復活篇へのプロローグ 〜A.D.2217へ…〜(4)

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 時に、西暦2216年…地球連邦宇宙科学局——長官室。



 紅茶を飲みながら、秘書の持って来た電子ニュースウィークにまず一通り目を通す。それが、科学局長官・真田志郎の毎朝の日課である。

「おはようございます、真田長官。今朝はアールグレイですよ」
「ああ、ありがとう、折原くん」
 秘書にしては不相応に歳若く、かつ秘書の仕事に甘んじるにはその頭脳はあまりにも聡く明晰。……折原真帆、彼女が丁寧にテーブルへ用意したティーカップを、早速真田は手に取った。

 真帆はまだ宇宙戦士訓練学校の学生だったが、その才気を真田に買われて科学局の電算室に協力している。彼女のように、学校や他省庁から引き抜かれて勤務する若者は、この科学局ではそう珍しい存在ではない。新開発の波動炉心の整備のためにやはり真田が引き抜いて来た整備士もまだ学生…しかも双子揃っての抜擢である。また、「乗り物」ならなんでも操縦できると豪語し、現実にスーパーアンドロメダ級戦艦の操舵と新型艦載機のドッグファイトを同程度にこなす航法士官もいる。艦載機乗りを自称しているのに外科・内科・脳外科の医師を兼任できる者までいるのだった。
 それはすべて、長官である真田の指示で行われているイレギュラーな人事だ。連邦宇宙科学局の局員たちの中に、自身人間離れした科学の申し子、天才を束ねる天才の長である真田の采配に異論を唱える者は、誰もいなかった。

 そして現在、その真田が真剣な表情で繰り続けている論文がある……分厚い研究論文だ。


「…それはどなたの論文ですか?」真帆がちょっと腰を屈めてそう訊ねた。黒い裏表紙に記された金文字を読む——「…地球連邦大学、天体物理学部首席、島次郎…?」
 わあ、すごい。
 自身天才と噂される真帆であるが、大学を出ているわけではない。訓練生は士官学校をちゃんと卒業した後、やっと防衛大学に入る資格が持てる。しかも地球連邦大学の天体物理学部と言ったら防衛大のどの学部よりもさらに格が上なのだ。
「折原くんなら、連邦大学にも難なく入れるさ」真田は論文からちょっとだけ目を離し、真帆に微笑みかけた。
「でもお、首席は無理ですよ…」
「この島くんは、今年でもう24歳だ。今は宇宙開拓省で役人をしている。折原くんはまだ16だろう?可能性は十分あるさ」
「それは…そうかもしれませんけど」


 笑いながら論文に戻った真田に背を向け、真帆はふと考える。……うーん、島、って。島。島。島……
「あー!!」
 素っ頓狂な声に、真田は紅茶を吹きそうになった。「どうしたんだ」
 勢いよく振り向いた真帆が、嬉しそうに言った。
「長官、その島さんって人。…ヤマトに昔乗っていらした、島大介さんのご家族…ですか?」
「勘が良いな」
 そうだ。彼の弟さんだよ。
「わあ、そうだったんだ!私知ってますよ、”島大介”。小林くんから聞きました。すごい天才パイロットだったそうですね…」人類初のワープドライブを成功させた人。あの時代の、初期の波動エンジンでイスカンダルまで行ったなんて、流石の俺でも尻込みする、って小林くんが言ってました。…すごい人だったんですね。

 ふふふ、と真田は苦笑する——
(あいつの話を…まるで都市伝説でもあるかのように話す若者と、この俺が。…次世代を構築することになるとはな…)

「ああ。…島は、天才だったよ」
 人も物も不足していた戦時中にろくなシミュレーターもないまま、試運転の機会すら与えられないままに。本番一発勝負で俺たち全員、いや…地球人類全体の命運を背負ってな。しかも当時、あいつはまだ18歳だった……
「うわあ。流石の小林くんでも、それは負けですね…!」
 その人の弟さんかあ、なるほど〜。
 うん、と一人大いに納得し、真帆は頷いた。…で。

「長官?…まさか」
「ん?」
 ——もちろんさ。彼は現在、宇宙開拓省に勤めているが、ここに…招致するつもりだ。
 
 にやりとした真田の表情を、真帆は面白そうに見つめる。
「真田長官?一体、何を計画してらっしゃるんですか?そろそろ話してくださっても」
「………いずれわかるさ。すべてのカードが揃えば、君にも自ずと見えて来るはずだ」
 真帆は真田の言い草に、肩をすぼめてまた笑った。「…楽しみですね」
「…ふふふ」真田も相槌を打つように微笑んだ…

 ——だがそれは……決して楽しいこととは限らないが…な。




 真田の手にしている、島次郎の研究論文…それは、彼が連邦大学在学中に発表し物議をかもした異色の論文だった。端的に言えば、島次郎が描き出したのは「軍備によらず異星人の侵略に対抗する手段」だったのである。
 論じるまでもない荒唐無稽なテーマだと学部長は彼の論拠を却下した。だが現実には地球人類の寄りどころとなる決定的な希望は今すでにない……「地球には、もうヤマトがない」のである。
 ヤマトなどなくても、この平和は護り抜ける……そう言える根拠が、今の地球連邦政府にはなかった、同様に地球防衛軍にも。



「次郎くんは、驚いたことに…私と同じパズルをしていたんだよ」
「パズル…?」
「折原くん。今外宇宙から異星人の侵略を受けたら、人類は生き残れると思うかい?」
「ええと…それは」
「…彼がやっていたのは、異星人の侵略や避けようのない天変地異から全人類を逃し、生かすための条件を組み上げる…複雑なパズルだったんだ。方法は当然幾通りもあるが…彼の着眼点は驚いたことに私とそっくりだった」


 大規模な戦艦を次々に建造し、コンタクトラインを敷衍し。資源を確保するために無数の航路を拓き、他の銀河の文明と交渉する…地球が今、存亡をかけて行っているのはそうした事業である。無論、無駄・無益な事業ではない…だが、そればかりではかつてのような侵略戦争から生還することはできない。地球が惑星としての機能をも奪われるような未曾有の危機に面した場合、現在備蓄している艦艇も資源も拓いた航路もすべて無駄になってしまう。もっと柔軟な発想で有事に備えた宇宙開発をする才覚が必要だ。
 島次郎は、それまで政府や軍や宇宙開拓省が主眼にしてきた単なるパイオニア事業を、「地球が生き延びるための宇宙開拓事業」へと変換しようとしているのだった。

「おそらく、今…かつてのような侵略戦争が始まったら、人類は容易に屈してしまうだろうな」
「なぜそう思われるのですか?長官」
 真田は真帆の無垢な口調に微笑んだ。「…希望が、ないからだよ」
「希望…?」
「人間は生きるため、未来を勝ち取るために頭上に輝く何かを求める生物だ。無敗の旗印、勝利の女神。…古来より我々は『希望』を胸に戦い、そして『希望』を持つが故に生き延びて来た…」
 だが、今の地球には。——『希望』が、ないんだ。

 自分の言わんとしていることを懸命にイメージしようと思案する真帆の様子を、真田は微笑ましく見守る。無理もない…現時点で真帆たち若者の眼前に広がる世界には、それほどの危機は見えていないからである……
「いずれわかる。まだ時は来ておらん」
「……そうですか」
 残念そうだな、と真田はまた笑った。

 そのナゾナゾは、当面の宿題ですね、と微笑んで退室する真帆の後ろ姿を見送りながら、真田は少し冷えた紅茶を口に含んだ。

(島、次郎…。あの幼かった島の弟が。いつの間にか…)
 気付けば、次郎はとうに兄の年齢を超えていた。幸いなことに、兄を失った体験は彼の人生を狂わせることはなかったようだ。宇宙天体物理学学会で見かけた次郎は、まるで兄の再来のようで、その屈託のない笑顔と人なつこい態度に惹かれない者はいない。教授連中も彼をこぞって可愛がっていたようだ。ただ、学部長だけは「図に乗るな」と常に彼に釘を刺していた、と聞いている……この論文を「荒唐無稽だ」と片付けたのも、何か芯を突かれるようで不安になったからでもあるのだろう。
 一介の学生がまさか、宇宙科学局長官のこの私と同じ理論を唱えるとは、学部長も思っていなかったのに違いない——。



 真田は、次郎の分厚い論文をもう一度パラパラとめくる。

 島次郎と真田のパズルには、たった一つ違いがあった。…それは、「希望」をどこに見いだすか…という点である。
 様々な研究に裏付けられた人類救済のための措置、幾重にも備えられた万全の計画…そして、最後に必要なもの、それは…「希望」。人類を支える、決して消えない灯火、それがこの計画の…最後のワンピース。
 島次郎、彼の最後のピースは<ヤマト>だった。

 しかし私の場合のそれは。



(——古代進。この計画の最後の一片は、お前なのだ…古代)

 

 

 

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