落ち窪んだ瞼…傷んだ髪。横向きで寝ているのは、背中の傷のせいなのだろうか。見るからに酷く傷ついている彼女は、まるで死にかけているみたいだった。にわかに不安になり、その顔を覗き込むようにしながら白い手にそっと触れる。
……熱い…。
「ん……」
身じろぎして、テレサが呟いた。長い睫毛が、ゆっくりと開く。
ほっと安堵して、花倫は言った。「テレサ、……わかる?あたし、司花倫です。起こしてごめんね…」
うっすらと開いた瞳に、徐々に光が戻って来る。
ああ、と溜め息を吐くように呟いて、テレサはゆっくりと微笑んだ。
司さん……
半透明の呼吸器のマスクの中で、唇が動く。
「大丈夫…?」
ええ…、とテレサはゆっくり頷いた。
「…あなたが助かって、ホントに良かった……」
花倫は改めて涙ぐんだ。「…あの変な敵も、もう全部やっつけたし…、誰も死ななかったし…。これで、本当に…安心して地球へ行けるね」
「…………」
テレサはまだ上手く喋れないようだった。唇を動かし何か言おうとしているが、声が出ない。
「…いいよ、喋らないで。辛いでしょ…」
眉を切なそうに動かし、テレサは瞬きをすると僅かに手を差し伸べるような仕草をする。花倫はその手をそっと握った。
あのね、と花倫は口籠った。「どうしても…あなたと話をしたくて」
「…?」
上手く言えないけど…この気持ち、分かって欲しいんだ。
私は……テレサ、あなたが好きだよ。艦長と同じくらい、好き。
だから、……安心して?
「…友達、って言ってくれたもんね」
ボラーの船の中で。あたしのこと、友人、って…言ってくれたよね。
「嬉しかった」
ホントに。嬉しかったんだよ。
あたし、艦長が好きだけど、それはなんていうのかな…憧れなんだ。ただの、憧れ。わかる?
テレサは潤んだ瞳で、小声で話す花倫をじっと見つめている。
「ふふ…」ごめん。寝起きにこんな話、びっくりしちゃうよね。
テレサと殆ど額をくっつけるようにしながら、花倫は囁いた……
「あたし、テレサの友達だから。テレサに、幸せになって欲しい。もう絶対、島艦長から離れちゃ駄目だよ」
…ね?
「…なんか、誤解してるみたいだったからさ。きちんと話しとこうと思って。…ほら…変なこと言ってたじゃん?」
“わたしがいなくなっても、島さんにはあなたがいるわね”って……
口を尖らせ、キッとテレサを見据える。
「あんなこと、2度と言っちゃだめだよ?怒るよ…あたし。いい?」
艦長はね。
ずっと、ずうっと…あなたを好きだったんだよ?
「実を言うとね、…艦長…もうあなたには会えないって、そう諦めて。それで……あたしを…好きだ、って言ってくれたことがあったんだ…」
司は、そう打ち明けながらテレサの手をぎゅ、と握った。
「でもね…それは、違ったの。艦長が好きだったのは、ずうっと…テレサだった」…ふふっ、艦長ったら、すっごい失礼なのよ。テレサのこと忘れられないけど、それでもいいか、ってあたしに言ったんだから。
切ない面持ちで花倫の言葉を聞いていたテレサが、思わず表情を歪め…目を伏せた。
「艦長を、もう2度と離しちゃ駄目だよ?…ね?」
碧い瞳から、ぽろりと涙が零れる。
「やだもー、……泣かないでよー」
花倫は苦笑して、その涙を拭いてやろうとポケットをまさぐった。
「あ…」
入っていたのは、男物の白い木綿のハンカチ。
それでテレサの涙をそっと拭き、花倫はそのままハンカチを枕元に置いた。
「…まあ、今後もさ…、同じ航海士だから、艦長とは同じ場所で仕事、しなきゃならないけど…」
…第一、ここからまだ、地球へ戻らなくちゃならないんだし?
「でも、それだけだから。艦長って、実はすっごいモテんのよ。だから、あたしが見張ってて、悪い虫追っ払ってあげるからね」
花倫はくしゃっと笑った。
握られた手から、その優しさと誠意が伝わる。
テレサは温かな涙を流しながら、唇に微かに笑みを残して目を閉じた。
「あれっ……あれ、寝ちゃうの…?」
ねえ、テレサ。
……ねえ?
「まだ目覚めたばかりじゃからのー」
背後から、唐突に男の声がして、花倫は飛び上がった。
「ひェっあっあのっ…先生っ…!?」
「気付かんかったか?」
わははー、と笑いながら、テレサのベッドの背後に引かれたカーテンを開けてのっそり出て来たのは、ヤマトの艦医、佐渡酒造だった。一升瓶を抱えている。となりの空きベッドで昼寝を決め込んでいたのだろうか。
「ごっごめんなさいっ」身を翻して逃げようとした花倫を、佐渡は慌てて引き止めた。そのまま部屋の反対側に引っ張って行き、声を落として囁く。
「まあ慌てなさんな……いや、あんた、お手柄じゃよ。あんたの声に…お姫様は目を開けなすったんだからな…」今までずっと、昏睡状態だったんじゃ。
「なにはともあれ…あんたの気持ちが通じたんじゃな」
「……そ…そうでしょうか?」
柔和そうな佐渡の小さな目が、下から覗き込むように花倫を見つめた。
この人は、島艦長とイスカンダル以来の長い付き合いだと聞いている。何でも見透かされてしまいそうな気がして、花倫は慌ててそっぽを向いた。
「ああの、…テレサを……よろしくお願いします」
「……ええのー、青春っちゅうのはー」
その佐渡の返事は、返事ともともいえなかった。歌うようにそう言うと、初老の医師はまたワハハ〜、と笑う。
(……何なのよ、このオヤジ…)内心舌打ちしながらも、はっと思い出して花倫は釘を刺した。
「あのっ、あたしがここへ来たことは、その…」
「内緒にしろ、っちゅうのかな?」
「えっと、あの、その…」
まあ、そうです。
——だって。
「………心配せんでええ」
佐渡は、一時期島が、この部下をえらく評価していたことを知っている。佐渡自身、島はこの部下と、もしや上手く収まるんじゃなかろうか、と感じたことすらあったのだ。
……いやはや、そりゃ、伊達に歳は食っとらんわい。悪いようにはせんから。
「はっはっはー、青春ちゅうのは美しいもんじゃなー!」と改めて笑い、佐渡は満足げに頷いた。
*
グラン・ブルーの浅瀬に停泊するポセイドンでも、各所で皆が修復作業に追われていた。
「……俺ら、ずっとガテン系の仕事ばっかりだな」
ポセイドンの上部デッキである。補修工事用の資材を運ぶトラクターに道を開けつつ、肩にケーブルの束を背負った志村がそうぼやいた。被っているのはフルフェイスとはいえ工事用のヘルメットだ。
「まーた文句言ってる」坂田が苦笑した。「しょうがないでしょ隊長。動ける者が補修工事だの運搬作業だのやらなきゃ、どうにもならんでしょう…」
「じゃ、あれはなんだよ…?」
志村が下唇を突き出し、見やった先にはグラン・ブルーの浅瀬に飛ぶ、一機のコスモファルコン。
「……あれは…ヤマトの加藤隊長、じゃないですかね」
坂田と志村が見ていると、そのコスモファルコンは甲板上空を高度を下げつつフライパスして行った。垂直尾翼に描かれたBlack Tigerのエンブレムが陽を受けて煌めく。加藤機はぐるりと旋回してポセイドンの後部に回り、後部上甲板へとゆっくり降りて来る。
「……なんか用かな…?」
ガテン系の手伝い作業を抜け出したくて、志村はケーブルをその辺に放り出し、後部デッキへと駆け出した。
「ちょっとォー隊長!!」
坂田が憤慨して後ろから叫んでいたが、そんなの知ったこっちゃない。
黒い制服に黄色のベクトル。コスモファルコンから降り立ったのは、ヤマト艦載機隊の隊長・加藤四郎である。
「加藤さん!」
「よう、志村!」
威勢良く敬礼する志村に、加藤四郎は白い歯を見せて笑った。「通信回線がズタボロだろ。だから直に伝令だ」
通信班長の威信をかけて、ヤマトの相原少佐が復旧に向け奮闘してはいるのだが、今のところまだ満足に電波が行き届かない状況なのだ。加藤は伝言係としてあちこち飛び回っているのだ、と言った。
「ふう〜、狭かった」単座のファルコンから、もう一人出て来た。脱出装置を外したその隙間に乗って来たのだろう。加藤のあとから、よっこらせ、と降りて来た小太りの男は二人に向って「こんにちは」と笑った。オレンジ色のヤマトベクトルだ。機関部員だろう。彼は汗を拭き拭き、ニコニコしながら「徳川です」と名乗った。
「瞬間物質移送機に転送された気分はどうだった?」加藤が興味深気にそう聞いた。「お前たちの機体を、うちの技師長が調べたい、って言ってるんだ。志村と坂田…土方の機体を3機とも、陸上へ運んでもらいたい」
技師長、つまりヤマトの副長真田は今、地上施設にいるのだった。
「それから…、あれだ。ボラーの空間転移装置を見て来たお前と司に、色々と訊きたい事があるらしい。しばらくあっちにいられるかい?」
「は、了解です。…でも、航海長は地上基地の病院にいるんですよ。…怪我、してますから」加藤が探すような視線を真上の第一艦橋に向かって投げたので,志村はそう答えた。「…島艦長もあっちです」
加藤はなんだそうか、といって頭を掻いた。
「じゃあ徳川、…俺たちもあっちへ行かなけりゃ」
「ふわー、…そっか」
二人は,島にも用事があったのらしい。志村たちに手を振ると、ファルコンにさっさと乗り込んだ。とはいえ、徳川はまた汗だくだ。手足を縮め、丸い身体を再びコックピットの後部へ押し込む。
「それじゃあ、機体の移動、よろしく頼んだぜ。中央滑走路の奥の司令室に、うちの技師長がいるからな」
「了解です」
加藤機が後部甲板から垂直に上昇していくのを見送りながら、志村はにやっと笑った。よーし、これでガテン系のバイトとはおさらばだ。しかも、病院に行く口実まで出来たぞ……
「ファルコンを移動させるぞ」
「ういっす」
土方も呼んで来い、坂田にそう言いながら踵を返し、志村は愛機に向かって小走りに駆け出した。
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