Original Story 「鼓動」(3)




 翌朝、朝食を二人で作り、階下のキッチンで向かい合って食べた。



 メニューはトースト。スクランブルエッグなら、テレサでも絶対失敗しない。目玉焼きは、この間失敗しているのを見たからな。
「…失礼ね、もうちゃんと作れますよ」
 フライパンを持ったまま唇を尖らせた顔が、堪らなく愛らしい。
 じゃ、明日は目玉焼きと豆腐の味噌汁だ。そう言って、大介はピンクのエプロンをつけた華奢な腰を後ろから抱いた。
「サラダも作ろうよ」
「…葉っぱを食べるの、私…嫌いなの」
「そう言わないでさ」
 美容にいいんだぜ?それとも、食べる時、きゃー、って言うのかな?サラダ…?
「……もう、意地悪」
 焼き魚は、まだ無理のようだった。切り身を焼くだけなら何とかなるが、姿形そのままの魚をそのまま火にくべる…などという残酷なことはまだ彼女には考えられないことらしい。蛋白質は、専ら卵や大豆で摂るしかない。果実も大丈夫だったな。
「…病院の帰りに、何か果物を買って来ようか」
「葡萄がいいわ」
 即座にそう言ったテレサに、大介は笑い出す。「わかった」


               *


 だが、午後も遅くなって病院から戻って来た大介が伴って来たのは、葡萄だけではなかった。

「お邪魔します〜…」
「……雪さん!? 古代さんも…!!」

 彼は、中央病院で二人にばったり会ったのだそうだ。
「どこか具合が…?」
「いいえ、違うのよ」
 雪がテレサになぜ自分たち夫婦が揃って病院にいたのか、そのわけを話そうとすると、大介が顔に満面の笑みを浮かべてテレサの耳にぼそりと何かを囁いた。
「……赤ちゃんが…?」
「島くん!」雪は慌てた。もう、今説明しようとしてたのに…。


 少し前まで、テレサは妊娠のリスクと過去の能力の復活について過剰なほど憂慮し、軽い鬱状態にあった。しかし、佐渡と真田の「対策チーム」がもう数ヶ月前から彼らに懐妊のGOサインを出していることは雪も知っている…だが、その後もとんとテレサが妊娠した、という話は聞かなかった。だから、自分が二人目を妊娠したことも、どうしたら上手にテレサに伝えられるかと雪はずっと思案していたのだ。
 ねえ島くん、大丈夫なの?そう言いたげな視線を大介に送ると、彼はちょっと笑って肩をすくめてみせた。
 テレサは…と言えば、雪の心配をよそにしきりと感心し、古代から「母子手帳」なるものを見せられて目を丸くしている。

「第2子。父/古代進。母/古代雪。出産予定日/221×年1月2日…」
 妊娠すると…、こういうものを、もらえるのですね?
 赤ちゃんひとりひとりに、一冊ずつ、なのですか?
 では、これは2冊目ですね?
 テレサの戸籍は過去に偽造したものがあるので、これは自分たちにも問題なく発行されるわけである。そうすると…私たちがこれをもらうときは、父/島大介、母/島テレサ、になるのね……。恥ずかしそうに呟き、手帳のページをめくってしげしげとそれに見入った。
 あまりにも嬉しそうなその様子に、大介だけでなく古代までもが思わず笑みを浮かべる。
「おい、早いとこ、ご期待に応えてあげないと駄目じゃないか、島」
「まあ、こっちとしては出来ることはしてるんでな」
 にやつく古代に、しれっと答える島。雪はそれを横目で見て、ぷうっと吹き出した。

「これは、なんですか…?」
 古代と夫の、意味不明の会話をよそに、テレサの興味は手帳に挟んである紙片状のメモリチップに移った。診察日の書かれたページに一枚ずつ張られた薄いデータフィルムである。
「ああ、それはね…」
 ——じゃ、見せてあげちゃおうかな。
 ホントは、私と進さんだけの宝物なんだけど…うふ。
 そう言いながら、雪は出し惜しみするように笑い。島くん、マルチHV貸してくれる?と言いつつ、そのデータフィルムを一枚、手帳から剥がした。
 
 マルチHV(ホログラムヴィデオ)はごく一般的な家庭用記録再生デバイスである。リビングの大型スクリーンに映し出されるその動画を、テレサはさらに目を丸くして見つめた……
「親以外の人が見ても、かわいいなんて思えないものだろうから…あんまり人には見せないのだけど…」

 ピンク色の画面に映っているのは、雪の子宮の中——
 4D超音波による、胎児の姿が映し出されていた。雪が選んだ画像は妊娠5ヶ月後半の最新の画像、つまり今日撮影したものである。「これより前は、…ちょっと…あんまり可愛くないから」そう苦笑しつつ、雪はペロリと舌を出す。
「でもね、もうほら…この子も進さんにそっくりなのよ」
 あの手。指の形なんか、そのまんま。頭の形もそっくりでしょ?
「いやぁ、あのおでこがユキにそっくりだなあと俺は思ったよ」そう言った古代の顔ときたら。

 4D超音波診断法によるその動画は、大介にとっては正直ドキュメンタリー特集の、生命の神秘…とかいった番組に出て来る、資料映像のようにしか見えなかった。つるんとした胎児は目を閉じていて、欠伸をしたり顔を片手でこすったりしている。そのうち胎児が身体を捻ってくるりと背中を向けると、ぽこぽこした背骨が浮き出て見えた。どの辺が、古代にそっくりなんだろうか。額が雪にそっくりだというが、うーん…。目を凝らして見るが、大介には今イチ良く解らない。
 突然子煩悩な父親と母親の顔になってしまった親友とその連れ合いとを横目で見て、その惚気ぶりにも少々胸焼けする。これが雪の(かつて自分が憧れた、あのヤマトの女神の…)お腹の中か、などと真面目に考えるとなんだか目眩までしてくるのだった。…褒めるべきなんだろうか。いや、可愛いね、などと言ってしまい、どの辺が?と突っ込まれたら即座には答えられない……
 少々気まずい思いでふとテレサを見ると、彼女はいつのまにか両手を胸元で組み合せ、感動に溜め息を震わせているではないか。

「……この子が、雪さんの身体の中に…、いるのですね…。すごい…。なんだか、信じられない…」
「僕もね、この画像を撮影してる時そばにいたから、ああこれが本当に雪のお腹の中の子なんだ、ってわかりますが…、やっぱりこの動画だけ見たって、急には信じられないですよね」
 二人目だっていうのに、そうですからね、と古代が肩をすくめてテレサに相槌を打った。
「音、聞く?」
 にこにこして二人のやり取りを聞いていた雪が、バッグの中から何やら取り出す。仕事道具である。「最初、私も古代くんにこれを聞かせたのよ…」ほんとにここにいるなんて信じられない、なんて彼が言うから。

 音……?

 雪が腹部に当てている聴診器から流れ出したのは、柔らかく地面に降り注ぐ雨のような、…もしくは…小さなせせらぎのような水音と、それに乗って小さくリズムを刻む鼓動。



 ……トクントクントクン…

 


「これは、心臓の音…ですか?」赤ちゃんの…?
「そうよテレサ。この、川が流れるような水の音は、子宮の回りに流れてる血流の音なの」
 心音が時々小さくなるのは、赤ちゃんがまだ小さくて、子宮の中で動き回るせいよ。
 聴診器を耳に当て、その音を聞いているテレサの顔が見る間に綻ぶ。
 ——ここに、いるのですね。
 それ以上、なんと言っていいのか分からないのだろう。雪のお腹に遠慮がちに手を当てたテレサは、いつの間にか涙ぐんでいた。
 あらあら、困ったわね……。やっぱり4D画像なんて見せなきゃ良かったかしら。
 雪はちょっとばかり困惑する。
「泣かない泣かない。そうだわ、ついでだからテレサ、あなたの診察もして行きましょうか…」ね?健康でないと何も始まらないんだから。
「ねえ島くん、隣のお部屋、借りるわね」
 雪はそう言うと、テレサを引っ張って隣の和室に入り、リビングのスクリーンを隠すように襖を閉めた。——女同士、慰めのひとつでも言ってあげなくちゃ。




 隣室に消えた連れ合い同士を微笑ましく見送りながら、古代がふっふっふ、と笑いを漏らした。
「良かったな、島…。最近、彼女明るいじゃないか」
「うん」
「…お前、休暇って毎月3.・4日しか取れないんだって?」——それで大丈夫なのか?彼女、寂しがってんじゃないのか……
「そうだな。もうしばらくしたら、一段落するんだ。無人艦隊が俺の手を離れたら、長期の休暇を取るつもりだよ。…いや」
 ……休暇ではなく。

「古代、俺な。…ディンギル戦の時の怪我が今になって祟ってるようなんだ。肝臓の交換が…半年を切った」
 古代は手みやげにと持って来た包みを開けようとした手を、急に止めた。
「…半年を切った、って」
「半年以上地球に帰れないような長期の航海は、もう無理だって事さ」
「なんだって」
 ヤマトに乗れと言う特命が降りても、もう…俺は。無理かもしれない。
 穏やかな笑顔でそう言った親友を、古代はまじまじと見つめた。

 

 

 

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