*************************************************
メガロポリス・シティ・ベイに夜の帳が降りる——
地上20メートルにあるバルコニーで、海上に煌めくビーチ・エンド・ブイや小型艇の航海灯を眺めつつ、次郎は佇立していた。手すりに右手をかける。空には下弦の月が出ていた。月の引力に引かれ共に秤動するアクエリアス氷塊は、地球に対し月と同様、常に同じ面を見せている…ここからは、その裏側は決して見ることができない。
Y計画において、物資の搬入はだからその裏側から行われるのだ、と真田は言っていた。次郎が思っていたよりずっと早く、計画は進んでいる。
科学局の中枢はほとんどが地階にあった。セントラル・コーストに聳える科学局の地上階には、官舎、会議室、資料室、食堂等が設けられていて、先ほど彼も、食堂で着任後初めての夕食をすませて来たところだった。
(……食べたものの味もよくわからない、だなんてな…)
正直…、挫けそうだった。
人類救済のための計画。真田が言うように、これを立案したのは実質自分なのだろう。だが、全体を動かす真田の采配は自分の想像の域をはるかに超えていた。
アクエリアスを見上げる。
辛くて見上げることさえ避けていた氷の星…かつてはそんな時期もあったはずなのに、あろう事か次郎は氷塊に向かって問い掛けていた。
(兄貴、俺…できるだろうか?)
俺が…真田さんの役に立つんだろうか。真田さんの頭脳と、それを取り巻く天才の集団に、気後れしている自分がいる…その原因の大半は、くだらないプライドだということも、充分承知していた、けれど。
日中、見て回った工場。紹介されたエキスパートたち。そして、開発される予定の重火器、重爆撃機、新型波動エンジン。その全てを積載するに足るよう、かつてのヤマトの設計図は大幅に書き換えられていた。
今後、数週間以内にアクエリアスへ赴き、実際にヤマトは装備を積むことが可能なのか、一体現状はどうなっているのか…、を調査する手筈になっている。
「……ちっ」
自分で自分に舌打ちした。まさかあのアクエリアスに願いをかけるような真似を…この俺がするだなんて。
“——あそこにいるんだよな、お前の兄ちゃん。…兄ちゃんに、いつでも守ってもらってるような気がしないか?——”
幼なじみの水倉勇馬がそう言ったことを、朧げに思い出した。何オトメチックなこと言ってやがる、と自分はそれに反発したのに。
(なにしょげてるんだ次郎?お前らしくないぞ)
新月の光を反射する氷塊の光の中に、兄の笑顔が…その声が聞こえるような気がして、次郎は「は…」と苦笑を吐き捨てた。こんな弱気でどうするんだ。部屋へ戻ろうと手すりから離れる。…そういや、折原が「オーシャンビューの部屋を見に行きたい」なんて言っていたな。
折原真帆のまん丸の大きな目を思い出し、ふっと和んだ次郎の耳に、突如——無遠慮な声が響いた。
「あっ、いたいた!」
(なんだ?)
声のした方向を見ると、昼間紹介された例の『パイロット』、小林淳が馴れ馴れしく手を振りながらこちらへ近づいて来るところだった。
「よう、エリートさん!飯は済んだかい?」
「………」
ここの取り柄は飯が美味いことだな!フレンドリーにそう話を続けようとする小林だが、次郎にしてみれば苛立ちの原因が増えただけである。小林の方は、憮然として返事もしない次郎に、少々面食らったようだ…
「おっ、どうしたよ?仏頂面しちゃって…?」
いやあ参った参った、早いとこ宇宙へ行かしてもらいたいもんだね、こんな穴蔵にいたんじゃウデもなまっちまわぁ。
肩から両腕をぐるぐる回しながら、次郎の隣へやってきて、バルコニーの手すりをパッと握り、ひょいとその上に腰かけた。
「……危ないぞ」
地上20メートルだ。お前が落ちてペシャンコになるのは勝手だが、俺のそばでやってもらっては困る、そう思い次郎は声をかけた。
「平気だって」
歌うようにそう言って、小林はニカッと笑う。「あんたさあ、ヤマト航海長の島大介の弟だろ?」
「……そうだ」
だから何だ?
小林の口の利き方が、いちいち次郎の癇に障った。第一なんだ、こいつの態度は。タメ口を叩かれるほど俺はナメられているのか?
「俺、実は尊敬してんだよね〜……島大介」
バルコニーの手すりに腰かけ、膝から下をブラブラさせながらこちらを伺い。小林はそう言ってまたヘヘッと笑った。
だから何なんだ。
そう言われて悪い気はしないが、生憎兄貴は、もういない。
次郎が無表情のまま黙っているので、小林は面食らいまじまじと次郎の顔を覗き込んだ。小林としては、ご贔屓の有名パイロットの弟、と聞いて仲良くしたいと思ったに過ぎないのだったが……。
「なァエリートさん、あんたもパイロットなんだろ?戦艦のパイロット…?」
「……!」
こいつ、俺が不機嫌なのがわからないのか…?
撫で付けても撫で付けてもきっとピンと立ってしまうのであろうツンツンの髪に、意志の強そうな眼が輝いている。その屈託のない小林の態度とは対照的に、次郎は自分が恐ろしく無愛想に振る舞っていることに気付く。だが、どういうわけか気持ちを抑えられなかった。
「…俺はパイロットじゃない。軍人でもない、軍属でもない。君の期待を裏切って悪いが、島大介は死んだんだ」
投げつけるような言葉に、小林の方でもムッとしたようだった。
「…あんた、自分の兄貴、嫌いなのか?」
その言葉に思わずかっとなる。…だが、こいつに説明して何になるんだ。寸でのところで自分を抑え、次郎は短く溜め息を吐くと小林にくるりと背を向けた。
「…言葉に気をつけろ。それでもお前は軍人なのか?真田長官が認めても、俺は認めないからな」
「な〜んでえ、お高く止まっちゃって。…ああそうか、あんた…妬んでるんだ、島大介を。伝説のパイロットだもんな、ひっくり返っても弟のあんたじゃあ敵わない、ってわけか、それで」
「黙れ!」
思わず怒鳴る。一体何なんだ、コイツは!
この男に、その名を軽々しく出されたこともそうだったが、半分は芯を突かれて逆切れしただけだった…次郎は小林の胸ぐらを我知らず掴んでいた。
「…やるじゃねえか。気に入ったぜ、エリート」
この局面でまだニヤつくか、この野郎…!そう怒鳴ろうとして思いとどまる。ここで手を出せば、コイツの思う壷だ。
掴んでいた手を乱暴に離した。
「あれ、やんねえのか」 …なんだ、つまんねえな〜。
脇目もふらず、バルコニーを後にした。視界の隅に、小林がにやりとしたのが映る——くそ、くだらない。
(あんな子どもの言い草を…相手にした俺がバカだった)
ヤマトの航海長、あの船の命運を握った兄貴のポジションを…あんないい加減な野郎が継ぐ。
真田に対して、物分かりの良い態度を取ったはいいが…実は内心、その事実に自分はショックを受けていたのだろう。そのいわば“島大介の栄誉”を、自分がこれほど誇りに思っていたとは。無関心な振りをしながらこれほど傷ついていたことに、次郎は自分で呆れ返る。
足は自ずと、昼間連れて行かれた設計室に向かっていた。
防衛軍から出向して来たという技官が、嬉しそうに新生ヤマトの再建計画を話してくれた場所である。
“この時を待っていたんですよ。…僕はヤマトに一度だけ、乗ったことがある。この手でヤマトを甦らせる事が出来るなんて、もう死んでも本望ですよ!”
出向していることは実は内緒なんです、とその技官は言った。夕刻にはあっちに帰らなくっちゃ。そう言って、彼は防衛軍基地司令本部のある方角に、くい、と親指を向けた。
科学局のどのセクションにも自由に出入りできるIDを持つ次郎は、躊躇いなく設計室のドアをくぐる。中には、誰もいなかった。
部屋の中央の大テーブルに設えられたパネルスクリーンがスリープ状態になっているのを再起動する……
設計については自分は門外漢だ。この設計図の全てを解読できるわけではない……だが、「ヤマト」を…、形を成したその姿を、今この科学局で垣間みられるのが唯一、この部屋だったのだ。
左右に3メートル、奥行きが2メートルほどもある大パネルに浮かび上がる、微細な設計図。
——ヤマト。
思い切り、頭を振る……今になって、揺らいでいた。
なぜ俺は、兄貴を追って防衛軍に入らなかったんだ。あんな訳の分からない連中に、大事な思い出を踏みにじられるくらいなら、なぜ…自分が立とうとしなかった…?
薄暗い室内にパネルスクリーンの光だけが満ちる。LEDグリーンの画面に引かれた白い無数の線。艦首の独特の形状から、獅子の咆哮を思わせる波動砲発射孔に目を走らせる……惑星に8万tの巨体を係留するためのロケットアンカー、左右に各三門の艦首ミサイル発射孔。上部甲板に設えられた46センチ三連装ショックカノン、パルスレーザー砲塔、そして高く聳える戦闘艦橋……。
今目の前に確実な数値の集積として息を吹返そうとしているヤマト——。
…難しい組み立て説明書を前に、1/850スケールモデルのプラモデルを四苦八苦して作った幼い頃を思い出す。あの頃…ヤマトのプラモには、憧れと希望が乗っていた、同時に…それを自在に操る、兄への揺るぎない信頼も。
(……兄貴)
その自信に満ちた笑顔を思い浮べ、自分を叱咤する…
(俺がここに居るのは、何のためなんだ…?兄貴のように最前線で戦うためか?)
——そうじゃないだろう。
託された思い。武器によらず、地球を守ると誓った決意。軍には入らないと決めて、それぞれ巣立って行った仲間たち。
そして、もう一人…、自分が信頼を寄せていた男の顔を思い出した。
……古代さん。
宇宙の果てで、この計画に携わることも出来ず、ヤマトの名誉を守るために独りじっと耐えている男(ひと)がいる。……食い入るように設計図の艦橋付近を見つめた。
思いのほか、長い時間…次郎はそうしていたようだった。背後の床に、小さな靴音が落ちたことにも彼は気付かなかった。
アクエリアスへの調査を控え、しばしばここへ設計図を眺めに来るのはもう数日前からの日課のようになってはいたが、ほう…今夜の先客は…次郎くんだったか。
真田は、部屋の照明も付けずにじっと設計図に見入っている次郎の背中を柔らかな眼差しで見つめた。その後ろ姿には…見覚えがあった。
どうした、島。
…ああ、真田さん。いえ、…なんでもありませんよ。
心配して声をかけると、あいつも決まってそう応えたものだ。たかだか18や19で、俺すら尻込みするような責務を課せられていたにも関わらず…あの、男も魅了するような頼もしい笑顔を見せて…な。
そしてその言葉通り、あいつは必ず…やってのける男だった。
(次郎くん…。君が何を思い、何を悩むにしろ。私は君のことも…信じているぞ)
目を細め、次郎の背後で彼の背中を見守っていた真田は、次郎が急に息を飲んだのに気付いた。首を傾げ、設計図全体を二三度ざっと見渡し、慌てたように画面を切り替えている。数回、…いや、十数回。
(まさか…)
次郎の専門分野は設計ではない…ある程度の予備知識は持っているだろうが、教えてもいないのにこのパネルに表れるすべての情報を読み解くことはできないはずだが……
次郎の背中が、痺れたように止まった。…驚愕して呟く。
「………これは!!」
(見つけたか)
——さあ、どう出る?島次郎、きみはその設計図にヤマトの何を見た……?
(5)へ