EMA (11)

 海の底。
 地球の海を連想させる薄暗い照明に…水流を模したBGMが流れる。小さな公園に併設された都会の水族館は、カップルの憩いの場所、だった。

(…全部カップルよ…)
 皆川が面食らって囁いた。真っ昼間から。水族館内は、抱き合ったりキスしたりしているカップルで溢れている。島も、声を落として彼女の耳元で笑った。
(外惑星基地には子どもがいないからな)知ってて誘ったんじゃないのか?ここじゃ水族館はファミリー向けの施設じゃないんだぜ?
 皆川は「違うわよ」と目で島を睨んだ。…が、口元が笑っている。
 どん、と上体を彼女がぶつけて来たので、島はその肩に腕を回し、後ろからしっかりと抱いた。


 
(ここの魚は、…みんなレプリカフィッシュなんだな)
(レプリカフィッシュ?)
(そこのパネルに書いてあるだろ。宇宙生物との混血さ)
(…そうなんだ…)まったくわからないわね。地球の魚とどこが違うの…?

 誰も読まないような小さな文字が羅列されている展示パネルの隅に、一連の説明文が記載されていた。宇宙生物との掛け合わせで生まれた、贋ものの魚たち。
(…深海魚、熱帯魚…淡水魚や肺魚…すべてがほぼ、地球上では絶滅していることは知っているだろ)
(……うん)
 ここの魚たち、…贋ものなんだ。

 地球の水棲生物は科学技術省にDNAの形で数万種が保存されているけど、まだ復活には至っていない…ここの魚は観賞用として、この星だけでふ化が許可されている。産卵する前に、この魚たちは死んでしまう。繁殖は不可能な、一代限りの生命。そして、当然ながら持ち出しは厳禁…なぜなら、地球の種にここのレプリカのDNAが混じったら、大変なことになるからね…。
(…死んだ魚は、どうするんだろ)
 明るい水槽の中をついー…と横切る長い魚の群れ。それをガラス越しに指で追いながら、皆川は呟いた。お墓…作れないでしょう、持ち出されたら、大変だものね。
(焼却処分だろうな)
(……可哀想)
(焼いて食うわけにもいかないしな)
「ばか」もう、なんで食べる方へ行くのよ。
 皆川は、寄りかかっている島の胸板を拳骨で叩いて笑った。
 足元から天井までの大きな強化ガラスの向こうに広がるレプリカの海を見つめながら、二人はしばし黙ったまま立ち止まる……



「隊長さん」
「ん」
「…隊長さんの好きな人は…生きてるの?」
 ひと際大きな魚が、二人の目の前をすい、と横切った。皆川がこちらを見上げている。答える義理はない…そう言いたかったが、心ならずも島は首を横に振っていた。
「………そう」



 青い、水。青い、魚たち、銀色に光るヒレ…ヒレ…ヒレ。
 流れる…星のように。
 ああ、水族館って。似てるな……彼女のいた宮殿に。

 そう思い出し、足元に視線を落す。…溜め息と苦笑。時々こうなる…気が緩んだ一瞬に、思い出す。
「…ごめんな。皆川さんとデートしてるのに」死んだ女を思い出すなんてさ。
「…エマ、って呼んでよ」今日くらいは。



 …あたしが…代わりになってあげられたらいいのにね。……ここの、贋ものの魚みたいに。姿形だけでも似せて、出てきてあげられたらね。



 皆川の言葉に、思わず…鼻の奥がつんとした。
 テレサは…こんなにグラマーじゃない。髪は金色だし、瞳は翡翠色だった。ローズレッドのルージュも付けていないし、ハイヒールも…履いてないよ……
「……エマ」
 心の中ではもう2度と抱きしめられない彼女を抱いていた。——だが、自分の腕はこの、5つも年上の、コーヒーの香りのするレプリカの人魚を抱いているのだ。
「…優しいんだな」
「今頃気付いたの…?」
 よしよし…、泣かないの。…とマーメイドが笑った。

 

                  *



 地球標準時、20:00。
 街はイルミネーションに包まれる。目抜き通りはきらびやかに、裏路地はさらに暗く。これ以降、闇の商売人たちが街を闊歩するようになる。

 クレッセントロード、はその名の通り、細い通りが三日月のようにカーブを描く小さな裏路地であった。

「もうちょっと離れてついて来て」
 一緒だと思われると警戒されるから。
 皆川のヒールの靴音がどうにか聞こえる程度に距離を取る。
「…本当に合法なのかよ」
「それは心配ないって」
「本当に安全なんだろうな?」大丈夫。何度もやってるから。
 皆川はカラカラと笑って島の10メートルほど先を歩いて行く。念のため、護身用にと用意して来た短銃のセ−フティロックを確認し、島はそれを尻ポケットに突っ込んで後を追う。
 治安はそれほどは悪く無さそうだった。だが、用心するに越したことはない……
(女一人で、いつもこんなことばかりしてきたのか)
 皆川の無鉄砲さに呆れる。だがその一方、いまだにこんな前時代的なマーケットが横行しているのかと腹立たしく思う。連邦政府は何をしてるんだ。…戦艦を多数配備するのはいいが、一般市民の生活はいまだに戦後の混乱状態のままじゃないか。 
 裏路地を先に歩いていた皆川が、ふいに立ち止まる。さりげなく島も歩調を落した。

「……ハイ、ボビー」
「……エマか」
「ファームからG1入ってるかしら」
「……ちょっと待て」
 暗くてよくわからないが、誰かと話をしている……ボビーと呼ばれた男(女か?)が、どこかへモバイルで連絡を取り…壁に向かって何かを書きつけ(紙切れだ)、それを彼女に渡すのが見えた。
「…スタンダードを3キロ、G1を2キロ。ロースト済み、真空パックで届くはずだ」
「…ありがとう」
「エマ」
 商談成立。じゃね、といって踵を返した皆川の肩に、待てよ、とボビーの手がかかる。
「…エマ、これはどうだい」
 ボビーは別の何かを売りつけたいらしい。
「非合法のものは買わない、って言ってるでしょ」
「こっちの方が儲かるんだよ…」
「手数料はずんだでしょ…離しなさい」
「なあ、一度でいいんだ」
 バカなこと言わないで。あんた、通報されたいの?

 ——島はチッと舌打ちした。
 そらみろ…トラブルに巻き込まれてやがる…
「……買ってくれたら、ショーンの居所、教えてやるよ」
「………!!」
 同時に島も、息を飲んだ。
 ショーン。…彼女の、お腹の子の父親だ。
「…会いたいだろ?あんたのやってた店も、…ショーンがいれば潰されずに済んだんだもんな…」
 ヒヒヒ、と下卑た笑いをもらすボビー。皆川の声は聞こえない……。
(皆川さん、なにしてるんだ…!さっさとこっちへ来いよ…!)
 尻ポケットの短銃に手をやる。
「ボビー。あたしはもう、彼とは何の関係もないわ。…そう彼にも言っておいて」
 そりゃあねえじゃねえかよ、と追いすがるボビーを振り切って、ハイヒールの靴音がこちらに向かって走って来た——
「走って、隊長さん!」
「エマァ!!」
 ボビーのいた辺りには、別の人間もいたようだった。皆川が一人ではないのを察した途端、数人の足音がどっと向かって来る。


「やばいみたいだな」
「通りまで逃げ切れば」
 そういって、皆川はハイヒールを一瞬で蹴り捨てた。
 追って来るのは、男の足音だ。……3人いや、5人……(俺一人で、何人相手に出来る?)
 銃の使用は正当防衛の場合のみ認められる…だが、こんな場所で火星基地の防衛軍少佐が銃を使ったとなれば…言い逃れるのは難しいぞ。
(素手だと3人が限界だな)俺一人なら例えやられたってかまわないが…皆川さんが一緒だ。5人を相手にするのは無理だ…
 チッ…。古代がいてくれたら。
 そんなしょうもないことを考え、苦笑する。

「隊長さん、こっち!」
 開いていた飲食店の裏口に、横ざまに飛び込んで行った皆川を追って、島も横っ飛びにドアをくぐった。
 後ろ手にドアを閉め、力任せにロックを下ろす。
 何ごとか叫びながら、男たちがドアを叩く音が聞こえる。ややあって、靴音がだっと消えるのが聞こえた。
「……行っちゃったかな」
「いや」
 ビルの正面に回ったんだろう。…俺が奴らならそうする。基本的に、建物の出入り口を固められたら袋のネズミだ…
「じゃあどうするのよ」
「…とにかく、このドアから出るのは拙い。あいつら、…君が通報すると思ってるんだろう?しかも俺もいたしな…」
 ふたりは裏口を離れ、そのビルの通路を足音を忍ばせて奥へ進んだ。裸電球がぶら下がっているだけの狭い通路。前方は厨房だ。それと思しき部屋から、調理人たちの喧噪と活気、脂っこい炒め物の匂いが漂って来る…
「上に行くぞ」
 厨房の手前に階段を見つけ、それを上がる。このビルの階上は、簡易ホテルのようだった。階下の喧噪に較べしんと静かな廊下には、申し訳程度に赤い絨毯が引いてある…


 誤解、解かないと。次の買い付けが出来なくなっちゃう…
 皆川が、当座の身の危険の心配ではなく、次の取引の心配をしているのを見て、島は呆れた。
「まあ、殺されたりはしないわよ。最悪、輪わされる程度かな」
「ま………」
「それで済むなら…仕方ないわ」
 言うに事欠いて、なんてことを。
「皆川さん!」
「エマよ」
「……エマ」
 はい?と微笑む皆川に、島は怖い顔をしてみせた……そういう考えは、金輪際やめてくれ。自分の身体、大事じゃないのか。俺は君が身体犠牲にして手に入れた珈琲なんか、飲みたくないぞ。
 皆川は鼻白んだような顔をした。
「お説教しないでよ」何、真面目くさって…。自分だって、好きでもないのにあたしを抱いたでしょ?……あいつらとどう違うの?
「…もうしない!そういうことは、もう」


 ふいに、階下から靴音がどっとなだれ込んで来たのが聞こえた。
「拙い」
 その部屋でいい、入れ!!皆川を突き飛ばすようにして横のドアに飛び込む……
「ちょっ」「シッ」ベッドの下だ!
 皆川がベッドの下に潜り込み、島がジャケットを脱ぎ捨ててベッドに転がったのとほぼ同時に、ドアが乱暴に開いた——

 

 

 

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