おまけ。(2)

 しかし、心配は無用だった。胸のつかえが取れたように、テレサは小枝子に心を開いた……それは専ら、「生活必需品」についての質問から始まった。

「…ポセイドンに居た頃、調べられる範囲のことは調べたんですけれど」
 大型軍艦の医務室にあるものと、一般の家庭家屋にあるものとでは調度品も室内の作りもまったく違う。スーパーウェブで調べても、出て来ないものは無数にあった。そう、当たり前過ぎて、である。


 まずは、差し当たり、服。
「買いましょ!!」
 もう、大介ったら。なんでこの子、こんな服しか持ってないの??軍艦の艦内服と、誰かのお下がりが数着……?
 小枝子はテレサについて入った彼らの寝室のウォークイン・クローゼットに並ぶ彼女のワードローブに文句たらたらである。息子が、彼女には手を出すなと言わんばかりだったためにほとんど任せ切りにしていたが。家具なんてどうでもいいけど(新居のリビングも。息子は今まで一体何をしていたのか、この数日間で揃えられるものは無数にあっただろうに、まだテーブルセットも食器棚も、何もないのだ!)女の子としてこれはないでしょう!
 それから、…お化粧品ね。まあもちろん。そのままでも奇麗だけど。
「ここの空気は、思ったより乾燥してるでしょう?紫外線もきついから、とっととどうにかしないとあなたのその奇麗なお顔、シミだらけになっちゃうわよ?!」
 質問した方のテレサが面食らう勢いで、小枝子はウェッブ速配便で思いつく限りの服と化粧品のサンプルを取り寄せ始めた……。


 

 夕方、弟の次郎がハイスクールから帰宅した頃には、テレサと小枝子はすっかり仲の良い母子、のようになっていた。
「お帰りなさい、次郎さん」
 次郎は、自分を玄関ホールに迎えに出て来たその姿に、思わず固まる。今朝方、心もとない様子で一緒に食事をしたテレサが。母のエプロンを着けて、手には布巾を持ったまま。…これ以上はない、といった笑顔で笑っていたからだ。
「あ…ええと」ただいま。
 へえ?…母さんと二人きりで残されて、どうしているかと思ったけど…。案外、平気だったんだ。
 一家の中で、大介の次にテレサと馴染んでいるのが次郎だ。
「ふうん…。テレサ、今日はずっと母さんと一緒に居たの?」
「ええ」
「母さん、どうだった?」嫁いびり、されなかった?
「…ヨメイビリ?…ってなんですか?」
「……何でもない。母さんに言うなよ?後で、ウェッブで調べること」
「は…い」
 ?
 次郎はテレサのきょとんとした顔を見て、思いっきり笑った。



「あとは、お父様ですね…?」
 リビングのソファにひっくり返った次郎の目の前に、テレサが「はいどうぞ」と出したのは「おやつ」の皿であった。母が、兄弟のまだ小さかった頃よく作ってくれた、サツマイモの茶巾しぼり…いや「スィート・ポテト」である。
(おいおい…手作りおやつ、ってやつか?母さんってばよー…。早速テレサと調理実習、か?)いや、まあ。…嫌いじゃないけどさ?
「父さんは遅くならないと帰って来ないよ?夕飯の後だろ、大概」
 親父の帰宅時間なんて、俺良く知らねえなあ。
 そう言って、次郎はまた笑った。母がアイランド型のキッチンから笑い返す。「あら、なんであんたはこんなに早いのよ?」
 あなたの帰宅は、大抵7時頃だったと思ったけど?まだ日没前ですよ?
「え?そりゃあさあ。…だって…なあ?」
「?」
 だってなあ?テレサが心配だったんだもん。なあ?
「…そうなんですか?」あら、どうして?
「……へへへっ」
 次郎はまた誤摩化し笑いをし。一口大に形作られた、手製のスィート・ポテトを一つ、口に放り込む。「……甘っ」しかも、ちょっとイビツ。
「……甘過ぎますか?…つい、甘いのが…好きで、私」
「これ、テレサが?」
 ハイ、と嬉しそうに笑うので、ついついもう一つ、二つと「おやつ」は次郎の口の中に消えてゆき。
「ふっへっへ〜、兄貴…残念がるな」これ、テレサの手づくり第一号じゃないの?兄貴の分、…取っておいたって半月先だもんな、食えるのは…。

「母さん、良かったじゃん」ソファの背越しに、キッチンにいる母に呼び掛けた。
「何が〜?」
「一緒に料理できる女の子が来てさ」俺たちにもよくやらせようとして、結局失敗してたもんな。兄貴は多少出来るみたいだけど、俺は料理なんてからっきし駄目だもん。「ていうか、俺、食べるの専門だし」
「そうよー、おかげさまで、テレサはあんたたちより数倍賢いわよー?」 
 褒められたテレサはぽっと頬を赤らめる。だが、その頬に当てた左手の人差し指に絆創膏を見つけ、次郎はにやっとした。

「…でも、ぶきっちょなんだ?」
「次郎さん」
「それ、包丁で切った?」
 バツの悪そうな笑顔。
「もう、次郎?そういう意地悪言わないの!」
 母が笑いながら、紅茶のカップを3つ載せた盆を持ってやって来た。ソファに誂えた低いテーブルにカップを3つ移すと、自分もテレサの隣に腰かける。
「初めてなんだもの、ねえ?包丁触るのなんて」
 フードカッター使えばいいのに、やってみる、って言うのよ。テレサはチャレンジャーなんだから、水差さないのよ、あんたは。
「大変だねえ、テレサ。兄貴案外ステレオタイプの女が好きだもんな」こりゃ苦労するわ、あははっ。
「…ステレオタイプ…?」
「まぁたくだらないこと教えるんだから!」
 そう言って小枝子が苦笑した時、玄関から太い声がした——「ただいまー」

「お父さん?!」「父さんだ」
 小枝子と次郎は、顔を見合わせる。だって、まだ…夕飯前だぜ?
「……帰ったよ〜…」
 いそいそと、上着を脱ぎ…、ネクタイを緩めながら。康祐がリビングに入って来た。
「お帰りなさい、お父様」テレサはぱっとソファから立つ。康祐が、その姿を見て心な
しか頬を緩めるのが見てとれた……げ、親父ってば。鼻の下伸ばしてる。

 次郎と小枝子は、顔を見合わせ。
「ぶ…はははは」「あはははは!!」
 面食らってきょとんとしているのは、テレサひとりであった——。

 なんということはない。
 彼女は「自分が島さんを家族のみんなから取り上げてしまったようだ」と感じていたのだが、その実は。…大介が、テレサを独り占めし、家族から取り上げていたようなものだったのだ。




「いいねえ、娘ができたみたいで」
 康祐は誰にともなくそう呟いた。
 それを聞いていた次郎は、またぶっと吹き出す。
「大介兄ちゃんがいないから、余計そんな感じがするんだろ」
 小枝子と並んで、キッチンに立っているテレサ。あれこれと指図しながら、夕食をこしらえる小枝子の様子もいつになく嬉しそうで、康祐はなんだか夢のようだと思う。我知らず頬がまた緩んでいるのも、いかんともし難い事実である…。新聞の陰から二人をのぞき見ているところなんか、親父ってば素直じゃないよな、と次郎がまた笑った。

 

 

 

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