「島さーん、速達でメールきてまーす」
CDC気付。島大介様。封書の手紙である…
差出人名は、ない。
地球では季節が変わり、夏が真っ盛りだ。だが、ここ火星のように大型ドームに覆われた外惑星基地の内部は、常に一定の気温・湿度に保たれている。つい季節感を失いがちだが、島の弟は地球にいて、やっと戻り始めた日本の四季を満喫しているのだった。次郎から送られて来たヴィデオ・メッセージをモバイルで再生しながら、島はそうか、学校も夏休みだな…と呟く。手紙か…暑中見舞いなんかも、出さなくなってから久しいな…。
「…その辺に置いといてくれ」後で見るよ。「でも速達ですよ?いいんすか?…ファンレターかな?基地宛だから。……俺のは…ないかー」持って来た郵便物を選り分けながら、つまらなさそうに太助が鼻を鳴らした。
ヤマトクルーとして雑誌の取材を受けることがいまだに年に数回、ある。雑誌の巻頭グラビアのイイ男図鑑、なんてのに古代と一緒に見開きで載せられた時は、さすがにファンレターが増えたので編集部気付にしてもらったが。でも、このところそういう話はないし、テレビにも出ていない。
しかも、速達?
太助からその封書を受け取った島は、ふと香る匂いに手を止めた。
……この匂い…
徳川をちらりと横目で窺う。
「ちょっと休憩行って来る……」「あ、はい」
休憩室の丸テーブルの上で、封を切る。中から黒い粉がサララ…と零れ落ちた。(…コーヒーの…粉…?)豆を挽いたものだ。一緒に、カードが一枚。
『ガニメデへ買い付けに行きます。8月1日、12:38発のVirgin Atlantic-COSMO ways 8001便。宇宙港で待ってます。 EMA 』
…………。
しばし、固まった。
…なんだって?
零れた豆の粉を、膝から叩き落そうとしてふわっと香る匂いに気付く。……マンデリン…?
これを、買い付けに行くぞ、っていうのか?
香りに、ぴくりと心が動く。
——くそ、しかも。
カードを手に、憮然とする。
「待ってます」だと…。8月1日って、明日じゃないか。…しかもガニメデに…??
(俺が行くことを、微塵も疑ってないこの態度はなんだ?)
普通、違うだろ。この間はすみません、買い付け行くから付き合ってくれませんか、とか、せめて…そのくらいの文章書けないのか、あの女。
というか、「一緒に来て」って、可愛らしくなぜ頼んで来ない!
あれだけ心配させて…挙げ句にこれか。
だんだん腹が立って来た。
(チッ……冗談じゃない。行かないからな…絶対)
「ど…どしたんすか?」
声をかけられて、ぎょっとした。太助がCDCのドアから出て来て、島の仏頂面に驚いていたのだ。「…それ、ファンレターじゃなかったみたいっすね…」
なんか、怒ってます?
「いや」島はもごもごと口籠る。
「ああのー、そういや俺、言いましたっけ?太田さんが来てくれるって話」
「…いや、…聞いてないぞ」
あっちゃー、すんません。やべぇ。実は朝、連絡もらってたんすよ…。太田さんの艦隊、コスモナイト輸送で明日ここに到着するんで、その後2・3週間はCDCを手伝ってくれるんだそうです。6日過ぎからは北野も来るって話ですよ。
これで、ちょっとは楽になりますね?
しばらくは、毎日10時間ここに詰めてる必要、なくなりますよ。
——……その翌日。
(くそ……くそっ……。ったく、腹が立つ…)
半分は、あの小悪魔に。半分は、その思う壷にハマった自分に…。ブツブツ文句を言いつつ。私服のスーツに身を包み、小さなバッグを提げたセンター長の姿が宇宙港のロビーにあった。
V.A.COSMO Ways 8001便?
「珍しいですねえ、島さんが民間の旅客艇で旅行、なんて。自分で操縦しないんすか?…ガニメデでしょ?」ここからプライベート機で行きゃ、30分じゃないすか。それをなんだって…3時間もかけて。
あーーーー…。
頓狂な声をあげた太助を黙らせようと、島はしかめ面をした。
(オンナ、っすねーー??)声を落として囁く太助に、島はしれっと答える……まあ、そんなトコだ。
っかああーー!!こないだはマーメイドにモテてたと思ったら!もうこれだから!どこで見つけたんです?仕事に明け暮れてるとばっかり思えば、もう、いつの間にっ、チックショウ……
「と言う訳で、3日後には帰る。…その間、頼んだぞ。太田にもそう伝えといてくれ」
「イエッサー」
…といったようなわけで。
島はメリディアニ宇宙港のロビーに来ていたのだった。
だがしかし、皆川はなかなか現れない。
搭乗時刻まではあと10分だ。
ロビーはそう広くはない。中央トランジットウェイのこの辺りからなら、左右の隅まで見渡せるのだが。人を呼びつけておいて、…これだ。苛つきながら、かけていたサングラスをくい、と上げた。
反対側の柱のところに一人、2階へ向かうエスカレーターの袂に一人…そしてチェックインゲートのところに一人。背格好の似た女が誰かを待っている風に佇んでいる。だがどれも皆川ではないような気がした。
が急に、チェックインゲートのところにいた最も「それらしくない」風体の女が、こちらに向かってつかつかと歩み寄って来て…
「隊長さん!」
「えっ」……皆川さん!?
「うっそーー!!」
——そう言いたいのはこっちだ。島はぽかんと皆川を見つめた。
男物みたいな鍔の小さなハットから黒い巻き髪が流れている、丸サングラスの女。いつも必要以上に強調しているバストはストンとしたロングのニットに隠れてほとんど目立たない。ローウエストに揺れるフレアミニのシフォンスカートから伸びる脚だけが、彼女だと分かるパーツだった。
「全然わかんなかった!!来てくれないかと思ったわ!」
あたし、ずっとあそこから見てたんだけど…なんか、マフィアみたいな人がいるなーって…思ってたんだ!そう言いながら、笑い崩れる。
「マフィア……」言うに事欠いて失礼な。確かに、黒のスーツに、ブルーグレーのサングラスだけどさ…。
新聞小脇にはさんで、怖い顔して。それで洋モク吸ってたら、完璧よ。
「…おい」
「でも」カッコイイわよ? 下から上まで、島を値踏みするように眺め。マーメイドは「んふ」と笑った。
Ladies and Gentlemen. Welcome aboard our flight. We are now approaching the runway being pushed back in preparation for take off. Please make sure that your seatbelts are securely fastened……
お決まりの機内アナウンスが流れる。快適な空の旅。たまには…いいかもしれない。民間機の搭乗手続きの煩雑さも、その後、ぼけっとしていられる時間を考えれば。
「……ヤマトの航海長が乗ってるって分かったら、この機の機長、びびるわね…きっと」皆川が隣でくすくす笑っていた。
「シッ」黙ってろ。民間機と軍用機は違うんだ。別次元だが、どっちも相応のプライド持ってるんだから…失礼なこと言うなよ…。
…Please enjoy a comfortable flight with us until arrival at your destination. Thank you.
50人乗りの旅客艇は、ゆっくりと後退し、滑走路に向かった。
(この機長、軍隊上がりだな)
タキシングでのカーブの切り方にそう感じる。
機体の揺れに気を取られていると、ふいに皆川が島の手を握った。
「…!」
「……この間は、…ごめんなさい」
せっかく…心配して来てくれたのにね。憎まれ口ばっかり叩いて。
機体が滑走路に乗る。
「…そんな素直だと、気持ち悪いな」
しかし、彼女は笑っただけで、突っかかってはこなかった。
「…あたしの部屋ね。荷物、何にもなかったでしょう。…隊長さんに、基地で初めて会う前に、もう引っ越すつもりだったの。だから、必要なだけの荷物しか置いてなくて」
「…俺に会って、引っ越すのがもったいなくなったんだろ」
「あはは、そう言うと思った」
…チェ。
旅客艇のエンジンが全開になる。推力が上がり、機体が宙に浮く。
「……ショーン、って…誰だい?」
「えっ」
手を握った皆川と目が合った。上昇角は20度。火星の大気は地球に較べて遥かに薄い…民間機でも数分で大気圏を離脱する。
「…それは、ルール違反」聞かない振りするって約束だったでしょ…
「生きてるの?その人は」
無視してそう問いかけた。……亡くなっているのであれば……俺は君から、愛した人の忘れ形見を奪ったようなものだ。取り返しのつかないことをしてしまったことに…なる——
「…生きてるわよ。…生きてるはずよ」
やあね、そんなことなんで聞くのよ。
だが、しばらくの間…彼女は黙り込んだ。
旅客艇は速度を上げ始め。
軍用機のようなGはほとんど感じない。気圧調整も十二分になされている…緩やかな上昇角に、いつ大気圏を抜けたのかもはっきりとはわからないくらいだった。僅かに降下したような感覚と共に、機体が大気圏を出、水平飛行に移ったのが感じられる。アナウンスと共に、ベルト着用のサインが消えた。
「どっちにしても、隊長さんは気にしないでよ…ていうか、もう首突っ込まないでよね、こっちのことなんだから」わかった?
そう言われたって…、な心境の島であったが、……仕方ない。これ以上食い下がっても、皆川は応えはしないだろう。
「…そうだ。これ」
島は上着の胸ポケットから封筒を出した。…マンデリン、ガニメデ・ローストの…粉末。
「こんなもの、餌にするんだからなあ」まんまと釣られたよ…と苦笑する。
「リクエストもらっても、いれて上げられなかったから。…豆が、あと2粒しかなかったんだもん」
んふ。せっかくあんな立派なサイフォンがあるんだもの。ほとんど隊長さんのために買い付けに行くのよ?だったら付き合ってもらおうと思って。
「ちぇ」
君には負けたよ。
そう言って、島は苦笑し……頭を掻いた。
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