ベッドルームの向こうにある擦りガラス張りのシャワールームで、熱い湯を浴びる。
発展途上のリゾートに蔓延する、非合法の薬物に思いを馳せつつ——
(さて、どうしたもんか)
どこへこの問題を持って行けば、理想的に解決できる…?
しかしまずは調査が必要だ、と思い至り。やはり観光で来ている分際では手が出せない、と諦める。
(まあ明日はゆっくりするか……)
——と。
急にシャワールームの室温がふっと下がったような気がして、ん?と島は振り向いた——
「うわっ」
背中に押し付けられた柔らかいものの感覚に、仰天する。
「皆川さんっ!?」
「来ちゃった。…ひどいよ、隊長さん」
彼女は裸だ。いつの間に戻って来たんだろう、水音でさっぱり分からなかった。背中に密着する身体に狼狽える。この女、俺がわざわざダブルの部屋を二つ頼んだ理由をどうして察しないんだ…!!
「皆川さん、ちょっと…!!」困るよっ。
「なんで別々の部屋なの?今日一日は恋人同士、っていったの、そっちじゃない」
「だからっ、デートしたでしょうが」
「食べ歩きして、アトラクション見て?水族館でベタベタして?」そんだけ?中学生じゃあるまいし。
「…危険なアバンチュールもこなしたぜ?」ハリウッドのB級映画みたいだっただろ。その後、夜景を見ながら食事して、…何が不満なんだよ……
「じゃあ、これはなに?!」
「うわっ」
本当に……悪魔みたいな……!あの胸を背中に押し付けられていたら、どんな男だって反応するさ!とにかく、俺は君をもう抱く気はないんだ!
後ろから彼自身を掴んだ皆川の手を振りほどきながら、島は真っ赤になって彼女に向き直った。
「…み…」
からかうような視線に笑い返されるとばかり思っていたから、拍子抜けする。皆川は唇をかんで俯いていたのだ。
「あたし、こういう風にしか…振る舞えないのよ」
素直に謝ったり、お願いしたり、そんなこと…出来ないのよ。素直に寂しいとか、そばにいてなんて、言えないのよっ。
シャワーの音が耳につく。水音。雨音。マーメイドの涙。
……な…泣いてるのか?
あろうことか、ふいに情が移ったように感じ、慌てた。ちょっと…待てよ。
皆川の横をすり抜け、シャワールームから飛び出した。バスローブを引っ掴んで、被るように着る。皆川は、背後で黙ったままシャワーの下に俯いていた。
…しょうがないな。
彼女の横から、手を伸ばしてシャワーの栓を閉め。
バスローブを、彼女の頭からふわりとかける。
この間みたいに、ただの欲求や本能の命ずるままになど、出来るとは思えなかった。それはすなわち、この間よりも君を、大事に思っているからなんだが…な…。
黙っている皆川の頭から肩へと、後ろからバスローブで拭ってやる。
「……忘れるわ。…ショーンのこと」
ふいに彼女がそう言った。
そうか。…それがいい。危険なことはもう、しないほうが。
「だから、もう一度抱いてくれる?」
「うん…えっ!?」
あなたを、ショーンって呼んだこと。…気分悪かったでしょう?反省してる。…だから……
自分と抱き合いながら「ショーン」と叫んだ皆川のことを思い出す。あの時、自分も「俺を島さんと呼ぶな」などと彼女に言ったはずなのに。身体の奥深くまで絡み合っていながら別の男の名で呼ばれた事が、それでも釈然としなかった。
いつまでも死んだ女を引きずる自分の幻が…皆川に投影されていた、そのことに唐突に気付く。他の男の名で呼ばれて初めて、そのことの意味が分かったのだ。
俺は…いつまでも、幻影に縛られているつもりか…?
——テレサ。
いつまで、君の亡霊と生きて行かなければならない……?
もう、…たくさんだ——
…俺も、忘れたい………
「わかった」
でも、流産したばかりだろう。そんなんで、しても平気なのか?
「もう半月経つから。ドクターは3ヶ月は妊娠しちゃ駄目、って言ってたわ」
「…させないよ」馬鹿言っちゃいけない。俺は物事の順番が狂うのはとても嫌いなんだ——
自分が結婚する、などということは、考えてもみなかった。古代と雪。彼らのように、同じ価値観、同じ職場で誰かと支え合って生きて行けるのなら、それも吝かではない…。だが自分の場合、それはどうもうまくいかないと分かっている。
——…宇宙、だ。
自分の生きる場所、と決めて携わっている任務は、漆黒の宇宙空間を抜きには遂行することは出来ない。時として姿を変え、色や風、まるで音色すら持つかのような絶対零度の闇の中に、永遠に時を止めた想い出が眠っている…——テレサが、まだ…そこにいる。
宇宙に出る度。否応無しに彼女の痕跡が認められた最後の空間座標と、現在位置との距離を計算してしまう。外宇宙から還るときは、自分の操る艦と地球との距離ではなく…彼女との距離を、思い浮かべるのだ。
RUN-022301、TER-50014、MUR-0087
ぼうっとしていると我知らず紙の余白に書いてしまう…その空間座標。
どうかしている。
…そんなことは、分かっている………
今まで交際したどの相手にも、おそらくその異常さは伝わっていたのだろう。宇宙を旅する任務に就く限り、その…彼女の眠る同じ場所で…誰かと愛し合うことはできなかった。
バスローブを着た皆川の手を引いて、ベッドルームへ戻る。
彼女は民間人だ。座標の意味も、俺の任務も理解しない。——ああ。
だから俺は…気が楽だったんだ。だが皮肉にも、今までずっとテレサの幻影を抱き合う相手に重ねていたことを気付かせてくれたのが…この人だった。
罪悪感と、感謝。
——丁寧に、愛そう…と思った。
「…絵茉」
名前を、呼ぶ。
今俺が抱いているのは、エマ。この手が愛撫しているのは…エマだ。
「……どうしたの……隊長さん、…怖い」
優し過ぎて……怖い。
前に約束したように、唇にはキスしなかった。
絵茉のからだが「好き」と声を上げた場所を、記憶を頼りに巡る。脚のないはずの人魚が、陸に上がる……含んでいた水を滴らせ。人の脚が生まれ。
「だいすけ…」
だいすけ。あたし、…知っている。あなたを縛ってる、もう生きていないひと。
——あなたを「島さん」って呼ぶ、誰か。
そう…、その人を。
こういう風に…愛したかったんだね……。
島が怖いくらい優しい理由が分かった。だが、不思議と虚しさや嫉妬は感じない。
いいよ。だいすけ。自由に思っていい。あたしの身体で、誰を思っているにしても。こんな風に…愛されたこと、あたし今まで…なかったもの……
「あ…あっ…すごく、…イい…」
「エマ…」
「やだ……もう。ホンキで……好きになっちゃいそ…う…」
「…俺もだ」
ばあか、と唇だけで呟く。やめときなさいよ。あんたは…防衛軍の、偉い人なんだから。
言葉が、うまく喋れない。だいすけ…
「エマ…」
だいすけ…。喘ぐ声と同時に、中指と人差し指がきつく締め付けられたのを感じる。そっと、そっと動かしていたのに。泣き声のような吐息を漏らしながら、彼女は島の身体に縋り付いた。しゃぶるような動きが中でしばらく続くと、ようやく…落ち着いて来る。彼女の膣から、そっと指を抜いた。光る糸が、指先から滴るように落ちる………
「…イけた…?」
「ウン」
こんなふうにイけたの…初めて。
「痛くない?」
「心配してくれてるの?」…もう大丈夫なんだってば。
「入れても?」
うん…大丈夫。でもその前に……いい?
唇にキスしないで…と言っていた彼女が、急に起き上がり島の唇にキスをした。茫然とする島を見下ろして微笑う。
もう一度。
つながってから、もう一度……「キスして」
「いいの?」
「キス…し…て」
舌を絡める。乳房と同じ、押し返すような…弾力。
「だ…いすけ…気持ちいい…。わざと浅く入れてくれてるの…嬉しいんだけど。もっと奥まで…欲し…」
大丈夫なの。もっと…もっと奥に。
ふふ、と島は笑った。「こうか」
「あああん…」
エマを、この人を…大事に…しようと思った。
テレサ…、君の思いは…俺には抱えきれなかった。あの宇宙に、いつでも…いつまでも君がいる。…でも、君の世界と俺の世界は……もう交差しない……
「エマ…」
……エマ。
目の前の君を、愛していると思えるだろうか…
潤んだ目で見あげる彼女が、やめておきなさいよ、と微笑んだように思った。
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