復活篇へのプロローグ 〜A.D.2217へ…〜(3)

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 緑化の進むメガロポリス郊外。武蔵野の丘陵に造られた人工湖のほとりに、進と雪の家がある。トンネルを一つ抜ければすぐに都心部へ抜けられる利便性と、山一つ隔てたところに広がっているとは思えないほど気持ちのいい自然…その両方を兼ね備えた高級住宅地。人工とは言えきわめて美しい湖を眺めながら、広いバルコニーで食事が出来る…というのをひどく気に入って、二人で選んだ家だった。



「ねえママ、お願い」
「駄目よ、…何度も言ってるでしょう」

 風呂上がり、バスルームからロ—ブ一枚で髪をバサバサ乾かしながら出て来て、美雪は連日の押し問答の続きを母に振った。「ねえ、どうして駄目なの?」
「何度同じこと言わせるの。学校帰りにフィールドパークに行ってたら、帰りが遅くなるでしょう。誰があなたを家まで送り届けてくれるの?」
「だからぁ、それはパパが誰かに頼んでくれるって言ってたじゃない」
「…それがダメになったのよ、それも言わなかったかしら?」
 それより早く服を着なさい!
 んもーーー!
 パパ、頼りないんだからぁ、と美雪は頬を膨らませた。



 自然の豊かなこの住宅地は、景観を重視して造られたガーデン・トラストと呼ばれる保存地区を兼ねているため、チューブの駅がない。住民は皆、通勤や通学に自家用車を使っている。美雪の小学校からも住宅地のセントラルスクエアまで送迎バスが来ているが、学校帰りに山の向こうの佐渡フィールドパークへ寄るとしたら、帰りの足がなくなってしまうのだった。

「ただいま…」
 玄関から声がした。
「あっ、帰って来た!」
 ぴょん、とソファから飛び降りると、美雪は一目散にリビングからバスルームへ取って返す。もう10歳である。いくらなんでも、下着もつけずにパパにお帰りなさい、なんてことは出来ないから。

「あーあ…参ったなあ」
 准将の徽章が付いた長い上着を脱ぎ、制帽をソファにポイ、と投げる。進は長い溜め息を吐いてからリビングを見回した。「…美雪は?」
「…進さん?帰った途端あたしを素通りして、美雪は?だなんてひどくない?」
「あ…?ああ、ははは…」

 ゴメン、雪。ただいま。——うふ、おかえりなさい、あなた。
 微笑みながら自分を迎えた雪に、進はただいまのキスをした。「夕べは帰れなくてゴメンな。なんだか…酷いことになって来たんだよ…。防衛会議も散々だった」まあ、後で話す。…ベッドの中で、な。
「…分かったわ。でも、大丈夫…?夕べは寝られたの?」
「まあ、ちょっとはね」
 あなた、ベッドに入ったら何も話さないうちに寝てしまいそうね。
 いや、それはない。難しい話は省略して、別のこと…しちゃいそうだけどね……
「んふふ」
 リビングの真ん中で頬を寄せ合い睦んでいる夫婦に、娘が呆れ果てていた。「……お帰りなさい…パパ。ママ、もうそろそろいい?」



 
 結局、進は一昨日の晩、連邦議会からの呼び出しを受けて出て行き…そのまま一昼夜戻らなかったのだった。
 2203年以降、地球防衛軍は衰退の一途を辿っていた。「地球連邦政府」も「地球防衛軍」も、もとはと言えばガミラス帝国からの侵略に対して統合された全地球的規模の新生連合政府、また連合軍である。連邦政府機構は地球連邦市民にとってはすでになくてはならないものになっていたが、「地球防衛軍」に関しては必ずしもそうではなかった。この10年、地球が一丸となって立ち向かうべき宇宙からの侵略者は現れず、各国自治州の力関係はそのため次第にバランスを崩していった…各国が経済支援する防衛軍機構にも次第に歪みが出始めたのである。
 電子制御パネルに、英語だけでなく日本語が表示されることになった経緯も、そこに端を発していた。経済力や技術力で言えば日本自治州とアメリカ自治州がやはり群を抜く。そのため、警報・エネルギーゲージなど、瞬時に視覚へ訴える必要のあるスクリーン表示には英語に加えて漢字を使うよう、日本自治州知事が連邦議会に求め…信じられないことにそれが通ったわけだった。事実上の、後進国排除。艦船の乗組員は、英米人と日本人だけだとでも言うのだろうか。
 もちろん、それだけではなかった。進や雪にとってもっとも深刻だったのは、かつて共に闘ったヤマトクルーのうちの幾人かが、不安定な各国自治州の軍事バランスをさらに著しく崩す汚職事件の渦中に巻き込まれた、という事実だった。



「ねえねえパパ?」
 そのドレッシング取って、と言いながら、美雪が訊いた。「こないだ言ってた、お迎えの人はどうしても駄目なの?」
「え?」お迎えの人?
 夕食のテーブルを3人で囲んでいた。大きく切り分けたステーキを頬張ったまま、古代は聞き返す。「ホメン、あんだっけ?」
「美雪、しつこいわよ?」
「だって」

 自分でも信じられないほど空腹だったらしい古代は、雪の手料理を次から次へと頬張った…、パパ、何か忘れてたかな…?モグモグ。
「…ねえパパ、あたしと話する気、ある?」
「うん」ごっくん。「もちろん」
 ぶう、と頬を膨らませ、美雪は父のフォークを持った右手を押さえる。
「次を食べる前に、きいてよ」
「はいはい」
「佐渡先生の動物病院で、アシスタントをしたいの。でも、帰りの足がないからだめだって、ママが言うの。こないだパパ、誰かに迎えを頼んでくれる、って言ってたじゃない」
「あ…」
 ああ、それか。
「あーそれか、じゃないわよ!」
「ああ、うん。…パパの都合で、頼めなくなっちゃったんだよ…。動物病院の件は、佐渡先生が送ってくれる日だけ、にしたらどうだい?」
「…それじゃホントに土日だけ、ってことじゃない」
「うーん…」

 雪が腰に手を当てて、んもう、と諌めた。「お父さんったら甘いんだから。美雪、駄目よ。動物病院へ行くのは、自分で通えるようになってからにしなさい。15になればエアバイクの免許も取れるんですからね、それまで待つの!」
「えええ〜〜〜っ」
 一刀両断。父としては、娘の殊勝な頼みは出来る限り聞いてやりたい。…だが、今のこの状況だ。仕方ない。
「ごめんよ、美雪。状況が変わり次第、パパがかならず都合をつけてやる。もうちょっと待っててくれないか」
「もうちょっとって、いつよぅ…」


(まったく、もう…進さんったら)
 娘にメロメロに弱い夫に、雪は心底呆れるのだった。

 

 ***

 

「…あなた…まだ気にしてるの?」
「…まあな。だってほら、ネコも飼いたいって言ってたのに、それも叶えてやれなかっただろ」
「仕方がないわ。だって」
 世話をする人がいないんですもの。…私も科学局で仕事があるし、あなたは一旦宇宙へ出たら長いし。
「……俺があんな事件に巻き込まれてなければな」
 佐渡先生のところで動物の世話をしたい。そうまでして動物と触れ合っていたいのなら、そのくらいの夢は…叶えてやりたかったんだが。
「次郎くんに、美雪の送り迎えを頼んでいたんだ。でも断った。彼は春から官僚だろう。だから尚更、俺たちに関わらない方がいいんだ」
「ん…そうね」


 ベッドサイドのカーテンから月明かりが漏れている。ゆっくりと上体を起こした雪の裸身が、蒼い光に柔らかく映える…
「…雪」
「黙って」
「………」
 温かな唇に言葉を塞がれる——確かめるようになぞり…吸うと、ふいと離し。「進さん。…私も、何か手伝えないの…?」
「何か…って?」
「……あなたを助けるために私が出来ることは…何かない?」

 睫毛に月の光が散りばめられているように見えた——ああ、雪。……君はいつも、いつでも…俺の還るところだ……
「…君がここにいてくれるだけで、俺は充分…助かってる」
「総合士官としてなら、私、護衛艦にも乗れるのよ…?」
「護衛艦?そうか、戦闘指揮も出来るようになったんだって?」
「……またバカにする」
 ちゃんと訓練課程を受け直したんですからね。あなたが大型、受け直したみたいに……。
 柔らかな胸が、自分の心臓の上で吸い付くように形を変え…共に鼓動を打つ。進の身体の上に跨がりながら、雪は呟いた…「一人で…頑張らないで」
 ……ね?
「ああ」
 君になら…任せられることはたくさんある。今こうして…ひとつでいるように。君は…俺の片腕としても働ける、優秀な…奥さんだから。
「波動砲は、撃てませんけどね…」
 ああ、と喘いで…雪は全身を震わせた。
「波動砲?…それは…俺の役目だ」
「うふ…やあね…」

 ——発射するのに停電していた頃が懐かしいな。最新鋭艦の動力炉はかつての数倍強靭だ。連射できる炉心も開発されてるそうだぜ。
「あなたと同じ?」
「…うーん、もう歳だからな。ちょっと連射は無理かも」
「そうなの?」


 
 ——試してみようか…?
 …ふふ。


  

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