Original Story 〜a love potion



=1=

 テレサが目を輝かせて「素敵…!」と言ったので、それを注文することに同意した大介である——振り袖、だ。
 かつて、彼女が着ていたあの碧いドレスを思い起こす。袖がふわりと長くて膝の高さまで引きずるような、…青い蝶のようなその故郷の星の衣装。足元は衣擦れするくらい長くて、きりっとした和服とはまた違うのだが、そうか…、晴れ着を着たキミも見てみたいな…と呟いた途端、それの購入は決まったも同然だった。

「午後には採寸に反物屋の方が来てくださるんですって」
 顔を綻ばせてテレサが言ったので、慌ててそれを押しとどめる。ちょっと待った、母さん。
「機密だって言っただろ!?」
 彼女の存在は、その…ああ、もう…!!
 出来る限り内密にしておかねばならないはずの、「テレザートのテレサ」の存在だ。なのにこのところ、次郎の悪友たちやらお出入りの植木屋、父の同僚など…この家にはどうも彼女目当てとしか思えない来客が多すぎる。ご近所にもどうやら「長男の美人の嫁」の噂が広まりつつあるようで、大介は気が気ではなかった。
「平気よ、だってテレサ…すっかり普通の」「しーーっ!!」
 なによぉ、いやあね、家の中なのに誰が聴いてるって言うの?…と屈託なく笑う母に、溜め息を吐く。壁に耳あり障子に目あり、って言うだろ!!不特定多数の人間が彼女の周囲に接近するのは、極力避けて欲しいんだってば…!

 結局、モニタの向こうで猛反対する大介のおかげで、仕立てのための採寸は小枝子が念入りに行い、オーダーはビジュアルホンで済ませることになったのだった——。

 


=2=

 ——師走。
 さすがの無人機動艦隊極東基地も年末年始は稼働しない…わけはない。大晦日だろうが元旦だろうが、地球の絶対防衛ラインは休むことなく堅固に守られている。宇宙からの侵略者に暮れも正月も関係ないからだ。だが、「何が何でも島さんは帰ってください」という徳川太助の好意を、大介は有り難く受け取ることにしたのだった。
 まあ、色々あったけど今年も無事に過ごせたな…と新居のリビングでまったりと。バーボンのグラスを片手に、大介はソファに沈み込んだ。ラベルに4輪のバラが描かれた、大衆向けのウィスキーだが「お裾分け」だと古代からもらった貴重な品である。アルコールでも醸成に時間のかかるタイプのものは、未だに希少品だ。その昔は700mlは入っていたというウィスキーの瓶も、今はもっと小さくて、うっかりするとソフトドリンクのボトルと間違えてしまう。
 大きな氷をグラスに入れて、そこにちょっとだけ琥珀色の液体を注ぎ…
「くは」
 古代の奴、いつもこんなの飲んでんのか。一口飲んで、そういえばバーボンって…アルコール度数40くらいあるんだよな、と思い出す。

 ハタチになったばかりの頃、古代が火星基地の旧友とワインで酒盛りをした、という話を思い出した…その旧友は、残念ながら暗黒星団帝国の侵攻で亡くなったと後から聞いた。中性子爆弾攻撃による、瞬間的な全滅。それ以来最近まで、古代はワインを敬遠していたらしい…、無理もない。代わりに奴が飲むようになったのは、このウィスキーって代物だ。

 …酒ってのは…どうやら思い出と一緒にあるみたいだな。

 かたや大介にとって、バーボンは…失恋の味だった。祝ってくれよ、とグラスを差し出され、生まれて始めてこの酒を口にしたのは…古代と雪が結婚式を挙げた晩のことだったのだ……

「…何を笑っているの…?」
 
 笑ってる?…ああ、そうか。
 大介は、不思議そうに問うた美しい碧眼の妻を見て…改めて微笑む。キッチンに居たと思ったテレサが、いつの間にかソファの隣に腰かけていた。バーボンは失恋の味、やけ酒の思い出。しかしそれは遠い昔のことだ。
「思い出し笑い?」
「…ああ」
「なあに?教えて…?」
「やだよ」
「なんで…?」
「駄目だよ」
 ふふふ。笑うしかないじゃないか…。君が今はこの目の前にいるのに、言えるわけないよ。一層自分が可笑しくなって、また一口、ウィスキーを含む。
 だが、ふいに寂しそうな表情になったテレサを見て、大介はちょっと慌てた。悪気はなかった…そりゃあまあ…理由も話さずに「やだよ、駄目だよ」なんて、意地悪だったかな?
 久しぶりに飲んだ高アルコ−ル度数の酒のせいで、大胆になっていたのかもしれない。そもそも、それは言わずに忘れてしまうつもりでいたことだった……
「……俺は…雪が好きだったんだ」

 言ってから、はっと気がついた。隣に腰かけていたテレサが、小さくえ?と驚いたのだ……
「雪って、…雪さんのことですか?」
「あ…ええと…」
 空から降る雪のことだ、と誤摩化せば良かった。だが、酔いが回っていたからなのか、瞬時にそんな詭弁など思い浮かばず…大介は「うん」と頷いてしまっていた。今俺が愛してるのはキミだけだ。今さら過去の話を持ち出して、狼狽えるのもおかしな話じゃないか。俺が雪に惚れてたのは事実なんだ…、隠したって無意味だ、と開き直る。

「実はね…雪は古代の嫁さんだが、俺は…彼女が好きだったんだ。古代より、俺の方が先に彼女に惚れたと思う。…まあ、それはもう、ずっと…昔のことだよ」
 君に出会った途端、雪のことなんか忘れてしまったんだ…
 次にそう言うつもりで、またグラスに口を付けようとした途端。手元から、グラスがひょいと宙に浮いた…ように見えた。テレサが、両手でそれを取り上げたのだ。
「…そんな話、初めて聞いたわ。…なんで今そんなことを…?」
「おい、続きがあるんだよ、聞いてくれよ…」
 笑いながら、グラスを取り返そうと手を伸ばす。だが、「いやよ」尖った声と共に、テレサがソファから立ち上がったので我に返る。
 しまった…怒ってるのかな?
「ねえ、テレサ」
 苦笑する。聞いてくれ。俺が愛しているのはキミだけだ。雪を好きだったというのは、君に出会うずっと前のことなんだよ……
 ただ、実はそれは半分嘘で、半分は本当だった……だって、君は俺の前からすぐにいなくなってしまったじゃないか。だが、それはいくらなんでも言うべきでないことだ、という理性は働いた。
 普段の彼女なら、理由も問題の経緯も聞かずに怒ったりはしない。それが分かっているから、大介は慌てて弁解したりはしなかったのだ。
 グラスを持って突っ立ったまま、テレサはそっぽを向いた。
「どうして…?それならどうして私を愛してる、だなんて」
「テレサ」話を聞けよ。
「島さんの…嘘つき」
「へ…?」
 ヤキモチ?…お、これは珍しいぞ。
 雪の件をうっかり口に出した自分は軽率だったかもしれん…でも、何も後ろめたいことなどないのだ。その事実に加え、テレサがヤキモチを妬いているという滅多にない現象に、少々そそられてしまう……もうちょっとだけ様子を見てやろう。
「何も嘘なんかついてないよ。好きなのはキミひとりだ。そりゃあ…雪も素敵だけどさ」
 わざとひと言、余計に付け加えると、テレサがくるりとこちらに向き直った。頬が真っ赤だ。
「雪さんは素敵です。…かっこいいし、奇麗だし。でも…好きだったなんて…」
「怒ってるの?」
「怒って…るって」
「そういうのをね、ヤキモチを妬く、っていうんだよ」
「…そんなの知ってます!」
 不服そうに唇を尖らせ、大介のグラスをテーブルにたん、と置いた。ん?どうしたんだ、テレサ?


 ふと見ると、テーブルの上にはグラスが2つ、乗っている。さっき、バーボンを飲み始めたときは俺のグラスだけだったはずなのに、いつのまに増えたんだろう……?
「テレサ?」なんだか様子がおかしいぞ…?
「島さんの…ばか!!」
 彼女はいきなり倒れ込むようにして覆い被さって来た…そしてそのまま大介の膝に乗り、その首をぎゅうと抱きしめる。
「お…おい」
「ばかばかばか…!」

 まさか。
 俺と一緒に何かを飲んでいるとしても、テレサならジュースかなんかだろう、と勝手に思い込んでいた。テーブルのグラスの底に残る、琥珀色の液体。俺の使っていたグラスには氷が入っているが、もう一つのグラスには氷はない…なんてこった!彼女、バーボンを…ストレートで飲んでたのか?!


「ちょっとテレサ…!」
 一体、どのくらい飲んだんだろう?!テレサを膝に乗せたまま手を伸ばし、慌てて小瓶を取り上げてみる。半分以下…いや、底にほんの1センチほど残ってるだけだ…。冗談じゃないよ!俺より飲んでるじゃないか。
「島さん…島さんのばか。愛してるのに…島さん」
 彼女の瞼の周りがこれほど真っ赤だったのは、そういうわけか。
「しょうがないなあ…君は」飲んでしまったものは仕方がない…だが、どうだ…これ。いきなり酔っぱらったからなのか?普段の彼女とのギャップが堪らない…
 ばかばか、と言いながら、テレサは大介の背中を力のない拳で数回叩いた。叩きながら、頬擦りしてくる…と思ったら、いきなり耳たぶを噛まれた。…背筋がぞくっ。
「こ…こら」
 あ…やばい…。
 こっちもほろ酔い加減だ…理性に制御されなくちゃならない理由もない。答えるように、テレサの唇を探した。

「いやよ」
 雪さんが好きだって言ったくせに。
 あろうことか、頬を押し戻される。…こいつめ、と思わず口元が綻んだ。
んもう、いや、と身体を捻って大介の膝から降りようとする彼女の肩と腰を捕まえ、ソファの上に押し倒し……かなり強引に唇を塞いだ。
「んんっ」
 アん、うンン…と声が漏れる……ばかばか、と言ってるんだろうか?喘ぎ声と区別がつかない。おい、逆に興奮するじゃないか…

 こんな彼女を、大介は見たことがなかった。従順、貞節…テレサのイメージは常に清楚な百合の花のようで、抱きすくめた後に拒否されたことなど一度もなかった。だが、…こういう展開は悪くない。むしろ…。
 唇を塞がれながら大介の背中を叩いていたテレサの手が、深い口付けに呼応して痺れたように止まり、強張らせていた身体がすっかり弛緩する。唇を離して、大介は苦笑した。
「なんで笑うの…?」
 …不服そうだね。だって、君が話を聞かないからだよ。
「聞いてるもん…!」
 少女のような口調に、大介はさらにゆっくりと微笑んだ…あは、こんなしゃべり方もするんだ……
「…可愛いよ…テレサ。……可愛い」
 そう言われ、テレサのとろんとしていた瞳の焦点がきゅっと合った。紅い頬が、さらにぽっと紅くなる……
「…雪より何倍も…何百倍も可愛い。雪より何万倍も素敵だよ。雪よりもずっと愛してる、君だけだ…テレサ」

 失恋の味のはずが、媚薬になってしまうなんて…と最後にもう一度、苦笑した。二人でたったの300mlほどしか飲んでいないのに、その晩は…かつてないほど刺激的だった。普段は受け身の彼女があんなに大胆だったなんて。酔いが醒めると同時に眠気も醒めてしまった大介だが、確実に彼よりバーボンを多く飲んでいるテレサはまだ火照った頬のまま。いつもは声を上げるのをこれほど我慢していたのかと驚くほど…彼女は素直に可愛い声で喘いでいる……
 彼女の記憶はもしかしたら曖昧にしか残らないだろうが、大介は否応無く一部始終を覚えている。こんな夜を忘れてしまうにはあまりにも惜しい。

(……俺が雪を好きだと言った事、…明日もう一度覚えているかどうか訊いてみなきゃ)
 差し当たって、それだけはしっかりと。
 忘れてくれていればよし。覚えていたら…?
(だとしても、俺が愛してるのはテレサだけだ)
 何も問題ないさ。
 愛撫に応えて甘美な呻き声を上げる彼女に、もうしばらく…酔っていよう…… そうして、大介はもう何度目かわからないキスを彼女の唇に、身体に降らせた。


 

=3=


「素敵!!」
 嬌声を上げる母とは対照的に、着付けをされている当のテレサはちょっと困惑気味だった。苦しいのである。カタログで見ていたときは、こんなに色々な物で身体をぐるぐる巻きにされるとは思ってもみなかったのだ。この時代、日本の民族衣装には略式のタイプも無数に存在した…重ねの部分が固定されていて、横のファスナーを締めればワンタッチで着付けの済むような楽な着心地の晴れ着も売られているのだ。だが、小枝子がそんなまがい物では納得しなかったのである。
 それでも、着付けが済んで…ほら、ご覧なさい、と言われ姿見を振り返った途端。テレサは自分でも驚くほど……気持ちが晴れやかになった。
「まあ……!」
 白地に鮮やかな蝶と牡丹が染め抜かれた振り袖を着た自分。長い髪は後ろに結い上げてもらい、美しいかんざしがその金色の髪に光っている。しゃなりと下がる長い袖。
「奇麗よ……テレサ!すっごく奇麗!!」
「どれ〜?出来たかい〜?」
 楽しみに待っていたのは、大介ばかりではない…父康祐もしっかり和装して、着付けが済むのを待っていたのだった。ああ、こんな素敵な嫁を連れて初詣に行けないなんて…と彼女に聞こえないところでぶつぶつぼやく。
「親父〜」
 次郎が例によって苦笑…いや、声を殺して爆笑している。
 母と和室から出て来たテレサを一目見て、大介も父と同じように感じた…こんなに素敵な君を、どこへも連れていけないなんて……。
 だが、そればかりは…致し方ない。

「奇麗だ。見とれちゃうよ…」
 君は本当に、素晴らしい。父たちの手前、なんだか言葉に出して褒めちぎるのは気恥ずかしい。だからさり気なくひと言、否応無く綻んでしまう頬は押さえようがなかったが。
「……雪さんよりも…?」
 上目遣いにテレサが大介を見上げ、彼にだけ聞こえるような小声でそう呟いた。口元が僅かに尖る…不服そうな、それでいて悪戯っぽい笑顔。
 …覚えていたか。
「当然だ」
 妖精のような身体をぐいと抱き寄せ。大介はその耳元で囁く…「愛してるよ」…雪よりも、誰よりも。

 ちぇっ、目の毒だ。そういうのはあっちでやってくれよ、とぼやく次郎に、ふふん、と一瞥をくれ。父が用意したカメラの前に、テレサの手を引いて立った。初詣には行けないけど、せめて家族でいっしょに写真を撮ろう。ひとつひとつ、過ぎて行く時を…確かな思い出に。



「良いお年を」
 ——2210年が、あと数時間で終ろうとしていた。

                                                 <了>

 

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あとがき