赤鉄鉱に覆われた赤茶けた大地に、一筋の旋風が走る。風は異様な軌跡を描いて、小さな竜巻を伴いながら立ち昇り…不意に消えた。
どこか、太古のアメリカ大陸…それも未開拓の南西部を思わせる光景。南の果てには大小無数のクレーターが峨々として連なり、北の台地には見渡す限り広がるドライアイスの平原——
沈む太陽は地球で見るよりも遥かに小さく白く。その大気の成分組成の為に、火星の日没は赤い空を青く染めるのだった。
(1)
「そろそろシャッター閉めとけよ……冷えて来るぞ」
「…了解っす〜」
外を眺めながらだべっていた管理棟職員らに向かって強化クリスタルの天蓋を指差し、徳川太助は館内の外通路をCDCに向かって足早に歩いて行った。基地内部の空調温度はほぼ20℃に保たれているはずなのだが、このコントロールタワーはドームの上部に位置するためか、日が沈むにつれてそんなのウソだろ、と怒りたくなるほど冷えて来る。
厚み120センチの強化ガラスの向こうに落ちる、白い太陽…ただし、米粒サイズ。周囲の空は不思議なパールブルーに染まっている。この星の大気や土壌に大量に含まれる、ヘマタイト(赤鉄鉱)の浮遊ダストが太陽光を錯乱し、波長の短い青色光だけが透過して来る為に起きる現象だ。
青い夕焼け。…珍しいよな。——赴任したての頃は俺も、飽かずに眺めたもんだっけ。さっきの連中は、ほとんどが新卒か転勤族だからな、無理もないか。
この青い夕焼けに見向きもしないのは…島さんくらいのもんだろう。火星はあの人のホームグラウンドだからな…。
「定時観測、終了でーす」
CDC(コンバット・ディレクション・センター)の休憩室に入ると、太助は上官のセンター長兼指揮隊長を目で捜し、そう報告する。
「おう」
手元の資料から顔も上げずに、島が応えた。「あっちへ転送したか?CDCで大越が待ってる」「バッチリっすよ」
18の頃約半年間火星に駐屯していた島大介は、物珍しそうに青い夕陽に見入る新入りたちを微笑みつつ眺めはしても、その夕陽にはとんと関心がないのだった。彼が言うには、強化クリスタル越しに見るこの青い夕焼けはそれほど鮮やかではない、らしい。本物を見たければ、基地のドームの外へ出ないとな。——訓練学生時代に小さな訓練用の観測基地から毎日それを見て暮らしていた彼に言わせると、ここから見えるパールブルーの夕焼けはまるでレプリカ(贋もの)なのだそうだ。
地球防衛軍太陽系外惑星基地、火星メリディアニ・ベース。
かつては海の底だったと考えられる、赤道直下の南緯2.2度、西経1.3度に広がるメリディアニ平原に作られたこの火星基地は、A.D.2202年のデザリアム(暗黒星団帝国)侵攻、そしてその後のアクエリアス接近とディンギル戦役の際に多大な被害を被った。
重核子爆弾の攻撃により02年には人員が全滅。しかし幸いなことに03年から翌年にかけてのディンギル戦役の際は、基地の60%が無傷のまま残った。大きな楕円軌道を描いて太陽の周囲を公転する火星は当時、その軌道上の、地球から最も遠い空間に位置していたため壊滅を免れたのである。
復興し規模も拡張されたこの基地は、戦後いくらもたたないうちに防衛軍の要衝のひとつとなった。軍事施設には戦艦ドックも併設され、宇宙港には軍の特殊輸送艦や12万tクラスの戦艦も寄港する。施設を支える作業員、民間業者などの居住区も建設され、基地は一つの都市…と言った様相を呈している。そしてその全体は、直径およそ3000メートル、高さ約200メートルの巨大な卵型の強化クリスタルドームに覆われているのだった。
中でもこの基地を他と異にしているのが、ドームのはずれ…卵形の尖った部分に位置するこの「無人機動艦隊コントロールタワー」である。
「そうそう、島さん。『マーメイド』のオーナー、変わったらしいっすよ」
提げていたポリ袋から、頼まれた品を取り出して丸テーブルの上に並べ、太助はどっかり島の隣のスツールに腰かけた。
「……ふうん」
興味なさそうだ。
島の手元に注文のブレンドコーヒーのボトルを押しやり、自分はトマトサンドイッチの外袋をべりべりと剥く。「なんかメニューが色々変わってました……あ、でも朗報です」
なんだ?と見る島に、コーヒーのボトルを目で示しつつ。
「コーヒーのラインナップがガラリと一新。前と違って、今度はいれたて本物のドリップコーヒーですって。なんでも、新オーナーはガニメデで珈琲専門店やってた人らしいっすよ」
基地内PX(酒保、つまり売店・食堂を兼ねる日用品店)のひとつ、「マーメイド」の店主は50を過ぎたおっさんだったはずだが、先だって新装開店したおりにその姪ごさんが後を継いだらしい。
…オヤジさん、身体悪くしたらしいんです。で、今いるのはなかなかに美人のお姉さんっすよ?ま、マーメイド…にしちゃ、ちょっと歳食ってましたけど。
「そーいう冗談はよしとけ。PXとは付き合い長くなるんだからな」
まるで関心が無さそうな割に、冗談の選り好みはするんだ、島さん。立場上セクハラに慎重だとか、そんなんでもないらしい。お上品だからな、島さんは。太助はひひひ、と笑う。
「ばーか、心証良くしとけば色々おまけがつくだろうが」コーヒー1杯分でサンドイッチが付いて来るかもしれないだろ。
…せこっ。
というよりなんだその、そう言い切れちゃう自信は?
「……はあ、特に今度のオーナーは女性ですしね」
「…何が言いたい?」
俺はモテないですから!その島さんの感覚、わっかりませーん!…と言おうとして、太助は島の表情に突然、びびる。
「…おい」
「はいっ」なんでしょう!?やべ、何怒ってんだろ。
島は太助の持って来たボトルのコーヒーのフタを取り、まじまじとその狭い飲み口の内部を覗き込んでいた。
「…お前これ、何を頼んだ?」
「え?ああ…えっと」
ブレンド、っていったら幾つかある…って言われまして。そうそう、そんじゃあ後味が酸っぱくないやつで、できるだけスッキリ苦いやつって頼んだんですよ……ブルマンでしたっけ、コロンビア、でしたっけ?
「…久しぶりだ…。ここでこんなまともな珈琲にありつけるとは、まさか思わなかったぞ……!」
教えといてやる。これはマンデリンだ…イタリアン・ロースト、かな?いや…フレンチかな。
生真面目な顔をして、突然蘊蓄を語り出す島に、太助は苦笑しつつホッと胸を撫で下ろす。……なんだ。感動してるのか。紛らわしい。俺はコーヒー牛乳なら飲むけど…あの苦いの、美味い不味いなんてわっかんねえし。利き酒ならまだしも、利きコーヒーかよ…
「良かったっすね!地球に帰還しなくても、これからは美味いコーヒー飲めるじゃないですか。出前もしてくれるらしいですよ?」
「ほんとか」
本日一番の朗報だ。それを先に言え。
「頼みます?…年増のマーメイドが来てくれますよ」
「ふふん」頬が笑っている。
太助の冗談を、島は諌めなかった。ヴィジュアルホンのナンバーはどれだ? 年増だろうがオヤジだろうがどっちでもかまわん。
嬉々としてマーメイドに電話する島を、太助は肩をすくめて見つめた。
元ヤマト副長島大介、そして機関部整備長の徳川太助は、2202年からその翌年にかけて地球防衛軍有人艦隊極東基地にある無人艦隊コントロールセンターにおいて、センター長そして整備長として無人艦隊の管制を担っていた。
当時月軌道上に展開していた「地球防衛軍無人艦隊」は、暗黒星団帝国の来襲に敢えなく全滅したが、その後の技術革新により再び新たな無人艦隊が造り上げられた。無人戦艦のベースとなっているのは宇宙巡洋艦<日向>とミサイル駆逐艦<金剛>。それぞれ10万t、8万tクラスの、比較的スタンダードな量産型艦船である。それら合計50隻を遠隔操作し、独自の防衛網の構築及び有人艦隊の戦闘支援をするのが、この火星無人機動艦隊コントロールセンターの任務であった。
艦艇自体の無人艦仕様へのスペック改良はすでに全艦が完了している。装甲板にステルス機能を持たせる計画も、着々と進んでいた。
新しく生まれ変わった無人機動艦隊は、今のところハードウェアにおいては理想的な進捗状況にあるが、そのソフトウェアに大きな課題が残されていた。無人艦には、高機能AI自律航法装置<アルゴノーツ>が搭載されているが、基本的なコマンドを与えるのはコントロールタワーからの指令である。しかし実際のところ、その指令を出す艦隊の中枢とも言うべきコントローラーの養成は遅々として進んでいないのだった。島、徳川に加え、輸送艦隊勤務の傍ら太田、そして北野がアドバイザーとして教官を務めてくれるが、今のところ有望な人材はほんの数名、という有様である。
島と徳川は、配置された若手の新人管制官の養成のため、連日このタワー内CDCにほぼ10時間近く詰めているのだった。
「定時観測のデータ、第1艦隊に転送終了しました!」
「日向1番艦、アルゴノーツ作動」
「金剛、2番から5番、連動します」
「…金剛1番艦、連動ミス」
隊長、申し訳ありませんっ、と振り返るのに、いや、いい…謝ってる暇があるなら作業を続けろ、と返す。……島は短く溜め息を吐いた。
ここに居るコントローラーは全員、新卒とは言え訓練学校では抜群の成績を修めた生え抜きのエリートばかりだ…戦時中に繰り上げ卒業した「エセのトップ」だった自分より、数段出来がいいはずなのだが。
深海の底に瞬く発光プランクトンの群れを思わせる、コンバット・ディレクション・ルームのコンピューター光。オペレーターは10名、一人で5隻を操作する計算である。彼らと艦船をつなぐのが一隻に付き一回線のハイパータキオン変調波発信器。通信速度がようやく追いついたのだ、人間が遅れていてどうする。
(まあ日進月歩、ではあるが。…覇気が…ないな)
彼らが操るのは、無人の船だ。万が一、大きなミスをしても…そう、爆発事故や接触事故を起こしても、人的被害はない。誰も負傷することも、死ぬこともないのである。彼らには実際の艦隊戦に参戦した経験もない。その上、今は…立ち向かうべき明確な敵も存在しない……
幸せな時間が士気を衰えさせる。それは致し方ないとはいえ、俺たちには…許されることではない。だが、それを彼らにどう叩き込めばいいのか。
(戦時中でもないのに、技術革新を推進しようってんだからな。死にもの狂いで三日先に出来ることも今日のうちに…と考えさせるのは難しいか…)
軽く溜め息を吐いて立ち上がる。
「…ナイトメア・フォーメーションからエレクト・ヘブンへ」それが終ったら報告しろ。
(8分で終れば御の字かな…)
彼らに見えないようにリストバンドのストップウォッチをスタートさせ、島はCDCの出口へ向かった。
「……ナイトメアだのエレクトだのって…一体、何?」
「…?」
唐突に、いるはずのない女の声がしたので島は驚いて目を瞬いた。
「マーメイドです。コンバットディレクションルームって、こちら?」
白いパンプスを履いた奇麗な脚が立っていた…視線を上げれば淡い色のタイトミニ、袖を七分にまくった白いシャツブラウスの女が銀盆を持ってドアのところに突っ立っている。
「あ、すいません〜〜」
その後ろから、島のチームのナンバーワン、ひょろりとのっぽの大越学が顔を出した。「島隊長が出前頼んだって聞いたんですけど、いれたてサービスがモットーだから、っていうんで、こちらへお連れしたんです」
「その場でいれてくれるのか?」
「ハイ。ポットに溜まった酸化コーヒーなんかでお代を頂くわけにいきませんからね…」しかも、こちらの隊長さんコーヒーにはうるさいんですって?お聞きしましたよ……
そう言うと、白いパンプスの女はにっこり笑った。
改めて見ると、巻いた長い黒髪に白いシャツがセクシーだ。…彼女が動く度に、肉感的なヒップラインが否応無しに目を引く。シャツからのぞく胸の谷間。 ——陸に上がったマーメイドか。
男の性か、つい脚に目が行ってしまうのを止められない。
それに気付いたのか、マーメイドが、んふ、…と笑った。
「じゃあ、あっちのテーブルで」
「OK」
真剣な顔で無人艦のコントロールに励んでいる新人たちは置いておくとして。島は大越とCDCを出ると、先ほど太助と話をしていた休憩室へマーメイドを案内した。
「…ドラッグの名前みたいね」
「は?」
名器の復刻版だと言う小さなサイフォンを使って注文の珈琲をいれる彼女の質問に。島は…ああ、と肩をすくめた。
「ナイトメアとか?」
「そう、しかもエレクト・ヘブンはないでしょう…」昇天?くすくすくす。スゴいネーミング。…ミッション名?
「無人艦隊のフォーメーション名ですよ。…ほら、男ばっかりだから、ここ」
「覚えやすいわね、確かに」そんなのばかりなら、一発で覚えそう。
「色気のない正式名称もちゃんとありますけどね、アルファベットと数字の」
女性に突っ込まれるとは思わなかったなあ、と笑いながら島は二、三フォーメーションのネーミングを披露した。艦隊の布陣するフォーメーションの幾つかには、隠語のような呼び名が付けられている。
「……さすが野郎の集団」カラカラとマーメイドは笑った。「…隊長さんが考えるの?それ?」
「幾つかはね……」代金をテーブルの上に載せ、苦笑しながら島はカップを口元に寄せた。
うん、これだ。素晴らしい…香り。
「美味い。…まさかこの星で、こんなに美味い珈琲に出合えるとは思わなかった。…マンデリンの深煎り…こんなの、地球へ還らないとお目にかかれないもんな」
マーメイドは感心したように目を丸くした。「…ホントだ。詳しいわね。これはガニメデ・ロースト、って言うの」あたしが名付けたのよ。イタリアンに匹敵する苦み、でしょ?でもすっきりした不思議な甘みがあって…後味が抜群にいいの。
丸テーブルに腰かけ、お相伴にあずかっている大越が目を白黒させている…ミルクポーションとシュガーの空を3つ4つ重ねつつ。なんですか?そのローストって?
「コーヒー豆の煎り方だよ。深煎りであるほど苦いんだ。あの頃は常に操縦桿を手放せなくてさ…眠気覚ましにどんどん苦いの飲むようになっちゃってなあ…」それが高じて、いまや珈琲フリークさ。島はヤマト時代を思い出し、あはは、と笑った。「ガニメデか。…じゃ、実験コロニー産、ってことかな?この豆は」
「ふふ、ルートは内緒。…でも、もう残り少ないの。こんなに喜んでもらえるのなら、隊長さんの為に取っておくわ。PXの出前珈琲なんて、みんなインスタントだと思ってるもの。珈琲のこと分かる人がいるなら、そういう人が優先よ」
そりゃ嬉しいね。
ご満悦な島に、また「んふ」と笑うとマーメイドはついと立ち上がる。カップは後で回収に来ます。ポットにある分はご自由にどうぞ。
「ああどうも。またちょくちょく頼むよ。…オヤジさんによろしく」
「ええ、伝えます」
黒髪は、ちょうど白いシャツの背中の真ん中辺りでぷっつり切り揃えられていた。背中から見ると、案外腰が細いのに驚く。女子隊員の制服では拝めない、下着のラインが透けて見えた。…娑婆の景色だ。その背中を見るともなしに眺めていたら、彼女が急に振り返った。向き直る瞬間、白いブラウスの胸元が大きく揺れる。
「……隊長さん、前にどこかでお会いしましたっけ?」
「さあ?僕は記憶にないです。失礼ですが」
「………」
俺はしょっちゅうテレビに出てたからな。
「ヤマトの島大介」を知らない、っていう相手に出会う方が新鮮だ。そう思い、思わず苦笑。
「とりあえず、営業時間中でしたらいつでも出前に伺うことは出来ます。ただ、お昼時なんかは無理なこともありますけど」
今後とも、どうぞご贔屓に。
そう言って、マーメイドは小さな名刺を島に差し出した。
皆川絵茉(EMA・MINAGAWA)
「喫茶マーメイド」メリディアニベース内、PX
電話****-*****
「皆川…エマさんカア…」
タイトミニの豊かな腰がドアの外に消える。名刺を横から覗き込み、大越が鼻の下を伸ばしてそう呟いたので、島は吹き出した。
「大越、姉さん女房が好みか」
「えっ………」
「しかもグラマーだしな」いいんじゃないか?応援するぜ?
「わわわわわばばばばばそそそんなんじゃないですってば」
「あっはは、お前、分かり易いなあ…」
すべての苛つきを中和するような皆川の珈琲の香りに、脳がアルファ派を出しているに違いない。いや、あのマーメイドの声にf分の1揺らぎ、が含まれているのかも。
明日からこれでちょっとは張り合いが出るな。
そう思い、島は朗らかに笑った。
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