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(…!!)
なんだ?!
傷ついたキャノピーの支柱の向こう…艦橋の窓の外に、天井から差し込むサーチライトの光筋が降る。薄氷に包まれた船体からは、ドック内の空気の震動に呼応して氷の粒が微かに飛び散っていた。それが辺り一帯にサーチライトの光を乱反射し、まるで雪の平原に迷い込んだかのようだ。
艦橋キャノピーから入り込むその青白い光の中に、もぞっと何かが。…操縦席に踞る、何かが動くのが見えたのである……
「……うぐっ…ぐしゅっ」
奇妙な音に、次郎は思わず固まった。
「……お前」
薄氷の張った、傾いた操縦席に踞っていたのは、小林淳だった。
座席の上に膝をかかえるようにして座り、あろうことか…べそをかいている。片手には、何か歪な金属の塊を握りしめていた。
「何やってんだ、こんなところで…」
「……あ?」
小林はぎょっとしたように顔を上げ、防護服を着た次郎を見てさらに驚いた顔をした。「…あんた」
慌てて、ごしごしと顔をこする。小林は防護服を着ておらず、艦載機の搭乗員の着用するジェットスーツ姿だ。今しがた訓練から戻った、といったような出で立ちだった。
まあ、防護服もジェットスーツも…用途は似たようなもんだ。防護服よりはすっきりして動きやすい、だからこんな座席の背もたれに隠れてしまい、俺はコイツに気付かなかったのだ…しかし一体なぜ、こんなところに…?
「…エリート…いや、あんた…、副長の弟だったよな」
「……」
なんでお前に幾度も同じことを答えなくてはならないんだ、馬鹿野郎。
そうは思ったが、次郎には瞬時に分かってしまった。この男が、ここでべそをかいていたわけが。
小林が、片手に握りしめているものを良く見ると、それは小さな模型だった。自分の目を疑う。長さ17センチほどの、ホワイトメタル製のガレージキット。次郎がまだ小さかった頃、欲しくても手に入らなかったレアなタイプのヤマトの模型である…。
”俺、尊敬してんだよね〜、ヤマトの航海長。”
先般会った時、コイツはそう言っていた。大きな音を立てて洟を啜ると、小林は座席から立ち上がる。
「すまねえ。ここが航海長の席だったと思ったら…なんか、堪らなくなっちまった。…あんたも、この場所を見に来たんだろ?悪かった…悪かったっす」
どういうわけか、小林の口調が丁寧になる。
「妙にしおらしいな。どうして泣くんだ」
「どうしてって」
そっちこそ、そんな当たり前のことをなぜ訊くんだといった顔で、小林は次郎をまじまじと見つめた。「言わなかったかな…。俺の尊敬してた人なんだ…あんたのお兄さんは」
次郎は、小林が退いて空になった座席を見下ろした。
この席の上で、兄は絶命したのだ。当時自宅へ弔問に来た真田から、爆撃による負傷を放置したための失血性ショック死だったと…聞いていた。そんな傷を負いながら、大介兄ちゃんはなぜ…ここにとどまったんだろう。そこまでしなければならなかったわけは。それが大介兄ちゃんでなければならなかったわけは、何だったんだろう。
——次郎にそう詰め寄られ、真田が苦しそうに答えた時のことが急に脳裏に甦った。
“すまない。ここ一番というときの操縦は、きみのお兄さん以外には…考えられなかった。いつでも誰かに交代できるよう、操縦系統を…簡略化しておくべきだったんだ。…私のミスだ……赦してくれ”
真田さんのせいじゃない。
自分はあの時そう言おうとして、泣き出してしまい。…結局…その一言は言えずじまいだったのだ——
黙ったまま、基部しか残っていない操縦桿を撫でている小林に目を移した。大型艦、つまり、このヤマトが甦った暁にはこの操縦席にも座り、かつ艦載機チームのチーフパイロットをも兼任するというこの男。青写真によれば、新生ヤマトの操縦系統は驚くほど簡素化される…おそらく本当に、ライセンスを持つ者なら高度な戦闘機動もこなせる程度になるのだろう。その中で、それでも真田がこの男…、類い稀なパイロットとしての才能を持つ小林をメインパイロットに抜擢した理由が、今ようやく分かったような気がした。
兄が第二の故郷同然に愛した、この船の、…この操縦席。次郎は、愛し気にその座席や操縦桿を撫でる小林を、いつの間にか憎からず思っている自分に気付く。
小林が、またしても洟をすすり上げるとぼそりと言った。
「…俺の誕生日、10月9日なんすよ」。何の日だか、知ってるでしょ…?
「……ああ」
俺が生まれた日ってのは、ヤマトが初めて地球を旅立った日だった。でも、俺がやっと物心ついた時、ヤマトはここへ…この海へ沈んじまった。とにかく、ガキの頃から憧れだったんだ、このヤマトの…運転手、って人が。
そう、本部長のお兄さんです。——島大介。
「俺は、ヤマトの話を聞かされて育ったんです。俺の命の恩人。親父とお袋の恩人、地球の恩人ってね。そのヤマトの操舵手ですよ…。今と違って、航海長には代わりがいなかった、って聞いてます」
すごい人だった、……そうじゃないすか。
小林は、外の照明を受けてキラキラ光るコンソールパネルに手をついて、下を指差した。
「真田長官に言われて、シミュレーターで訓練してるんです、俺。旧ヤマトの操縦桿が…あそこにある」
つられて眼下を覗き込む。ここからは見えやしないが、小林の言っているのはシミュレーター室の事だろう。本物の操縦桿があるのではなく、シミュ用のそれが存在するのだ。真田さんらしい、と次郎は思った。
「…長官の嫌がらせなのかと最初は思ったくらい、…難しいんですよ」
何が?という視線を寄越した次郎に、小林は肩をすくめてニカッと笑う。
「旧ヤマトのパイロットシステムは、えらく旧式なんです。操縦桿は重いし、操作性は最悪だし…。よくあれでイスカンダルまで行ったもんだ。なのに、長官はしょっちゅう言うんだな。島航海長はあの原始的なマニュアルで、当時の最新鋭艦を小惑星帯で引き離して巻いたぞ、とか、16時間はぶっ通しで操縦桿握り続けたぞ、って」
呆れたようにそう言った小林の声には、しかし畏敬の念が込められている。いや、…というよりは。それは、一度も会ったことのない伝説の航海長を慕い、夢に見るような口調だった。
「……新生ヤマトの操縦は、それに較べたらずっと楽になるそうです。……だからといって、手を抜くなよ、…それも…毎日言われてる」
そうか……、と次郎は頷いた。
小林の言葉に何か応えたいと思うが、唇を開いてはみたものの、何も言葉は出ない……。
黙ったまま立ちすくむ次郎に、それ以上小林も声をかけては来なかった。急に思い立ったように操縦席のコンソールパネル台に持っていたヤマトの模型を載せる。そして小林は、勢いよく操縦席に向かって最敬礼した。
躊躇いがちに。次郎もその真似をする。
おもむろに、こめかみにそっと指先を揃え。挙手を——兄貴。あなたへの、尊敬の念を込めて…。
小林が、くるりとこちらを見た。
「……邪魔しました。すんません。…ゆっくり航海長と話、してください…」
「え…」
「じゃ」
照れたように踵を返そうとした小林を、次郎は呼び止めた。「…小林!」
なんすか?と立ち止まる顔を、やはりまともには見られなかったが。頬を緩め、次郎は言った。
「……ありがとう。——ヤマトを、…頼んだぜ」
へへへっ。
了解っ。
威勢良く振り上げた右手の拳を、さっと心臓の位置で止め。小林は晴れやかに一言そう言い、破顔した。
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