は、このロボットの優しさに思わず笑みを見せる。
「ヨカッタ、ワラッテクレマシタネ」
「……ありがと。優しいね」
「イエイエドウイタシマシテ」


 まったく。動物だってロボットだって、こんなに優しいのに…。そうぶつぶつ独り言ちていると、アナライザーが頭部パネルのランプを忙しなく点滅させて話し始めた。何か伝えたいことがあったのらしい。
「ミユキサン、タイヘンナンデス。ケサ、ユキサンカラ レンラクガアリマシタ…」
「……知ってる」
 エッ、と言い淀むアナライザーに寄り掛かりながら、美雪はまた厳しい表情になった。「…お母さん、出発するんでしょ」



 クリスマスも、お正月もなし。
 お母さん……古代雪は、アマールへの第一次移民船団団長として、スーパーアンドロメダ級護衛艦サラトガで、明日午後13時…地球を出発する——。



「………アマールっていう移住先の星へ着いたら、市民の生活環境の整備や居住区建設の監督をするんだって。真っ先に病院を作るんだそうよ。だから、お医者さんのお母さんが団長なんだって」

 今朝早く、佐渡のところへ遠距離通信が入ったのだ。
<ごめんね、美雪>
 ううん、と美雪はかぶりを振った。…お父さんのバカ。お母さんに、こんな真似をさせて。
 その美雪の心中を諌めるように、母の声が被る。
<お父さんを…恨んではだめよ。お母さんね、嬉しいの。誇らしいのよ。お父さんの代わりにって、連邦政府はお母さんを認めてくれた。…これって、すごいことでしょう?>
 嬉しそうな顔の母親に、美雪はまた…言葉を飲み込む。

 ……無理しちゃって。本当は…寂しいくせに…。どうしてそんなに、お父さんを信じていられるの…?お母さんは、悔しくないの……?

 しかし、出て来た言葉はお座なりなものだった。「……気をつけてね。頑張って。…お母さん」
<大丈夫よ。今回は戦闘になったりはしないもの。3億人を無事に送り届けて、アマールの月に新しい地球を作るわ。落ち着いたらすぐに連絡するから、待っているのよ。お母さんが、素敵な町とお家を作っておいてあげるわ。佐渡先生と、あとからいらっしゃい>

 佐渡先生、美雪をよろしくお願いします。
 んむ、任せておきなさい。

 そうして、頷いた佐渡に向かって花のように微笑んだ母の顔は、確かにとても…誇らし気だった。

 



「知ッテイタンデスカ…」
 アナライザーの声に、うん、と頷いた。母が、遠い宇宙に居る父に、このことを知らせていないことも…知っている。


 突然背後のどこからか、低く長く、唸るような声が響いた。——人の声…?いや、風が哀しみに慟哭しているような…長く長く、引きずる音……
「……ライオンノ…コエ デスネ」
「…レオ」
 そうだ。これは、レオの声だ。
 ライヤの死を悼み嘆く、哀恋歌……


「…うえっ」……うええん……
 胸を抉られるような…哀しい遠吠え。美雪は思わず、もう一度…アナライザーのひんやりする胴体に抱きつき、泣き伏した。



 お父さん。お父さん…!! 
 あなたが地球の英雄なら、お願い、お母さんを…守って——



 
 

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第5章 〜ヤマト発進〜 へつづく