復活篇へのプロローグ 〜indication〜(1)

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「…なんだ、あいつのあの頭は…!」
 父の怒声が、リビングから聞こえた。



 …うるせえ

 そう口の中で呟く。父に対して何か反応するのすら億劫だった。目にかかる前髪、後ろで束ねられるほどの襟足…ふざけんな、あの地球屈指の戦闘指揮官だって、こんな頭してたじゃねえか。父が次郎に髪を整えさせたい本当の理由は、「彼が島大介の弟だから」なのだ——
(…いい加減にしろ。俺を兄貴と較べるんじゃねえよ)

 母は、例によって寂しそうな表情(かお)をするだけで、次郎を諌めることはなかった。「お父さん、私が言って聞かせますから」そう言って次郎と父の間に入ることはしても、次郎自身には「いけません」とも「やめなさい」とも言わない。その代わり…母はことあるごとにはっと息を飲むような仕草をする。それも次郎の癇に障った。
 自分のこの声に…否応無く兄の声を想起するのだろう……電話に出た時、ふと呼び掛けた時。母が一瞬無言になる理由を、次郎も知っている。自分でもまったく気付かないうちに、いつの間にか声までも兄に似て来ていたらしい。だから次郎は、変声期を迎えてしばらく後……無口になった。

(今さら…なんだっていうんだよ)
 大好きだった兄を、今頃になって…恨めしく思う。兄弟は似て来る、そんなの…当然じゃないか。

 幼かった頃は柔らかで、茶色がかっていた次郎の髪は、中学に上がる頃にはしっかりした黒髪に変わっていた。入学式に、きちんと前髪を揃え額を上げた次郎を見て、学校長が感慨深気に言った言葉が忘れられない——
「君が…島くんか。いやあ…実にお兄さんにそっくりだ。本校でも模範生として頑張りたまえ」
 言外にほのめかされるひと言…「あの島大介の弟」。酷い時には、見知らぬ人までが同じように自分の名字を口にする。だが、名前の方は呼ばれない…「島大介の弟」、それが次郎の代名詞、だった。


 中2の春。学期の始まる前には必ず行くはずの床屋に、次郎は行かなかった。そのまま、数ヶ月。わざと表情を隠す前髪に、父が苛立ち始めた。学校でも数回、注意されている。服装検査に立ち会った教員は、だが次郎を厳しくは諌めず…ごく親身にこう言った。
「…君のお兄さんは立派な軍人だっただろう。身だしなみもきちんとしていたじゃないか、先生はよくテレビで見たよ。お兄さんが泣くぞ」
 だが、それを境に次郎はぶち切れたのだ…
「俺を…あいつといっしょにするな!!」
 小さかった時とは、何かが違う。今さらながら…あのヤマトのメインメンバーだった兄の偉大さを突き付けられ。次郎は狼狽え、反発するしかなくなっていったのだった。

 

 ***



「次郎、何やってんの?」
 背中から名前を呼ばれ、ほっとする。彼を「次郎」と名前で呼ぶのはほんの数人…仲のいい友達だけだ。長髪に両目を隠し斜に構えてみても、妙にワルに徹することの出来なかった次郎は、下校時間を過ぎても学校のコンピューター室に籠っていることが多かった。
 …ああ、…勇馬(ゆうま)か。
「なんだっていいだろ」
 勇馬は次郎の幼なじみである。

 幼なじみ、と言える友達は、次郎には3人ほどしかいない…かつて近所に暮らしていた仲間達は、度重なる侵略戦争で散り散りになり、今消息の知れているのは幹生、広太、そして勇馬の3人だけだったのだ。それでも運のいい方だ、と次郎が知るのは、もっとずっと後のことである。 
 彼らが住んでいたメガロポリス中心部は、自治会による自警団が敷く防犯体制が万全だったため、治安も比較的良かった。だが都市周辺部では戦後も絶え間なく暴動が起き、犯罪の犠牲になる者も多かった。子どもたちの暮らしは、異星人からの攻撃がなくなっても、決して安泰なものではなかったのである…。
 かつて遊星爆弾から逃れ人々が地下都市での生活を余儀なくされていた頃、幹生と広太と勇馬の3人は地下へと魔の手を延ばす放射能汚染により健康を害し、入退院を繰り返していた。幹生と広太は地下都市に移ってから自宅への放射能漏れによって健康被害を受けたのだが、父親の実家に疎開した勇馬はその地で被害に遭った……自宅の周囲半径約4キロが、遊星爆弾の直撃を受けたのだ。生き延びた母と二人きりで都心部の地下仮設住宅に戻って来た後も、母子は闘病生活を送らざるを得なかった。勇馬の放射線障害は深刻で、普段は平気な顔で登校して来るがその実は、強烈な副作用を伴う薬が欠かせない身体なのだった。



「お前、早く帰れよ。身体辛くないのか」
「…平気だよ。今日は具合良い方だ。…帰ってもさ、うち、誰もいないんだよ。晩飯食って来いって言われてるし」
「ふうん」
 勇馬の母は、自身も放射線障害を抱える身であるにも拘らず、看護師として日々献身的に患者に尽くしている。彼女は自らの身体を鞭打って生活の糧を得、その上病魔とも闘い続けなくてはならない。

 次郎は理不尽な思いをまた飲み込んだ。軍人に支給される放射線障害治療の薬と、民間人へ処方されるそれとは効能が段違いなのだと聞いたことがある。まだ兄が生きていた頃、古代進の宇宙放射線病をあっというまに軽減した軍病院での治療について次郎も聞かされたのだった。不公平だ、勇馬たちにも同じ治療をしてやれないの、と問うた次郎に、兄大介は残念そうにこう言ったのだった。
「…俺たちが特殊な医療の恩恵にあずかれる理由は…なんだと思う?最前線へ行って、戦うためなんだよ…次郎」
 だが、軍人になればよく利く薬がもらえるのだ、と短絡に理解した次郎は、勇馬に言った……それはほぼ、親切心からだった。
「お前も訓練学校に入れよ、そうしたらいい薬がもらえるぜ」
 だが、勇馬は奮然と首を振って答えた。「いやだよ。死ぬために身体を治療して、何になるんだよ!」

 愕然とすると同時に、理不尽だ…と感じずにはおれなかった。
 戦うための部品を補充するための医療。現在研究されている医学はそのすべての分野が「戦闘員」を優先的にサポートするためのものだ…ということを次郎が肌で理解したのは、やっと中学に上がってからだった。この世界は、大きな侵略戦争が終わっても…未だに闘いの最中にあったのだ。

 この2206年現在、世の中のすべてに共通するのは八方塞がりの倦怠感であった。それは否応無く、次郎の生活にも影を落としている。
 確かに…迫り来る脅威に対して、人類が一丸となって立ち向かう必要はすでにない。目の前の生命の危機は一通り去った。だが、人々の生活は決して活気や希望に満ちたものではなかったのだ。侵略の危機を生き延びたのは事実でも、その反面、あまりにも失われたものが大き過ぎた。家、家族、財産。そして多くの人が深刻な健康被害を抱えていた…身体の欠損や傷病、精神的絶望感、深い心的外傷。世界全体が、破壊された日常を細々と再生する努力から抜け出せないままだった。
 それでも…。多くの仲間が欠けたにもかかわらず、当たり前のように学校が始まり。父は会社へ、母もボランティアなどへ出掛け。嘆く間もなく、復興のうねりに一人一人が飲まれて行き——。

 その生活は2203年から淡々と……続いているのだった。




「なあ、次郎はやっぱ、訓練学校へ行くのか?」
 勇馬は次郎の隣のデスクの椅子を引くと、すとんと腰かけた。闘病しているせいで、華奢な手足。
「…行かねーよ」
「そっか」
 さすがに、勇馬は次郎の兄のことを不用意には口に出さない。根は優しいはずの次郎が何を思い悩み、なぜ真っ向から教師や親に反発しているのか…そのわけを知っているからだ。だが、次郎自身は相手が勇馬だからこそ、兄のことを話してもいい、と感じていた。

「…兄貴とこれ以上較べられるのはご免なんだよ」
「お前の兄ちゃん…すごすぎるもんな」仕方ねーじゃん、と勇馬は笑う。「俺、いっつも思ってたぜ?あの人が俺んちの兄ちゃんだったらなあ、って。そしたら、おかんも苦労しないで済んだし、病気も治してもらえただろうし…第一、かっこいいじゃん」
 お前、贅沢だよ……と溜め息をつく勇馬に、次郎はフン、と鼻を鳴らす。
 うるせえよ。俺の身にもなってみろ、ってんだ。

 二人はしばらく、コンピューターの水平画面から立ち上がる3Dホログラム映像を眺めていた。次郎が検索していたのは植物の遺伝子構造である…
「お前、なんでこんなの見てんの?」
「……面白いから」
「変な奴」
 フツーさぁ、放課後VHD(ヴィデオ・ホログラム・デバイス)でなんか見るなら、もーちょっとマシなもんにしねえ?
「…例えば?」
「…エロ画像」
「殺すぞてめっ」
 しししっ、と笑う勇馬を睨みつけた。…学校のデータベース端末にかかってる有害サイトフィルタなんざ、10分もありゃ履歴も残さず解除してやらぁ。でもね、そういうことしないのがまともな人間なの!
 言いながら、次郎は思いつくまま興味を持った項目の解析グラフィック画像をネットの海から探し出し、次々と立ち上げていった。

 汚染に耐える食物の遺伝子操作。植物だけではない。動植物すべてのDNA構造の基本から、地球外生物と交配した上での種の保存の是非。地球外コロニーでの食物供給量と、純地球産の食物生産量の比較。火星と木星にある植物再生プラントの構造図。海水と大気の循環、著名な天体物理学論文……その項目はランダムに、多岐に渡った。
 次郎が検索して眺めている3Dグラフィックを一緒に見ていた勇馬が、ふと呟く。
「…お前、科学者になれば?」
「は?」
 やだね…俺はサッカー選手になるんだよ、と言いかけて手元のデータに目を落した。自分は何を目的に、こんな物ばっかり…見てるんだろう。

「次郎さぁ、…また地球が宇宙人に襲われると思ってんじゃないの?」
 もう一度、勇馬がぼそり。
 何バカなこと言ってんだよ。そんなこと、あってたまるかよ…
 モゴモゴ言っていると、勇馬が真顔でこちらを見ているのに気がついた。
「俺さ、バカだけどさ、…なんか見えちゃったぜ。お前、逃げようとしてないか…」
「は?」
「地球から逃げようとしてるんだろ」
「なんでだよ?」
「パズルだろ、それ」
 勇馬、どうしちゃったんだ?面食らっていると、勇馬は次郎が検索していたデータの履歴を指差し、押しのけるようにしてキーを叩いた……


<地球外移住に必要なエレメント>…ENTER


 途端に、今まで次郎が順不同に検索していた項目が一斉に画面上に並び、ずらりとある系譜を描き出したのである。
「…な…なんだ…これ」
「なんだ、じゃねーよ、次郎…お前無意識に検索かけてたのかよ?!」
 呆れ返る勇馬そっちのけで、次郎は慌てて画面に見入った。勇馬がパズルだ、と言ったのは、あと数項目揃えば<地球外移住に必要な要素>がすべてコンプリートするからなのだった。
「……あと…必要なのは、移住の目的地と規模だな。日本を移すだけなら…大型船で何隻必要なんだろう」
「バカ言え、おい勇馬、なんで地球から逃げなくちゃならないんだよ!!」
 我に返って声を上げると、勇馬は平然と返した。
「俺は、次郎がそういうこと調べるの、そんなにおかしいことだとは思わないけどな」


 だって。


「…地球には、もうヤマトがないから、さ」
「ヤマトがないって」

 ヤマトなんか、なくたって。…そう言いかけて…——愕然と、…した。

 

 

 

 

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