「星の航路」(1)

 大地から見上げる、このどこまでも青い…空。
 この惑星の大気の厚さは、6000メートルほどもあるのだという。故郷の星ではあり得なかった、空が直接宇宙につながっているという…不思議。
 この地球の空にひとつ光る、大きな…恒星。あれが地球人類の、太陽。夜になると、月が。そして星も無数に…光る。あの星々はこの地表からいったいどれほどの距離にあるのだろう…あれがすべて、燃え盛る恒星だということを思い出させるような激しさは、微かに瞬きするような煌めきからはまるで感じられないのだった。

(…私の故郷、テレザート…。あの星の昼も夜も…光も闇も。すべて、人工的に造り出されたものだった…)

 原始のテレザートの内核惑星には、星も月も太陽もなかった。地熱の循環に従って32時間おきに気温が上下する、それに合わせた日照時間をかの星の科学者たちは太古に創り上げ、内核天井に大きな「太陽」を設えたのだ。それは、あの星が最後を遂げるまで…仄かな光を地上に届けてくれていたのだった。その事実はテレザートの人類が、どこか別の世界からあの惑星へ降り立ったことの証明でもあったが、それがいつの時代のことだったのか…は、もはや知る術もない——。



 ***



 180日余の航海を終え、巨大な輸送艦<ポセイドン>が降りたのは、信じられないほど広大な…「海」だった。水平線、というものを、テレサは初めて目にした。故郷の「海」は、もっとずっと…小さく、浅かったのだ。
「イルカよ」
 波間に跳ねる、光る大きなほ乳類が、吃水線近くの医務室の窓から数頭、見えた…それを指差し、艦医の
グレイスが満面の笑みを浮かべる。
 海の中型ほ乳類は、生物の中でももっとも早く海洋汚染を乗り越えた。大型の鯨や食用に出来る魚は未だその種の復活を見ていないが、人に慣れ、医療技術を受け容れる知能のある水棲ほ乳類の再生は早かったのだと言う。

 ——ああ…生命に満ちあふれた星。
 島さん、あなたの…地球——。




 この惑星ほしで、私はどうなるのだろう。テレサはずっとそればかりを考えていた。

 昨日まで数ヶ月間は、巨大な船の医務室の中で暮らしていた。優しい医師と、任務の傍ら訪ねてくれる「友達」…そして、大好きな…あなた。
 しかし、眼前に——あの、夢にまで見た青い惑星が見え始めた時。彼女はやはり戸惑い、狼狽えた。あの星、あなたの故郷で生きたいと、あれほど願ったはずなのに。
 初めて呼吸したその星の大気は胸に痛かった。…拒絶されているのではないかと、ほんの少し哀しくなった。そして、足元を抑えつけ影を地に縫い止めるような重力に…思わずよろけて。
 自分の周囲に広がる、この星のすべてに……テレサは圧倒された。

…けれど…。
「心配ない」俺がずっと、いっしょだ。
 あなたはそう言って、しっかり私を抱いてくれた。
 
 ゆっくり慣れて行けばいいよ。俺たちの時間は、これから先は…無限にあるのだから。


 

 

<〜星の航路〜>


 春が過ぎ、太陽が降ってきそうな夏が訪れる。
 
 式なんて、いつでも出来るさ。
 彼はそう言ったけれど、みんなが承知しなかった。

 機密保持のため、そして安全性の高さという点でここに勝る場所は他にないから…と言う理由で。海上に浮かぶあの船の上で、私と彼は“式”を挙げ——。



 シティ・セントラルにある、大きな邸の敷地内に新しく建てられた可愛らしい家に、彼は私を連れて行ってくれた。母屋の玄関で、名残惜しそうに手を振る彼の弟に、私も手を振り返し。…ふと彼に尋ねる。
「私たちと次郎さんたちとは、…同じ家に住まないのですか?」
「…大昔に書かれたこの星の聖典の通りにね。男は、その父と母を離れてその妻と一つになり、とある。結婚したら、地球人の男は自分の家族と家を持つんだ」
 …しかつめらしくそう言った彼は、直後にぷっと笑った。本当はそんなんじゃない……二人きりでいたいこともあるだろ?だからだよ。
 そう言って、彼は改めて照れくさそうに笑ったのだった。


「これが…君と、…俺の家だ」
 花嫁を、新居に抱いて入る。…そんな古の慣習も頭をよぎるが、後ろで次郎や母さんたちが見てるからな。苦笑して、ただスライド式のドアをくぐった。
 ここは、玄関。靴は脱ぐんだよ。…もっとも、俺が育った家ではみんな、土足のまま生活していたけどね。最近流行の、純日本風にしてみたんだ。
「…純…日本風?」
「あはは…わかんないかな」昔の日本人は、屋内では靴を脱いで生活していたんだって。その方が健康にいいって、最近言われてるんだよ……
「その方が好きよ」
 テレザリアムでは私も、裸足だったの。
「…えっ」
 そうか、それは…気づかなかった。だから君は、足音がしなかったんだね…? 

 ガランとした広い部屋。板張りのフロアに、大きな窓からの陽光が温かく差し込んでいる。
「ここに、昨日一緒に選んだ草色のカーペットが届くよ」
 ダイニングセットは…どれがいい?カタログを片手に、彼が訊いた。
「…島さんの好きなものを」
 照明やカーテンや壁紙は…?
 ——みんな、島さんの好きなものでいいのよ。
 そう言ったら、彼はまた、あはは…と笑う。
「わかった。…じゃあ、君の気に入ったものが見つかったら、一つずつ注文しよう」当座は食事も、座布団を敷いて床で食べればいいさ。

 ただ、寝るところだけはないとな。…だから、寝室は…俺が勝手に用意しちゃった。
 ——連れて行かれた二階の寝室。彼は天井の大きな照明を点けずに、足元と壁の間接照明のスイッチを入れた。
 柔らかな青い光に部屋の調度が美しく浮かび上がる。
「…島さん」これって。
「頑張ってみたんだけど…どうかな」
 …カーテンも、足元のカーペットも。二つあるベッドの上の枕もベッドカバーも、何もかも…そう、壁紙まで!上品な深い青色を反射して、いつかどこかでこの場所に来たような…そんな錯覚を起こさせた。

 思わず、笑みがこぼれる。「……テレザリアム…?」
「あたり」良かった、分かってくれた?「結構考えたんだぜ」
 天井の照明を点けてしまうと分かりにくいんだけどね…
 照れくさそうに笑う彼に、思わず抱きついた。



 テレザリアム。
 溢れるほどの幸せを、真実の幸せを…初めて感じた場所。全存在をかけて、この身を護ってくれたあの宮殿。愛しいお父様、お母様との思い出の場所、そして大好きなあなたに初めて会い、初めての抱擁を交わした懐かしい場所……
「…嬉しい」……忘れたくなかったから。
「よかった。賭けかな…って思っていたんだ。喜んでもらえるか、それとも泣かれてしまうか」
「嬉しいわ」
 …しまったな。やっぱり泣いてるじゃないか…
「うふふ…」
 あなたとなら、どんな場所でも生きて行ける。どんなに辛いことも、乗り越えて行ける。今までだって何度もそう思ったけれど、今また改めて…そう思うわ、島さん——。

 ——水底のような蒼い間接照明の光の中で…二人は口付けを交わした。



「よし、チェック終了」
 えっ?と思った途端、抱きかかえられていた。…なんのチェック?
「…あの、あの島さん?」
 ん?——と彼が聞き返す。
 なんとなれば…面食らっている間に、テレサはそのままベッドに載せられていて——
(何のチェックをしたの…?)
 そう訊こうとした途端、唇を塞がれた。
 寝室のチェックを。ここで、俺と寝ても良い、と思ってくれたんだろう?
 そ…それは…そうだけど…
「もっと説明が必要?」
 テレサの着ている服は、…前に丸いボタンが7つ付いた、白いブラウスと紺色の裾の長いスカート。彼は3つ目のボタンを外す手をちょっとだけ止めて、そう訊いた。
 着替えなら、自分で出来ます。それとも…
「これは…地球の慣習…ですか?」
 ごめんなさい、まだ…不勉強なの。
「まったく、不勉強だ」
 彼はそう言いながら、笑いを堪えきれないでいる。「こういう場合は自分でボタンを外してはダメだ。慣習というより、…俺の好みです」

 テレサのIQは驚くほどの数値だ。
 真田が唸ったほどである。……技術省に彼女をくれ、と言外に何度もほのめかされ、断るのに四苦八苦する始末。おそらく、電子機器や通信機を扱わせたら彼女は超一流のスペシャリストになるだろう。…だが。彼女の頭脳の中にあるものは溢れるほどの知識の宝庫かと思えば、この星では何の意味も持たないものであったり、地球の科学自体では実践も応用も…いや証明すらまだ不可能なオーバーテクノロジーであったりした。
 地球人ならごく当たり前の情報が、テレサにとってはすべて目新しいことばかりで、彼女が真面目に訊いてくることの大半が大介にとっては微笑ましい……もちろん、一度説明すれば、必死になって覚えようとしている新たな知識と関連づけ、瞬時に彼女はその意味も…派生する言葉の含みもほぼ正確に把握してはくれる……
(にしても、天然)
 ——それがものすごく、可愛い。
「結婚」の意味は、知っているはずだ。それなら、なぜ…こうしていることの意味を察しないんだい…?

「あなたの…好み」
 また、そんな真面目な顔をして。…大介は苦笑する。
「情報が…特殊すぎるかな」男心とか、嗜好のベクトルとか…そんなのは、人それぞれだものな。
 まあ、いいさ。それなら君の優秀なコンピューターに、俺の…俺だけの情報を全部、インプットしよう。
「…航海を成功させるには…可能な限りたくさんのデータが必要だ」
 そこから、必要なものを選択すればいい……思いつく限りの方法で、俺は君にデータをあげる。
「えっ…?あの……」
 データと、航海と…。ここにふたりで横になっている意味が、どう…交わるの…?
「こういう風に」
 嫌なら、止める。…ストップ、って言えばいい。
「どうして、嫌だなんて?」
 外されて行くブラウスのボタン。下着に彼の手がかかる。露になる肌に、ちょっとだけ…恥じらいを感じる。けれど、嫌だなんて…そんな風には…
 瞼に、頬に、首筋に…彼の唇が触れて行く。くすぐったさがとても…嬉しくて、目を閉じる——次は唇に…?
「あ…」
「君のデータはまだ未知数だ。いつも同じルートでなんて、能がない。試してみるべき航路は無限にある……」
 めちゃくちゃに、頬が火照る。
 初めての感覚に、思わず身を捩った…彼が唇にキスしないのは、私にストップ、って言わせるためなの…? 声が出そうになるのを、懸命に堪えて。

 ……航海、だなんて。
 船の…行方を、探るように…。身体に滑るあなたの唇が、熱い——。

 

 

 

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