EMA (8)

 814号室。
 ドアの前に立って、考える。慌てて来てしまったが、…何か…食べもの、持って来た方がよかったろうか。独りで、どうしているんだろう? 買い物や、家事は。いや、動けるんだろうか…それとも、寝たきりなんだろうか。
 躊躇いつつ、インタ—ホンを鳴らす。



 両隣の住人の気配もない、高層アパート。子どもの姿はない…ここは軍の雇用する民間作業員や出入りの激しい行商の人間が住む街だ。子どもは、次世代の地球を支える貴重な力である…地球連邦政府はそのために、地球本土での出産を大々的に奨励・支援しているのだ。優遇されることがわかっているのだから、妻が妊娠しているのにわざわざ外惑星くんだりに来る夫婦者はいない。女性単身で妊娠している場合でも、然るべき手続きをとれば安泰に出産・育児をサポートしてくれる施設が、地球にはいくらでもあるはずだった…

 彼女はなんで…こんな星に、一人で居たんだろう。
 相手の男は、どうしているんだ。別れたのか、それとも…まさか、死んでいるのか…?
(…だとしたら俺は…なんてことをしちまったんだろう——)



「……!」
 スライド式のドアが軋んで、ちょっとだけ開いた。
「……ああ…隊長さんか」
「皆川さん…!」
「ど…どしたの?怖い顔して……ああ、サイフォンが心配?」ごめんなさいねえ、体調…めちゃ悪くってぇ。
 どうせ誰もいない通路ではあるが、それでも島はちらと通路の両サイドを振り返り、「入っていい?」と問い掛けた。
「……あーでも」
 散らかってるわよ。
「気にしないよ」


 
 何?いきなり、どうしたの…?
 
 裸足の脚。前に同じ場所で、同じように見たはずなのに。痛々しくて、また胸が詰まる。
「皆川さん…、流産したって、…本当?」
 彼女の目が、突然険しくなった。「……伯母から訊いたの?」
 うん、と頷く島を横目に、吐き捨てるように言う…「余計なことばっかりするんだから」
 しかしすぐに。
 マーメイドは、もう、やだなあ、と笑った。…そんな顔、しないでよ。

「あー、あのね、隊長さんのせいじゃないのよ。あの後、お腹出して寝ちゃってね、ここで。寝冷え。ゲリかと思って病院行ったら、流産だったの」まったく、まいっちゃうわね…という風に両手を広げてみせた。
「…ふざけるなよ」
 島は皆川の両肩を捕まえる。
 強がりもいい加減にしろ。…どうして先に話してくれなかったんだ。俺の…せいだろう。知ってたら、あんなこと…しなかった。
「だーかーら。違うって」
 あたしがしたくてしたことなんだから。気にしないでよお。
 隊長さん、…変よ?

「気にしないでいられるか。第一なんで妊娠した女が、こんな星に、…独りでいるんだ…」地球では妊婦さんと言えば、特権階級みたいなもんだ。みんなが喜んで、新しい命を迎える世の中なのに。どうして君は…。
「何か事情があったんだろうが、それならせめて俺に、ひと言相談してくれれば…」
「……話して、どうなるの?」
 いつになく優しい声音。
 マーメイドは島を上目遣いで見つめていた。

 ……じゃあ、あなたがあの子の父親になってくれたとでも言うの?

「…そ…それは…」
 肩で溜め息を吐いて、んふ…と笑う。
「いいから。気にしないでって言ってるの。優しいね…隊長さんは。ありがとね」
 ありがと、って。
 なんだよ…それは。
「……君が妊娠してると知ってたら、…あんなところへは連れて行かなかった。あんな乱暴にも…しなかったよ」
 皆川が鼻白んだようにまた溜め息を吐く。
「しつこい。あたしが望んで、したことなんだって言ってるでしょう」
「皆川さん」
 堪えきれず、そのまま抱きしめる……彼女は痩せて、なんだか一回り小さくなっていた。耳元で、マーメイドが囁いた……
「…する?ここならシャワー、あるわよ…」
「馬鹿!!」
 そう彼女を叱り飛ばした島は、ぎょっとする。
 皆川の、濡れた黒曜石のような瞳が、自嘲するようにこちらを見つめていた。



 ——馬鹿でも何でも。別にいいじゃないの。



 ねえ?…隊長さんだって、誰か忘れられない女性ひとがいるんでしょ。
「…わかっちゃったわよ、あたし」
 男はね、ヤったらおしまい。美しいまま、相手が想い出に残るの。…でも、女は違う。


「…流産して、良かったと思ってる…あたしは」
 まあ、直接原因は…隊長さんのセックスかも知んないけど。
「ごめん」
 いいんだってば。

 絶対一緒になれない人の子ども。
 授かって、幸せだろう、なんて思うのは……ガキよ。
 そんなにこの世の中、甘くないのよ——

 育てるのが大変だとか、そういうの以前に。もう逢えない人にそっくりな子…、どんどん大きくなるのを見て暮らす。…それ、…幸せだと思う?
 ——もう、2度と逢えないのに?
「そんなの…」
 また、思い出した。守さんは、サーシャ…澪を、真田さんに預けて…手放した。それは一体、どうしてだったんだろう……?
「だいすけには、わかんないかな」
 考えていたら、ちょん、と額を突つかれた。


「そろそろ、離して」肩、痛いよ。
 生成り色のワンピースから伸びた手が、島の両腕を引き剥がす。彼女の肩をずっと強く掴んだままだった。
 ……皆川さん……
「ごめんね。もう…帰って」
 そう言って、マーメイドは哀し気に微笑んだ。



 いい?深く考えないでよね?あたし、隊長さんの所為になんか、してないでしょ? 同情、ってのも…頭にくるわ。何なの、慰謝料請求して欲しいわけ?
 ……違うでしょ?

 そう笑った皆川だが、やはり彼女は「マーメイド」にいつになっても現れなかった。

(…忘れろ、ということなんだろうか)

 



 どーして「遊び」って割り切れないかな…このお坊ちゃんは。バカな女が奔放に遊んだ挙げ句の自業自得…それだけのことじゃない。しかも、隊長さんとは何の関係もない子でしょうに。

(…君は、笑ってそんなこと言ったけどね)
 死闘をくぐり抜けて来た人間は、逆にそう簡単に“命”を諦めることなんか出来なくなって行くんだよ…例え、それが…まだこの世に生まれていない命でも。
 欠けて行くな。 
 生に縋れ。
 生き延びろ……、手をもがれても、足をもがれても。
 死にもの狂いでそう歯を食いしばり駆け抜けて来た…あの闘いを。なのに、帰れなかった奴の方が、多かった——この俺は救われて、生きるべき奴らが、戻れず。


 
 ええとね、…そういうのは、分かった。茶化すつもりもないわ。けどね、…それとこれとは、別。そうでしょ…?
まだ生まれていないんだから、死んだとも言えないじゃない。


 ——同じ命なのに、そう言い切る彼女が理解できなかった。
(……彼女には、通じない…)
 君には、わからないよな——。



 分かり合えなくて、結構よ。
 戦ってるのが、軍人さんだけだと思わないでね。
 ドンパチなくたって、この世はいつでも戦場なのよ。



 皆川は最後に、そう言ってちょっとだけ怖い顔をしてみせたが、島にはその言葉の真意は理解しかねた。当然、痛みや苦しみを秤にかけることはできない。自分が体験して来た修羅の世界と民間人の彼女が体験して来た苦痛とを較べることなどできない…頭では、そう分かっていた。
 ——だとしても。
 あのヤマトでの戦いと、地球で待っていた民間人の戦いとは、…比較にならない。…そう思わずにはいられなかった。

 ——世界が、違いすぎる。
 忘れた方が、いいのかな……君とのことは。

 

 

 

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