にわか仕立ての看護師さん、といった風情だ。看護師が食事や排泄の介助の際に使う大振りなピンク色のエプロンを着けた司が、通路脇のベッドのクルーに呼び止められ、ワゴンから飲み物を渡していた。同時に、小脇に抱えたシートに何やら書き付けている。誰それに何を渡したか、といったチェック項目らしい。紙とペン、とはひどくアナログだが、何もかもが急ごしらえなので仕方が無い。53名の治療データを電子ボードに変換する時間すら、まだないのだから。
フロアの向こうにその姿をしばらく眺め、島は小さく溜め息を吐く。
司。…お前と…話をしたい…
彼女と話していると、我知らず笑顔になっている自分がいたからだ……だが、そんな風に、お前に甘えてしまうのは…やはり…もう。
くるりと背を向け、島はフロアの別区画へと足を向けた。
「え〜〜と?工作班の、…木崎…昇さんね。アミノ酸飲料ひとつ…と」
「俺にも何か飲み物下さい」
ベッドの間に設けられた狭い通路の両側から、司に声がかかる。彼女はまた一つ、チェックシートにペケをつけ、アミノ酸飲料のボトルを伸びてきた手に持たせた。
「はいはい、ちょっと待って〜、お茶ですか、それともアミノ酸ドリンク?」
「ええと…」
考え込んだ包帯の手に、お茶のカップを渡そうとしていた司の手が滑った。「うわ!!」
「あ…キャーーー!!」
プラスチックのカップになみなみと注がれた冷たいお茶が、包帯の男の上半身にとっぷりとかかる……「ごめんなさいごめんなさい!!ぎゃああー…どうしよ…」
「ま…、お茶だから」ぶっかけられた方は苦笑するしかない。「…包帯換えれば済むことだから、まあいいよ」
「ホントにごめんなさい、あの、グレイス先生呼んで来ます」
いいよいいよ、と男は笑い、司の顔を覗き込んだ。
「…あれっ?あんた…航海長さんじゃないか!大変だね、こんな仕事もするの…」
司をてっきり生活班の女子隊員だと思い込んでいた男どもが、にわかにざわつく。
「あ〜〜、航海中じゃないですからね、今は何でも屋さんなんですぅ」
司はてへへ、と応えて笑った。先端の焦げたポニーテールが、ぴょこんと左右に揺れる。いや、もちろん航海班にも仕事はある…だが、兄の看病のためにそっちは放ったらかしで、地上施設に入り浸っているのだ。おかげで、こんなこともするはめになっているのだった。
「あんた、ケガはなかったの?」
「あー、はあ、まあ。おでこにちょっと。かすり傷ですよ」かすり傷というには少々派手だ…銃撃戦で負った銃創なのだから。しかしそれは絆創膏を貼って上から大判のハンカチで運動会のハチマキよろしく覆ってしまえば、それとは分からない。
加えて司は、右足のふくらはぎがまだ引きつれることを思い出した。それも敵艦内部で銃撃を受けた際に負った傷だが、彼女の”力”ですでにほぼ完治していた。
まったく、こんな怪我だらけになっちゃって。嫁入り前だってゆーのにさ、と一人でブーたれる。
「他に飲み物いる人は〜?」
とりあえず、この辺にはいないらしい。それを確認すると、司はまたワゴンを押して歩き始めた。早くお兄ちゃんの所に行かなくちゃ。
ワゴンの中身を見て、和也のために持って来たあれこれを確認しつつふと顔を上げた司の目に、こちらに背を向けてフロアを出て行く艦隊司令の姿が入った。
「…島艦長」
やだ。…それじゃさっき、お茶を患者さんの上にぶちまけちゃったの、見られてたかな……
(絶対笑ってたなー、艦長め…)
追いかけて行って、見てたでしょう!と聞いてみたかった。
笑ってたでしょう?!と問いつめてやりたかった…——
……胸が詰まる。彼の姿を見ると、あれ以来いつもこうだった。
けれど、それを無視して、島の背中に笑いかける……
(本当は、艦長と…もっとたくさん…話、したかったです…)
また一緒に、ご飯、食べたかった。…二人で一緒に、星を…見たかった。
でも、もう……そんなこと、しない方が。
……それに。それより先に、謝らなくっちゃ。始末書も一体何枚書かなけりゃならないんだろ?
司はそう思ったが、艦隊全部が酷く混乱している今は、目の前に落ちている雑事を各々が一つずつ片付けて行かねばならない。自分が護衛班のファルコンを勝手に持ち出し、無断でディーバの大気圏外に出……敵艦へ突入したことは由々しき大事なのだが、その後始末より優先されるべきことが多過ぎた。始末書のフォーマットが自室へ回ってきて、出頭命令が下るまで…それは保留だ。
急がなくっちゃあ、と司はワゴンを押して小走りに先を急ぐ。——妙に気を遣ったり、過去のことでくよくよしてんのは…時間がもったいないもん。
地下10階の、天井の高いフロアの一室には、司和也が収容されている。花倫はワゴンを押して、その部屋のドアをくぐった。
「あれ?お兄ちゃん…もう起き上がっていいの?」
ベッドの上に身体を起こしている兄を見て、司は目を丸くした。和也もフロアの他の負傷者と同様、ミイラ男よろしく身体中に包帯を巻かれていたが、花倫を見て嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。もうしばらくすれば歩けるようになるって」
「わあ、良かった…!!」
「おい、それにしてもここの医者はすごいべっぴん揃いだな…!」
「……?グレイス先生は分かるけど。音無先生は男だよ」
「男ぉ?!」
ああ〜、俺は目までおかしくなっちまったよ、と和也が頭を抱える傍で、花倫は大笑いした。
「それから、艦隊司令と話をしたよ。…若いが立派な人だな」
「島艦長のこと?」
そうでしょ、お兄ちゃん。あたしの…、あたしたちの、自慢の艦長なんだから。
「それに…ガミラスとの戦いが…今はこんな風になっているなんてな。…晴天の霹靂、ってやつだよ…。あの島艦長は、古代先輩の弟と同期なんだって?…俺たちがやられた冥王星戦の直後に、戦局はまったく一変したらしいな…」
「…お兄ちゃん、古代艦長のお兄さん知ってたんだ」
ん、と和也は頷いた。
ヤマトのすごさも、ヤマトの航海長のすごさも、兄はまだよく知らない。今はまだ、少しずつ、ガミラスと地球とがどうやって和平を結んだか、それを話して聞かせている所だった。
「ガミラスのあとにも、地球は3回侵略を受けてね…。それも全部…ヤマトが出てって解決してくれたの。艦長は、その全部の戦いに、ヤマトの操縦士として参加してるんだよ」
「……なんだか眉唾ものだな。たった1隻でどうしてそこまでできるっていうんだ?」
「ヤマトはね…宇宙に、選ばれた船だから」
そう言ってしまってから、花倫はその言葉の陳腐さに驚き、思わず笑う。
でもね……ほんとに、そうなのよ。
「だってね、ヤマトはもともと、鉄屑だったんだって。あの船のエンジンは、イスカンダルっていう他所の星の女王様が設計図を送ってくれて…」
太古に沈んだ戦艦の遺骸に、星の女王様が吹き込んだ命。しかも、他の女神さまたちもみんな…あの船を愛し、あの船を守ってくれた。
「……スターシアでしょ、マザー・シャルバートでしょ、……それから、テレサ」
ああ、テレサは……違うかな。
テレサが愛して守ったのは……ヤマトでも地球でもないんだっけ…。
「なんだい、それは」兄がきょとんとして訊ねる。
「うふふ……。ヤマトを愛した、宇宙の女神たちだよ」
「……おいおい」
「あたしだって、なんだか騙されてるみたいだもん」
その中の一人、…テレサが、今……このフロアのどこかにいる、なんてね。ほんと、…なんだかおとぎ話みたい。
「……お前のしてるその話が……本当だろうが眉唾だろうが」
和也は、ベッドに頬杖を付く妹の頭を、くしゃ、と撫でた。
「俺が生きてここへ戻って来た。それが一番……この世で不思議なことだろうよ」
「……そうだね…。お兄ちゃん」
兄妹は、互いを見て微笑みあう。
「しかも、お前が…艦隊の一等航海士だなんてな…!」それも、青天の霹靂だよ!大丈夫なのか、この艦隊は?
「うわ、失礼ね、あったまきちゃうっ!!」
あたし、艦長にめっちゃ褒められてんだからね!それに、防衛軍の太陽系外周艦隊の12万t級だって、動かしてたんだから!
はいはい、嘘だなんて言ってませんよ?
もーー、信じてないでしょ!
あっははは…
* * *
飲み物や救急箱の乗った小さなワゴンが、通路に置きっぱなしにされていた。
さっきまで、それを押して歩いていたのは司花倫である。花倫は、兄のベッドのある部屋からほど遠くない、ある一室へそっと入り込んでいた。
つい今しがた、その部屋からグレイスと音無、森が出て来るのを見た。……ということは、つまり。
(……テレサはあの部屋に…いるんだ)
重症患者のICUが並ぶこの一角では、部屋と部屋の区別はつきにくい。これまでずっと、テレサの安否は分からなかった…だが花倫には、どうしても彼女に会って伝えたいことがあったのだ。
するりと入り込んだドアをそっと後ろ手に閉め……花倫はベッドを覗き込む。
(……ビンゴ)
そこには美しいあの人が、規則的な寝息を立てて横になっていた。
(…テレサ…)
まだ具合悪いのかな。あれっきり、目を覚まさないのかな……
ベッドの傍に、そっと膝をついた。
「…テレサさん…?…テレサ…?」
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