<〜いってらっしゃい…〜>
「明日からね」
「…寂しいかい?」
そう問われ。ちょっとだけ笑ってテレサは首を振る。
「そうか。…俺は、寂しい」
——ずっと、このまま…君とこうしていたい。
「島さんったら」
まるで腑抜け。蜜月、とはよく言ったもんだ…、と大介は思った。本来なら、新婚旅行ってものに行って、二人きり別世界で楽しむものなのだろうけれど、テレサの身の上ではそれは叶わない。だから仕方なく…この家が新婚旅行先なのだ。
ずっと二人で、新居いえに籠っていた。ベッドにいる以外の時間にしていたことと言えば、せいぜい空を見上げて雲や飛んで行く鳥を見たり、庭に降りて、土や草を触ったり。…時々注文した家具や調度が届くのを見守り。食事時にはふらりと母屋へ行って。テレサはみんなで食事をしたがったが、大介は鍋ごと新居に攫って持って帰りたがった。
それほどまでに、二人きりで居る時間が惜しい。
まるで病気。
(その通りだ…笑わば笑え)
家族に苦笑されていることも、重々分かっている。自分のこんな姿を、恥ずかしげもなく両親や次郎に曝け出してしまうことなぞ、ついぞ考えもしなかった。
だが、この甘い時間も今晩でもう終る。明日から勤務に復帰するのだ。宇宙ではなく、地上勤務。勤務地はこの家から数十キロ離れただけの、トーキョーシティ・ベイの対岸だ。だが、君をこの家に一人置いて。半月ほどは、戻れない…そんなことに、…俺は耐えられるんだろうか。
「…行きたくないな…」
柔らかな膝枕に頬擦りして、そう呟いた。
上目遣いにテレサを見上げる。「…呆れてるだろ」
困ったように、テレサは小首を傾げた。
「……あなたの本心を尊重するべきなのかしら。それとも、叱咤激励したほうがいいの?」
真面目なその言い草に、まいったな、と大介は苦笑する。
「私は、あなたとずっとここで…こうしていたいわ。でも、そればかりではだめでしょう…?」
私、お母様にお料理を教わりたいわ。お食事したら、お皿を片付けるべきだとも思うし。…いつもそのまま、こっちへ来てしまうでしょう?
…なんだか、私があなたを…お母様や次郎さんから取り上げてしまったような気がして。このところ、ちょっと心苦しいの。
「…テレサ」
大介はぽかんと口を開けて彼女の言葉を聞いた——君の判断は、いつも正しい。それに較べて。
「…俺、成長してないな…」
「…?」
どういう意味ですか?とテレサは問いかけ。そして、あ…と気付いたように笑った。思い出したからだ——テレザリアムでの、出来事を。
僕と一緒に来てください、ヤマトへ!
それがかなわないのなら…。
むしろ僕は、…ここに残りたい——!
それほどまでに。君と一緒にいたいんだ……
…どういうわけか、君の前では駄々っ子のようになってしまう。
ほら、笑ってる。やっぱり、呆れてるんだろ?
「俺は…ずっと変わってないんだな…。ずっとそう思って生きて来た、多分…これからも」
「島さん…」
「こんな格好悪いとこ、他の誰にも見せないんだからな」
成長することでこの思いが褪せるくらいなら。俺はずっと未熟なままでいい。
膝に仰向いて寝ていた大介が、寝返りを打ってテレサの腰に腕を回した。ぎゅ、とそのまま、彼女の下腹部に顔を埋め…抱きしめる。
「…だめよ」
優しい声が、降ってくる。「嬉しいけど…それは、だめ。あなたを待っている人が、沢山…いるのでしょう?」
あの時とは、違うわ…
「私はずっと、ここで待っているわ。もう2度と、どこへも…行きません。あなたが会いたい時に、帰って来てくださればいいの」
「テレサ」…またそんな、真面目な顔で。「…本当は君も寂しいんだろう?」
寂しい、って言ってくれよ。離れたくない…って。
こんなにべたべたに君に甘えたい、と思うなんて。俺だって、自分が信じられないさ…。
「……あなた」
溜め息のような、甘い声で…君がそう言った。「…わかっているくせに」
蒼い間接照明に照らされたテレサの横顔が、ほんの少し哀し気に俯いた。「…寂しいわ。離れたくない…」次の休暇には、あなたは必ず帰って来ると分かっているのに。それでも。
あ。
なにも、泣かなくても。
……ごめん…。
起き上がり、思わず抱きすくめる——
明日の朝には、しばらくの…お別れだ。最後にもう一度、君を抱いても…罰は当たらないよね…?
初めて彼女の美しい顔が苦痛に歪むまで…追い求めた、激しく。俺の痕跡を、その身体にはっきりと残したくて——。
***
「いってらっしゃい」
翌朝、母屋の玄関先で…母小枝子がいつものようにそう言った。次郎は、俺が出掛けるより先に家を出る。次郎のこちらを見る目がこころなしか照れているようで、大介も照れ隠しに「じゃあな」と笑ってみせた。さあ、こっちも初出勤だ。
初めて着る、防衛軍司令部の制服。藤堂長官と同じカーキ色の士官服だ。トレードマークの白いスカーフを、テレサがそっと胸元で整えてくれた。
微笑むその白い首筋に、赤い痕。慌てて、耳打ちした。(…首、ごめん、赤くなってる。…母さんに見えないようにしとけよ)
「えっ」慌てて首元に手をやるその肩に、改めて手を回し、頬にキスを。
「行って来る。…愛してるよ」
あーあ。母さんと、父さんの目の前でなあ…。自分まで、こんな風になるとは思わなかった。
同じように思ったのか、満面の笑顔で父康祐が母の肩をぎゅうと抱き、「わしも行って来るよ」と言ってその頬に大きな音を立ててキスをした。そして、あはは、と笑う。母が、苦笑して父を小突いた…
「んもう、お父さんったら」
目を丸くしてそれを見ていたテレサは、急に思い詰めたような顔で大介に抱きついた…今にも泣きそうだ。
(行かないで)そう言われるかと思う……
「……いってらっしゃい。…愛しています」
確かに彼女の目には涙が浮かんでいたが。精一杯、笑顔を作って。
すっかり涙ぐんでしまったテレサを慰めるように母がその肩を抱き、手を振るのを背中に見届けて。大介と康祐は門扉を出た。
「駅まで送って行きましょうか、父さん」
「いや、このくらい歩くさ」
お前こそ。頑張れよ。今日が新しい職場での初仕事だろ。
「ご心配なく。副司令とは言え、実質僕が今度の基地のトップなんですから」
「生意気に」
「ははは…」軍隊式の敬礼をしてみせる父に朗らかに笑いかけ。ガレージから車を出し、大介は湾岸へと向かった。
居並ぶ新顔の管制官たちが、さっと一斉に最敬礼する。頷いて答礼し、島大介はおもむろに口を開いた。
「無人機動艦隊極東基地副司令、島だ。本日より私が君たちの指揮官となる。君たちも知っての通り、この無人機動艦隊は有人艦隊の出撃支援、後方支援を行う重要な“護りの艦隊”だ。各員、心して任務に当たれ」
かつて、テレサ、君が命を賭けて護ってくれたこの星。だが、2度とそんな犠牲を出させることはないだろう。多くの命の盾となるべく生まれて来た無人機動艦隊…それを操るこの部署で、俺は再びこの星を護る。
今度こそ、君と共に生きる…この星を。
<了>
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<あとがき…じゃなかった、言い訳へ>w