EMA (10)

 木星の第3番衛星、ガニメデ。
 太陽系外惑星最大の要衝、第4番衛星のカリストと並ぶ、大規模な基地と都市を持つ星。当初は軍艦のドックを備えた小規模な基地だけだったこの衛星に、軍民兼用の太陽系最大の宇宙港が建設されて久しい。



「…別の場所みたいだな…」
 旅客艇のタラップを降りながら、島は呆気にとられて呟いた。民間用の航路でこの衛星に降りたのは初めてなので、
港の旅客艇の発着所がこんな風になっているとは知らなかった。まるで、大規模なアトラクションの入口のようだ。そこは、自分の知っているガニメデではなかった。

「ようこそ、ガニメデへ!」の文字が点滅する、巨大な電光掲示板。明るいブルーに塗られた滑走路に待機する旅客運搬用のラウンド・カーも、同じようにカラフルな電飾で飾られている。近隣惑星のリゾートとしても開発途上にあるとは聞いていたが、この賑やかさには正直驚いた。軍の任務では常に、この民間エリアに隣接する軍港を使って行き来していたが、ここまで違うとは…。ここが同じガニメデだとはにわかには信じ難いほどの光景の違い、であった。
 それにしても、急速に拡大されたものだ。火星基地もそうだが…、ガニメデの発展にはさらに目を見張るものがあった。

 イミグレーションを通って(軍のIDを出した時だけ、一瞬「あっ」という顔をされた)ふたりは宇宙港から都市部へ向かった。


 ガニメデの都市部は3つのパートに分かれている。軍の施設の集まるサウスバンク、住宅がメインのノースショア、流通や観光が主なイーストエリア。そのうち、実験コロニーからの作物を横流ししているバイヤーはイーストエリアからノースショアを行き来しているのらしい。
「……合法、じゃないのか?」おいおい、参ったな…。珈琲飲みたさに犯罪行為に加担するはめになるのか?
「豆は違うわよ!?…ただ、彼らは非合法のものも扱うから、警戒が厳しいのよ…」
 紙一重じゃないか……ホントに合法なんだろうな、と焦りながら念を押す島を、皆川はイーストエリアの目抜き通りに引っ張って行った。

「さて、とっとと買い付けをして帰ろうぜ」
「……そうはいかないわ」
 皆川が、腰に手を当てて呆れたように溜め息を吐く。「バイヤーの指定する場所へ、指定された時間に、行かなきゃ話にならないのよ?」
 それはそうだ…。面倒だな。
 場所はイーストエリアのクレッセントロード。…小さな裏路地だ。
 市街地図を見ながら呟く…ここに何時?
「…夜中か」
 しょうがねえなあ。
「それまで、……遊ばない?」
 賑やかな市街地のメインストリート。今二人がいるのは、ラプラタストリートとコーガ・ドライヴの大きな交差点である。
「…最初からそういうつもりだったな?」
 皆川は、いつになく嬉しそうに「んふっ」と笑った。




「じゃあ、まずその格好をなんとかしないとね」
「なんとか…って」
 これのどこが悪いんだ。
「…あたし、マフィアと歩くのやーよ?」
 そう言って彼女が島を連れて入ったのは、小さな古着屋である。店構えもそうだが、店内も。普段、自分では絶対に選ばないタイプの代物が、ところ狭しと並んでいる……

(おいちょっと。俺にだって選ぶ権利が)
 皆川の手を振り切って、店を出ようとした途端。
「やあ、エマ!しばらく見なかったな…、どうしてたんだ?」
 店の奥から、オレンジ色に染めたチリチリのアフロヘアの中年男が顔を出し、両手を広げて走り寄って来た。大喜びで皆川にハグし、ひょいとこちらを見る。
「……このイカしたお兄さん、知り合い?」
「あたしの新しい店の常連さんよ。えっと…大…ダン、っていうの。…ねっ?」


 ………だ…だん?


 皆川が、ちょっと焦ったようにこちらを見、目配せしてペロっと舌を出す。なんだ、友達の店なのか。
「あ…ああ」
「常連さん?エマの友達か!よろしく、ダン。オレはシルビア・シルベスタ、みんなは俺をシーウィードって呼ぶ」
「あ…ああ。よろしく…」
「でね、ものは相談。この人、この格好じゃろくに遊べやしないでしょ。ちょっといいように見繕ってよ」
「お安い御用だ」
「は?」
 だから、ちょっと待てよ!

 シーウィードに連れて行かれた試着室で、上から下まで着替えさせられる。
(あたしの顔、立ててよね!)と向こうで目配せしている皆川の言いなりに。…うー、くそ。



「うわーー!!隊長さ…じゃない、ダン、見違えたーー!!」
 爆笑する皆川。かたやシーウィードは、腕組みをして感心したように言った。
「ウン、イケてるぜ。…兄ちゃん、うちの店でバイトしないか?女の客がわんさとくるぜ…。あとはそのクソ真面目な頭、ちょっとこれでどうにかすりゃ」
「ちょっ」いや、それは。
 ラメ入りのワックスで髪に何ごとかされそうになったので、島は慌ててそれを断る。
 鏡に映ったのは、メンズ雑誌から抜け出して来たような姿だった。自分では絶対にチョイスしない服装。年がら年中軍服を着ているから、私服と言ってもスーツか、シャツやポロシャツにスラックス、くらいしか持っていない島だ。
(全然軍人さんに見えないわよっ)
 皆川が耳打ちする。
 まあ、悪い気はしなかった。細身のダメージジーンズに麻のニット、革のライダースジャケット。シーウィードから光り物をジャラジャラと手渡されたが、それは遠慮した。それらはすべて、地球では歴史の古い(つまりマトモに買ったらえらい値段の)ブランドの製品だ。
「支払いはこの人のカードでね」
「おい、こら…」止める間もなく、皆川は島のクレジットカードをシーウィードに手渡し。一体いつの間に!!くそ…
 しかし、なぜだか怒る気になれない島だった。

 皆川が、胸のすくような晴々とした笑顔で笑っている。…訳ありの人魚姫。彼女を自分が傷つけてしまったのは消すことのできない事実だったが、まあ、こんな風に…笑ってくれるのなら。一種の罪滅ぼしだな。
 第一、このガニメデにも週刊情報誌の支社やテレビ局がある。うっかり「ヤマトの島大介」とわかる格好でその上女性を連れていたりしたら、面倒なことに巻き込まれないとも限らない。これはいいアイデアかもしれない…
 そう決めたら、早かった。

「…僕らの荷物はまとめてここへ送っといてくれるかい」
 着替えた荷物をシーウィードに任せ、とっととある宿泊施設の住所を指定した島に、今度は皆川が目を丸くする番だった。
 ど…どうするの?
 そう問い掛ける皆川に、ニヤリと笑い。
「荷物持ってたら、遊べないだろ」あのホテルは俺がここへ出張で来る時、プライベートでよく使うところだ。どうせどっかへ泊まるつもりだったろ?そっちはキャンセルしろよ。
「……うん」
 
 常連さんだなんて言って。ダン、実はエマの彼氏なんだろ?
 シーウィードの冷やかしに意味深な笑いをしてみせ、島は皆川の手を引いて古着屋を出た。


「まったく…えらい出費だ」
 えへへ、ごめん。だあって、あの黒いスーツじゃあねえ……
 わかったよ、降参だ。たまには…こういうのもいい。
「さあて、どこへでも付き合うぜ。どっちにしろ、夜までは何も出来ないだろう」
 今日一日は、恋人同士、ってことでどうだい? 
 目を丸くした皆川の頬が、ちょっとだけぽっと上気したのを見て、島はにやりとした。そうだ。女の子はそうでなくっちゃな。——というよりも。
 常に優位に立とうとする皆川の鼻をくじいてやった、という幼稚な征服心、が半分。そして、もう半分は。肩肘を張って生きている訳ありな彼女を、心から笑わせたのが嬉しかったから…なのかもしれない。

 





 イーストエリアの目抜き通りを連れ立ってぶらぶらと歩く。その様子は、ごくごく普通のカップルである…ところが、妙に皆川が大人しい。
 …なんだ?妙に殊勝だな。
「……こういうデートって、あたし…したこと…ない…から」
「…そうなのか?」
 呆れたな。
 あれだけ基地の連中を手玉に取っておきながら。
「手玉?…失礼ね」
 そういうつもり、まるでなかったけど?
 あれで天然かよ?よっぽどたちが悪いぜ…島はそう言って、あははっ、と笑う。じゃあ、教えてやる。デートだったら俺はマニュアル本が2冊くらい書けるぞ……

「まず、俺の腕に、手を回す」
「こう?」
「腕を抱き込むように」
 そうすると、胸が肘に当たるんだよ。…男には堪らないんだな、これが。
「…!」カッと赤くなって腕を放そうとする皆川の耳元で囁いた。
「セクシーお姉さん、は“フリ”だけだったのか?」
「ムッカつく」
 皆川は半分苦笑しつつ、島の上腕をもう一度腕に抱え、わざと胸を押し付けた——
「この野郎」
 うふふっ。

 何か食おう。何がいい?
「な…なんでもいいわよ」
「それじゃ駄目だ」
 なんでもいいとか、あなたと同じ、っていうのはNG。
「じゃあ…」


 二人の目に、ふと派手な色彩ののぼりが入る。——ガニメデ名物、ガリレオ焼き。
「なに?あれ?……」ガリレオ焼き??…見たことないわ。
「俺も知らないな」
「じゃ、あれにしよ!」
 島の腕を抱えたまま、小走りになる。ぷっ、と島は吹き出した。おっけー。調子が出て来たようだ。




「あー腹一杯だ…もう駄目」
「あはははは、食べ過ぎよ」
 隊長さん、ガリレオ焼きのあと、ガニメデ名物3つも見つけて全部制覇。その後カレー博物館でまたカレーなんか食べてんだもの!!
「だって、幕の内ポークだぜ!!」
 まさかこんなところで!あのヤマトの金曜メニューにお目にかかれるとは思わなかったんだよ。食わないわけには行かないじゃないか。

 イーストエリアの中心部に設けられた、小さな公園のベンチ。お土産に、と“幕の内ポークカレー”の携帯用パックを1ダース買い込んだ島に、皆川は大笑いした。

「…艦ごとに、料理長自慢のカレーレシピがあるんだ。日本海軍から270年続く伝統なんだぜ。幕の内キャップのポークカレーは俺たちにとっちゃお袋の味みたいなもんなんだ」
 もちろん、博物館である。幕の内がそこに居て作っているわけではない…地球を代表する戦艦の料理長の、自慢のレシピが公開されていて、実際にそれを元に再現されたカレーを賞味することが出来る、という趣向の博物館なのだ。
「アンドロメダグリーンカレーとか冬月キーマ、なんてのもあったな」くそ、しばらく通って全部制覇するしかないぞ。
「やだもう…。また荷物増えちゃったね」
「いいさこのくらい」
「あっちに水族館があるってインフォに書いてあるわ。…そのカレー、インフォから火星へ送っちゃえば?そんで、涼しいとこで魚観ようよ」
「水族館か」

 

 

 

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