その翌日。約束通り何食わぬ顔で出勤して来た島を、太助と太田が出迎えた。
「お帰りなさーい!!」
「島さん、ご無沙汰していました!」
佐官のブルーの上着を肩に引っかけ、CDCへ島が入って来る。一渡り、さっと立ち上がって敬礼するコントローラーたちに返礼して席に戻らせ、にっこり頷いた。
「異常はなかったか…太助?太田、済まなかったな…、留守をして」
島の指揮席にいた太田が、嬉しそうに立ち上がってやって来た。ふたりはがっしりと握手を交わす。
「送って頂いたお土産の幕の内ポーク、頂きましたよ!懐かしかったなあ、今度俺も一度、ガニメデの繁華街へ行ってみますよ。すごい発展ぶりらしいじゃないですか」太田がにこやかにそう言うと、島の方はすこしばかりバツの悪そうな表情になった。
「このこの、目一杯楽しんじゃったみたいですね!どうでした〜〜?カノジョさんのほうは」
にやにやしてにじり寄った太助のひと言に、ぽっと顔を赤らめたのは島ではなく太田だ。
「……いやあ、手こずった。とんだアバズレさ。…ほら、これを見ろ」
にやりと笑い、島がポイと寄越したのは——一冊のファイル。
「島さん、これは…?」
無造作に渡されたファイルの資料を手に取り、太田が声を上げた。「……非合法薬物…クリスタル・レイチェル…密売ルート捜査協力報告書…?!」
「…それを、調査していた」
「バッド・ワープ、って呼ばれてる、あれですか…?」
「は?」なんで?…と、太助が目を白黒させた。「島さん、彼女さんとデートだったんじゃ…」
「クリスタル・レイチェルとな。まったく、とんだ「彼女」だよ。軍の連中の間にも汚染が広がってたらしい……誰とは言えないが、輸送隊の知り合いも手を出していた…」
それにな、無人艦隊の艦艇は人間が乗り組まないだろう。小型艇で横付けされて、違法ドラッグを隠されでもしたらことだからな、極小異物の検知装置を艦体に設置するようガニメデ知事からも要請を受けたよ。
「…ひょんなことがきっかけでね。このためにガニメデへ行ってたんだ」
しゃあしゃあと。
俺も良く言うよな。
…そう苦笑しつつ、キツネにつままれたような顔の太助を盗み見る。
ありぃ?そそ、そうなのか…。それで出掛ける前に仏頂面してたんすね…?
そう勝手に独り合点している太助に笑い顔を見られないよう、島はさり気なく背中を向けた。
本当は違う……これは怪我の功名だ。
皆川の買い付けで出くわした密売人たちの潜伏先を、帰りの駄賃にと調べ上げた。——クレッセント・ロードを洗うと、ひどく剥き出しに皆川の言っていた密売情報の糸口が転がっており。ガニメデ治安当局に通報したところ捜査協力を求められ、結果的に売人の検挙、密売ルートの取り締まりにまで首を突っ込むはめになったのだ。幾人かの知り合いを当局の手に委ねるようなことになったのは嘆かわしいが、これで当面、皆川の珈琲豆の買い付けも、安全になる…はずだった。
「そうですか…。俺は、てっきり…」
「なんだい?」
すげえなあ、とファイルをひっくり返して眺めている太助を横目に、太田は少々寂しそうな顔をしている。
「いや、…島さんが女性と旅行だなんて、俺…ちょっとは嬉しかったんですよ」
「……」
太田が何を言いたいのか、それを察しない島ではない。しかし、太田には申し訳ないが本当のことを打ち明けるつもりはなかった。第一、あっちで女に逃げられた…なんて口が裂けても言えるわけがない。
だが、宇宙で死に別れたわけじゃない、それが救いだった。皆川には、南部のサイフォンも預けてある…あいつは絶対戻って来る。島には妙な自信があった。
(買い付けルートを以前よりもずっと安全にしてやった…それは自ずとあいつにも伝わるだろう。——帰って来い、絵茉…)
太田がアドバイザーとしてこのタワーに来てくれてから、新人たちは短期間に随分と鍛錬したようだった。
「ナイトメアからエレクト・ヘブンまでのトランスフォーメーションが7分34秒、ピーピング・トムからエクスタシーまでが6分50秒…3日で随分早くなったな」
ストップウォッチの記録を見直す。
くす、と太田が笑った。「いつも思うんですが…部外者には聞かせられないですよ…このネーミング。それと、あれとか…これも」
太助がああ、あははっ、と思い出したように笑って言った。「そうか、実はですね。俺たち正式名でやってたんですよ…島さんが帰って来る前は」
「なんだと」
俺の留守には色気のない正式名称を連呼してたのか?
てへへ、と笑う太助を小突いた。
「そうだ、皆川さんにもまた笑われちゃったんですよ」夕べ、ここに来たんです、彼女。隊長が留守だったんで、すぐに帰っちゃいましたけどね。
島は一瞬絶句した。
(なんだって。それを先に言え……!絵茉、戻っていたのか…)
「隊長が帰還したら、マーメイドに来てくれって言ってましたよ?出前、また再開するのかな?」
「…そうか」
途端に思考回路の6割が乱れた。目の前で展開しているコンバットフォーメーションの動向が、やにわに目に入らなくなる……
気まぐれですからねえ、あの人は。…そういって肩を竦める太助に、そうだな、と申し訳程度に相槌を打ち。
“まあーったく、男って、スケベねえっ!!”
皆川の声真似をしながら、腰を振ってくねくねと歩く太助に、太田が苦笑いしていた。
パールブルーの夕陽がメリディアニ基地のドームに反射する。外宇宙から火星へ着陸して来る艦船からは、この落陽の瞬間に煌めくドームが、光るオパールの巨大な結晶のように見えるのだと言う。
…その青い夕陽を横顔に受けながら、コントロールタワー1階の外通路を島は足早に歩いて行った。
クリスタル・レイチェルの件は、ガニメデ知事の要求通りこの火星基地司令大崎に報告し、然るべき様々な措置を取ることになった。この基地でも身体検査が施行されることになるだろう。ことに、島の管轄においては「無人機動艦」への異物探知装置の開発と設置が最大の課題となる。
またしばらく忙しくなるな、と溜め息を吐いた。
午前中にCDCへ顔を出してから今まで、早る気持ちを抑えつつ基地司令部、技術部へと回り、報告そして探知機の設置について討議し。ようやくタワーへ戻ってPXに足を向けたのは、夕刻にさしかかる頃であった。
「来てくれるように」と皆川は言っていたらしい。
今日こそ捕まえる。あの野郎……。
タワーの1階、外通路から基部へ向かい、PX「マーメイド」のある地下1階へとさらに階段を駆け下りた。
「……!」
地下1階への階段の踊り場に、彼女が立っていた。
「絵茉…!」
ハイヒールに黒いタイトミニ、レモンイエローのシャツ姿。
「…なんで勝手にいなくなったんだ。探したんだぞ…!」唐突に文句が口を突いた。
皆川はハイ、と上げた手をそのままにして、島の表情に見入る。
「…なんか…怒ってる…?」
「当たり前だ。寝てる俺を置いて…いなくなるなんて」
「……えっ?」
彼女の、あまりの屈託のなさにムッとする…「普通心配するだろ!どうして勝手にいなくなったりするんだよ」
皆川は、目を瞬いた。
だって。
「…今日一日だけ…って言ったのは、隊長さんじゃないの」
「は?!」
呆気にとられて互いに見つめ合う。
(今日一日は恋人同士ってことで)
確かに俺はそう言った…でも。
「……だから、朝になったから…お役ご免だと思って」
「それで、勝手に帰った、っていうのか、金で買われた女じゃあるまいし!」
皆川は、一瞬傷ついたような顔をした。
「…そんな風に、はっきり言われると…きついなあ」
「言ってないだろ!話をよく聴け!」
俺は、心配して…探しまわったんだぞ!
どうして理由も言わずにいなくなったりしたんだ。
「…理由なんか、ないわ」
どこかで聞いたそのひと言に、島はやるせなさを感じる。あの時は、深入りするのは面倒だと思った……だが、今は違う。「理由なんかない」、その言葉の裏には必ず、拠ん所ない訳があるのだ——
皆川の顔を見ていて、この場でそれを聞き出すのは不可能だと、そうも思う。…なら、方法を変えよう。
「じゃ、俺の服を着ていったのは…?」
「だって、あたしの服、破けてたんだもの」
「………」
返すわよ、ちゃんと洗ったから。そのために、PXへ来てね、って伝言したんだもの…
「なるほど」
「ああ、ええと…。気を悪くしたんなら、謝るわ。…ごめんなさい」
「ごめんなさい、で済むと思うか」
狼狽えている彼女の肩を掴んで、壁に押し付け。有無を言わせず抱きしめた。
「隊長さん」
ちょっとちょっと、やだ、こんなところで。どうしたのよ……誰かに見られたら。
——かまうもんか。
「俺にとって、…黙って姿を消されるというのはトラウマなんだ…もう2度と逢えない、って錯覚する…」我知らず、涙目になっていた。
(……ああ、バカバカしい)そう思いつつ、堪えきれない。
皆川の手が、躊躇いがちに島の頭を撫でた。
——よしよし。そっか。
「…ごめんね……、だいすけ…」
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