朝日が細く開いたカーテンの隙間から、きらきらと部屋に差し込んだ。
人工ドームの朝は地球標準時間に合わせた、横様の陽光から始まる……
「……ん…んー……」
何時だろう。…そうか、モーニングコールもかけずに二人で寝てしまったんだっけ…。
「…皆川さ……エマ…?」
ベッドにはいなかった。
あ〜あ、と伸びをしながら、リモコンでカーテンを開ける。
今日も快晴だ、…予定通り。
いつになく、晴ればれとした気分だった。唇にはキスしないで、と言っていた彼女が、自分からキスしてくれた。それは何か、儀式めいたものに感じた……俺は、受け入れてもらえた、んだろうか。そんな気がする。
——俺も、彼女を受け容れた。
それに、彼女とのセックスは、気分がいい…。手放せなくなりそうだ、とふと思う。
「……ふふふ」
シャワールームかな。ああ、トイレかもしれないな。ルームサービスを頼んでから、ひとっ走り彼女の服と靴を買いに行ってやろう。
エマのほつれたロングセーターと裾の破けたシフォンのスカートが、ソファの背もたれにかかっているのを横目で見てそう思い。枕元のコールボタンを押そうとしてはた、と気付く。俺、昨日買ったジーンズとジャケット、どうしただろう。あれもクリーニングに今出しておけば、2時間ほどで戻って来るはずだ。
だが、どこをどう探してもない。
——見当たらないのは、服だけではなかった。
「絵茉…?」
馬鹿な。……どこへ行ったんだ……?
黒いスーツに着替え、1階のレセプションに降りる。
「島様」
コンシェルジュに呼び止められた。「お連れ様から、ご伝言をお預かりしております。朝方、お1人でチェックアウトされましたので…」
渡された紙切れには、ひと言だけ——
『ありがとう、島さん』
冗談だろ。
TAXIを飛ばして、シーウィードの店に向かった。
「エマ?昨日あんたと来たっきりだぜ?」
昨晩走り回ったクレッセントロードを見に行く…だが、昼間の裏路地は善良そのものの素知らぬ顔で、皆川の足跡はようとして知れなかった。
冗談はよせよ。
出て来てくれ、…エマ。
カレー博物館の敷地に広がる、小さな公園の木陰に辿り着く。
(……俺…一体何してるんだろう)
腰かけたベンチから、空を見上げた。
強化クリスタルのドームに演出された白っぽい太陽は、ほぼ真上に来ようとしていた。…真昼の公園。上空約300メートルに広がるのは、光学プリズムの投射によるレプリカの青空——
手放したくないと思ったものは、全部…この掌から零れ落ちていってしまう。一体、何がいけなかった…?
君はなぜ、黙って行ってしまったんだ…
「畜生」
小悪魔め……——。
* * *
火星のメリディアニ宇宙港を母港とする地球防衛軍の第7輸送艦隊が帰還して2日目。旗艦<由良ゆら>の艦長太田健二郎は、無人機動艦隊コントロールタワーからの要請で、積み荷の搬出を終えるのを待たずにアドバイザーとしてCDCへ出向いていた。
「すみませんねえ、せっかくゆっくりしてもらえると思ってたのに」徳川太助が太田の後をついて回りながら、ぺこぺこと謝る。
「島さん、休暇とって出掛けたんだって?」
「そうなんす。太田さんが来るって分かった途端、さっさと行っちゃいまして…」
それが、あの。
ここだけの話なんですが、と声を落とす。……女の子と…一緒らしいんですよ。
太田が目を丸くして立ち止まった。
「……本当か?」
「はあ。まあ、あんまりないことなんで、俺もびっくりしました」
「…そうか……!」
太田の妙に嬉しそうな表情に、太助はちょっと驚く。「まあ、このところ大越がいいレコード出してますし、他の新人もだんだん慣れて来たようですからね、それほどはご迷惑かけないかと思います」
「島さんは、本当に女性と一緒なんだね?」太田がもう一度そう問うた。
太助は目を白黒させる。…何だろう?島さんが女の子と旅行に行った、それがなんでそんなに嬉しいんだ?太田さん…?
「ええ。出掛けにそう言ってましたよ?」
「ガニメデか。…それも民間の旅客艇で」そうか、と嬉しそうに繰り返す太田である。
——…島さん…。やっとそんな気になれたんですね。…良かった、本当に。
(民間の旅客艇で、ということは、お相手は…民間人かな?だとしたら、今までにない進展だぞ)
太田は、島の交際相手がいつも軍内部にいることをあまりいい傾向だと思っていなかった。互いに任務をこなしながらの交際だから、休暇を取って一緒に旅行、などという展開にはならないことが多い。そして、防衛軍内部関係者ということは、すなわち宇宙とは切っても切れない位置関係にいる女性である、ということで…
(星の海に出ている時の島さんは…半分、“あの人”のものだからな……)
だからなのか、島が誰かと付き合っていると噂になる頃には大抵、その相手とは終っていることが多かったのだ。
島が輸送艦隊勤務を辞し、地表から無人の船を操る任務に没頭した時期のことを、太田は鮮明に記憶していた。艦船を操縦して星空を飛びたい。その気持ちはいつでも持っているのだろうが、空に上がったら上がったで…彼は半分、別人になってしまう。一人生き延びたことを悔やみ。救われたことを嘆く島を、太田は幾度か成す術もなく見守ったことがあった。そして、月の軌道上を横切る度に黙って見せる、あの切ない表情。
輸送勤務ではたった数回島に同道しただけの太田だが、ヤマトで幾度もの航海をともに旅した女房役である。島がおそらく無意識にカーキュレイターに入力したのであろうある空間座標の数値を、見逃すはずはなかった。
(俺が気付かなかったとでも思ってるんですか…島さん)
RUN-022301、TER-50014、MUR-0087
メモの切れ端に、スケジュールに。何度かこの同じ座標が残っているのを目にし、軽い気持ちで「なんですかこれ」と聞いてしまったときの、島の顔を…太田は今でも忘れられない。
あの冷静な上官がいつになく狼狽え「なんでもない」と言い捨てて出て行ったから、不思議に思ってそれをエンコーダーに入力し直した——
そこは、何もない空間だった。
…いや、正確にはトップシークレットとして通常は何のデータも出て来ない空間座標だったのだ。いくらなんでも、そこで察しないわけがない…。
それが、…やっと。
「そうか。…うん、良かった」
改めて、そう呟く。あとは、今回の女性がちゃんと長続きしてくれることを願うばかりだ。でなけりゃ、俺も安心して結婚できやしないですよ…。
太田はにっこり一人微笑んだ。CDC内部に入り、青白い点滅光を放つモニタの列を、一渡り見回す。管制官が6名、さっと振り向いて立ち上がると太田に向かって最敬礼した。
「ああ、いいよ。かまわないで」
返礼し、彼らが席に戻るのを見守る。センター長の島が管制を指揮するメインコンソールの座席に入り、太田は現在稼働中の<金剛>12隻の動きをチェックし始めた。
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