「星の航路」(2)

 

<〜大地の実り〜>

 皿に乗った2房の葡萄を目にしたテレサが、驚いたように言った。
「島さん、……これは、何?」
「葡萄だよ、前にも食べたじゃないか?」
 
 翌日の晩。デザートの皿の隣にコーヒーカップを2つ置いてから、大介も彼女の腰掛けている2人掛けのソファに腰を下ろした。
「昨日食べたパウンドケーキにもこれの干したのが入ってたぜ」 
 ああそうか…、房になっているのは初めて見るのか。

 それは、彼の母親が母屋での夕食の後、「持って行って二人でお上がりなさい」と持たせてくれたものである。
 葡萄を一房取り上げて、ぽろりと幾つか実を外す。濃い紫色の直径5〜7ミリほどの実を数粒、手のひらに乗せ。
「ブドウ……?この植物は、地球にもあったのね……」
 テレサが茫然と呟いた。
 
 それは、もうずっと以前のこと。
 初めてヤマトの乗組員が、孤高の女神——テレザートのテレサのもとへ馳せ参じた折りのことだった。
 無機質で透明な、まるで水底のようなあの宮殿で、彼女は地球からやって来た戦士たちにもてなせるだけの心づくしを振る舞った。滅びたテレザートの地表には、花も果実も実らない。そも、テレザートの植物は肉厚の花弁しか持たず、緑色の繊細な葉もなく、陽に透けるような華奢な花びらも付けない……しかし、宮殿で彼らに振る舞ったその植物の実の一つが、この地球の「ブドウ」という食べ物に酷似していたのだった。

「葡萄は、君の星にもあったの?」
「……名前は、違うけれど」
「そうか。俺も食べてみたかったな…」
 ——思い出す?故郷のことを…
 彼が躊躇いがちに肩を抱いた。
「古代さんたちには…お出ししたのよ……テレザリアムで」
「えっ…?」
 彼女は、腕の中で笑った。
 …心配しないで。思い出してももう、辛くないから。
「そう…、あの人たちを見ていたら、いっしょに来ていた分析ロボットが『ナナイロブドウだ』って言っていたの」
「アナライザーか」
 ……そう、確か、そう言っていた。あれは…ちっとも七色じゃなかったのに。その直後に彼が遅れてやって来たので、接待用に出したフルーツのことは、テレサもすっかり忘れてしまったのだ。
「ふうん…。じゃあ、俺は食べ損ねたんだね」
「…そうよ」今となっては、あの果物の名前も…それがどんな味だったかも、思い出せないのだけれど…。



「……美味しい」
 掌に載せた冷えた粒を、一つ口に入れ。テレサはにっこり笑った。
「皮も食べちゃったの?」
「…だって、小さくて皮は剥けないわ」
「こうやって、指で押し出して、吸うんだよ、ちゅ、って」
 大介は右手でやってみせた。
「…??」
 粒があんまり小さいので、指と唇に隠れてしまい、よく見えない。
「だから、こう……」
 彼はもう一度、今度はテレサの目の前で、人差し指、中指と親指を使って粒から果肉をうまい具合に押し出して見せた。
「あ、……こぼれる」
 紫色の皮から透明な果汁と淡い緑色の果肉が溢れ出て、指から滴り落ちそうになる。テレサが慌てたので、大介はそれをそのままひょいと、彼女の半開きの唇の中に放り込んだ。
 つまんだ冷たい果肉と、彼女の温かい唇の感触が同時に指先に伝わる。そんなつもりはなかったのに、胸が互いにどきんと音を立てたので、二人は思わず視線を泳がせた。
「…吸って。ほら、汁がこぼれちゃうよ」
 俺、食事の前に手を洗ったっけ。
 ——そんなどうでもいいことばかり頭に浮かぶ。
 テレサは慌てて、大介の指先を吸った。
「……テレサ」
 その柔らかい唇の感触に、心ならずも動揺する。…思わずそのまま指で彼女の唇をそっとなぞった。…葡萄を追いかけるように、その口の中に人差し指を差し入れ。


 ——柔らかい……。
 彼女の舌の上で、指に軽く歯が当たる——
 二人は思わず、困ったように顔を見あわせた。
 お互い、相手の瞳から目が離せなくなる…
「吸って…。俺の指」
 え?という顔をする彼女がまた可愛くて、大介はすっかり葡萄のことを忘れてしまった。「吸って…」
 恥ずかしそうに自分の手を添えて、テレサは人差し指をそっとくわえた。時々指の腹を舌で舐め上げるようにしながら…小さく音を立てて、それを吸う。
 まったりと絡み付くその舌と唇の感触に、堪らなくなって、大介は切ない吐息を漏らす。…もう少し奥まで、入れても…いいだろうか。
「ん……」困ったように顎を引いて声を漏らしつつも、彼女は目を閉じて指を奥へ受け入れた。柔らかな舌を指で優しく何度もなぞると、テレサは戸惑いながらも大介の手首に両手を添えて、一生懸命それに応えてくれた。


 部屋には葡萄の甘酸っぱい香りが満ちている。もう片方の手で、彼女のブラウスの胸元をそっとはだけた。気のせいか甘酸っぱい香りが立ち上る……


「……私……地球に来て、良かった」
「…わかってるさ……」
 テーブルの上のデザートの葡萄は、半分ほど残っている。それは、半時間ほど前からそのままになっていて——。

 


 
「島さん、葡萄の味がするわ…」
「君だって」
「……いい匂い……」
 目を閉じて、テレサがもう一度唇を寄せて来た。
 行こうか、このまま。……また…航海(うみ)に。

 

 

 

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