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シートベルトをしていることを忘れ、次郎はつい身を乗り出した。アクエリアス・エクスプレスと名付けられたこの定期便の、客席の窓から見える…煌めく星——
星、というにはこの氷塊は歪過ぎた。上部表面は数十キロに渡って平らなドライアイスの平原。そして、下部に行くに従ってつららのように垂れ下がる、円錐形を逆さにしたような…信じ難い形状。周囲には、ほとばしる水龍が踊るように襲いかかりながらその形のまま凍ったのか、異様な氷の槍が無数に浮かんでいる。
かつて地球へと魔手を伸ばした水惑星からの大量の海水の渦柱。それは丁度この空間で断ち切られ、行き場を失った水は一挙に周囲を凍らせまるで海溝のような水溜まりを作った。波動砲エジェクターによる爆発のために、瞬間的にその海溝内部の水は沸騰し、さながら容器に入った液体のごとくヤマトをその中に飲み込んだのだ……
すでに月面基地の無人機動艦が数隻、メガロポリスの科学局地下工場からの貨物をここアクエリアス・氷塊ドックへと運び込んでいた。コスモ・スキャナによる断層映像から、ヤマトと思しき金属塊が発見されたのはこの星の表面から地下約10キロの深淵部。再建ドックを建設するために、アクエリアスの裏側には大規模なプラットホームが建造されている。プラットホームの端に、昨日メガロポリスから発った無人機動艦の一隻が係留され、貨物が次々と内部へ搬入されて行く光景が展開されていた。
先日連邦議会で開かれた、迫り来る新たな脅威に対する重要会議…そこで真田が提示した資料映像に、世界中から集まった天体物理学の権威たちは慄然とした。その脅威は、かつて来襲した白色彗星のそれを遥かに凌駕する…。最初に観測されて以来1年以上にも渡り、あの移動性ブラックホールの進路には変化がない。あと、約2年。このままあの脅威が進路と速度を変えないとすれば、地球に残された時間はあと2年と少ししかない。
防衛軍の協力を得て、数隻の有人艦が無人艦隊を引き連れてさらに調査へ向かった。同時に、かつて次郎が開拓省で行なっていた移住先への対外交渉も本格化した。クラビーク太陽系、そしてサイラム恒星系へ、宇宙開拓省から外交官が向かう。ただし移住は最後の手段である。連邦議会では連日、地球を守るための対策が練られた…現存する地球艦隊の全勢力を以てブラックホールを消滅させられないか。進路上にある惑星を破壊することで重力場を形成し、進路をずらすことは出来ないか。
しかし間もなく——
ブラックホールを回避、もしくは撃退する手段は皆無だという結論が出された。これまでの調査からは、あの異常天体が何か人為的な物であるという兆しも皆目見られなかった。広大な宇宙の中にあっては、ごく微細な自然現象なのだろう。だが人類はその微々たる自然災害に対抗する術すら、持たないのである…。
連邦議会の決議は速やかに、一時避難・移住へと焦点を変えた。動植物再生プラントとして機能している10のコロニーや外惑星基地への一時避難、火星のテラフォーミング。果ては、地球そのものの軌道を一時的にずらす方法までが検討された。三日三晩、一睡も出来ないほどの緊迫したコンファレンスに参加し、真田も次郎も精根尽き果てそうになる……
時に、西暦2218年。
ついに地球の指導者たちは『母なる地球からの脱出』を決定し、それを全地球市民に宣言した。タイムリミットは2220年の初春。それまでに、全人類が地球を後にすることになる——。
移住先は、サイラム恒星系・アマールの衛星。アマール星を移住先候補として発見し、その星の支配者に万が一の際の移住の可能性について打診していたのは若き官僚島次郎である。彼自身が一度、商船大学の学生たちと共に現地へ赴き、女王イリヤとの直接交渉に臨んでいた。科学局長官真田志郎は、その事実とこれまでの功績とを加味し、本格化した「移住計画」に際して据えられる「移民船団本部」の代表として、島次郎の着任を連邦議会、そして防衛会議双方に明示した。
移民計画および対策本部を主導するのは、地球連邦宇宙科学局。地球連邦政府、そして地球防衛軍はその指揮下に一般市民の統率、および移民船の大量建造へと邁進することとなる……
しかし、突如降って湧いた天変地異、未曾有の災害への恐れと絶望から、人類のほとんどは実質パニック状態に陥った。地球連邦政府は人民の精神衛生安定のために多大な犠牲を払い、様々な策を施した。それが次第に奏功し、アマールへの第一次移民船団の出発が2219年の秋になることが明確にされた。
地球の総人口からして、一度に3億人を運ぶ船団は最低5回、地球とアマールを往復する計算になる。だが、中には移住を拒否するという人々も現れた。アマールの衛星は現在の地球人類を充分受け入れるだけの規模を有するが、移住させられるのは基本的に「人間」だけである。動植物昆虫など、今まで苦心して大地に復活させて来た他の命あるものたちはほぼ置き去りにされる……種の保存に必要と目されたもの以外は、滅びるに任せるしかなかった。
それを堪え難く思い、それらと共に地球に残ると決定する人々の数も、日増しに増え続けた。選択は自由だ。移民計画には最後の最後で思い直した者たちも迎え入れることが出来るよう、常に余剰を考慮したスペース作りが為されている。それも真田と次郎の采配であった。
そして現在、移民計画は比較的安定した進捗状況を呈していた……公共のメディアで提示されるアマールという星の情報が、移民に対する安堵感を市民に与えたからだ。
自然の豊かな美しい星。そこに住む人々は温厚で、ゆったりした生活を営んでいる。進んだ科学と技術を持った我々地球人類を、彼らは温かく迎え入れてくれるだろう。美しい外見を持つその星の女王からの歓迎のメッセージも、地球連邦市民たちの気持ちを和らげた。過去の侵略戦争を生き延び、やっとのことで手に入れた家や財産を再び放棄しなくてはならないという失望は、新たな星で約束される豊かな生活への期待に取って代わられた。
しかし、一般市民に対しそのような生活への保証が与えられている反面、連邦政府および軍部にとって、アマールへの移住はある意味試練でもあった。
その衛星を地球人類に提供することに対して、女王イリヤが求めた見返りは、地球連邦が持つものと同等の軍事力。イスカンダル、ガミラス、その他多くの侵略国家から得た科学技術を元にした、超科学兵器の情報と開発技術をそっくり彼らと共有しなくてはならないのである。
新たな故郷を手に入れると同時に、実質地球にはアマールと運命を共にするという覚悟が求められていたのだ。もっとも危惧されるべき懸案は、現時点での地球連邦に強力な軍備を統率する機構はあれど、上に立つ指導者がいないことだった。移住したのち、結局地球は他の惑星の用心棒として運命共同体を逃れられない星となるのか。女王イリヤの態度に、それを伺わせる何か不透明な部分がある事も、宇宙開拓省の外交官らの不安の原因であった。
だが、もうこの期に及んで躊躇している時間はない。
リーダー不在のまま、地球人類はアマールを目指し、移住を決意したのである——。
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10万人を収容する数千隻の移民船の建造と並行し、『希望』の再建計画もさらに急ピッチで進められていた。
極秘に作られる厖大な強化装甲板、攻撃火器のパーツ。弾薬、燃料、そして艦載機。そのすべてに必要とされる人、そして資金。それがどこから来ているのかを知った次郎は驚愕と共にそこに大きな意志の力を感じた、——『ヤマトを待ち望む人々の意志』とでもいうべきものを。
資金提供に関しては度々同じ署名の付された書類を次郎も見ていた。その署名の末尾にあるのは、決まって『N』というイニシャル……それはアメリカ自治州に住むさる大富豪だという。真田も、そして彼の部下である科学局の古株たちも決して明言することはないが、その一文字はNanbuの頭文字だということは実は暗黙の了解であった。他方、初期の頃から、異例とも言える防衛軍からの人的・技術的援助を可能にしていたのは、一説によれば『藤堂』の名前だったらしい。
だが、それらの事実を執拗に洗い出そうとするマスコミの尽力は、一向に奏功しなかった。
実のところ、現時点においても『希望』——宇宙戦艦ヤマトの復活は極秘計画であった。その理由は、ソフトウエアの不備である。
その船体や内部の再建は実現化に向かっていた…だが、箱を用意しただけではそれは真に『希望』たり得ない。島次郎が描いた人類救済計画の、最後の一片は『ヤマト』…だが、そのヤマトに生命の火を点したのは、それを指揮した者たちの存在だった。
真田志郎が待ち望む、最後の一片——
それこそがヤマト復活の真の鍵となる。
(……あの隠されたシステムの最終パスワードは、古代さんなんだ)
近づきつつあるアクエリアス氷塊。連絡艇の窓からその瞬きを見つめながら、再度その思いを噛み締める。次郎は窓から視線を外し、傍らに座る真田志郎をそっと伺った。
次郎があの晩設計室で見つけたのは、復活ヤマトに搭載される予定の、とある極秘システムだった。真田は、あれを誰にも知らせることなくそのままヤマトに搭載するつもりなのだ。確かに…あのシステムを起動するには幾つかの条件が揃うことが必要となる。新型波動砲のある特殊な使用条件と、それについて通常では考えられないような決定を下した場合にのみ、起動する回路の存在…。ただし、そのシステムの稼働はヤマトそのもの、その生命自体と引き換えにせねばならないほどのリスクを孕むものである。そんな命令を全艦に下すことの出来る人物は、現時点での乗組員候補の中にはいない。
だが。たった一人、その条件を満たすことのできる人物が次郎の脳裏に浮かんだのだ。
——古代進。
真田さんは、古代さんをヤマトの艦長に迎えるつもりなんだ。あのシステムは、あの人がいなければ…作動しない。
同時に戦慄した。それほどのリスクを孕む事態が、この先に待ち構えているのだろうか…。
しかし肝心のその人は、今遠い宇宙の果てにいる。まさか自分が、希望の最後の一片として待望されていることなど知りもしないだろう。だとすれば…それについては自分にも出来ることがある。
(真田さんは、無理矢理古代さんを連れ戻そうとはしていない…それについては、まだ躊躇しているんだ。それなら、…俺が動きます。どうか…任せてください)
待ち望む多くの人の思いが一つになって、『ヤマト』を甦らせるんだ。
その思いを双肩に、次郎は初めて…その懐に人類の希望を抱いて眠る氷塊へと——降り立った。
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第4章 〜英雄の帰還〜 へ続く