「男だ」「一人か」「探せ…!
息を吸い込む。
「…お前ら…なんだ?」
自分の出せる一番低い声で凄んだ。低音のお前が凄むとハンパなくおっかねえよ、と時々古代に言われる声だ。
一瞬、男たちがひるむ。
ベッドサイドのスタンドを点け、部屋をちょっとだけ明るくした。低ルクスの光を背後から照らすと、見た目で三割増はガタイが大きく見えるのだ。ベッドの上の男が、予想以上に筋骨逞しいのに慌てた男たちは、少々及び腰になった。ドラッグのすえた匂いのする、いかにもチンピラ…といった風体の3人組。
「勝手に入ってきやがって…不法侵入で通報されたいか」
「いや、その」「…軍隊か」「拙いナ」
冗談じゃねえ、なんだ、お前たちは。答えろ!
ベッドから降り指の骨を鳴らしつつ向かって来る男に、彼らは後退りした。
「出てけ!」
仕方ねえ!!…他の部屋を探すんだ。
勢いよくドアから傾れ出した男たちは、丁度部屋に入って来ようとした女に次々とぶつかった。「キャアアッ!?」
違う!エマじゃねえ…どけ、このアマ!!
ドアのところで腰を抜かした女を助け起こしてやりながら、島は男たちの背中に叫んだ。「…女探してるのか!?さっき一人、突き当たりの踊り場の窓から出てったぜ!」
男たちがこちらを振り返り、わらわらと踊り場へ向かったのを確認すると、島はフウ、と全身で溜め息を吐いた。
「…あっらあ、お客さん…イイ男ねえ」
ドアのところで引っぱり起こした女を、忘れていた。
「あ?何です?あんた」
「いやあん、あたし。ルルドのキャシーよお。電話くれたでしょ…ここよね?305号室?」
「えっ…」
「いや〜んうれしいわあ。…軍人さん?軍人さんねー??」
女は島をうっとりと見上げながら、ニットの下の大胸筋につーっと指を立てた。下着同然の短いキャミソールに、赤いハイヒール。…そうか、ここって……そういう宿、だったんだ。
島は男たちに追われた事実より、こっちの事実に狼狽える。
「いや、ああのっ」
「コラァ、このメスブタ!」
室内から罵声が飛んで来た。ベッドサイドの薄明かりに、仁王立ちになっている皆川が浮かび上がる。「お呼びじゃないんだよ、部屋間違えてんだろ!305は隣!」
女はぎょっとしてまた腰を抜かしそうになる。だが、すぐに舌打ちした。「…あぁら残念」3人で、てのはどう?と女が島にしなだれかかるのに、中からまた、皆川の大きな咳払い。
「…というわけなんで…悪いけど」
そんじゃあねえ、と手を振る女に、島もバイバイ、と苦笑して手を振り返した。
階下を窓から窺い、彼らが立ち去ったことを島が確認するまで数十分。
「…ああんもう、こんなとこ、さっさと出ようよ…」
パンプスを蹴り捨てて来てしまった皆川は、膨れっ面で軋むベッドに膝を抱えて座っていた。全速力で石畳の上を走ったから、裸足のつま先が痛い。
「そろそろ…いいかな」
裏口も確認して来た。…大丈夫だ。行こう。
数分後、表通りで捕まえたTAXIに二人は乗り込んでいた。
「……あーあ、えらい目にあった…」
そうは言いながら。
半分は楽しんじゃったな、と島は伸びをした。
シートの上に膝を抱えて座る皆川に、ああそうか…と気付く。ハットもどこかで落して来てしまったのらしい。黒い巻き毛が、俯く頬の横でほつれていた。
「…靴、その辺で買って帰ろうか」
「あとでいいわ…」
皆川はがっかりしているようだった。「…ボビーのバカ野郎、…豆…送って来てくれないかも」あいつが悪いのに…。
「…ドラッグかなんかか?」
「そう。このところガニメデやカリストで出回ってるやつよ。相当ヤバいヤツ。軍人さんでも買ってる人、いるみたいだし…」
島もしばし思案する…非合法のドラッグが、軍内部に蔓延。…それは…平和の証なのか、それとも…?
薬物は常に付き物ではある——前線に出るときは皆がモルヒネの類いを携帯する。負傷した時のためだ。助からないと判断すれば、自分で…もしくは誰かにそれを打ってもらう、苦しまないで死ぬために。だが、これはそう言う話とは全く次元が別だ。リゾート化なんかより、そっちを取り締まる方が先じゃないのか……いや、それにしても…
「……珈琲は、最悪インスタントだって我慢できるさ。…だから、危険なことはもう、しないでくれ」
隊長さん、と唇の動きだけで皆川が呟いた。
「…ショーンのことも、ついでに忘れろ。……な」
島の言葉を聞いているのかいないのか…。皆川は俯いて裸足のつま先をそっとさすった。右足の小指の先から、血が出ていた。
*
靴はあとでいいわ、と言った皆川だが、さすがにマリウス・シェラトン・グランデのロビーで裸足、というのは少々気が引けた。だがどうしようもない…ふかふかのカーペットに小指の傷が痛まないのが、せめてもの救いだった。
「車椅子でもお持ちしましょうか」そう言った島に、苦笑する。
ロビーのソファに皆川を置いて島がレセプションに行くと、顔なじみのコンシェルジュが顔を輝かせて出迎えてくれた。
「島様、ようこそおいで下さいました」
先だっては、お母上様がご利用くださいまして…ええ、弟様もご一緒でした。実験用コロニーの見学ですとかで、はりきっておられましたよ。いつもご贔屓にありがとう存じます。
「お荷物をお預かりしております。本日は、お連れさまが1名様、でいらっしゃいますね?」
「ええ。…ダブルを二部屋、…お願いします。それからルームサービスで食事を」
コンシェルジュはふ…、と目を上げたが、かしこまりました…と微笑んだ。
ほら、これを履いておけよ。
島がそう言って持って来た白いタオル地の室内履きを突っかけ、皆川は連れられるままにエレベーターに乗る。
一転して、高級ホテルである……しかも、向かっているのは最上階のエグゼクティヴ・フロア。
「…隊長さん、…ここ、常連なの?」
「あ…うん。ガニメデに視察に来る時や出張だと大体ここだね」家族でも何度か。
ふうん…すごいね。
…やっぱり…別の世界の男…か。
「なんか言った?」
「ううん、何でも」
二人の着ている服は、逃走劇のおかげで少々…いや、かなり乱れ気味だった。裾や袖には引っ掛けて作ったかぎ裂きがある。しかも、皆川は裸足。島のジャケットの肩にも大きな泥汚れがついていた。
「荷物、先に送っておいて正解だろ」
「…でも、あたしはこれが一張羅だったんだけど」
「え」と目をむいた島を横目に、鼻で溜め息を吐き。ぶっ、と吹き出す。
「しょうがないな、靴と一緒に買ってくれば良かったか…」
「明日でいいわよ」もう疲れちゃった。
「ルームサービスでディナーを頼んである。…ゆっくりしよう」
25階でエレベーターを降りる。ごく自然に皆川の肩に手を回し、島は2501号室のドアを開けた。
ガニメデの街が一望できるスカイ・ビューのラグジュアリールーム。
すごおい…宝石箱みたいね!汚いのも嫌なのも混じってるけど、こうやってみると全部がイルミネーションの宝石。部屋から見える夜景に、皆川はちょっとはしゃぐ。
手前の部屋にはソファとテーブル。奥に、ベッドルームとシャワールームが見える。ダブルサイズのベッドはひとつだ。
「君のはこっち」
皆川が何も言わずに頬を赤らめているのを見て苦笑したが、島は彼女と同じ部屋で寝るつもりはもうなかった。「…隣。2502だ。とりあえず、コネクトルームになってる」
そこのドアで、中から行き来できる。この部屋にディナーを頼んであるから、食事が済んだらあっちでゆっくりしたらいい。
——チャリ。
小さなメモリチップ様のルームキイ。それを掌に載せられて、皆川は目を瞬いた。
「…なんか、傷つくわね」
「なにが?」
「だって」
ドアがノックされる。…皆川の返事を待たずに、島はルームサービスのワゴンを招き入れた。
ディナーは流石だった。昼間、街をぶらつきながら素見しに食べた名物崩れとは訳が違う。ただし…銀製のカトラリーが幾つもついて来て、どれからどう使えばいいのか、と皆川は戸惑った。
「……フォーク一本あれば充分だ」
皆川の戸惑いを知ってか知らずか、島はそう言ってカトラリーをざらら、と全部片付けてしまった。
「まずは、乾杯」
グラスにルビー色のワインを注いで。
「どう?美味しい?」
赤は渋いのが嫌いなんだけど、ここのは貴腐果実を使ってる…女の子好みの甘いワイン。それでいて料理にも合うから不思議だ。
「宝石箱をひっくり返したような100万ドルの夜景」を眺めながら、キャンドルの灯りの中、素敵な彼と…最高のディナー。
絵に描いたようなフルコースなのに、島のニットも自分のセーターも妙に薄汚れていて。それが可笑しくて、皆川はくすくす笑った。
「良かった。気に入ってくれたみたいだな」
「…こういうところへ、女の子をよく連れて来るの?」
「……気になる?」
島は笑って皆川の顔をじっと見つめた。
微動だにしないはずのキャンドルの焔が、なぜか一瞬、ゆらりと揺らぐ。
…別に?
頭の中には、そのひと言。…後は口から出せばいいだけ。それなのに…。皆川は島の瞳から視線を外す。
「豆の買い付けは、…もう止めろよ。いいんだ、もっと安全なところで仕入れられるものだって、充分美味い」
そう言いながら、島は皿の上の料理を突ついた。
「…隊長さんのために、いれて上げたかったのよ」
皆川の声に、顔を上げる。
青いキャンドルの焔に泳ぐ、人魚。
あんなに喜んでもらえるなら、次もまたいれてあげたいと思うでしょ?
「それなら尚更だ。いいよ、その気持ちだけで…充分だ。俺は……、君を危ない目に遭わせてばかりいるな。…こっちこそ、…色々申し訳なかった」
さあ、ゆっくりシャワーでも浴びて、休んでくれ。
「じゃあ…お休み」
「…うん」
コネクトルームのドアの向こうに消える皆川の背を見送り、島はテーブルの向こうの夜景に向き直った。
……明日は朝一番で彼女の服を買って来てやろう。…まあ、何だっていいだろう…ただ、今度は俺のスーツと一緒でも遜色ないものにしてやる。カジュアルな格好はなんだか気恥ずかしかったぞ…。
椅子の背にかかっている、シーウィードの店で買ったジャケットを眺める。(そうだな、次郎だったらああいう店は好きかもしれない)
「ふふ」
デートごっこは、まんざら悪くなかった。彼女も…楽しそうだったし。ちょっとは…罪滅ぼしできたかな。
貴腐ワインのグラスに口をつけ、一気に飲み干した。
よし、奇麗になってぐっすり眠るか…。
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